想いは手帖から第三章
手帖
「お父様の顔、今でも覚えてる。ずっと泣いてたわ…。親孝行も出来ずに死んじゃった」とチヨはポロポロと今度は涙を流した。
赤瀬はチヨの涙を拭うように、どこからかハンカチを取りだしチヨの涙を拭った。
「あ…ありがとう…」と彼女は答え、なんとか涙をこらえるように、えづきながらそれでも息を整えた。
赤瀬は「辛かったね」と話した。
どこからか、冷たい風が吹いてきた。
なんとか涙は枯れて、チヨは泣き止んだ。静かなホームが赤瀬とチヨを包み込む。
しばらくして赤瀬は、考え込んだ。頭の混乱を何とか落ち着かせつつ、彼はとにかく考えた。
海どころじゃなくなった。
…………彼は今はもう、手元のノートのことで頭がいっぱいだった。
ノートはたしかに、不思議な存在だった。
いつも彼のお願いを叶えてくれたし、自分と話をしてくれた。ノートに助けられた。
赤瀬はどっちに聞くべきが悩んだ。処理が追いつかない、とはこのことらしい。
そして、チヨに聞いた。
「話は分かったよ、しかし僕にはひとつ疑問がある」
赤瀬がまた話し出すと、チヨは頷くように、「あなたの言いたいこと、分かるわよ。でもそれを聞く相手は手帖が正しい。だって私が死んでから、その手帖だけは、現代でもずっと…残ってるんだもの」と答えた。
膝の上のノートはジッと佇んでいる。
「た、確かに……」と赤瀬は同意し、ノートに尋ねた。
心做しか、赤瀬の方を見てるかのようだ。
「君にはいつも助けられた。僕が死にそうになるほど悩んで悩んでた時にも、もう本棚に押し潰されそうな感覚に陥るほど落ち込んだ時にも、君にはたくさん救われた……」
赤瀬は息を整え、話し出した。
「ここで、知りたいんだ」
「知っておきたい、君のことを」と赤瀬はノートをじっと見ながら、話した。
ノートはしばらく黙って『いいよ いつかは話すべきだと思ってたから なかなか話せなくてごめんね ノートはいつも受け身なんだ』と答えた。
質問を考え、赤瀬は恐る恐る訊いた。
「君の正体は…なんだい?」
その問いに対し、ノートは一言で答えた。
『付喪神』
あっさりとした答えだった。赤瀬は「付喪神!?」と驚いた。顎に手を回し、彼は険しい顔で「聞いたことあるぞ、魂か、それが、宿った古代の道具が……人間に……!」と感情の籠った声で言った。「まさか!」と彼は大声を出し、「ぼ、僕を懲らしめるためにずっと様子を見ていたのか!!?」と立ち上がりながら、ノートに言い出した。
ノートは呆れながら『そんなのなら、とっくに、君を懲らしめてるよ。ノートはそんなことしない』と伝えた。
「あ、あぁ…そうだよな…………すまない、ちょっとしたジョークだ」と彼はノートを拾い上げ、またベンチに座った。
一連のやり取りを見ていたチヨは、何かを気にしたようにノートに声をかけた。
「そういえばあなたって…なぜ私の死後でもそんなに綺麗に現代まで姿を保ってるのかしら?」
赤瀬は「確かに、それは僕も気になるな」と同意するように答えた。
ノートは考え込むような、そんな雰囲気で、紙を擦らせた。
まるで何か、悩んでるかのようである。
しばらく経ち、『ノートにも分からない…でも……』と文字を綴った。
『ノートは君たち人間の活動や行動を見ていた。疫病が流行り、戦争が始まり、文化が変わった』とどんどん文字を綴って、ノートは彼らに語った。
『あの時の戦火で……ノートは火が燃え移った』
赤瀬は冷や汗を感じつつ、訊いた。
「い、いつだ?」
真剣な眼差しで彼はノートを直視した。
『覚えてない……でも、あまりの熱さを感じてた時に…燃え盛る炎を見た。炎の海みたいだった……人間にとってのあれは…?』とノートは答えた。
「炎の海……あぁ…………戦争…」と彼は魂が抜けたように話し出した。
チヨは何も分からず、「戦争………?」と少し強ばった顔で一言呟いた。
赤瀬は「本当に、何も覚えてない?」と、ノートに確認するように訊いた。今ある不安を早く消し去りたいという表情だ。
『でも……すごく鮮明に、覚えてることがある。まるで何かが爆発したような地面に、強い衝撃が伝わってきた。大地震かと思ったけど、気付いたら街が焼けて無くなっていた』
文面を見て確信がついたように、「第二次世界大戦か…」と話した。
チヨは二人の会話についていけず、ずっと首を傾げていたが、ふとした時に赤瀬に話しかけた。
「そういえば……私まだ成仏できなくて、長いことここにいるけど、ずっと昔に大きい音が聞こえたわ…!ここは地下なはずなのに…手帖が言った通り、すごい衝撃を感じたの」と声をかけた。
「やっぱり爆撃か。まさかノートが燃えて…」と赤瀬は後頭部に手を当てていた。
しかしすぐハッとした顔をノートに見せた。
「いやいや待て待て!」と声を上げ、「なんで燃えたはずのノートくんが…そんな綺麗な状態で……残ってるんだ!?」と不意打ちを喰らったかのように、話を切り出した。
『そんなに驚くことかなぁ……』とノートは赤瀬に伝えた。
赤瀬は「いやいや、驚くことだろう!」と目を丸くしながら答えた。
『たしかに火は移ったのは事実 でもあの時、何故か ノートの想いが届いたのかな。移った火がだんだん消えたんだ』
ノートは考え込むように、でも何とか言葉を紡いで語った。
チヨは話の意味を何とか理解しようと必死に赤瀬と同じく、真面目な表情でノートの紙面を見つめていた。
ノートは続けて、
『それで気づいたら砂埃に紛れて飛んで行ってしまって……何年も大木の土の下で眠ってた。このままみんなに忘れられるのかなって思ったけど、希望が捨てきれなかった』と話し、一通り話し終えたのか、チヨの方を振り向くように動き出し、彼女に語りかけた。
『ノートは紙と文字を愛する人間の元で、人間の役に立ちたいと思ったんだ。チヨがノートの紙面に物語を書いたり、絵を描いてくれた時の笑顔、今でも覚えてるよ』
「あら…………見てたのね……」
チヨは言った。
『君の質問に相応しい回答ができなくてごめんね。ノートは人間の行動を見ることしかできなかった。何年も何十年も、何百年もそれぐらいのことしか出来なかった。でもあの時の希望が捨てきれなかった』
赤瀬は「あぁ、紙と文字を愛する人間の元で役に立ちたいってことだね」と声をかけると同意したように、『そう、だからこのまま自分の存在価値を無くすわけにはいかないと思ったんだ』と話した。
『それで強く願っていたら……日が経つにつれて少しずつ今の姿になっていたんだよ』
「付喪神は精霊を宿す…まさか……」と赤瀬は顎に手をやって聞いた。
『多分、赤瀬の予想通りだよ。精霊…が宿ったのかな?ノートにもよく分からないけど、特殊な能力が宿るようになった。そしたら途端に、図書館に行った方がいいって確信がついたんだ』と話した。
赤瀬は少し間を置き、微笑んだ。
「あぁ、運命じゃないんだ。これは……」
そして喜ぶように「これは、必然的な出会いに過ぎなかったんだ」と呟いた。
チヨは赤瀬の微笑を見て、嬉しそうな顔を見せた。
その笑顔を見て「チヨくんも、文字と紙が好きだったんだね」と声をかけた。
チヨはすぐさま、「えぇ、もちろん。紙は肌触りも良いし、私の趣味には紙が必須だったわ。文字を書いてる時も読んでる時も、それが一番楽しかったわ」と答えた。
赤瀬は「僕と一緒だね。君との出会いは約束されてたみたいだ…!」とチヨの両肩に手を置いた。
『赤瀬、ノートを見つけてくれてありがとう』
ノートは紙を擦らせながら、赤瀬に伝えた。
赤瀬はチヨと顔を合わせながら話した。
「僕の方こそ、礼を言うべきだ」
「そうね、そうだわ!」
「素敵な出会いを与えてくれて、ありがとう」と赤瀬は言った。
二人の笑い声と紙の音が、ホームに響き渡った。