最後のおさがりなんて言わせない前撮りで一度袖を通していたが何枚着込むのかとまた一枚持ち上げる。和装肌着など普段着る機会がない。
前回の兄の時に同行した事はあった。とは言え数年前かつ見ている姿と実際にやるのとでは勝手が違うのだと思い知る。やはり兄は鈍臭い自分と違い、器用で何でも出来る自慢の兄だ。
「母ちゃん、頼むよ」
「玄弥、襟が崩れとうよ」
「う……」
「だから俺が着せてやるって言ったろ」
「兄貴は!!まだ来ないで!!」
頑固だねぇと扉の外から実弥がぼやく声が聞こえた。玄弥の襟を直しつつ、母・志津はふふふっと小さく笑う。
「前撮りの時は有無言わせず着せられていたからねぇ。自分でもやってみなきゃね」
「まぁ……うん。」
着物を着付け、玄弥が持ち上げた袴を整えて残りは羽織を身につければ完成だ。骨盤付近のスリットのようなスペースから抜ける風が少し冷たい。
ぱん!と腰を志津から叩かれれば比例して背筋が一気に伸びる。
「実弥のおさがりがまだ出来てよかったわぁ」
うん、と気恥ずかしくとも嬉しいそうにはにかむ玄弥を母は暖かく見守っている。
年を超え、誕生日を終えて迎えるは成人式。
ただこの式や一日を超えたからと言ってすぐ大人になる訳ではない。卒業式だってまだだ。特段、自分が大きく変わる訳でもない。
脱衣場、洗面台の鏡越しに髪をセットしつつ己を見つめる。
変わらぬ顔の傷と癖っ毛に髪から肌から変わらぬ色が写っている。
「兄ちゃんのおさがりかぁ」
兄と同じ瞳の色で今一度、鏡に写る袴姿の自分を上から下まで見てみる。
実弥の時はかっこいいと大きいなと思っていたのが当時の感想だ。当時の玄弥は実弥より身長が低く、堂々と胸を張り、頼りがいのある背を向ける兄へひたすら憧れを向けていた。きゅうと羽織の袖口を握りしめつつ、手を胸元の着物の合わせまで持ち上げてはぎゅっと握る。
「(俺も兄ちゃんみたいになれてるかな)」
「よォ色男さん。準備できたかぃ?」
「へぁ!?!?に、兄ちゃん!?
急になんだよ!耳元で!!」
「悪ィ悪ィ。あんまりにも玄弥が色男なっちまって兄ちゃん我慢できなかったわ」
くつくつと喉を鳴らして笑う実弥は大人そのものだ。普段の学校では教職故、厳しいが家では兄らしく悪戯もする茶目っけもある彼を玄弥は誰よりも好んでいた。囁かれた耳を押さえ、若干目元を釣り上げ怒るも朱に染まる両頬が本気ではない事を物語っている。実弥は嬉しそうに笑って、玄弥の整えた髪を崩さないように頭から頬のラインに沿って指を滑らせた。
愛おしげに此方を見つめる実弥の目を知れるのも玄弥だけの特権だ。
「最後の大きなおさがりなっちまうなァ」
「最後にしていいのかよ兄貴」
頭頂部から降りてきた実弥の両手は玄弥の両肩を掴んでいる。優しくではあるも逃さないと言われているようにも思えた。どこか寂しげに告げる兄へ試すように答えを返しす。きょとんと大きく目を見開いた実弥の瞳孔は同じく丸く大きく広がった。気恥ずかしくなった玄弥が俯くと赤くなった両耳が見え、実弥は更に顔を綻ばせる。
嫌がらない事を確認して再び耳元へ口を寄せた。
「最後にしたら、兄ちゃんが脱がしてやれねェもんなァ」
「……兄ちゃんのすけべ」
「ハッ、上等だァ」
甘い声色にどくどくと玄弥の心臓は脈打つ。まだ手は出さないと言いたげに頬だけ擦り寄られてぬくもりが離れていく。
これだけは許してくれと思ったより浮き足立っている兄が恭しく玄弥の手を持ち上げた。ちゅっと軽いリップ音が響いて俯き続けていた玄弥の顔が弾かれるように跳ね上がる。
「成人式会場まで是非エスコートさせてくれよ、玄弥ァ」
勿論、二人っきりで。
あぁ、だから休日なのに教職用のワイシャツ、ベスト姿だったのかと玄弥は思い直した。胸の高鳴りのあまり、口はきゅっと横に引き伸びて動かない。首を縦に振るだけで返答して。家族にバレないだろうと手を引かれて実弥の車へと乗り込んだ。
おさがりの成人式の袴は、まるで兄ちゃんに抱きしめられてるみてぇだと車内で玄弥が溢すと前借りだと実弥に口を塞がれたのは二人だけの秘密である。