君と付き合うまでの一年間:はじまりはたまごサンドコッペパン私立キメツ学園。
この区画で有名な小中高一貫のマンモス学校だ。大人になるまでの教育はここで全て完結出来てしまう。
「俺達も新学期から高校生かー」
馴染みの黒色の学ランとも今日でおさらば。中高一貫の為、高校受験はないものの、進級や編入試験は行われる。
鼻下に鉛筆を乗せて唇を尖らせたのは中学から仲良くなった善逸だ。高校からはブレザー制服になるので待ち遠しいと話していた。
「お前らともまた一緒かーつまんねぇの」
「あぁ??やんのか紋逸!今日はババァが天ぷら揚げるから俺は早く帰るんだよ!」
゛はいはいわかったわかった、帰んな帰んと善逸は伊之助を軽くあしらって大きく背を伸ばした。長かったテストも終え、凝り固まった体を解しているのだろう。
変わらぬ友人達の様子に炭治郎も机に出していた教科書を一つにまとめる。とん、とんと角を整えてリュックへと閉まっていると善逸が何か思い出したように声を上げた。
「どうした?禰󠄀豆子は今日店番じゃないぞ」
「もう!違う違う!確かに禰󠄀豆子ちゃんの事はずっと気になっちゃうけ・ど・も…ってそうじゃなくって!聞いたか炭治郎!?
編入生だって!へんにゅーせー!」
「編入生?」
転校生ならぬ編入生。一貫校ならではか。
善逸は耳がいい。その耳の良さで噂を聞きつけたのだろうか。
「待ッテタッテヘンニューセーハ来ナイゾ!早クカエレ!」
違った。キメツ学園名物の伝書鳩ならぬ鎹鴉の伝言板からのようだ。教室に残っていたのは炭治郎達三人組のみ。手早く荷物を整えて、時折鎹鴉から頭を突かれながら教室を出た。突かれる痛みに善逸は半泣きになりながら廊下をまっすぐ駆ける。足の速さは随一の彼の後に伊之助が続いた。
「2人とも待ってくれ!」
目的地は玄関。事前にわかっているものの置いていかれる距離が離れてしまえば追うのが性(さが)というものだ。駆け出す為に足を強く踏み出せば上履きの片側、かかと部分を踏んでしまい、炭治郎はバランスを崩した。
「わ、っと…っ!あ、」
「……あ?」
転ばずに済んだのは何かに寄りかかったからだ。ぶつかった肩の勢いで体制を立て直し、つま先を地面に数回叩きつけ、踵を入れる。
炭治郎に応えた声の主と目が合う。
然程変わらない身長と鋭い目つき。両側面が刈り上げられ、頭頂部から一房落ちた黒髪の少年がいる。同じ学ランだが、詰め襟の校章とボタンの色が違った。
「す、すまな…!」
「……。」
炭治郎の謝罪も聞かず、少年はふいと視線を逸らし去っていく。玄関とは逆方向。炭治郎に背を向けて横を通り過ぎていった。漫画等で見ていた情景が頭に浮かぶ。先程の様子からポケットに手を入れて歩きそうだと思わず、彼のズボンポケットへ視線を移した。ところが彼は手を入れておらず、そのポケットは空のようだった。両拳握ったまま歩いている。
「歩き方綺麗だな!!」
しゃんと伸びた背が堂々としていた。炭治郎は包み隠ずに思った事をそのまま口から出した。一度止まって体が揺れる様子が見られたが、恐らく振り返らないだろう。ふんすっと鼻息を吹き出して炭治郎は急ぎ玄関へと向かう。言いたい事は言えたし。別の学校なら会えないかもしれないが、また会った時にきちんと謝ればいいだろう。
「あれ??」
なんで別の学校の制服の子がいたんだ?
首を傾げる炭治郎と、
「………?………???」
振り返って炭治郎の背中を見つつ、目を丸くした彼に応える者はいなかった。
*
クラス発表は入学式当日。
サプライズ趣向もあるのがキメツ学園の校風だ。登校直後に学生玄関に近くに張り出されたクラス発表一覧表を見ていれば、変わらず善逸と伊之助達と共に同じクラスであった。今年も一緒だな!と明るく善逸へ笑いかければ゛たぁ〜んじろぉ〜!!゛と彼から大袈裟に泣き付かれた。
「にしても、残念だったなぁ」
何度見てもクラス発表一覧は変わらないが、やはりついつい見上げてしまう。入学式前のロングホームルームが始まるまで、他の人も同様にその場で留まっていた。
「何がだ?」
「編入生だよ編入生。俺達の筍組じゃなくって隣のかぼす組だってさ」
そう言えば試験後にそんな話もしていたなと炭治郎は思い返す。゛あと新しい先生も来るんだってさ゛と善逸は続けた。
分けられた新しいクラスに移動して、担任の先生から挨拶。短い打ち合わせの後、全校生徒へ放送が入り、今度は体育館へ移動を告げられる。手早く背の順番を決め整列し、扉前で待つ。新品やお下がりでもおろしたてのブレザーには記章リボンバラが胸元で花開いていた。開場と共に流れる音楽は新入生を次々と出迎える。各クラスごと着席し、式は淡々と進んだ。
「゛新入生代表挨拶。
一年かぼす組、不死川玄弥゛」
「はい」
「あ!!炭治郎!炭治郎!!」
背の順の為、隣の席になった善逸が炭治郎の肩を揺らす。先程まで新任の女性教師を見て退屈を凌いでいた彼が小声で呼ぶのは男子生徒だった。
ステージ下にあるフラワースタンドに負けず劣らずの身長で大きい体躯。壇上に向かう為、小さな階段を登る背はしゃんと伸びており175センチメートル程だろうか。姿勢正しく歩く様は綺麗だが、顔に走った横傷と所謂モヒカンヘアーの容姿が周りの動揺を生み出していた。
「あれ…?あの人…」
「そうそう!アイツ!」
思わず溢してしまった返答を善逸は答えてくれたと誤解して会話を続ける。
「言ってただろ?編入生!アイツなんだってさ!宇髄先生言ってたんだけど、何でも編入試験主席だって言うしえーと…射撃?だったかな??何かの特待生でもあるってさ」
゛持ちすぎじゃねぇ??ズルだズルー!゛と小声ながらに騒がしい善逸は再度炭治郎の肩を揺らしている。一方の炭治郎は先程かうん、そうか゛と生返事のみ。炭治郎を他所に、今度は新任の女性教師の話題に移る善逸の話は炭治郎の耳には届いていない。
「゛誓いの言葉。
柔らかな風に包まれて、桜が舞う季節となりました。゛」
少し低くなった声とあの時より後ろへならされた髪。きっちりと第一ボタンまで閉められ、首元を締め上げたネクタイがより大人びいていた。
「゛新入生代表。
一年かぼす組、不死川玄弥。゛」
「(玄弥、かぁ)」
善逸を注意する伊之助ごとまとめて周りかシィッ!!゛と静かにとジェスチャーで囲まれる。ばちりと壇上の玄弥と炭治郎の瞳が合う。あぁあの時肩をぶつけた子と同じ目だとそれ以降、炭治郎は玄弥の事で頭がいっぱいになっていた。
*
入学式早々、騒がしいクラスとして認定された炭治郎達筍組では今日も善逸や伊之助を筆頭に、賑やかな授業が取り行われている。
早弁の伊之助、地獄耳の善逸、そしてそんな2人をまとめるはパン屋の息子、竈門炭治郎だ。中学と変わらず3人机を囲んでの昼食で゛そういえば゛と善逸が話題を振ってくる。
「あの編入生、昼どっか行っちまうんだって」
「編入生?あぁ!入学式の日前に立ってた奴か!来年は伊之助様が立ってやるぜ!!」
「伊之助、入学式は今年しかないよ。来年から俺達は始業式だ。それにしても善逸、本当に物知りだなぁ」
「ま、まぁねぇえええ〜!
…俺と禰󠄀豆子ちゃんの邪魔になるかどうか気になってただけだけど、」
1限目からお弁当を食べ終えてしまった伊之助へパンを分け、彼を落ち着かせるのは炭治郎の役目だ。喧嘩に発展しないよう、善逸へのフォローも忘れない。本当に禰󠄀豆子の事が好きなんだなぁと思いつつ、疑問を投げかける。
「それでどこに行ってるか、善逸は知ってるのか?」
「あそこあそこ、やっぱ射撃の特待生らしくってうち射撃部あるじゃん??練習場行ってるらしいぜ」
何でも彼は射撃競技の選手で中学半ばから始め、とても高い成績を有しているのだと言う。その学生生活はストイックそのもの。隣のかぼす組では休み時間になると小休憩は読書にふけり、小説や参考書が変わるがわる手元で開かれている。昼休みは競技場に向かい練習を積むのだと専らの噂らしい。
その硬派な姿が女生徒からひっそり人気を集められているらしく、善逸は気に食わなさそうにそれこそハンカチを取り出して口で引っ張り上げていた。
「いやでもそれぼっちってヤツだろ」
「伊之助、」
「そうか!ぼっちじゃん!!」
「善逸、」
時折鋭さを発揮する伊之助の発言に炭治郎は何とも言えない顔で答えた。言っていい事と悪い事があるだろうと。顔は焼きそばパンのソースまみれだった。
伊之助の言葉に善逸も嬉々として乗っかってきたので同じ顔を返すと流石に善逸は゛だってぇ〜…゛としおらしい様子で答えた。
「まぁでも大変だよな。俺らは中学の時から一緒だし、他の奴らも大体顔見知りだから、グループとか友達とか、編入生なら作るのも入るのもゼロからじゃん。
苦労してんのかもな、編入生」
何気なく言葉を溢して残ったお弁当を食べる善逸に対して、炭治郎は自分のお弁当を食べ終えた。プラスチックの弁当箱のストッパーを止め終えて袋の中に残ったパンを見つめる。
「……ごめん俺、ちょっと行ってくる!」
「え?なになに??どこ行くの炭治郎?」
「いや俺だけの用事だから!善逸と伊之助はここにいてくれ!!」
「いやいるけどねぇ!!どこに行くの!?たぁんじろぉ〜!!」
お弁当袋に弁当箱を入れ終えて、炭治郎は勢いよく立ち上がった。善逸の問いかけに一度は片手を前に出して心配ご無用!と答えたが、それ以降は答えぬまま走り出す。
思い立ったら吉日。後悔する前にすぐ行動。
そんな言葉が似合う善逸の級友はどこか頑固な面があった。
*
「こんなとこ、全然来た事なかったなぁ…」
体育館や武道場から離れた先に射撃部の練習場はあった。部活などの関係者でなければこの奥までは在学中でも一回も入らず終わりそうな立地だ。
特に自営業のパン屋を手伝い、部活に所属しない炭治郎にとっては未知の領域である。
室内で行うのかと予備知識すらない彼は練習場の扉を迷いなく開く。
「お邪魔しま〜す…」
本来であれば大きな声で挨拶をして入る所だ。だが、善逸の言っていた通りに練習中であればどうか。邪魔してしまうのではと炭治郎は思い直し、珍しく静かに声をかけて入った。
下駄箱等は無くどうやら小さな車庫や野外倉庫に近い建物のようだ。外靴のままコンクリートのフィールドへ足を踏み入れる。かつ…と小さくスニーカーの足音が鳴ったが、一定感覚で鳴る別の音は収まらなかった。
簡易に区切られた4ブースの最奥。
紫のカーディガンを区切り板にかけ、Yシャツ姿の人影を見つける。
「…舎衛國、義従給孤独園」
炭治郎が後方から近づく最中、ディスプレイを確認し、競技場へ体を向き直した後ろ姿は不死川玄弥で間違いなかった。胸元へピストルを押し当てている。聞き取りにくかったが唱えているのは阿弥陀経のようだった。
ピタリと唱えた南無阿弥陀の言葉が止まる。両腕を下ろし、姿勢よく的に対して半身に伸びた背はぶれる事なく、微動だにもしない。ゆっくりと構えた片手が的を捉えると迷いなく引き金が引かれる。
パチン。バシュッ。
引き金に合わせ鳴る音。瞬時にディスプレイから表示される点数は10.2。撃ち抜いたポイントは中央を示していた。
「すごいな玄弥!」
「……。」
初めて見た射撃競技の感想をそのまま大きな声で伝える炭治郎。ところが玄弥は振り向きもせず、手際よく弾を装填するかのような動きを行い構えた。引き金がまた動き、銃声代わりの音が響いた。
「聞こえてないのか!玄弥!
すごい集中力だな!これは弾が出ないのか!!」
「…、」
互いに堪える事も、応える事もなく会話が続く。
「真ん中に当たるとやっぱり点数高いのか?!
少し逸れたな!次は当たるぞ!」
「…。」
3。
「全部で何発打てるんだ?早撃ちもするのか?」
「、」
4、そして。
「あぁ、しまった。俺は竈門炭治郎!
家はパン屋なんだ!玄弥!お腹空かないか?
パンがあるんだ!」
「…っ」
5。
「甘いのがいいか??いや俺たち育ち盛りだからご飯パ、」
「ーーーっるせぇな!!!
ノイズキャンセリング使ってるから話しかけても聞こえねーよ!!」
合計5発打ち終えて玄弥はワイヤレスイヤホンを耳から外して振り返った。一方の炭治郎は持参していた袋からパンを取り出そうとしている。怒った様子の玄弥に唇を横に引き伸ばしてむんっ!と意気込んでは負けじと言葉を紡いだ。
「嘘だ!!うるさいって言ってるじゃないか玄弥!」
「気安く名前を呼んでんじゃねーよ!!動きがだよ!動きが!!視界にチラチラ入ってくんじゃねー!!!」
「見えてるのか!?視野が広いんだな!
それはそうとお腹が空かないか!
俺は竈門炭治郎!こっちは今日焼いたうちのパン!はい!!」
「話を聞けよ!!!」
額はもう数ミリでくっつきそうな距離。互いに詰め寄り、玄弥は今まで黙っていた分も言葉を言い放った。反応が返されるのは嬉しい。パンを差し出すも受け取ってくれなかったので半ば強引に制服のポケットへと突っ込んだ。これでよしと微笑む炭治郎へ笑う要素が一つもない、キショいと玄弥は彼を罵倒する。
頭が固ければ意思も固い。
炭治郎は玄弥の言葉どこがキショいんだ?俺はキショくないぞ!゛と物怖じせずにぱっと笑う。それこそまるで太陽に向けて大きく花開く向日葵の大輪が如く。
「おま…っはぁ?!なんでここで笑って…!」
「あ、予鈴だ」
少しだけ遠くに聞こえるチャイム音に目敏く炭治郎は反応する。パッと笑顔同様に切り替えも早い。軽めの別れを告げ、片手を上げて出口へと向かう。扉を開けてから炭治郎は振り向いた。
「明日はコロッケパンにするな!」
普段の話し声も人より通りやすい声をしているのに。
声を張り上げるような距離でもないのに。
炭治郎は口元に両手を添えて玄弥へ確実に届くように声を発する。言いたい事とやりたい事を終えて教室へと早足で向かう炭治郎。明日持って行くコロッケパンを思い浮かべれば、自然とコロッケの作り方が鼻歌に乗って奏でられる。
また明日。今度はもう少し早く来ようと新しい楽しみで頭の中がいっぱいだった。
「……。明日も来んのかよ」
一人取り残された玄弥は呆けた様子で呟いた。無理やりポケットに入れられたパンを取り出す。ぺりぺりとラップ巻きにされたコッペパンは当然だが半分ほど潰れかけている。一口食べ、ふんわりとパンの柔らかさに包まれた卵サンドを飲み込むと共に眉も下がった。
「おせっかいなやつ」
その言葉を飲み込むように、玄弥は残りのコッペパンを一気に食べ終えた。