となりのさねみさん:ダブルケーキのさねみさん十二月の年の瀬。
クリスマスや年末年始で賑わう月。
特別なお祝い事が続くイベントが多い月。
「クリスマス?いや何言ってんですか。遊びませんよ。めっちゃ掻き入れどきですもん、クリスマスケーキのバイト」
…が、世間一般の印象の筈だが、どうやら目の前の大学生は違う認識のようだった。はぁ…とため息をついて実弥は続ける。
「ダチと集まるとかあるだろ」
「いやねぇっす。毎年バイトなの知ってるんで。
ねぇです」
卵の賞味期限が切れそうなので消費を手伝って欲しいと作ったオムレツを頬張りながらはっきりと玄弥は告げた。潔すぎる返答が疑う必要性すらもないと物語っている。互いのオムレツへケチャップにて実弥が玄弥へ上手に描いてやった猫は容赦なく真っ二つになっていた。腹立たしくなった実弥もまた自分で描いた熊を真っ二つに切り分けては大きな口を開けて頬張った。
ようやっと実弥の所でこうして時折食事を共にするまでの仲になったがまだまだ手強そうだ。変わらず合図一つで通じ合える事だけは、他の者に唯一勝てる要素ではあるが。
クリスマスというイベント事掻き入れどき゛と別の認識をしている玄弥へもう一度実弥はため息を吐く。
「実弥さん、ため息付きすぎ。また社畜スケジュールなんですか?幸せ逃げちゃいますよ」
「目の前から逃げられちゃァかなわねぇなぁ」
「そんな目の前に幸せってあるもん?」
「あンだよ」
ふぅん…と疑問を抱きつつ玄弥は返答すると何かに気付いたように顔を上げた。短い困り眉とアーモンドアイの目尻を優しく下げてティッシュを片手に食卓テーブルから身を乗り出した。向かう先は実弥の口端だ。
「手のかかる弟の食べこぼし拭いてあげる事とか?」
「――っ!玄弥ッテメ…ッ」
「すみません。俺、六人きょうだいの長男なんでつい…。実弥さん一人っ子だって粂野さん…じゃ、紛らわしいんだった。匡近さん言うし、弟扱いしてたの見たら思わず、」
ごめんなさいと軽く謝るも玄弥の顔は綻んでいる。実弥の方が年上で社会人ではあるが、一人っ子で、出会い頭が玄関前にて倒れ落ちていた社畜さんという印象が抜けきらないのだろう。
持ち前の兄力が相まって面倒見よく、更には初見でも物怖れしない彼の持ち味。
それを実弥は嫌いになるどころか、見せられる度に好いてしまい、友人以上に意識している事を目の前の大学生は知る由もない。
「クリスマスケーキ、貰えると思いますからお裾分けしますね。匡近さんと楽しんでください」
「なぁンで匡近が出てくンだよォ」
「え?だってクリスマスって家族とか友達とかか、かの…かのじょっ、とかっといるイベントっすよね?」
「匡近ならこの時期、なんだかんだ他の奴らと予定埋めまくってンぞ」
「実弥さん、匡近さんの親族で匡近さん自身、実弥さんの事を弟みたいな奴で自分が兄代わりだって言ってたじゃないですか」
「テメェの中で俺らは仲良くクリパしてるの確定なのかよ」
彼女云々で言い淀む初心な玄弥を可愛らしく思っているも束の間。またも匡近を話題に出されてしまう。玄弥と匡近は知り合って然程経っていないが、余程印象に残っているのか玄弥へ何かとスイーツ店食べ歩きと冠したデートへ誘う度匡近さんは?゛゛匡近さんと行かねぇの?゛と名前を出され続けていた。
他の男の名を聞くのはやはり面白くない。
匡近とは言えども。
いやあの人たらしの匡近だからこそ更に面白くない。
頬杖ついてそっぽを向く実弥に玄弥は苦笑いを向けた。
「クリスマス、クリスマスかぁ。実家の時は俺がクリスマスケーキのバイトするまでケーキ買うにも高くて作ってたんだよなぁ」
ホールケーキと言うには程遠くて。
それでも真っ白なホイップクリームで彩られたケーキ。上にはフルーツ缶の時もあれば、その時々で違う色んな果物が乗っていた。それでも苺だけは一人一個、家族全員分乗ってて嬉しかったな。
…なぜか一個だけいつも多く母ちゃんは買ってしまってたんですけどね。
思い出話を続けながら玄弥はオムレツを食べ切った。ホイップクリームと同じような、真っ白となったお皿へご馳走様と告げ、手を合わせる。
「玄弥」
皿を片付ける為に動き出した玄弥へ実弥が声をかけた。そっぽを向いていた顔は向き直っており、真っ直ぐ玄弥を見つめる視線が突き刺さる。
「兄ちゃんがクリスマスケーキ作ってやる。バイト終わったら迎えに行くから予定入れるな。もう予約したからなァ」
「そんなにケーキ食べたいんですか、実弥さん。
俺ちゃんと実弥兄ちゃんさん分も貰ってきますから」
「兄ちゃん」
「実弥さんですね」
やはり玄弥は一筋縄ではいかないらしい。
*
十二月二十五日。
前日より多くのクリスマスソングがアーケード街で鳴り響いている。雪が降り白く彩るホワイトクリスマスや色とりどりの電飾が輝き出すクリスマスイルミネーションに対してこちらは゛クリスマス゛という単語が頻繁に飛び交う商店街だ。
全国チェーン展開の飲食店やケーキ屋などの店先には特設で簡易のクリスマスケーキ受け取り場所が設けられている。
「当日店頭限定クリスマスケーキ!残り二つです!」
活気つく商店街。歩行者用通路には家族連れやカップルが溢れかえっていた。実弥はコートのポケットへ入れていた両手を出す。片手には玄弥からお裾分けされたエコバッグが手首にかけられ、ガサガサと袋を鳴らしていた。
左側通行を遵守する人が多いのか少しだけ綺麗に整った人の波へ逆らわずに進んだ。
「ありがとうございます!
店頭分クリスマスケーキは売り切れです!
以降、ご予約分のみの取り扱いとなります!」
列に並んだ人を数え、目的のケーキを購入出来なかった者が流れに反して通り過ぎていく。どこか別の場所でケーキを購入するのだろうか。目で追うのは程々にして実弥は目的の場所へと辿り着く。
「すみません、もうご予約のお客様のみの受け取りで…」
「おぅ、ご予約済みだァ。受け取りに来たぜ玄弥ァ」
予約表へチェックマークを入れ終えてトナカイは顔を上げた。真面目な彼らしく、着ぐるみの他に赤鼻のつけ物までつけている。゛さっさと着替えなと鼻を摘んで揺らし、実弥はこれ見よがしに腕時計を見せた。
アルバイト勤務時間ぴったり。
こうもアピールされては隣の従業員も断れない。肩をすくめてから玄弥の背を押し、サンタクロースは早く行きなさいと声をかける。
「良かったな玄弥。テメェがいい子だからサンタクロースが定時上がりプレゼントしてくれるってよォ」
「アンタの働き過ぎオッケーで、俺はダメなの不公平じゃねぇの??」
「テメェは社畜じゃなくて大学生なんだから当然だろ」
少しだけ揶揄うかのように実弥は軽く頭を撫でて玄弥へ告げる。
玄弥は実弥の返答に不服そうなまま、トナカイの着ぐるみを着替える為にその場を後にした。
「…ずっりぃよな」
実弥がいない更衣室で玄弥はぽつりと呟く。トナカイの着ぐるみから着替え終わり、軽い素材でも暖かいダウンジャケットのアウターを着込んでは乱れた髪を手櫛で直した。
『おぅ、ご予約済みだァ。受け取りに来たぜ玄弥ァ』
思い返すのは先程告げられた実弥の言葉だった。
撫でられた暖かさがまだほんのりと残っている気がする。一見、クリスマスケーキの予約を意味する返答に捉えられるが、実弥も玄弥もクリスマスケーキは予約していなかった。玄弥が貰えるクリスマスケーキは今回のアルバイトにおける確定報酬である。
つまり、実弥の言う予約とはその言葉通玄弥゛を指していた。
「男でも女でも、弟でも何でも…惚れちゃうだろ、それはさ」
頭から頬へ手を下ろし、手で拳を作っては頬の熱を確認する。気持ちを切り替える為に手早くダウンジャケットのジッパーを合わせ、下から上へ引き上げた。勢いよく鳴る音に続いて頬を両手で叩く。更に左右を摘んでは横に頬を引き伸ばし、玄弥は己へ喝を入れた。
「実弥さんは大人。大人の揶揄いしてるだけ。弟と戯れたいだけ。うし」
そう自分に言い聞かせて彼は再度実弥の元へ向かった。
*
「実弥さん、お待たせしました。
ちゃんと実弥兄ちゃんさん分の報酬ホールケーキ貰ってきましたよ」
「ホントに貰ってきたのかテメェ」
「だってそれがバイトの条件ですし」
゛帰りましょうか゛と笑う玄弥は普段通りだ。クリスマス仕様のケーキ箱を掲げて歩く姿は実弥が見てきた道ゆく人々と変わりない。実弥はふっと小さく笑ってから軽く肩を玄弥へ当てる。
「実弥さん、ケーキ崩れますけど?
あと肩当たってます」
「これくらいの衝撃じゃァ崩れねぇよ。
崩れてても俺は食うしテメェも食うだろ。
肩はわざとだ。周りの家族連れとかこんなモンだろ。
兄ちゃんなァ、片手空いてンだがなァ。玄弥君よォ」
肩が触れたまま二人は人波へ乗り出した。
賑やかなクリスマスソングのBGMに家族やパートナー同士の話題が飛び交う中では、彼ら二人の距離など周りは気にかけていないようだった。実弥がエコバッグを持っている反対の手を見せる。触れた肩側同士、実弥と玄弥の手はそれぞれ空いていた。
玄弥は実弥の顔を見て、次に手を見てから自分の空いた手でダウンジャケットのポケットを広げた。
「俺のポケット入れますか?」
そう来たかと言いかけた言葉を飲み込み、実弥はすぐさま言葉を切り返す。
「兄弟でも手は繋げるだろ」
「実弥さんのコート、かっこいいですよね。
俺も社会人なったら同じの買おうかな。その時はメーカー教えて下さい」
再度、手を挙げてアピールするも玄弥は負けじと次の話題へ切り換えて反撃を行ってきた。これ以上粘っていても同じ結果だろうと見切りをつけ、実弥は玄弥の肩を抱くように手を回しつつ頭を撫でる。
「構わねぇよ。就職祝いに絶対ェ兄ちゃん買ってやるから、高いの選べェ」
「えぇ?実弥さん、俺が就職するまであそこで一緒にいてくれるんですか?」
「おうよ」
玄弥は撫でられる実弥の手を振り払わず、されるがままだった。眉を下げて照れたように笑う彼はやはり可愛らしいものだ。こうした時にふと長男より弟らしさが出る。周りから見れば兄弟の関わりに見えているだろうか。
気分が良くなった実弥は流れる音楽に合わせ少しだけ鼻歌を歌っている。
「そっか、一緒にいてくれるのか」
「帰ったらケーキ作るからなァ」
ぽつりと呟いた玄弥の言葉と実弥の声はほぼ同時だった。実弥は自分の声に掻き消され、聞き取れなかった言葉を玄弥へ問う何でもなの一点張り。
先程と同じように実弥はそれ以上、玄弥へ問いかける事はせず、楽しげな彼から出てくる話題に合わせて返答を行い帰路へと着いた。
*
「(実弥さんケーキ作るって言ってたけど、どうすんだろ)」
互いが住まうマンションへ着くとクリスマスパーティー会場は実弥の部屋で行う運びとなった。慣れ親み始めた実弥の部屋の玄関で玄弥が゛おじゃまします゛と決まり文句を告げれば、゛ただいまでもいいんじゃねェかィ?゛と実弥もまた最近の決まり文句を告げてくる。それはまた今度の機会と適度にあしらいつつ、部屋に通されると座っているよう指示があった。
部屋の中央にある座卓に近いローテーブルの側には二人分のクッションが鎮座している。玄弥はキッチンが見える部屋の奥側のクッションへと腰を下ろす。
「(オーブンないしケーキ焼けないよな?)」
ちょこんと背筋を伸ばして座る玄弥だが、キッチンにいる実弥が気になりその体は忙しなく左右に揺れている。手元は背に隠れて見えない。エコバッグに入っていたものを少し見たが既に出来上がっているホイップクリームだった筈だ。
スポンジケーキを焼くのであれば生地を作り、オーブンが必須条件である。
どうしたものだろうかと不思議に思っている玄弥の耳に缶詰を開く音が聞こえた。
『ホールケーキというには程遠くて。』
『上に乗ってるのはフルーツ缶の時もあれば』
缶詰の中身と汁を分けて、取り出したフルーツを丼に入れる。玄弥の目の前へホイップクリームと一緒に置く実弥は言葉を発していないが目が合うとしたり顔で笑っていた。次に冷蔵庫からサランラップがかけられている大皿が取り出される。
「…なんで」
ことり、と軽い音が鳴って土台となるケーキが現れた。
ホールケーキには程遠い。
されどもケーキの名前を持ち、オーブンがなくともフライパンで焼く事が出来る。
昔馴染みの、子どもから大人まで親しみがある家族のケーキ。
「俺の家のクリスマスケーキが、ホットケーキだってわかったんですか…?」
「バァカ、少し考えりゃわかンだよ」
玄弥は実弥へクリスマスケーキの話はしたが、使用しているものがホットケーキである事は一切伝えていなかった。優しい思い出が詰まった家族のケーキ。それでも世間一般のクリスマスケーキからは程遠く、子どもの頃にあれこれ言われて妹弟共に苦労した思い出も根強く記憶に残っている。記憶の枷が言葉を引き下げてしまったのだ。
サランラップも取り上げられて焦げ目のない丸いホットケーキに様々な思い出が蘇り、胸を締め付ける。込み上げる熱さは止まらずに目から涙として零れ落ちた。小さい嗚咽混じりに謝りつつ泣く玄弥の隣に実弥は寄り添い、頭を己の肩へ抱き寄せては宥めるように優しく撫で続けている。
「なァ、玄弥ァ。兄ちゃん謝りの言葉聞きてェ訳じゃねェンだ。泣き止んじゃくれねェかィ?
ケーキ作るって約束したじゃねェか」
「…反則だろ、こんなの」
「そりゃ良かった。玄弥に負かされてばっかだったからなァ。ほら、早いとこ好きなフルーツ乗せてくれや」
「これ、パンケーキだったりしません…?」
「正真正銘ホットケーキだ」
玄弥は気持ちを落ち着かせようと別の話題を振り続ける。自分で目を擦る前に実弥が涙を指で触れて拭う。次に鼻水を止めようと軽く鼻を摘まれた。ぐりぐりと左右に振って、同じように額同士を擦り付けられる。
「いい加減泣きやめ。長男だろォ、お兄ちゃんよォ。
これからは兄ちゃんと家族のクリスマスケーキ作るんだから、涙も鼻水も垂れたらしょっぱくなっちまうだろーが」
「ははっそりゃ嫌だなぁ。
兄ちゃん、涙と鼻水入りのケーキなんざ聞いた事ねぇや」
ようやく落ち着いた玄弥は額を合わせ返す。大きく鼻をかんでる間に実弥はいつ買ったのかケーキスクレーパーを使い、ホットケーキの一枚目の表面へホイップクリームを塗った。その上へ玄弥が色とりどりのフルーツを乗せて再度ニ枚目のホットケーキで挟み、もう三枚目も同じように繰り返して周りを白く彩れば玄弥の知家族のクリスマスケーキ゛に他ならない。
「最後はこれだろ」
冷蔵庫へ向かった実弥から取り出されたのは苺だった。軽く洗ってへたを取り除いたパックを玄弥へ手渡される。用意は万全だと得意げに笑う自称・兄。
「(なぁ母ちゃん。もしかしたらさ)」
何故か一つだけ多く乗ってる苺。
割り切れない数を数えて昔と同じように乗せる。
「(兄ちゃんの分だったのかもしれないよ、苺)」
そんな都合のいい事ばかりではない世の中だけども。
クリスマスくらいは信じてもいいんじゃないかと玄弥は九個の苺を乗せ終えて実弥へと笑った。
「それじゃ実弥さん。早速食べましょうか。
これからもう一つクリスマスケーキ食べなきゃならないんっすから」
「…忘れてたァ」
半分に切り分けた家族のクリスマスケーキとホールケーキ。
どれだけ大きくなっても、増えたとしてもきっと甘党の兄は食べ切るのだろう。
とは言え、彼にだけ負担はかけさせないと大きな口を開けて玄弥もまた甘いケーキへと齧り付いた。