食事会 俺が目を開けると、目の前には黒髪の男の子が座っていた。
「壱村先輩、今日は僕との食事会にいらっしゃってありがとうございます」
目の前の男の子はそう言った。服も顔も見たことがある…
「お前は…勇翔か。なんで…」
「えへへ、そうですよ。壱村先輩も元気そうですね」
ずれたような返事をされ、俺は妙な違和感を感じていた。冷や汗をかいた。
周りを見ると、よく海外テレビで男女の登場人物がディナーをする時に使われるような広々としたレストランだった。大体は食事を終え、指輪でも見せながら男が女に結婚を申し出るだろう。ベタ展開だが、今回の雰囲気は異様だ。
誰もいないし、俺と勇翔だけ。もしかしたら奥の厨房に料理人やスタッフでもいるだろうが、音も一切聞こえない。赤いカーペットが緩やかに壁ガラスと一緒に円を描き、テーブルや椅子もそれに沿って順序よく置かれていた。ずっとずっと奥に続いている。
そして少し暗い。奥に行けば行くほど闇だ。目の前で座ってる勇翔もあの闇から来たかのよう。
怖かった。
「勇翔、俺は、お前に…あー……なんて言えば良いんだ。えっと…」
この異様な空気を少しでも変えたく、俺は話しかけた。何も思い浮かばない。後悔した。
俺は自分を悔やみ、彼を見た。勇翔は微笑んでいた。
「壱村先輩は変わりませんね。僕はそんな先輩が今でも好きですよ」
淡々と答える勇翔の目は死んでいた。あの頃と同じ目をしていた。真っ暗で正気のない目。でもなぜか…懐かしく、愛おしく、感じる表情だった。それでも怖いのには変わりないが…
勇翔は今何を感じているんだろう、考えているんだろう。俺をどう見てるんだろう。そしてなぜ自分はここにいるんだろう。
ずっと考えていたが、答えは見つからず、俺は外を眺めた。
今にも雨降りそうな曇り空の夜にどこかの原っぱが見えた。ずっと続いている。見たことがない景色だった。俺はこんなところ知らない。余計に不安になり、俺は顔を下に向けた。
すると目の前に皿が置かれた。前菜のサラダだった。俺が顔を上げた瞬間、奥のドアが閉じる音がした。
「ここのサラダ、ドレッシングが酸っぱいけど、ちょうど酸味が効いてて美味しいんですよ」
と勇翔は答えた。ごぼうとさやえんどう、空豆のサラダ。豆ばっかだ。
勇翔はすっとフォークで野菜を刺し、口に運んだ。「美味しい」と勇翔は言った。
俺も恐る恐るフォークでごぼうを刺し、口に運んだ。しかしそれはごぼうではなかった。
「う゛ッッ……!!!」と俺は近くのナプキンで、口からごぼうを出した。
コオロギだった。サラダを見ると、それはサラダではなかった。コオロギや緑虫など虫しかいなかった。しかも死んだ虫。水を飲んだ。水は普通だった。安心した。
帰りたい。勇翔に変な姿も見せてしまったし、今ここにいる勇翔が俺の知っている勇翔なのかも分からない。感情が常に揺れ動く。自分の目の前にいる子は俺がずっと会いたかった後輩だったのに。
こんな形での再会は望んでいない。これなら二度と会わないほうが良い。
「壱村先輩、お気に召しませんでした?」と勇翔は話しかけた。恐る恐る勇翔の方を向く。サラダを綺麗に完食していた。自分の皿には相変わらず虫がいる。
「あ、すまん。ちょっとびっくりしてな…最近疲れてて……」と俺は答えた。嘘ではないが。今ここでこんなこと言っても言い訳にしか聞こえない。本当に怖い。
「え!そうなんですか…大丈夫です?無理しなくても良いですよ。じゃあちょっと店員を呼びますね。待っててください」と勇翔は、奥を振り向き、呼んだ。声がいまいち聞こえない。勇翔の声を聞いたスタッフが現れたが、なぜか顔が隠れていて見えなかった。髪?それとも帽子?分からない。
「すみません、彼に〜合わなかったようで…〜〜そうですか?あ、ありがとうございます。違うメニューで」勇翔は、隣にいたスタッフと話していた。そもそもこれはスタッフなのか?もし人間じゃなかったら…目の前にいる勇翔も勇翔じゃなかったら……
そう考えると、頭がぐらっと揺らいだ。
パッと目を開くと、目の前の虫がいた皿は無かった。スタッフもいなくなっていた。
「今度はメインディッシュとスープですよ。ここはスープは前菜として出さないんですよ。面白いですよね。でもとても軽やかに飲めるスープです。良いですよ」と勇翔は答えた。
どこか引っかかるような言い草である。
「……」
俺は、もう泣きそうだった。情けないが、泣いて許されたい。俺がぐっと堪えていると、また皿が置かれた。ステーキ?と付け合わせにエビのグリルが少しあった。そして隣には、ライスとコーンスープ。俺がまた頭(こうべ)を上げると、やはりスタッフはもういなかった。
仕方なく近くに置いてあったナイフでステーキを切ってみた。そして切り口から肉の側面を何気なく見てみた。ほぼ生肉…
なんだこれ。そして一口、食べてみた。…え、生肉ってこんなに柔らかいのか?驚いた。
ていうかこれどういう調理法なんだ?表はよく焼けているのに…レアよりも中がほぼ焼けてない。こんな肉、食ったことない。
「美味しいですよね、死肉」
「………」勇翔の発言で背中が凍りついた。
…俺たちは確かに軍人だった。人肉を食ったことはもちろん無いが、死肉は嫌でも見てきた。味方が死んで火葬、敵を殺すと勝利への加点になり、俺たちの味方が喜ぶ。そんなこと考えると、今にも自分の口に入っている肉を吐き出したくなった。まるで、
まるで死んだ人肉を食ってるかのような気分になったから…
「どうしたんですか、壱村先輩。顔色が悪いですよ。やっぱりメインディッシュは美味しくありませんでした?でもまぁ…壱村先輩の料理に比べると確かに美味しくありませんね」
ハッとして、俺は顔を上げた。勇翔は心配して俺を眺めていた。
「…いや、そういうわけじゃ…」
気付けばまた皿が無くなっていた。さっきの皿、チラッと勇翔の方見ていたが、あいつは完食していた。頭でずっと考えていた。この状況はどう考えてもおかしい。どうしたらこの状況を打破できるのだろうか。どうしたら……
「さぁ最後ですよ。今日は特別です。デザートにケーキが出るんです。きっとここのケーキはこだわってますよ♪」満面の笑みで勇翔は話した。
昔の勇翔もケーキが大好きだった。俺が軽く材料を用意して、ジャムで作ったケーキを彼はいつも笑顔で食べてくれた。もっと、もっと美味しいもの食べさせたかった。
「いつか本物のいちごでケーキを作ろう、勇翔」そう約束して、俺はちゃんと約束を果たした。勇翔はまた食べたいと言った。来年にまた美味しいいちごが出るから、と勇翔に話すと、勇翔は笑顔を見せて喜んでいた。
二度の約束を果たせなかった。勇翔は目の前で、俺の目の前のでーーーーー……
「あ、来ましたよ」カタッと置かれたケーキ。生クリームがスポンジを隠すほどデットリと乗っており、切ったいちごが散りばめられている。上には大きく赤々としたいちごが乗っていた。勇翔は、何も気にせず食べ始めた。
「美味し〜い!」あいつの唇が生クリームの油でぷっくりと光っていた。
「勇翔…」俺は、不安を消して話しかけた。勇気がなかなか出ない。
「どうかなされました?先輩」
「勇翔、今日はありがとう。俺はお前に会えて良かったよ。少し腹があまり減ってなくて料理があまり食べてなかった。それはすまない。だが、お前に聞きたいことがあってな…」
「良いんですよ、先輩。それで、聞きたいこと、とは?」
俺は息を呑んだ。また一つ、冷や汗が俺の首筋を通った。
「俺は勇翔のことが大切だ。でもなんだが…今目の前にいる勇翔が俺の知ってる勇翔ではない気がする。たしかに昔からお前は純粋無垢で他人をよく慕う。慕いすぎて、俺も驚いことはあった。だが今日のお前は、俺が知ってるあの時の勇翔とは違う。お前は…」
「何者なんだって聞きたいんですか?ふふ」勇翔は話した。
「でも僕は勇翔ですよ。水色(みなしき) 勇翔。あの時、20歳で死んだ人間です。貴方を愛するあまり、無茶なことをして死んだ哀れな人間です」
「いや、哀れじゃ……」
「俺が守りきれなかった、俺の方が哀れだって言いたいんですか?先輩はやっぱり僕の愛する人として、出来すぎていますね。人間らしくて、とても良いです」
「………」
「でもまぁ最後になりますし、貴方に伝えたいことを伝えときますね。あ、ご馳走様です」
また皿が消えた。いつの間にかナプキンもフォークもナイフも消えていた。
「壱村先輩」
「…」
「貴方は」
「……」
目を閉じた。手汗が酷かった。怖い、怖い。
「他人を狂わせすぎですよ」
「…………ッッッッ…!」ばっと目を開けると、そこは殺風景な自分の部屋だった。
「…え、な、え………」俺は頭の処理が追いつかず、辺りを見渡した。自分の部屋だってことが確信に変わり、やっと落ち着けた。
「夢じゃない…のに、なんだあれ……俺の妄想…?妄想にしては出来過ぎているが…」俺はそんなことをぼんやりと考え、近くの小さな台にある深い緑色の物を見た。
「これは…」勇翔や俺が軍人時代に使っていた帽子だった。なんでこんなところにあるんだ。
俺が帽子を手に取り、すっと上げると俺は絶句した。
コオロギが死んでいた。