Gute Reise.正直、海外なんて遠出の旅行を兄が了承してくれるなど玄弥は思ってもみなかった。ましてやその単語が兄の方から出てくるなど夢物語のようだ。
「えらく上機嫌じゃねぇか」
「そう??」
玄弥の返答に実弥はおうと軽く答えて歩く。人混みを避けながら目的地までのルートをスマートフォンで確認している。
卒業旅行にと提案されたこの地は遠いヨーロッパだ。どうせならば遠い地をと家族にも勧められ、思い切って旅立った。飛行機の乗り換えは二回ほどに抑えて、それでも搭乗時間はほぼ一日がかりと言うのだからとんでもない距離だ。機内食が来るまでほとんど寝て過ごして体力を温存させていたが、到着時の足の震え具合に兄が笑っていた記憶が真新しい。
「石作りの教会とか古い建物とかすげーなって。年季違うしさ、日本じゃ火事とか地震で同じ作りだとここまで残ってねぇし」
「こっちは地震少ねェからなァ。
それよりよ玄弥、足大丈夫か?慣れねェだろ石畳の道」
「兄ちゃんこそ」
このまま道なりにまっすぐ歩くそうで実弥が玄弥を気にかける。慣れない道ではあるが、砂利道ほど細かくない石の道を二人は並んで歩く。奥に聳え立つ大聖堂が段々と大きくなってきた。
七、八時間以上もある時差は中々に大きい。此方は早朝でも日本はお昼頃という感覚が慣れないものだ。兄に何度か夜の時、家族へ連絡を取ろうとし止められた。同じ空や時間を過ごしている筈なのに、違う認識をしているような不思議な感覚。
「玄弥」
「わっ」
玄弥は大聖堂を見上げつつ、ぼんやりと考え事をして歩いていた。有名な観光地ではないがそれなりに人通りの多い道だ。肩や体がぶつかる前に実弥の元へ引き寄せられる。変わらぬ身長と目線がかち合い、少しだけ見つめていると実弥側の肩に歩行者がぶつかった。
゛エンシューリゴとその国の言葉で謝られる。きょとん…とした兄弟の顔に男性二人は気がついてすぐ゛sorry゛と言い直してくれ去っていく。
くすくすと玄弥が笑い出す。
「兄ちゃんこの国の人に間違われちゃったね」
「うるせェ、一言余計だ」
玄弥と実弥は男性二人を目で見送る。仲良く手を繋いで笑い合っては指を絡めて。触れ合う肩が二人の関係性を物語っている。この国は一見、怖いイメージを持たれがちだ。口調や外国語の単語の響きなど強めの圧を感じる事や国民柄真面目できっちりした人が多いと伝わってる。玄弥にとってもイメージ通りだった。一方で小さいお店の出入りには必ず挨拶をしたり、旅行で来たの?と聞かれた事をきちんと答えれば親切に教えてくれる。去り際には良き旅を!と見ず知らずの誰かであっても、相手を祝福してくれる暖かな心を持っている。
強い口調や国民柄にはどこか兄のようだなとも玄弥はこっそり思ってはこの旅を楽しんでいた。
ガラーン、ガラーンと鳴り響く鐘の音。
時報代わりに鳴るような感覚で旅行中、時折聞いていた。日本の鐘とは違う音はどこか澄んだ音色だ。
「…俺達って今どう見られてるのかな」
「観光客」
「そうじゃなくて」
「外人」
「だから、」
玄弥の問いかけに短く答えてから、実弥は肩を抱いていた手を離した。実弥の体に触れていた玄弥の手を持ち上げて軽くキスを贈る。
「恋人」
あの夜を生きていた頃は目先の世界しか知らなかった。知る余裕もなかった。兄弟で、同性で、こんな気持ちを持つなど許される事じゃないと。隠し続けなければならないと。
一歩外の世界に出てみれば、自分達を兄弟と知る者もいない。誰がどんな人を好きであろうと恥じる事も隠す必要もない。
違うか?と問いかける実弥に玄弥も握られた手へキスを贈り返す。
「ううん、そう。恋人になろう、え、と、実弥……さん?」
「そこは兄ちゃんだろ」
「えぇ〜」
指を絡めて手を繋ぐ。軽くなる足取りに心地よい鐘の音は響き続けている。
二人を咎める人は誰もいない。
まだまだ世界を知る時間はたっぷりとある。昔、お世話になった主治医達へ言語と文化を伝えるのが楽しみかもしれない。遠く離れた海外の地だけども、桜だってあるんだと言ったら皆食いついてくれそうだなと玄弥は愛しい恋人の隣で八時間後の大切な友人達へ想いを寄せた。