味蕾・家内料理は火加減。恋は胃袋を掴んだ者の勝ちとは言ったものだがこうも懐くものなのかと玄弥は目の前の光景に眉を潜めた。
「お袋!今日のご飯は?」
「おかずはなんだ?お袋!」
交流の一種だと言われればそれまでだが、少しは否定か何かしたらどうだと鼻を軽く鳴らして作業に戻る。
「今日は炊き込みご飯だ!」
「だから母ちゃんも準備してるのか」
「母ちゃん!とびきりの味付け頼むぜ!」
「誰が母ちゃんだ!バカタレェ!!」
母ちゃんと呼ばれた玄弥。これには理由がある。
あまりに炭治郎がお袋、お袋と呼ばれていたのでつい玄弥もつられて呼んでしまったのだ。ただ彼の家族でお袋と呼んでいたのは兄である実弥だけであり、彼自身は母母ちゃと呼んでいたのでそれが出てしまった。
そこからは早いもので、よく炭治郎を手伝う玄弥を母ちゃんと揶揄う面々。極め付けが炭治郎は確かに料理上手ではあるのだが、少し味が素朴なのだ。山育ちという事もあるのだろう。素材の味が活きていると言えば聞こえはいいが、隊士の面々は育ち盛りの男手だ。
これもつい、玄弥が味付けをした所、伊之助が絶賛し、善逸が騒ぎ立てたので母ちゃん呼びが確定する事となった。
「お前らもう夫婦でやってる定食屋とかやれば?」
くつくつと煮立つ汁物を作って、鍋から立ち上る湯気から臭いを確認する炭治郎。軽く小皿によそってから此方に味見と渡してくる。食べないと延々と続ける事を思い知ってる玄弥は仕方なくそのまま炭治郎の手ずから味見を行った。
゛いんじゃねぇの?゛と軽く唇に付いた汁も舌先に馴染ませて言うと炭治郎は満面の笑みを向けてくる。
それで、だ。
善逸の言葉に戻る。
「はぁ??なんだよ急に」
「そうだぞ善逸。俺たち男同士だから夫婦じゃなくて夫夫じゃないか?」
「いや炭治郎。そこじゃねぇよ」
゛いやそこだろう?゛ときょとんとする炭治郎に、善逸が自分の頭を掻き抱きながらうなり始める。
「だーかーら!そうじゃなくて!!距離!おかしくない?!そこまで仲良くなかったじゃん!?何今の!?目の前で夫婦漫才もいらないから!!」
「誰が夫婦だよ!お袋と母ちゃんでなる訳ねぇだろ!ふざけてんじゃねぇよ!」
「そこお前が引っ張るのかよ!?」
ぎゃーわー!と玄弥と善逸が言い合いを始めた。時折顔を真っ赤にしている玄弥が見えたので善逸がまた女の子関係の事を言ったのだろう。仲良くなって良かったなぁとしみじみしてる炭治郎だったが、善逸の言葉が胸にそっと溶け込んでいく。
「ーーなぁ玄弥。嫌かな?」
炭治郎の言葉に玄弥と善逸の動きがピタリと止まった。
ポカポカと次第に熱を持ち始める胸の内を感じて炭治郎は玄弥へ微笑む。
「鬼がいなくなった後さ、俺が釜戸番として、玄弥が味を付けて。定食屋するの、いいと思うんだけど」
「お前炭売りって言ってただろ」
「炭も続けるさ!その炭でさ!料理作って食べてもらうんだ!禰󠄀豆子もいるし、伊之助と善逸は来るとして、甘露寺さんとかもきっと来てくれると思うんだ」
どうかな?と炭治郎は笑ってる。
炭治郎はいつも前を向いている。誰かを信じて、拙い希望の未来をも信じる彼は、兄を追いかけ続けて過去を見続ける自分とはまるで逆の存在にも感じる事があった。
こんな鬼が糸も容易く命を奪う夜の中で。
明日をもしれない鬼殺隊士の道すがら、未来を語るなど、思ってもみなかった。
「そうかねぇ…恋柱様なら洋食や菓子が必要なんじゃねぇの?」
「釜戸で出来るものがないか聞いてみようか」
炭治郎の隣に戻って座る。あれもこれもと、あり得るのかやり切れるのかもわからない事をつらつらと炭治郎は述べ続けている。こうなると長くなるのは玄弥も善逸もわかっていた。玄弥はご飯の支度が終わってる事を確認する。手で軽く善逸をあしらうようにして皆を呼びにいくよう指示をした。少し不服そうだったが、何処かいずらそうにしてた善逸はそそくさとその場を後にする。
頬杖をついて炭治郎を見る玄弥。
囲炉裏の火が目に移れば赤がより一層深まった。
いい色だなと思って夢物語に夢中な炭治郎の目尻を、人差し指の手の甲側で一度すりつける。暖かい体温が、玄弥の心の内を溶かしては、ふはっと笑みを溢れ落とす。
「味付け担当が俺なら沢山食えるようにならなきゃなんねぇだろーが。いつになると思ってんだよ」
「すぐ食べれるようになるさ!俺も協力する!」
「おまえじゃ余計なもん入れンだろ」
目尻を触れた玄弥の手を炭治郎は力強く握った。今は少しだけ、ほんの少しだけ食べれるようになっているが、鬼喰いをする以上、人の食べ物ーー料理は受け付けなくなり食は細くなってきている。その意図を炭治郎は組んで答えてきた。
夢物語だと笑う玄弥に炭治郎は指を絡めて握り直す。玄弥の肩がビクリッと跳ねた。
「炭治郎…?」
じっと見つめてくる相手の名前を呼ぶ。鍋下の炎がじりじりと焼ける音がする。赤い。赤い目が近づいてくる。するりと今度は握っていない反対の手で炭治郎が玄弥の頬を撫でた。
「玄弥、あのさ。唇、味見してみてもいいか?」
なんて言った?
何でそうなった?
炭治郎の手が頬から離れない。顔を逸らす事が出来ない。熱が伝わって熱い。心臓がうるさい。逃げようにも指が絡め取られていて、玄弥は身動きが取れなくなってきた。頭の片隅では思考だけが巡っている。
炭治郎ってこんな顔をするんだったけか?
目。目なんか奥の方で擽ってる炎みてぇで俺にも移りそうだな。熱い。息継ぎに出した吐息ですら熱持ってる気がする。手汗掻いてねぇかな、俺。真っ赤なんだろうな顔。
「玄弥、」
「炭、じろ…っ」
唇味見したって炭治郎自身の味覚が変わる訳じゃねぇのに。
吐息がかかる距離。炭治郎は玄弥から目を離さない。指先が輪郭をなぞり、顎下を持たれる。炭治郎の目の奥に灯る炎が彼の体全体から自分に移り、駆け巡ってるようだった。言いようもない感覚が背筋から走り続けられては、耐え切ない。玄弥は段々と目を開ける事が出来なくなってきていた。うっすらとだけ、かろうじて目を開けるも炭治郎は止まっていない。顔も目も、赤い。
「俺は」
「たんじろ…っま…っ」
玄弥の唇に、炭治郎の親指が触れる。
「ブワーハッハッハッハ!!伊之助様のお帰りだー!子分共!今日こそは天ぷらだろ!?」
「今日は炊き込みご飯だ!!!!!!!!!!!!!」
「なんだ!?喧嘩か!?俺様も混ぜろ!!」
刀鍛冶の里の温泉と同じく炭治郎の頭を掴んで床に叩きつけた玄弥に伊之助が喧嘩かと勘違いをする。゛喧嘩じゃ!!ねぇ!!!早く食っちまえ!!゛と言う玄弥の言葉に後から来た隊士達が口々母ちゃん!!゛と続く。
「お前、熱か??真っ赤じゃねぇか!雑魚が!」
「うるせぇ!!!黙れ!!」
伊之助の挑発に玄弥はあまり食らいつかなかった。母ちゃん風邪にはネギだぜ!と口々に言う隊士に揉まれながら伊之助を通り過ぎる玄弥つまんねーと言いつつ、伊之助は床に突っ伏したままの炭治郎の元へ行く。つんつんと指で炭治郎を突いた。
「いつまで寝てんだ権八郎!伊之助様のお帰りだぞ」
「……ごめん、伊之助。少しの間、善逸の所に行ってきてくれないか?」
「なんだお前ら、二人して風邪引いたのか?交尾でもしたか?」
「してねぇ!!!!!!!!」
゛珍しく真っ赤じゃねぇか紋次郎゛と続けた伊之助だったが、交尾について大きく否定したのは玄弥だった。
「(その必死さがガチなんだよなぁー…)」
要らぬ世話を焼いてしまったかもしれない。゛そーだなぁ!風邪引いてないもんなぁー!風邪してないよねぇー!゛と周りへ玄弥を誤魔化す善逸と゛ほわほわすんのか?なぁ??教えてくれと炭治郎に興味深々の伊之助を間に挟みつつ、今日も食事の席はお袋と母ちゃんの料理で回っていくのだった。