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    uyuseed

    @uyuseed

    とっくの昔に20↑のオタク
    種自由から再燃し、技術大尉×操舵士、艦長×操舵士など嗜んでいます😉

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    uyuseed

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    新刊用に書いたけどどうしても気に入らないので書き直す。これは面白いのか本にしていいのか分からない。駄目な気がする。なのでこっそり置いておきます。お暇でしたらどうぞ。

    #ガンダムSEEDFREEDOM
    #アーノルド・ノイマン
    #アルバート・ハインライン
    #ハイノイ

    「色男はつらいねえ」
     背後からからかい混じりの声がした。振り向かなくても分かる。こんな物言いで話しかけてくる人物など一人しかいない。
    「最高評議会メンバーのご息女じゃないか。この間は大学教授のご子息だったな。入れ替わり立ち替わり、モテる男は大変だ」
    「ばかばかしい」
     声の主を見ずに吐き捨てると、背後でバルトフェルドはくっくと笑った。
    「恋だの愛だの好きだの嫌いだの、下らない」
    「言うねえ」
    「結局は婚姻統制に従わなければいけないのに定められた相手以外に時間を費やすなど、全くもって時間の無駄だ」
     あなたが好き、恋人になりたい。好きになってくれなくてもいいから傍に置いて欲しい。
     向けられる同じような言葉の数々に辟易している。
     先ほどの女もあらゆる好意の言葉を並べ立てた挙げ句、「興味がない。あなたと関係を持つことは天地がひっくり返ってもあり得ない」と告げると、勝手に傷ついた顔をして去って行った。自分勝手も甚だしい。
     設計局で残業をして、暗くなった家路を急いでいたのだ。さっさとシャワーを浴びて眠りたいと思っていたところに声をかけられた。
     良家の娘が聞いて呆れる。仕事終わりを待ち伏せしていたのだろう。
     女が去った後をぼんやり眺めていたところに声を掛けられた。
    「愛も下らないと?」
     その言葉に振り返ると夜陰にまぎれるようにバルトフェルドがそこにいた。街灯が細やかに照らしているが表情までは分からず、口角が上がっていることだけは知れた。
    「愛という感情は特になくても夫婦にはなれる。ならそのなくてもいい感情のために恋人などという煩わしい関係を結ぶ必要もない」
    「キミの性格は皆も分かっているだろうにモテるんだな」
    「どうせ目的は遺伝子だろう。さしずめ私は種馬とでもいうところだ。
    ――・・・こんな下らない話をするために来たのか?」
     バルトフェルドが一歩こちらに近寄って、今度こそ街灯の光でその顔が見える。笑ってはいるが胸中まで推し量ることは難しい。
    「まさか。近く“翼”を引き取りに行く。それを伝えに」
     青い瞳がふっと細められ、表情が引き締められた。
    「わかった」
    「キミは本当に来なくていいのかい?」
    「表舞台に出るべき人間ではない。それに今の場にいた方が後々都合がいいだろう」
     バルトフェルドは「そうか」と一言だけ。それ以上しつこく言うつもりはないらしかった。
    「まあでも危うくなったらすぐに連絡をくれよ。そのときはボクも歌姫も、全力でキミを迎えに来るから」
     歌姫――ラクス・クライン――の姿が浮かぶ。
     モニター越しにしか見たことのない彼女は、いつも平和の歌を歌っていた。世間知らずのお姫様がそれらしく訴えているくらいにしか思わなかったが、見かけによらずその信念は確固たるもので行動力も並大抵ではなかった。
     “翼”を与えてくれと言われたときはさすがに驚いたものだ。
    「何が起ころうと私に疑念を持つ人間は設計局にはいないだろう。彼女との接点もない。だが、まあ、覚えておく」
    「そうしてくれ。これでもキミのことを心配しているのでね」
     それだけ言うとバルトフェルドはきびすを返すため背を向けた。
    「一つ聞かせてくれ。“翼”は誰に与えられる」
     バルトフェルドの片足がわずかに硬質な音を立てた。そういえば片方は義足だと言っていたか。
    「コーディネイターの少年だ。この状況を最も憂いている」
    「本当に終わるのか?この争いが」
    「そのために使うんだ。キミの“翼”は我々の起源、母なる星に降り立つだろう」
     男はふっと夜陰に消えた。

     血のバレンタインを発端に、プラントと地球との間で戦争が本格化してから一年になる。
     戦争は恋愛以上に下らない。
     コーディネイターとナチュラルの種の争いが根幹であるが、コーディネイターであってもナチュラルより能力の劣る者はいるし、逆もしかりである。人間を二分化などできるはずないのにいつまでも争いを止められない一部の人間こそ愚か者に他ならない。
    「一番愚かなのは僕か」
     両親の希望する通りに設計局に入り、命じられるままにニュートロンジャマーキャンセラーの研究を始め、それらを搭載するモビルスーツを開発した。指示通りに動くロボットと同じだ。それ以外の生き方を知らず、戦争を厭いつつも同じ日々を過ごすだけ。
     そこへ強烈な風を吹かせたのはプライベート端末に送られてきた一通の短いメールだった。
    『平和の歌を届けるためにキミの自由の翼を借り受けたい』
     意味深なメールであったが“自由の翼”が隠語であることはすぐに分かった。メールの主はそれが開発されていることや開発者が誰であることも把握している。
    「タイガー?」
     ふざけたコードネールの送り主へ何度か返信し、彼の正体や思惑を知り、乗ってやることにした。
     飽き飽きしていたのだ。日常にも戦争にも。そして分からなくなっていた。己のしていることが何かを成せるのか、世のためになっていくのか。
     現状を打開したかったのは“翼”を与えられるコーディネイターの少年でも、歌姫でも虎でもなく僕自身だ。

    「ありがとうございました」
     鈴の転がるような声で少女は笑った。
     扉の向こうで発進音が聞こえ、モニターにはハンガーから飛び立つ“翼”の姿が見られた。バルトフェルドが言っていた通り地球へ向かうのだろう。
    「いえ」
    「美しい翼ですわね。名前の通り、どこまでも自由に飛べそうです。どなたがおつけになったのかしら」
     ラクス・クラインはこの間成人したばかりの十六の少女であるが、それを感じさせない凜とした空気を持っている。
    「さあ」
     そもそも他人との会話が得意ではなく、少女に対してもどう接していいか分からない。
    「あの少年は何者なのです」
     フリーダムに乗り込んだのはザフトの赤服を身に纏ったあどけない少年だった。恐らく本物のザフト兵ではないのだろう。幼さの残る顔ではあったが、そのアメジストの瞳にはラクス嬢と同じくらいの意志の強さが見受けられた。
    「キラ・ヤマト。ストライクのパイロットです」
    「ストライクの?」
     戦争には興味がなかったが、GATシリーズについては設計局にも報告が上がってきており認識していた。あの機体のパイロットだったとは。
    「では彼は地球連合軍なのですか?」
     少女はゆっくり首を振る。
    「元はそうなりますが、今のキラは連合ではありません。ザフトというわけでもない。この戦争を終わらせるためにただキラ・ヤマトとして、あの剣を使われるんです」
    「・・・終わらせることができますか」
     水色の大きな瞳がこちらを見てにこりと笑う。
    「終わらせるんです。そうでなければ“翼”を与えてくださったハインラインさんにも面目が立ちません」
     なんでもないことのようにさらりと言うのでおかしくなった。ふ、と笑みが出てしまったのを見て少女の笑顔も深くなる。
    「フリーダムをお任せくださったあなたのご厚意に報います」
    「そろそろ参りましょうか」
     いつの間にか後ろに控えていたのはバルトフェルドだった。彼らはこれからエターナルに移動し一時的に身を隠すのだという。
     バルトフェルドに頷いて見せてから、ラクス嬢はこちらを一瞥する。
    「ハインラインさんは一緒にお越しにならないのですか?」
     いつかと同じ質問をされた。彼女もこちらの立場を懸念してくれているようだ。
    「私は残ります。今すぐでなくても何かしらの力が必要になる日がくるかもしれない。そのときのためにも設計局にいた方が都合がいいこともあるでしょう」
    「そうですか。くれぐれもお気を付けてください。助けが必要なときはいつでもお声がけくださいね」
    「お気遣い痛み入ります。あなたもお気を付けて」
    「ありがとう。きっと大丈夫ですわ。キラが戻ればアークエンジェルの皆さんにも会えるのではないかと思っています」
     確信めいた少女の言葉だった。
    「アークエンジェル・・・」
    「おもしろい連中だよ」
     横からバルトフェルドが入ってくる。
    「砂漠でやりあったんだが、なかなかに動きの良い艦だった。指揮官の大胆な手腕もあるだろうが操舵士の技術も高い。重力下でバレルロールもするくらいだからな。実際に会うのが楽しみだ」
    「その話は私も耳にしたがガセだろう。四百メートル級の戦艦を重力下でバレルロールなんて不可能だ」
    「そうかなあ、あの操舵を見ているとやってのけそうな気もするけれどね」
     呆れ顔で返すがバルトフェルドは意に介さずいつもの表情だ。
     携帯端末にハンガーに向かってくる人の動きを知らせるアラートが入った。
    「早く行った方がいい。ここは上手くやっておく」
    「すまないね、アルバート」
    「あなたに名前で呼ばれる筋合いはない」



     バルトフェルドの手配してくれた偽装パスポートで降り立ったオーブの空港は、不安定な情勢を感じさせないほどに穏やかだった。
     先の戦争でユニウス条約が締結されてから二年、世間はまたきな臭い空気を纏っている。プラントと地球連合は一触即発の状況で、今回渡された偽装パスポートもそのためだと言える。オーブは中立国であるとはいえ現状プラントからの入国者に対する目は厳しい。よくも悪くもハインラインの名前は有名で、痛くもない腹を探られないようにとバルトフェルドなりの配慮なのだろう。
     配慮があるならこの時勢に呼びつけるものではないと思うが。この状況だからこその召喚なのかもしれない。
    「アルバートさん?」
     到着ロビーで指定された場所に座っていると目の前が陰る。顔を上げると同年代くらいの男が立っていた。どうやら彼が迎えのようだ。事前に伝えられていた特徴と合致する。
    「そうです。あなたがアーニー?」
    「ええ。初めまして」
     青年は穏やかな顔でにこりと笑う。右手を差し出され、立ち上がってそれを握った。
    「出迎えありがとうございます」
    「いえ、長旅でお疲れでしょう。向こうに車を停めています、荷物持ちましょう」
     足元に置いていたボストンバッグをひょいと持ち上げたアーニーは先導して歩き出す。それに続いて空港を後にした。
     車の後部座席に荷物を乗せると助手席を促してくれる。乗り込んでシートベルトを締めると、車は滑らかに発進した。
    「バルトフェルドさんの住んでいるアカツキ島までは一時間くらいです。ちょうど昼にかかるのでどこかで食事をしてから来るように言われています」
     アーニーは前を向いたまま言う。
    「分かりました」
    「何か食べられないものとか、食べたいものはありますか?」
    「特にありません」
     元々食事に対する意欲は人より薄いようだ。腹に入れば何でもいい。
    「そうですか・・・肉でもいいですか?オーブで育てられている豚肉を出してくれる店があるんですがうまいですよ」
     特に異論はないので頷いた。
     天気が良いので海がきらきら輝いて眩しいくらいだ。少し窓を開けると風に乗って潮の匂いがする。
    「海、珍しいですか?」
     その光景をぼんやり見つめていると隣から尋ねられた。
    「ええ、まあ。プラントで生まれ育っていますので、海を見るのも二度目です。晴れていて気持ちが良いですね」
    「昨日まで台風の影響で時化ていたんですが、今日は波も穏やかですね」
    「なら私はいいタイミングで来ることができたのでしょう」
     アーニーは「そうですね」と笑った。
    「ところで、あなたは何者なのですか?」
     そう言って運転席に目をやると、アーニーもこちらをちらりと見た。視線はすぐに前に戻される。
    「バルトフェルドさんはなんと?」
    「なにも。ただ、信用のおける人物だから心配しなくていい、とだけ」
     アーニーははは、と笑ってため息を吐く。
    「あの人らしいなあ。私にも同じような情報しかくれませんでしたよ。『コーディネイターだが信用できる相手だから、とにかく迎えに行ってやってほしい』って」
     いつもの飄々とした様子で話すバルトフェルドの姿が目に浮かぶようだ。
    「必要最小限しか教えてくれないんだから。自分が頭がきれるからって他も同じだと思わないでほしいな」
     アーニーの言葉は愚痴っぽい。
    「私は・・・バルトフェルドさんの仲間・・・かな。フリーダムのことも承知しています。あなたが今回機体のメンテナンスで呼ばれたことも」
    「そうですか」
    「家に泊めてやってくれと言われました」
    「は?」
     聞いていない。
    「バルトフェルドさんの家、先日きた台風で雨漏りして、人を泊められる状態じゃないそうです」
    「ならホテルでも取りますよ」
    「それはあなたの身の安全を考慮して却下だそうですよ」
    「ハンガーで寝泊まりしてもいい」
    「あなたの健康を害することはできないと言っていましたね」
     はぁ~~
     つい大きなため息が出てしまった。
     今回設計局に長期休暇を申請して出向いている。長期的にメンテナンスに関わることを承知してやって来たため、プラントに帰るシャトルの予約は二週間後だ。寝場所はこちらで確保しているので心配するなと言われてきちんと確認しなかったのも悪いが、まさか初対面の男の家だとは思いはしないだろう。
    「あなたは嫌ではないのですか?こんな素性も知らないコーディネイターの男を家にあげて」
     前を向いたままアーニーは笑う。
    「バルトフェルドさんの知り合いだから悪い人じゃないだろうし共同生活は慣れているので別に。あなたは災難でしたね、アルバートさん」
     ここでぐだぐだ言っていてももうどうにもなるまい。
    「いえ・・・ご迷惑をお掛けします」
    「狭いところですが遠慮なくどうぞ」
     もう一度ため息が出た。
    「アルバートさんは、コーディネイターとかナチュラルとか、気になりますか?」
    「いえ。どちらも同じ人間でしょう」
    「よかった。私もそう思います。二週間よろしくお願いします。さあ、店に着きました」
     店の駐車場に車を入れてアーニーの後に続く。出てきた料理は美味しかった。

     アカツキ島にあるというバルトフェルドの家は教会の傍にあった。こぢんまりとした一軒家で、栗色の髪をした女性が出迎えてくれた。アーニーと親しげに言葉を交している。
     リビングに案内されるとソファにバルトフェルドが座っており、サイフォンでコーヒーを落としているところだった。
    「やあ、ようこそオーブへ」
     部屋に入ると彼は立ち上がりこちらへ近づく。握手を求められたので応じた。
    「どうぞ」
     ソファを勧められる。
     大きめのソファがテーブルを挟んで対で置かれている。片方にバルトフェルドと女性が座り、その向かいに腰を下ろした。アーニーも隣に座る。
    「いれたてだよ」
     手ずからコーヒーをカップに入れて出してくれる。コーヒーには煩いという噂の通り、一口飲むと香りの良さに驚いた。
    「わざわざ足を運んでもらってすまなかったね。仕事の都合はついたのかい?」
     ソファに体を預けてリラックスモードのバルトフェルドに尋ねられる。
    「いい機会だと申請したよりも過分に休みを取らされた」
    「ははっ、キミのワーカーホリックぶりは聞いているよ」
     仕事以外にすることなどもなく、休みの日も家に持ち帰ってなにかしらの作業をしている。設計局にはそれも知れているようで、今回の休暇申請のときにはかなり驚かれた。
    「そちらは?」
     目線をバルトフェルドの隣に向けるとそれに気付いた女性はにこりと微笑んだ。
    「紹介が遅れてすまない。彼女はマリア・ヴェルネス。ボクらの仲間だ」
    「マリアです。よろしく」
     テーブル越しに白い手が伸ばされてきてそれを握った。柔和な雰囲気とは裏腹に意志の強そうな目をしている。
    「アルバート・ハインラインです。よろしく」
    「アーニーとは仲良くなったかい?」
     バルトフェルドはにやにやしている。
    「二週間世話になるんだ、仲良くしてくれよ」
    「聞いていなかったんだが?」
    「仕方がないじゃないか。台風がきて雨漏りするなんて想定外だ。それにここにはボクらの他に同居人が多いんでね。キミに貸せる部屋がないんだ。ボクのベッドでいいなら喜んでご一緒するがね」
     恐らく苦虫を噛みつぶしたような顔をしたに違いない。自分でも頬が引き攣るのが分かる。
    「笑えない冗談は結構」
     自分でも驚くほど冷えた声が出た。これが部下なら一瞬で黙り込むのだろうが、バルトフェルドは意に介さずまた笑った。忌々しい。最初に出会ったときからこの男とは馬が合わない。
    「ところで時間が惜しい。フリーダムはどこにあるんだ」
    「慌てなくてもこれを飲んだら案内するよ」
     そう言ってバルトフェルドはゆっくりとコーヒーに口をつけた。

     フリーダムのハンガーにはパイロットであるキラ・ヤマトとラクス嬢の姿もあり、少女は再会を喜んでくれた。
     普段の整備は少年と、信用できる整備士が数人関わっているらしく、目立ったトラブルはないように思われた。少年も電子工学には精通しているらしく通常の整備には支障はないそうだが、今回はブラッシュアップを行うにあたり開発者の手を借りたいとのことだった。
     きりのいいところまで作業し、今日の作業はここまでだと切り上げられる。周囲の圧が強く、普段ならもっとやるところであったが素直に従った。
     ダイニングに促されると夕食が用意されていた。マリアとラクス嬢で作ってくれたそうで、バルトフェルド、アーニー、キラと食卓を囲む。
     結局この慣習はプラントに帰るまで続いた。
     作業が昼で終わるときも夜になることもあったが、作業終わりには必ず食事が提供され、皆で食卓を囲んでからアーニーの運転する車で彼の家に帰る。最初は居心地の悪さも感じていたが三日もすれば慣れた。フリーダムの整備に気が向いてどうでもよくなったのかもしれない。
     アーニーの自宅は広めのワンルームで、第一印象は「生活感がない」であった。
     家具もそうだがものがない。取りあえず生活に必要なものだけ揃えました、と言わんばかりの部屋だ。半年は住んでいるそうだが信じられない。
     客人はベッドを使ってくださいと押し切られ、初日からずっと家主のベッドを占領している。家主は、と言えば床に薄いマットレスを敷き休んでいるのだが、そちらでいいといくら言っても聞かず「俺は慣れています。横になって眠れるだけで充分なんで」と繰り返していた。一体今までどんな生活を送ってきたのだろう。
    「明日は作業も休みにするそうなので、折角だからどこかに出掛けませんか?」
     いつもの帰り道、ステアリングを握りながらアーニーが言った。
    「休み?」
    「日曜日でしょう。ミサがあるので忙しいらしいです」
     こちらは滞在期間も決まっているのだ。ミサなんかより作業を優先させたいとは思ったが今ここで言ってもどうにもならなそうだ。
     隣接する教会でミサがあるのだろう。バルトフェルドの言っていた同居人、マルキオや孤児の子供の顔が浮かぶ。ミサの手伝いに駆り出されるのだろうか。
    「それに、休息日は必要でしょう」
     信仰心があるのかは知らないが、アーニーはもっともらしいことを言って笑った。
    「聖職者は苦手です」
    「マルキオ様もですか?」
    「私は科学者なので、彼らがよく口にするさだめだの愛だの、あやふやなものがよく分かりません」
     バルトフェルドからマルキオを紹介されたときも、彼は子供らに愛を説いていた。
    「目に見えて証明できないものは信じられませんか」
    「そういうことです」
     寂しい人間だと思われたかもしれないが、アーニーは何も言わなかった。
    「・・・海に行ってみたいです」
     話題を変えたかったので呟いてみる。
     バルトフェルドの家も海辺にあって教会の子供たちは遊び場にしているが、こちらは遊びにきているわけではないので浜辺に降りたこともなかった。
    「海かあ・・・そういえば、最近バーベキューできるところが海辺にできたんですよ。そこに行ってみません?」
    「バーベキュー・・・やったことないです」
    「えっ、本当に?」
     前を向いて運転していたアーニーが驚いてこちらを見た。顔を向けられたのは一瞬だったが珍しく目が丸くなっていたのが分かった。その顔はすぐにまた前を向く。
    「じゃあ是非やりましょう、バーベキュー。肉と海鮮焼いて、海で遊びましょう」
     バルトフェルドの家で、一緒に外食に行った先で、ぱくぱくとよく食べるアーニーの姿が思い出された。きっとバーベキューでもよく食べるのだろう。
     バーベキューも海も、同年代とこうして出掛けるのも何もかも初めての経験である。
     アーニーはうきうきと「何時に出発しようかな」と明日の計画を立てる。話している間に家に到着した。
     先にシャワーをさせてもらいソファでぼんやりテレビを見ていると、浴室から出てきたアーニーが茶を片手に近づいてくる。
    「どうぞ」
    「ああ、ありがとうございます」
     差し出されたそれを受け取りひとくち。麦茶というらしい。アーニーの家に来て初めて飲んだが風呂上がりなど汗をかいた後にちょうどいい。
    「隣いいですか?」
    「どうぞ」
     ソファの前に小さなテーブルが置いてある。その前に壁に付けるようにテレビが設置されている。アーニーはテーブルに麦茶を置いた。ソファは三人掛けで、一緒に座っても余裕がある。隣に座ったアーニーはスマホを取り出し何やら操作をした。
    「ここに行こうと思うんですよね」
     見せられた画面には青い海と砂浜、砂浜に面するように小さなコテージとテントがいくつか並んでいた。
    「予約の確認をしたら、テントの方が空いているみたいです」
     テントはタープタイプだったが木組みのしっかりしたタイプで、写真を見ると青い空と青い海が映っており見るからに気持ち良く過ごせそうで、素直に「いいな」と思う。
    「いいですね。ここでバーベキューができるんですか?」
    「そう。グリルも道具も料金の中に入ってるんであとは食材を頼むか持ち込むか」
     アーニーの指がタップしてページを開く。
    「このセットなんかいいんじゃないかなって」
     メニュー表だった。肉と海鮮に野菜も入ったセットが美味しそうに写っている。
    「いいですね、でもあなた足りるんですか?」
     そう尋ねてみると、アーニーは画面から顔を上げて驚いたような表情でこちらを見た。不躾な質問で気分を害してしまったかな、と思う。
    「いえ、いつもたくさん食べているから」
     言い訳のように続けると、アーニーはにっと笑う。
    「ばれてました?大食いなんですよね、俺。なので、これも頼んで追加で持ち込みもしようかなって思います」
     怒っていないようでほっとした。職場以外の人間とコミュニケーションを取ることがないため会話の正解が分からないこともあるのだが、数日一緒に過ごしている相手は話しやすい男だった。彼のコミュニケーション能力の高さに助けられているのかもしれない。
     スマホで予約を済ませてしまったアーニーと、明日の出発時間や途中スーパーに寄るルートの相談などをする。
     穏やかな時間だった。
     プラントと地球の間で緊張が高まっていること、情勢が不安定であること、もしものための力を整備するため自分がここに呼ばれたこと、そんな一切を忘れさせてくれるような時間である。
     アーニーとこうしているとコーディネイターとナチュラルということや、自分の立場まで今はどうでもいいことのように思えてくる。
     ふと、口をついて出ていた。
    「あなたは私が何者か気にならないのですか」
     隣に座るアーニーをじっと見つめる。言われた方はきょとんとこちらを見ていた。
     詳細な正体は明かしていない。アーニーの中ではバルトフェルドが言った「コーディネイターだが信用できるやつ」のままだろう。最初にマリアに「ハインライン」であると名乗っているので、プラントに詳しい者ならピンとくるかもしれないが、アーニーがどこまで気付いているのかは分からない。
    「別に・・・気になりませんね」
     アーニーはへにゃりと笑った。
    「バルトフェルドさんが言ったことを信じていますし。何者なのかは知りませんが、ただ私は自分の目の前にいる“あなた”を見ているだけです」
    「もしかしたらザフトかもしれないのに?」
    「ザフトなんですか?」
     質問で返されてぐっと言葉に詰まった。
    「違い・・・ますけど」
     答えは尻つぼみになってしまった。これでは自爆したも同然だ。アーニーはおかしそうに肩を震わせて笑った。
    「じゃあいいじゃないですか。でも、私はあなたがザフトでも気にしませんけど」
     近づいて見た彼の瞳の緑は思った以上に複雑で深い色をしていた。他人とこんな風にじっと視線を合わせる機会など少ない。
    「私の目に映るあなたはフリーダムを大事にしている、仕事に真剣なただの科学者です。オーバーワーク気味なのはいただけないと思いますが。真面目で、ピーマンとなすびが苦手なところはかわいらしいなと思います。それ以上でもそれ以下でもない。それでいいと思っています」
     肩書きを取っ払い今目に映っているものだけを見てくれると言う。
    「は・・・」
    「だめでしょうか」
    「いえ。そんな風に言われたことがなかったので」
     プラントではハインラインの名前や今までの経歴、功績が常について回っていた。人間関係、殊更愛を告げてくる者などは、自分自身ではなくバックグラウンドを見ている。
     それがどうだろう。
     目の前の男は、それを知らず白紙の状態で見てくれている。胸の中にじんわりと広がるものがあった。
    「あなたこそ、私が何者か気にならないんですか?」
     アーニーは悪戯っぽく目を細めている。
    「・・・あなたにそこまで言ってもらった以上何も聞けませんよ。でも、あまり気になったことはなかったです。初対面の男に宿を提供しなければいけない状況なのに親切にしてくださった優しい方、としか思っていませんね」
    「なら、お互いこのままでいいですね」
     ふふっと笑うアーニーにつられて同じように笑みが零れていた。

     翌日もからりと晴れていた。
     スーパーに寄って肉を買いバーベキュー場まで車を走らせる。オーブは島国で海がすぐそばにある。今日の海もきらきらと輝いており美しい。
     予約してくれていたテントに行くと、もうすでにグリルの用意がしてあり食材もすぐに運ばれてきた。
    「なにか飲みます?」
    「いえ。さっきお茶も買ったでしょう、あれでいいです」
     テーブルに置かれていたメニュー表を見ながらアーニーが尋ねてくる。食材の追加やデザート、ドリンク類は一通り買えるようだ。行き届いているものだ。
    「アルコール飲んでもいいですよ?」
     ハンドルキーパーに遠慮していると思われたのか。その言葉には首を振る。
    「元々あまり飲酒習慣がないのでお気遣いなく」
     グリルにはすでに炭が入っており火も点いている。アーニーはさっさと荷物を片付けてしまうと網に肉を乗せ始めた。
    「ええ、じゃあアルバートさんは全然飲まないんですか」
    「たまには飲みますが深酒はしません。作業に支障が出ると困るので」
     あらかじめ置かれていた皿やカトラリーをそれぞれの前にセッティングし、お茶もコップに注いだ。その間にもアーニーは網の番をしている。
    「真面目ですねえ」
    「そういうあなたも、あまり飲酒しているところを見たことがありませんけど。あと、アルバートかアルと呼んでいただいて結構ですよ。歳もそんなに変わらないし。敬語もいりません」
     そう言われると思ってなかったのか、アーニーはすぐに返事をせずじっとこちらを見ている。
    「なんですか」
    「いや、はは。そんな風に言ってもらえると思わなくて・・・。じゃあ遠慮なく、アル、で」
    「はい。どうぞ」
     名前や愛称を呼ぶように言ったことや、フランクに話せと言ったこと。自分でも信じられない。アーニーの雰囲気に絆されたのか、それともこの楽しい場の空気に流されたのか。自分でもよく分からなかった。
    「アルも敬語じゃなくていいよ。俺の方が年下なんだし。あ、これもういいぞ」
     トングに挟んだ肉を差し出され、皿で受け取りに行くとひょいひょいと三切れ一気に乗せられた。
    「ありがとう」
    「タレつけて食べろよ」
     ナチュラルに話し出すアーニーに、話し方一つでぐっと距離が縮まった気がしてなんだかくすぐったかった。バルトフェルドの物言いは気に入らないだけなのに、彼に敬語抜きで話しかけられるのは親しくなれた気がして嬉しささえある。
    「俺は呼び出しのある仕事をしていたから、いつでも出られるようにあまり飲まなかったし、今でもその習慣が残っているかな」
     アーニーはおしゃべりしながらも網に食材を並べて焼いていく。
    「今はそういうこともないから、今度飲みに行こうか」
    「誰かと飲みに行くのも初めてだな」
    「そうなのか?オーブに来てから初めてのことづくしだな」
    「アーニーのお陰で」
     焼けたものを次々と皿に乗せられる。
    「肉はもういい」
     目の前の男は焼きながらどんどん肉や海鮮を口にしている。器用なことだ。同じペースで肉を提供されるので付いていけず断った。
    「まだあるのに?遠慮してないか?」
    「遠慮はしていない。欲しかったら自分で焼く」
     そうか、と言ってアーニーは相変わらず肉を口にしていた。見ていて気持ちがいいくらいよく食べる。よく食べる割りに体は引き締まっているようなので、日常的に運動やトレーニングをしているのかもしれない。
     さっと海風が入ってきて、テントを揺らして抜けていった。
    「気持ちがいいな」
     思ったまま口に出ていた。アーニーも海に視線をやって頷く。
    「もう少ししたら暑くなる。この辺も海水浴客で賑やかになるよ。今がレジャーに一番いい気候かもな」
    「オーブの夏は体にこたえると、バルトフェルドが言っていたな。プラントは気候管理がされているから、季節を体感できるのは少し羨ましい」
    「今度は夏に遊びに来たらいい」
     アーニーを見ると彼もこちらを見ていた。目が合う。
    「海水浴をしてかき氷を食べて、またバーベキューしながらビールを飲むのもいい。暑いときには暑いときの楽しみがたくさんある」
    「・・・来られるといいんだが」
    「そうだな」
     それだけ言うとアーニーはまた食べ始めた。
    「フリーダムを使うような事態にならないといいんだけどな」
     思わずぽつりと零してしまった。
     アーニーにも言いたいことは分かったようだ。今の世界情勢、今回プラントから呼ばれた理由を考えると簡単に約束ができるものでもない。
     野菜を口にしながら海の方へ目を向ける。この平和な海が戦場になるようなことが起きなければいいと思う。
    「フリーダムを初めて見たとき、なんて綺麗な翼なんだろうって感動したよ」
     アーニーは静かに言った。
    「名前を聞いたとき、機体に相応しい名前だなと思った。自由にどこへでも行ける翼を持って、何でもできる強さと美しさがあるよな。フリーダムに守ってもらったよ。優しい機体だ」
    「フリーダムとジャスティスは、ザフトで初めてニュートロンジャマーキャンセラーを搭載した機体だ」
     そう話し始めると、アーニーは驚いたようにこちらを見る。
    「『正しいと思うことを自由に成せるように』そう願いをこめて僕が名付けた」
    「アルが?」
     アーニーと目を合わせる。
    「僕があの機体の開発者だ」
    「・・・俺に言っていいのか?」
    「あなたになら言ってもいいかと思った」
     信頼に値する人物だと思えたから、秘密を共有してもいいかと思えた。自分が本当は何者なのか彼に知ってほしかったのかもしれないし、真実を知っても彼が今までと同じように接してくれることを確認したかったのかもしれない。
    「綺麗事だと言われるかもしれないが、人を守れるよう願いをこめて開発した。あれは兵器だが、パイロットや誰かを守れるものであってほしいと思っている。アーニー、あなたを守れたのなら嬉しい」
    「アル・・・」
     アーニーの深緑の瞳がじっとこちらを見つめる。深緑の瞳は光の入り方によって鮮やかなエメラルドになる。ずっと見ていたいほどに美しかった。

     海に入るのは生まれて初めてだった。砂浜を素足で歩くという経験もなく、足元がずぶりと沈む感覚は慣れなかった。更に波打ち際で砂と波が寄せて返す感触、潮の匂い、全てが新鮮で気持ち良かった。
     足元の波を楽しんだり小さな蟹や貝を探したり、童心に返るとはこのことなのだろう。思い返すとはしゃぎすぎたのではないかと少し恥ずかしい。
     海辺でアイスクリームを食べながらおしゃべりをし、そろそろ日が暮れる頃に家に帰ってきた。
    「せっかくだから飲もう」
     そう言い出したのはどちらからだろう。
     帰りにスーパーに寄り、適当な総菜やスナック、酒を買い込んだ。シャワーで潮の匂いと汗を流し、ソファ前の小さなテーブルに食べ物と酒を並べてささやか酒宴が開始となった。ソファに並んで座る。
    「乾杯」
     プルトップを開けたビールの缶を差し出され、同じように缶ビールを差し出して合わせる。
    「初めてのバーベキューと海はどうだった?」
    「・・・楽しかった。どちらも」
    「そう。よかった。海に入ったアル、子供みたいだったもんな」
     ふふ、とアーニーが笑う。恥ずかしかったが悪い気はしなかった。
    「そういうアーニーだって、魚を捕まえると張り切っていたじゃないか」
     磯辺で奮闘していた姿を思い出す。結局捕まえられず、ただズボンの裾と袖口を濡らして終わっていたが。
    「いけると思ったんだけどなあ。かっこいいところ見せたかったよ」
     悔しそうに唐揚げをかじっているアーニーがなんだかおかしい。
    「蟹を捕まえたのも初めてだった」
    「小さい蟹にビビってたのはそれでなのか」
    「プラントで虫や生物に触れる機会なんかほとんどないからな。地球は豊かだな」
     バルトフェルドが母なる星と言っていたが確かにその通りだ。
     プラントでの暮らしの話になり、また今日の思い出に戻り、海の話をし、宇宙の話をした。アーニーの声も話し方も全てが心地よく、いつの間にかテーブルの食材は少なくなっていたし酒は進んでいた。
    「デートコースだよな、海辺のバーベキューも磯遊びも」
     ふと、アーニーが言うので、尋ねてみたくなる。
    「アーニーはああいうデートをしているのか?」
    「・・・ここ数年そういう経験はない」
     顔を見ると、唇を尖らせて不服そうにしている。
    「恋人はいないのか・・・」
    「悪い?」
     その答えにほっとした自分に気付き、動揺する。彼に恋人がいないことを安心している。どうしてだろう。
    「アル?」
     黙ってしまったのを不審に思ったのか、アーニーはこちらをじっと見つめる。
    「そういうアルは?それだけ顔がいいとさぞモテるんだろうな」
     にやにやして言うのを一瞥してやると、アーニーは笑った。
    「プラントには婚姻統制がある」
    「あ~、そういえばアスランとラクスちゃんも元婚約者とか言っていたな」
    「ザラとクラインといえば名門だからあそこは別格だが、出生率の低下している二世代目のコーディネイターにとっては避けられないシステムだ」
     アーニーはビールを口にする。
    「じゃあアルにも相手がいるっていうことか?」
    「いるらしいが詳しいことは知らない。仕事が忙しいから興味がない」
    「ワーカーホリック・・・」
     じろっと睨んでやったがアーニーにはあまり効果がなかったようだ。
    「婚姻統制があるから恋愛などというものは意味がない。どうせ決められた相手と一緒になるんだから、それ以外に割く時間は無駄だろう」
     今度はビールから口を離し、ぽかんとした顔をしてこちらを見ている。
    「なんだ」
    「そういう風に考えるのはコーディネイターとしては珍しくないっていうこと?」
     そう言われて考えるが、恐らくこういう考えは少数派なのだろう。婚姻統制があっても決められた相手以外と恋をして夫婦になる者もいるし、泣く泣く別れを選んで遺伝子で決められた相手と一緒になる者もいる。
    「いや、僕の考え方が少数派だろう。必ずしも婚姻統制の相手と一緒になるわけではないし、自分の意志で恋愛している者も多い」
    「アルは究極の面倒くさがりなんだな」
    「否定はしないが、僕の言うことも一理あるだろう?あらかじめ決まった相手がいて、愛がなくても夫婦になれるのだから、恋愛など無駄だ」
     アーニーは呆れ顔で笑っている。
    「極論だなあ。恋愛って悪いことばっかりじゃないけどな」
    「好きだ愛してるといっても次の瞬間には憎しみ合っていることだってあるだろう。そんな感情に振り回される意味が僕には分からない」
    「そんな感情に振り回されてもいいって思える相手に出会えてないだけかもよ?」
    「・・・あなたはロマンチストだな」
     余計なことまでべらべらと喋っている自覚はあったが止まらない。久しぶりの酒に酔っているのかもしれない。
    「アーニーはそういう相手がいたのか?」
     ビールを傾ける手が止まる。こちらから視線を外ししばらく考えた後に一言。
    「いたよ」
     寂しそうに笑う横顔を見た瞬間、胸がきゅっと締め付けられたような気がした。自分の感情が分からないまま、気付くと彼の腕を掴んでいた。弾みでビールが零れそうになる。
    「あ、ぶなっ、アル、なんだ・・・」
     その言葉を最後まで聞かず、吐き出される息ごと飲み込む。どうしてそんな行動に出たのか分からないが、気付いたときにはアーニーに口づけていた。
     深緑の瞳が驚愕で開かれている。至近距離で見た緑はやはり美しい。触れた唇は思いのほか柔らかくビールの苦みを感じた。恐らく一瞬であったが、随分長い時間にも感じる。
    「・・・に、すんだっ」
     どん、と胸を押され、触れるだけだった口づけが解かれる。今度こそビールが零れてラグを濡らす。
    「触れてみたら分かるものもあるかと思ったから」
    「あ?」
     怒りの表情は初めて見るな、と暢気に思う。
    「あなたには礼もしたいと思ったし」
    「礼?」
    「僕を自分のものにしたいという人間は後を絶たない。どうせ僕の種・・・遺伝子目当てなんだろうが。そんなに欲しがられるものなら礼になるだろう」
    「ぶっ飛んでるな、お前も周りの連中も」
     真面目に回答したつもりだったがアーニーを呆れさせるだけだったらしい。大きなため息を吐いた後、毒気を抜かれたような顔でじっと見つめられた。
    「こういうことは愛する人とするもんだよ」
    「僕には愛とか人を好きになる気持ちは分からない」
    「なら分かるまでとっとけ」
     それだけ言い放つとアーニーは立ち上がり、タオルを持ってくると零れたビールを拭き始めた。背中が怒っているように見え、その横顔は言い訳や謝罪をする余地がないようにも見える。
     どうしようか戸惑っていると、アーニーのスマホが音をたてた。
    「バルトフェルドさんだ」
     夜も深い。こんな時間にバルトフェルドが連絡を寄越すなど、緊急事態ではなかろうか。
    「はい。ええ、大丈夫です。ええ・・・え?大丈夫なんですか?・・・ええ、よかった。はい、はい、分かりました。はい、では明日」
     話の途中で声をあげたアーニーだったが、すぐにいつもの声音に戻り、手短に話を終えると終話ボタンを押してからこちらを見る。
    「襲撃されたらしい」
    「えっ?」
    「ラクスちゃんを狙ったコーディネイターの特殊部隊だろうということだ。モビルスーツもいて、キラがフリーダムを発進させた」
     アーニーの表情は固い。
    「皆は大丈夫なのか?」
    「ああ、転んだりぶつけたりで何人かは怪我をしたみたいだが軽いものばかりらしい」
     その言葉にほっとする。
    「よかった」
    「それはよかったんだが・・・事態は深刻だ。取りあえずアル、あなたを明日のシャトルでプラントに帰すことになった。荷物をまとめてもらいたい」
    「フリーダムの整備は・・・」
    「明日一度バルトフェルドさんの家に寄るから、詳しいことはそのときに聞いてほしい」
     わかった、と言うしかなかった。

     翌日早くバルトフェルドの家に向かうと、家には所々争いの形跡が見られた。
     リビングに通されてコーヒーを出される。初めてこの家に来たときと同じようにソファに座る。あのときと違うのは、キラとラクス嬢も同席しているということだ。
    「アーニーから聞いたと思うが、見ての通りでね」
     バルトフェルドは背後の窓に視線を向ける。窓が一箇所割れているが、この部屋の損壊はまだマシな方なのだという。
    「ちょっと面倒なことになりそうだ。キミにも危険が及ぶといけない。シャトルのチケットは確認したな?」
     チケットは昨夜のうちに携帯端末に届いている。
    「フリーダムの整備は」
    「ここまでしていただいたら、後は僕で何とかできます」
     キラが穏やかに言う。彼の隣にいるラクス嬢も揃って二人で頭を下げられた。
    「ハインラインさん、本当にありがとうございました」
     キラが言う。二人とも昨夜襲撃されたとは思えないほど落ち着いており、プラントのハンガーで最初にフリーダムを託したときと同じ、意志の強い瞳をしていた。
    「直接お礼を申し上げたくて、ご無理を言って来ていただきました。あなたのご協力に感謝いたします。どうぞご無事にプラントまでお戻りになられますように」
     ラクス嬢はそう言うとまた頭を下げた。
    「・・・また、戦場に立たれるのですか?」
     そう尋ねると少女はゆっくり顔を上げる。
    「そうならなければいいと思いますが、現状では争いを避けるのは難しいのかもしれません」
    「そう、ですか・・・。どうぞ、お気をつけて」
    「ありがとうございます。ハインラインさんも」
    「ボクからも礼を。ありがとう、アルバート。この借りは必ず返す」
     名前で呼ぶな、と思ったが言い返す気にもならず、バルトフェルドに頷いて返した。
    「空港まで見送りに行けなくてすまない。ボクらは目立ちそうだからね。・・・頼んだよ、アーニー」
    「任せてください」
     家の外に停めていた車までは皆で見送ってくれた。
    「前にも言ったが、危うくなれば連絡をくれよ。必ず迎えに行くから」
     バルトフェルドが言う。
    「覚えておく。あなたも気をつけて」
    「おや」
     気遣いをされると思わなかったのか、バルトフェルドは驚いたような顔をしておどけて見せた。
    「借りを返してもらうまでは無事でいてもらわないと困る」
     そう言ってやると男はくっくと笑った。

     迎えに来てもらった同じ道を通って空港へ。国内で戦闘があったと思えないほど、今日の海も綺麗に輝いており空も綺麗だ。次いつ見られるか分からないそれらを目に焼き付ける。
     昨日口づけてしまってからアーニーと普通に接することができなくて、起きてから言葉を交したのは必要最小限である。
     このまま別れるのは気まずい。もしかしたらこのまま二度と会わない相手かもしれないが、この空気のまま終わりにしたくない、と自分の中の何かが言っていた。
    「あの・・・昨夜は・・・すまなかった」
     考えに考えたが大した謝罪ができない。アーニーは前を向いたまま無言だった。
    「あなたの気持ちも考えずキスなんかして・・・すまなかった」
    「もういいよ」
     アーニーはそれだけ言うとふっと笑う。
    「でっかい犬に舐められたと思って忘れる。だから気にしなくていいよ。次はちゃんと好きな人としろよ」
    「・・・い」
    「ん?」
     アーニーが一瞬だけこちらを向く。
    「忘れてほしくない」
    「は?なに言ってるんだよ」
     変なヤツ、とでも言うようにアーニーは笑っている。
    「人を好きになる気持ちは分からないが、今自分の中で感情の理由を探しているところなんだ」
     そうだ、僕は今探している途中なんだ。
    「またあなたに会いたい。それまでに自分の気持ちに答えを出しておく。だからそれまで忘れないでほしい」
     アーニーは前を向いたまま、またしばらく黙ってしまった。カーラジオからの音だけが車内に流れる。オーブで流行りの音楽がかかっている。
    「分かった。いつになるか分からないけど、また会えるといいな」




     秘匿の回線に通信が入る。ここに連絡してくる相手は一人しかいない。
    「はい」
    『やあ、元気かね』
    「お陰様で。あなたの方はよほど暇だとみえる」
     おざなりに返してやるとバルトフェルドはいつもの調子でくっくと笑う。
    『言うねえ、まあ変わりなさそうでなによりだ』
     回線には独自で開発したセキュリティが掛けられており、今のバルトフェルドのような立場の人物と通信するにはうってつけだと言える。
    「まだ海の底にいるのか」
    『まあね。海底もおつなもんだよ』
    「砂漠の虎がよく言う」
     通信相手は今度こそははっと笑った。
     現在バルトフェルドはキラやラクス嬢と共にアークエンジェルに搭乗しているらしい。アークエンジェルといえば、オーブで挙式中だったアスハ代表を誘拐するというセンセーショナルなニュースが流れたところだ。
    更にアークエンジェルは現在、彼女の不在中にユウナ・ロマ・セイランによって連合宮と同盟を組んだオーブの、プラントへの侵攻を止めるべく立ち回っており、それには当のカガリ・ユラ・アスハも関与している。
    現在、プラント最高評議会のギルバート・デュランダル議長は武力介入を繰り返すアークエンジェルを掃討すべくミネルバを向かわせて追いかけ回しているところらしい。
     その渦中の人物は殺伐とした空気も感じさせず、のんびりと他愛もない話を繰り広げている。
    『どこもかしこも同じようなものだろうが、そっちはどうだい。慌ただしくしているんじゃないのか』
    「一番慌ただしいのはザフトだな。設計局にはあまり関係はない」
    『キミは?無茶を言われたりしていないのか?』
     こうして時々バルトフェルドが通信を寄越してくるのは心配してくれているのだ。フリーダムに関わったことがどこからか漏れて立場が危うくなっているのではないか、疑念を向けられてはいないのか、と。鬱陶しいと思いつつ、気遣いは分かるので無下にもできない。
    「大丈夫だ。相変わらずジンやシグ-の改良を行っている」
    『そうか』
     顔は見えないがほっとしたような声だった。
    「ミネルバは随分アークエンジェルに翻弄されているらしいじゃないか」
    『まあね。うちの艦長サンは豪胆だし操舵士の能力も高い。それにキミのフリーダムが加わっているからな』
    「自由に成せているんだな・・・」
    『ん?なんだ?』
    「いや、なんでもない」
     戦争に興味はないが、プラント内部の混乱やザフトの内情などは時々耳に入ってくる。最近では連合やオーブ軍に対するものよりアークエンジェルをどうすれば撃墜できるのか、という話が多い。
    「気をつけろよ、バルトフェルド」
     そうは言ったものの、現状を詳しくは知らないため具体的な忠告ができないが。
    『ああ、ありがとう。キミもね、アルバート』
    「バルトフェルド」
    『なんだい』
    「アーニーは元気か?」
     沈黙が流れ、もしや聞こえなかったのかと不安になったところでやっと返事が返ってくる。
    『元気だよ・・・キミが他人のことを気にするなんて珍しいな』
    「彼には世話になったから」
     嘘だ。
     プラントに戻ってからもアーニーのことが頭の隅から離れずにいた。彼と過ごした時間を思い出し、また一緒に過ごしたいと何度も考えた。今何をしているんだろう、つらい思いはしていないだろうか、元気にしているのだろうか。


     バルトフェルドと話をしていくらか経った頃、設計局で仕事をしているところに慌てた声で呼び出しが掛かった。
    『ハインライン主任、お客様です』
    「客?」
    『応接室にお通ししています。デュランダル議長です』
    「議長?」
     ザフト最高評議会議長が何の用なのかさっぱり検討がつかなかったが、連絡を寄越した職員が慌てていたのは頷けた。常であれば議長という立場の人間がこんなところに突然やってくるなどあり得ない。
     言われた通り応接室に向かうとドアをノックする。中から「どうぞ」と返答があり、扉を開くとソファに座るデュランダルの姿が見えた。秘書か護衛か、傍にザフト兵が二人立っている。
     デュランダルは腰を上げた。右手を差し出されたので近寄って握る。
    「初めまして、きみがアルバート・ハインラインか」
    「ええ。初めまして」
     座るように促され、デュランダルの向かいのソファに腰を下ろす。相手も再びソファに座り、後ろに背を預けた。
    「きみの素晴らしい功績は聞いている。三大設計局の中でも群を抜く優秀な人物だと」
    「恐れ入ります」
     どこまで本心なのかは分からないが、デュランダルは次々と賛辞を述べた。穏やかな笑みを浮かべるその表情からは何もうかがい知ることはできなかった。
     つらつらと出てくる言葉を聞いていたが、中々本題に入ってくれない。
    「議長。本日はどのようなご用向きなのでしょう」
     話を遮らないタイミングで尋ねると、デュランダルはおや、というような表情を見せたがやはり穏やかな顔をしている。
    「いやすまない。きみの貴重な時間を取らせるつもりはなかったんだ。きみはアークエンジェルの名を聞いたことはあるだろうか」
    「ええ、もちろんです」
     デュランダルは膝に肘をつき、手のひらを軽く合わせるように指を組んだ。
    「我が軍は今現在、アークエンジェルの掃討に力を入れているんだが、先日も大がかりな作戦が残念な結果に終わったところでね」
     残念、というわりにはその表情は変わらない。
    「確か、エンジェルダウン作戦でしたか」
    「その通り」
     さっと脇からタブレットを出し、何やら操作して渡される。ざっと目を通すと戦艦の設計図だった。
    「何故私にこれを?」
    「『惑星強襲揚陸艦ミネルバ』我が軍の最新鋭の戦艦だ。エンジェルダウン作戦にも投入したが、ミネルバを持ってしてもアークエンジェルを取り逃がしてしまった。口惜しいことだ。きみにはミネルバを超える艦を造ってもらいたい。そのお願いに来たんだ」
    「アークエンジェルを掃討するために、ですか?」
    「そちらはどうにかミネルバに頑張ってもらうよ。戦艦を造るのは一朝一夕にはいかんだろう。アークエンジェルを墜とせたとしても、次々と新しい兵器や戦艦は出てくる。我々も先を見越して動いておく必要があると思ってね」
     その口調は穏やかであるが、目の前の男の頭の中には戦いの未来しか見えていないようである。争いは嫌だと言う同じ口で武力を行使することだけを考えている。
    「アークエンジェルのような強敵を掃討するための、ミネルバを超える艦を造ってもらいたい」
     なるほど、それでこのデータなのか。手元のタブレットに表示されているのは確かにミネルバのものに違いなかった。
    「そこには今までのミネルバの戦歴データも入っている。エンジェルダウン作戦のときのものもだ」
     ご丁寧なことである。
    「ミネルバが劣っているわけではないのだろうが、アークエジェルの指揮官か艦を動かしているクルーだかがかなりの驚異でね。特に雪の山間部で、ジャミング弾が使われた状況でイゾルデを九十度ロールで回避している」
    「は?」
     目の前にいるのが議長だということも忘れて声が出ていた。
     タブレットを操作すると確かにデュランダルが言った通りの報告と映像データが残されている。
    「・・・信じられない。熱センサーも麻痺しているだろうに・・・この状況で?」
    「人を育てるのはかなりの時間を要するが、戦艦の機能を向上させていくのは何とかなるのではないかと思ってきみに相談にきた。どうだい?ニュートロンジャマーキャンセラーを開発した優秀なきみを見込んで頼みたい」
     正直途中から議長の言葉は耳に入ってこず、それでも曖昧に頷いてしまったらしい。
    「そうか、ありがとう。頼んだよ」
     それを是ととったようで礼を述べられてしまい話が終わってしまう。ソファを立った議長に最後に駄目押しのように握手を求められ、こちらも立ち上がってその手を握った。どのみちこちらに拒否権はないのだから。

     その後の仕事をどう終わらせたのか、正直覚えていない。
     気が付いたときには自宅に戻っており、リビングのソファでぼんやりとコーヒー片手にバゲットを囓っていた。
     はっと気付いてタブレットを起動させ、議長から送ってもらったミネルバの戦歴データを見返す。特にアークエンジェルと対峙したときのものだ。
    「四百メートル級の戦艦でこんな動きができるのか?重力下だぞ」
     ぶつぶつと漏れ出る独り言を咎めるものは誰もいない。
     データで突きつけられてもにわかに信じがたい。信じがたいがアークエンジェルと言えば重力下でのバレルロールの話も聞いたことはある。
    「バレルロールをやってのけるくらいだから九十度ロールは可能なのか・・・だが海上じゃなく山間部だぞ・・・無茶だろう」
     障害物が多く稼働範囲の限られる山間部で、ミネルバが正面から進行してくる場面での九十度ロール。指揮も無茶だがそれをやってのける操舵技術も無茶苦茶だ。
     アークエンジェルについて考えていたせいで仕事も帰り道のことも覚えておらず、片手に持っていたバゲットがいつなくなったのかも分からない。
    「そうだ・・・バルトフェルド・・・」
     ニヒルに笑う男の顔を思い出した瞬間、いてもたってもいられなくなった。
     秘匿回線を繋ぎ呼び出し音を聞く。しばらく呼び出しても応答がなく、切ろうと思ったときにいつもにはない少し緊張したような声がした。
    『どうした、きみからなんて珍しいじゃないか』
     こちらから通信をするのは初めてだったので、なにか緊急事態があったのではないかと思われたようだ。
    「大した用ではない・・・いや、大したことになるのか?とにかく緊急事態ではない」
    『そう、変わりなくやっているのかい?』
     バルトフェルドの声がほっとしたものになる。
    「ああ。相変わらずだ。今日議長が設計局に来たくらいで」
    『デュランダルが?』
    「アークエンジェルを追いかけ回しているミネルバ、あれよりも強い艦を造れと言われた」
     バルトフェルドは「そう」だか「はあ」だか間の抜けた声を出す。
    『そりゃ、キミの腕を買っているんだろう。光栄なことだな』
    「ミネルバの戦歴データを見せられた。エンジェルダウン作戦でのアークエンジェルの映像データもだ。巨大戦艦であんな動きが可能なのか信じられなかったが、想像以上だった」
     興奮気味の声になってしまったのは否定できない。
    「アークエンジェルの操舵士に会いたい」
    『・・・会いたい?』
     早口のこちらとは対照的に、バルトフェルドは静かに一言尋ねた。
    「そうだ。会ってみたいんだ。あれを動かしている人物に会ってみたい。議長は人を育てるには時間がかかると言ったが、やはり技術があってこそ生かせるスペックも多い。それを追求したい」
    『会ってどうする。ザフトの戦艦を造ろうとしているキミが』
     冷めた声で尋ねられ、はたと我に返る。確かに、敵艦を造ろうとしている人物がコンタクトを取ったところで会ってもらえるとは思えない。情報漏洩のリスクや操舵士自身に危険が及ぶ可能性だって考えるだろう。
    「違うんだ」
    『違う?』
    「純粋に素晴らしい操舵技術に感動している。なにも開発に協力しろと言いたいわけではない。どんな経験を積んでどんな思いで操舵席に座っているのか、それを聞いてみたい」
     必死な訴えが分かったのだろう。バルトフェルドはふっと笑ったようだった。
    「アークエンジェルのスペックや戦法には興味がない。ただ操舵士がどんな人物なのか気になって仕方がない。あの操舵技術があれば素晴らしい艦が造れそうな気がする。攻撃にも守りにも両方に長けたものを造りたい」
     議長から命を受けたときに頭によぎったのはフリーダムと、アーニーの言葉だった。フリーダムのように正しいと思うことを自由に成せるものを。アーニーが言ってくれたように、人を守れる優しいものを造りあげたい。
    「攻撃にも守りにも長けた艦、人を守れる艦。そこにアークエンジェルの操舵士が乗ってくれたらどれほど素晴らしいものになるだろう・・・」
     最後は独り言のようになってしまった。静かに聞いていたバルトフェルドが口を開く。
    『キミは自分が何を言っているのか分かっているのか?』
    「あ・・・ああ・・・そうだな。そんな夢物語のような・・・」
     自分でも無茶苦茶なことを言っている自覚はある。バルトフェルドはため息を吐いたようだった。
    『キミはそこにいるのがもったいないな。垣根のない柔軟な思考ができる人だ。ザフトだ連合だオーブだは関係ないんだろう、ただ人のためのモビルスーツや艦を造りたいだけなんだな』
    「そう・・・そうなのかも、しれない、な」
     アーニーに言ったように自分はただの科学者である。ただ自分の技術で誰かの役に立ちたいだけだ。
     お互いの間にしばらく沈黙が流れた。それを破ったのはバルトフェルドだった。
    『もう会ってるよ』
    「え?」
    『アーノルド・ノイマン。彼が先の戦争でアークエンジェルを発進させたときからの操舵士だ』
    「アーノルド?」
    『アークエンジェルの操舵だけじゃなく、車のドライビングテクニックもなかなかのものだっただろう?』
     そう言われて絶句した。



     エターナルのハンガーに降り立つと、真っ先に目に入ったのがバルトフェルドの呆れ顔だった。隣にはラクス嬢の姿がある。彼女はバルトフェルドとは対照的に楽しそうに笑っていた。
    「色々と聞きたいことは山積みだが・・・取りあえずようこそエターナルへ」
     シャトルから出ると無重力で体が浮く。体勢を立て直してバルトフェルドとラクス嬢の傍に降り立とうとすると男は手を差し伸べてくれた。それを握るとぐっと引かれ、二人の傍に立つことができた。
    「いきなりすまない」
    「本当だよ」
     一応の謝罪をすると男はくっくと笑う。
    「乗艦許可を感謝します」
     ラクス嬢にも礼を述べる。この艦の艦長はバルトフェルド、責任者はラクス嬢ということだ。
    「いえ。驚きましたけど、ハインラインさんもお元気そうでなによりですわ」
     オーブにいた頃の柔らかな目とは違い、その水色の瞳には覚悟のようなものがあった。
    「ボクに用があるのだろう?部屋に行こうか」
     バルトフェルドに促され、ラクス嬢と別れて彼の自室へ招いてもらう。居住区には重力が敷かれているらしく、ふっと体が重くなった。
     バルトフェルドの自室はコーヒーの匂いがした。
    「どうぞ」
     執務机の前にテーブルと大きめの椅子が置かれている。椅子を勧められて座ると、バルトフェルドはのんびりとサイフォンでコーヒーを落とし始めた。途端に芳醇な香りが部屋に充満する。
    「全くキミは無茶をするんだな」
     コーヒーが落ちるのを見つめながら、バルトフェルドは少し笑ったようだった。
    「単独でシャトルに乗ってエターナルに突っ込んでくるなんて・・・ふふ・・・まったく。しかしどうやってここが分かったんだ」
    「秘匿回線を辿る術はある」
    「キミの能力はおそろしいなあ」
     そう言いつつも男は笑っている。
     バルトフェルドにアーニーに会わせてほしいと頼んだ日、色よい返事をもらえず結局断られてしまった。
     曰く、バルトフェルドはアークエンジェルを離れて宇宙におり、現状ではエターナルで身を隠していると。その状況でアーニーに繋げることは難しく、お互いの身の安全のためにもよした方がいいという返答だった。
     彼の言いたいことは分かったが納得ができなかったのも事実で。
     一人乗りのシャトルを手配して乗り込み、秘匿回線を手繰るようにして宇宙に出ていた。念のため注意を払ったが追尾などあるはずもなく、数時間でエターナルまで辿り着いた。
     秘匿回線を使いバルトフェルドを呼び出し「あなたは私に大きすぎる借りがあるだろう。乗艦許可をしろ」と詰め寄り今に至る。
    「どうぞ」
     コーヒーを出され口を付ける。バルトフェルドは執務机に座り同じようにマグカップを傾けた。
    「で、用件は?」
     感情の読めない笑顔がこちらを見ている。
    「分かっているだろう。アーニーに会いたい」
     わざとらしく目を開いて見せるバルトフェルドを睨むが、相手は笑顔を崩さない。
    「確かに彼の操舵技術は素晴らしいがキミがそこまで執着する理由が分からないな」
    「・・・私にも分からないんだ」
     アーニーがアークエンジェルの操舵士だったと知ってから、彼のことしか考えられなくなった。
    彼のことで頭はいっぱいだが、この感情の名前をどう付けるべきなのかは分からなかった。
    「いっそ、アーノルドに恋をしているとでも言われた方が納得できる」
     バルトフェルドは穏やかに笑ったままである。
     アーニーに口づけてしまった後、忘れてほしくないと彼に訴えた。次に会うまでに自分の気持ちに答えを出すと言ったが、まだその答えを見つけられずにいる。
    「あなたが言うような感情なのかは知らない。それに私が恋とか愛とか言うのはおかしいだろう」
     バルトフェルドの前で散々愛は下らないと話していたのである。どの面を下げて今さら、と思うが、こちらを見つめるバルトフェルドは笑顔をひそめ、真面目な顔をしていた。
    「おかしくない。誰かに愛情を向ける行為の何がおかしいんだ。今のキミは人間っぽくていいと思うよ」
     いつもなら軽く流して調子よく話をすすめるであろう男は、真剣にそう言った。
    「無理に感情に名前をつけなくてもいいと思うが、その気持ちを大事にしてほしい」
     バルトフェルドはマグカップを置くと机に片肘をついた。
    「キミはどういうつもりでアーノルドに会いたいの?」
    「彼がアークエンジェルの操舵士だと知ってから彼のことしか考えられなくなった」
     膝の上で組んだ手の指を摺り合わせる。視線を落としたまま零したが、バルトフェルドにはしっかりと届いただろう。
    「新造艦の操舵席に彼が座ってくれたら・・・バレルロールをやってのける彼の大胆な操舵技術に見合う艦を造ってみせる。優しい気持ちの彼を守れるような守備にも長けたものを造ってみせる」
    「熱烈だな」
     目を上げてバルトフェルドを見ると、男は穏やかに微笑んでいた。
    「アーノルドのために造りたいと言っているように聞こえるね」
    「・・・そうだな。彼のことを考えながら図面を引いている」
    「はあ・・・それで無自覚とは恐ろしいな」
    「彼に会ってこの気持ちの名前を確かめたい」
     バルトフェルドはふう、と息を吐いた。傍にあった端末を取りどこかへ連絡をしている。通信はすぐに繋がったようだった。
    「ああ、ボクだ。今いいかい?そう・・・いや、実は今ボクの目の前にアルバートがいるんだが、どうしてもキミのところのアーノルドに会いたいと言って聞かなくてね」
     バルトフェルドは喋りながらちらりとこちらに目を向ける。
    「うん、いや、そういうのではない。ボクの見たところ、ただの恋する男だな」
     こちらに向けられる目がにやにやと笑っている。何か言ってやりたいと思ったが、アーニーに会うための交渉をしてくれているようだし、邪魔するのを控えた。
    「デュランダルに指示されてミネルバを超える艦を造艦するらしいが、その操舵士にアーノルドを据えたいらしい。はは、そうだ、彼は真剣だ。きっと彼は色んな枠組みを超えて何かを成す人物だと思う・・・うん、ああ、頼む」
     そこでしばらく沈黙が流れた。
    「ああ、そうか、感謝するよ。うん、ボクも同行する、ありがとう、マリュー」
     通信を切ったバルトフェルドがウインクして見せる。男相手にも気障な仕草をするやつだ。
    「キミの恋心に免じて面会の許可が下りたぞ」
     からかうよう言って立ち上がる。恋心、という部分は否定しようと思ったがどうでもよくなった。どうせ自分自身もこの感情がよく分かっていない。椅子から立ち上がり、部屋を出るバルトフェルドに続く。
    「どこへ行くんだ?」
     前を行く男は振り返り、楽しそうに笑った。
    「もちろん、アークエンジェルさ」

     バルトフェルドが操縦するシャトルに乗り込みアークエンジェルに向かった。道中バルトフェルドが話してくれたところによると、現在アークエンジェルは宇宙におり、エターナルの近い場所で身を潜めているらしい。
    「ついこの間まで地球にいたんだ。キミは本当に運がいいね」
     バルトフェルドは言った。
    「何かの巡り合わせがキミとアーノルドを会わせてくれようとしているのかもしれないな」
    「・・・あいにく、私はそういう類いのことは信じていない」
     操縦桿を握りながら男は笑う。
    「まあいい。アーノルドは操舵士だから艦を離れられない。ザフトと関係のあるキミを乗艦させられる時間も監視付きの三十分と言われている。それでもいいか」
    「ああ、充分だ。ありがとう」
     アークエンジェルは本当に近い場所に停泊していたようで、十分もしないうちに到着した。バルトフェルドは慣れた操作でアークエンジェルのハンガーにシャトルを着艦させた。
     シャトルを降りると出迎えてくれたのは、アカツキ島のバルトフェルドの自宅で出会ったマリアだった。オーブ軍の軍服を着ているところを見ると、あのときの彼女は身を潜めた仮初めの姿だったのだろう。
    「お久しぶりね」
     マリアが一歩前に出て右手を差し出してきた。傍にはアーニー姿もある。
    「お久しぶりです。乗艦許可を感謝します」
     差し出された手を握って握手する。マリアはにっこりと笑った。
    「アークエンジェル艦長マリュー・ラミアスです」
    「ああ・・・」
     やはり仮初めの姿だったわけだ。ラミアスは手を離すと背後をちらりと見てからこちらに再び顔を向けた。
    「うちのノイマンくんに話があるということだったけれど?」
    「ええ。アークエンジェルの操舵士にどうしても会いたくて」
    「私も同席しても構わないかしら」
     彼女の申し出の正当性は理解できたが、できれば聞かれたくない。二人で話がしたい。
     顔に出ていたのだろうか、ラミアスはいたずらっぽく笑う。
    「冗談よ。あなたを信用していないわけじゃないから。ただしボディチェックをさせてもらうわ」
     その声にアーニーがすっと前に出る。
    「久しぶりだな、アル」
    「ああ、久しぶり」
    「ポケットの中身を全部出してもらえるか?そうだな、バルトフェルド隊長に預かってもらっていてくれ」
     そう言われて素直に従う。バルトフェルドに全て預けると、アーニーが服の上から体を触ってチェックし始めた。
    「俺に会いたい人がいるっていうから誰かと思ったよ。元気だったか?」
    「ああ、あなたも変わりないか」
    「見ての通り、戦艦乗りに転身したけどな、元気だ。腕上げて」
     万歳の姿勢になると上半身をチェックされる。
    「危険物は持っていないみたいだな。よし」
     オールグリーンです、とラミアスに向けて言うとやっと二人になることを許された。
     場所は展望デッキである。硝子張りのデッキの奥で向かい合う。デッキスペースはL字になっており、顔を上げると硝子の向こうにラミアスとバルトフェルドの姿が見える。こちらを一応監視しているのだ。声までは届かない。会話は聞こえないながらも監視はできる、現状での面会場所にはうってつけだと言える。
    「しかしアルは無茶するなあ。大丈夫なのか?」
     アーニーは笑っている。
    「追尾には気をつけたし軌道の痕跡も残してはいない。シャトルのログも逐一消去している」
    「周到だ」
     当然である。ヘマはしない。
    「でもプラントからすればアークエンジェルは目の敵だ。わざわざ危ないことをしてまで会いに来てくれた理由は?」
     横を見ると深緑がじっとこちらを見つめていた。穏やかな瞳だが底知れぬ何かを感じさせる。
    「僕は今、ミネルバを超える戦艦を造れと指示されている。アークエンジェルを墜とせるくらいの力を持った艦を」
     アーニーは黙ったまま聞いている。
    「ミネルバの戦歴データを見た。アークエンジェルとの戦闘のものだ」
     初めて見たときの興奮を思い出し、ついつい早口になってしまう。
    「ジャミング弾を使用した戦闘下。雪の山間部という視界も動きも悪い中で、近距離でイゾルデを回避した。しかも九十度ロールで。あれを見てからアークエンジェルの操舵士のことしか考えられなくなった」
     熱の入るこちらとは裏腹にアーニーは静かに聞いている。
    「新造艦にアークエンジェルの操舵士が座ってくれたらきっと、艦のスペックを最大限に引き出せる。攻防どちらにも長けた艦になる」
    「で」
     そこで彼は初めて口を開く。
    「俺のこと引き抜きにでも来てくれたのか?」
     そう言われ、はっと我に返った。我に返ると同時に体も止まり、それを見たアーニーは腕組みをしてから小さく笑った。
    「そうなれたらいいよなあ。オーブとかザフトとか連合とか、そういうのを抜きにして」
    「・・・そう、だな・・・」
     そうだ、これはただの理想でしかない。
    「アルが俺の技術に惚れ込んでくれたのはよく分かったよ」
    「アーニー・・・」
     違う、惚れ込んでいるのは技術だけではない。アーノルド・ノイマンという人間そのものに惚れ込んでいる。
    「もう会わない方がいい」
     きっぱりとそう言われ体が硬直する。
    「どうして」
     絞り出すようにやっとそれだけ呟く。腕組みの姿勢のまま、アーニーは真剣な顔をした。
    「いくらアルが理想を口にしても、今は情勢が悪すぎる。俺たちはアルのことを友好的に受け入れられるけど、俺たちと会っていることが知れたらプラントではそうはいかないだろう。戻る場所がなくなったらどうするんだ」
     それに、と続ける。
    「アルは今、ちょっと混乱しているだけだよ」
    「混乱?」
    「アークエンジェルの操舵士が俺だったって知って、オーブでのこともあったから余計に興味がわいただけだよ。アルが知らないだけでザフトにもすごい操舵士はたくさんいる。俺に執着しなくていいんだ」
     な?と子供に諭すような口調で言われ、一気に頭に血が上ったように感じる。
    「自分たちは危険を冒して行動しているくせに、僕には危ないからと説くのか。それに僕は、アークエンジェルの操舵士だから興味を持ったんじゃない、あなたという人に惹かれたんだ」
     アーニーはふう、と息を吐いた。
    「わざわざ地位も名誉もある人間が危険を冒さなくてもいいと思っただけだ。それに、俺たちは軍人だけどアルは違うだろう」
     そう言われると反論はできない。所詮は技術局の設計士なのだ。
    「俺を好ましく思ってくれたのは嬉しい。平和になって、もしまた会えたら、今度は海水浴でもして遊ぼう」
    「そうじゃなくてッ」
     アーニーの腕を掴んでいた。軽く引いただけでその体がこちらに引き寄せられる。
    「好き、なんだと思う。人としてだけじゃなくて・・・恋愛対象として」
     深緑がまん丸く開かれる。キスしたときと同じくらいの至近距離で、あのときと同じ状況だなとぼんやり思う。
     アーニーはふっと表情を緩めた。
    「自分の気持ちに答えが出たのか?」
     その目が真っ直ぐ尋ねる。射貫かれると下手なことは言えなかった。
    「それは、」
     目の前でアーニーは声を出して笑う。
    「恋愛感情に振り回されたくないって言っていたヤツが、見事に振り回されてるんだな。なんだよ、その顔。今アルが言ってるのはそういうことだろう?」
    「あなたは、僕にここまで言わせて何も思わないのか」
     余裕綽々の相手に悔しくなり負け惜しみのように吐き出すと、アーニーの笑みが一層深くなった。
    「好かれて悪い気はしないけど、アルをそういう目で見たことがないから分からないな。アプローチもされてないし」
    「アプローチすればいいのか」
     そう言ったもののどうすればいいか分からず、取りあえず掴んだままだった腕をさらに引いて腕の中に閉じ込め、腕を背に回してぎゅっと抱きしめてみる。
    「ちょ、」
     じたばたと暴れる体を押さえつけて抱きしめる腕に力を込め、耳元に顔を寄せた。
    「アーノルド」
     名を呼ぶと暴れていた体がぎくりと固まる。
    「僕の気持ちは勘違いなんかじゃない。あなたのために何か捧げたい。僕が何かを成せたら、あなたはこの気持ちを信じてくれるだろうか」
    「・・・自分の気持ちをきちんと分かっていないようなヤツがよく言う・・・」
     腕の中で小さな声がした。
    「誰かに好意を向けたことがないから分からない。言葉にするのは難しい。でも、叫びたくなるようなこの胸中がきっとそうなんだろう」
     アーニーが身じろぎをし、抱きしめていた体に隙間ができる。覗き込むと相手もこちらを見ていて、その目を見ると駄目だった。
    「ん」
     吸い寄せられるみたいに唇を合わせた。背中の手を後頭部に回して引き寄せ、薄ら開かれた唇から舌をすべりこませていた。
    「う、っン」
     腕の中の体が強ばったのを感じた次の瞬間、頬に衝撃が走り距離ができる。
     左頬を殴られたのだと分かったのはしばらくしてで、頬を押さえて呆然としていると硝子の向こうからバルトフェルドとラミアスが近づいてくる。
     バルトフェルドはにやにやと笑っているが、ラミアスは怒気を含んだ表情だ。
    「なにやってるの!ハインラインさん、うちのノイマンくんに何してるの」
     アーニーを庇うように体の後ろに隠す。
    「艦長、私は大丈夫ですから」
    「いーえ、よくないわ。無理矢理されていたように見えたけど?」
     艦長というだけあってラミアスの気迫は怖い。たしなめるアーニーもたじたじだった。
    「ハインラインさん、あなた一体どういうつもり?」
    「私は、アーノルドが好きです!」
     潔く言い切ったが彼女の視線は相変わらず厳しい。
    「好きだからって同意のない行為は認められません。ノイマンくん、あなた同意したの?」
    「いえ・・・それは」
    「今アプローチの最中です」
    「アプローチって・・・いきなりキスする人がいますか」
     ラミアスに責められ続けるのを横でじっと見ていたバルトフェルドが、ついに大きな声で笑い出した。
    「いやあすまないラミアス艦長。アルバートはついこの間まで愛なんか下らないと言っていたヤツなんだ。それがこんなに変わるとはねえ」
     バルトフェルドはこちらを見てにやにやしている。
    「恋愛初心者だから真っ当なアプローチができなかったんだろう。さ、アルバート、もう時間だ」
     腕を取られた。抵抗したかったが無重力下で上手くできないまま引きずられていく。
    「待て、待ってくれ」
    「しつこい男は嫌われるぞ」
     アーニーとラミアスの前を通り過ぎる。手を伸ばそうと思ったが、バルトフェルドの一言で思い止まる。
    「待ってくれ、一言だけ」
     必死に訴えるとバルトフェルドは動きを止めた。警戒を解かないラミアスに目配せしてからアーニーを見る。
    「アーニー、必ずあなたに僕がどれだけ本気で想っているのか分からせてみせる。だから、早くこの戦争を終わらせてほしい」
     アーニーは穏やかな顔をしていた。怒ってはいないようだ。
    「分かったよ。ここ、悪かったな。冷やしておけよ」
     自分の左頬を指す。それに頷いて答えると、バルトフェルドが先を促してきた。
    「どうか無事で」
    「ありがとう。大丈夫だ、アルのフリーダムもいるからな」

    「感情に名前はつけられたのかね?」
     エターナルに戻るシャトルの中で、バルトフェルドに尋ねられた。ちらりと隣に視線を向けると、彼はこちらを見て穏やかに笑っている。
    「・・・そういうことになるな」
     咄嗟に口をついて出た告白はこの男にもしっかり聞かれている。
    「よかったじゃないか」
    「よかったのかは分からないだろう。殴られたんだし」
     バルトフェルトはふふ、と声に出して笑った。
    「キミは随分変わったな、もちろんいい風にだぞ?友人として嬉しいよ」
     確かにアーニーに出会って変わったのだろう。誰かを欲しいと思う気持ちも恋心に気持ちを乱されることも、今まで知らなかったものばかりだ。
    「友人として忠告しておくが、今のアーノルドの感じだと十中八九振られるな」
    「な・・・」
    「後はキミの頑張りしだいだな。押すのもいいが、時には引いてみるのも大事だぞ」
    「初心者に難しいことを言う」
     バルトフェルドはまたも笑う。
    「相談にならいつでも乗ってやるぞ。男は相手にしたことがないが、人間相手という意味では男も女も同じだろう」
     そういえばこの男には、今も一途に愛する女がいるのだと思い出した。





     デュランダルの提唱したデスティニープランを否定し、レクイエムやネオ・ジェネシスの破壊と共に彼を撃った後、ラクス嬢はプラントへ渡っていた。ザフトとオーブの停戦が実現し、世界にはまた平和が訪れたように見えた。
     激戦の末ミネルバはアークエンジェルに墜とされ、技術局にはブラックボックスが届けられてデータ解析に忙しくなった。
     アーニーが無事なのは分かっていたが、日々めまぐるしく連絡を取ることができずにいる。
     久しぶりにバルトフェルドから通信が入ったのは、新造艦の進水式を終えた翌日のことだった。
    『やあ、しばらくだな』
     通信の向こうで男の軽い声がする。その声は数ヶ月の隔たりを感じさせないものだった。
    「ああ、あなたも元気にしているのか」
     バルトフェルドを気遣うようなことを言ったのは初めてではなかろうか。相手は一瞬言葉に詰まった。
    『元気にしている。今はプラントに戻っているよ』
    「そうか」
     てっきりオーブのあの島でまたのんびり暮らしているのかと思った。
    『ラクス嬢の護衛も兼ねてくっついてきた』
     プラントでは彼女を要人に据える動きがある。彼女もそれを承諾したそうで、近々大きな組織が発足する予定だ。
    『そういえば進水式は無事に済んだんだろう?おめでとう。なんだったかな・・・』
    「スーパーミネルバ級MS惑星強襲揚陸艦ミレニアム。デュランダル議長のオーダー通り、ミネルバを超える戦艦だ」
     通信の向こうでバルトフェルドが笑っている。
    『今度発足するコンパスに引き渡されると聞いたが』
    「さすがに情報が早いな」
    『うちの歌姫が噛んでいるからね』
     近く発足する世界平和監視機構コンパス。ザフト、オーブ、連合が共同創立した組織で、その初代総裁にラクス嬢が就任することになっている。
    「あなたは?」
    『ボクはザフトに戻って後方支援の予定だ。なにかあったときに動ける駒がプラントにいた方が都合がいいだろう』
     あくまでもラクス嬢が動きやすいように、裏方に徹するようだった。
    『オーブからはアークエンジェルが加わるらしい。もちろんアーノルドも一緒だ。彼とは話したのか?』
    「いや、あなたに連れて行ってもらったアークエンジェルで会ったきり、通信もしていない」
     そうか、とバルトフェルドの優しい声がした。
    「あなたが言ったように、今は引いている。近々押してみるつもりだ」
    『キミの気持ちは変わっていないんだな。上手くいくように祈っているよ』
     軽く近況報告をしあって通信は切れた。

     コンパス発足の式典が終了し、懇親会という名のパーティーが開かれた。
     全く気乗りはしなかったが、アレクセイに引きずられるようにして各方面への挨拶を済ませる。ハインラインの名前を持つということは有益なことも多いが面倒も伴う。
     やっと解放され、会場内を彼の人を探した。
    「アーニー!」
     アークエンジェルのクルーの中で談笑しているところを見つけ声を掛ける。こちらを見たアーニーは記憶と違わぬ顔で笑った。
    「久しぶりだな、アル」
    「話をしたいんだがいいだろうか」
     周囲の怪訝な顔に「大丈夫だ」と言ってから、アーニーは頷いてくれた。
     静かに話せる場所を求めて移動する途中も、ザフト所属とオーブ所属の組み合わせが珍しいのか好奇の目が向けられているような気がする。隣を見るとアーニーは気にも留めていないようで、ふと目が合うとにっこりと微笑まれてしまった。
     会場を出て廊下を行くと休憩スペースがあり都合のいいことに誰もいない。壁際に設置されていたソファに並んで座る。
    「元気だった?」
     アーニーの方から尋ねてくれた。
    「元気だった。あなたは?」
    「俺も、何とか元気にしてたよ」
     ふふ、と笑う。
    「アークエンジェルの活躍はプラントにも届いていた。デュランダル議長を止めてくれてありがとう」
     アーニーは目を丸くする。
    「そういう風に言われるとは思わなかった」
     そう言って彼はまた笑う。アーニーから視線を外し自分の指先を見る。手のひらに汗をかいており指先が冷たくなっていた。ゆっくりと指を摺り合わせる。
    「コーディネイターの僕が言えたことではないだろうが、決められた人生なんかおもしろくないだろう・・・なんだ?」
     横から視線を感じて顔を向けると、こちらをじっと見ているアーニーと目が合った。
    「いや、アル変わったなと思って」
    「そうか」
     アーニーと出会った頃は婚姻統制を受け入れ、自由恋愛など時間の無駄で下らないとさえ思っていた。それがどうだろう。彼と出会って考えを変えられてしまった。全く悪い気はしないから不思議だ。
    「自分の道を自分で決めるからいいんだと思うよ。先が分からなくて不安になることもあるけど、決められていてもつまらないと思う。今回のコンパスのことだって、予想もできなかったけどおもしろい」
    「そうだな」
    「コンパスの名簿にアルの名前があって驚いた」
     思わず笑みが零れていた。してやったりである。
    「あなたと同じ位置に立ってみた」
    「もしかして根に持ってる?俺たちは軍人だけどアルは違うだろうって言ったこと」
    「僕は根に持つタイプなんだ」
     アーニーは笑った。
    「ミレニアムはあなたのために造った」
     アーニーの笑顔が真顔になる。
    「あなたが操舵席に座ってくれたらどんなスペックが必要だろう、どれほど乗りこなしてくれるだろうと考えるのは非常に楽しかった」
    「本気で言ってるのか?」
    「もちろん、僕の本気のアプローチだからな」
     アーニーに向かってにやっと笑って見せると、その顔は真顔を崩して呆れ顔になる。
    「と、僕があなたへの思いを込めてミレニアムを造ったところで実際に操舵席に座れるわけではないことくらい、僕にも分かっている」
    「だよな」
    「でも僕がそれくらい本気だということは分かってほしい」
     深緑を覗き込むと、アーニーはごくりと唾を飲んでから頷いてくれた。
     きゅ、と自分の手と手を握る。相変わらず手のひらは汗ばんでいる。
    「あなたと離れている時間に自分の気持ちを考えてみたけれど、やっぱり僕はあなたが好きだ」
     アーニーはじっとこちらを見つめたまま、静かに言葉を待っているようだった。その深緑が、こちらの真意を確かめるかのようで、目が逸らせない。
    「あなたのことばかり考えていた。また一緒に過ごしたい、あなたの笑顔を思い出すと幸せな気持ちになれる、あなたのために何かをしてあげたい。きっとこれが、今まで僕が知らなかった恋なんだろう」
    「そうだな」
     アーニーはゆっくりと笑う。
    「ちゃんと自分の気持ちが分かったんだ」
    「僕があなたに何をしてあげられるか、考えた結果がミレニアムだった」
    「そこで戦艦になるんだから規模がでかすぎるな。アルらしいと言えばアルらしい」
    「完成までできる限り引き延ばしたつもりだ。情勢が落ち着くまで、アークエンジェルやオーブに砲火が向けられることがなくなるまで。コンパスに引き渡される話が出て、やっと最後のシステム搭載を完了させた。どれもこれも今までの僕では考えられないことだ」
     無駄なことは嫌いだ。完成を引き延ばすなどあり得ない。だがアーニーのことを思ったとき、ミレニアムの完成だけは時期を見極めなければと思った。
    「バルトフェルドから、アークエンジェルがクルーそのままにコンパスに所属すると聞いて僕もザフトに所属した。目的はコンパスに入るためだった。あなたのそばに行きたくて、使える手段は最大限に使ったつもりだ」
     僕は本気だ、と念を押すように言うとアーニーは頷いた。
    「僕をこんなにした責任をとってもらいたい」
    「ふふっ」
     真剣に告げたのにアーニーは噴き出す。
    「どうして笑うんだ。僕は真剣なのに」
    「いや、悪い。すごい愛され方したなあって思ったらちょっとびっくりして」
     ごほんと咳払いをしてアーニーは体ごとこちらを向いた。
    「アルが思っているような人間じゃないかもしれないけれど、それでもいいのか」
    「オーブで、ただのアーニーとアルとして過ごしただろう。僕を『ハインライン』としてではなくアルバートとして見てくれた、あのときのあなたを好きになった。あのときのあなたが僕にとって全てだ」
     アーニーは優しい目で笑う。
    「そうか。じゃあキスしてもいいぞ」
    「愛する人とするもんだ、だったな。あなたはいいのか?」
     深緑はにこりと細められてからすっと閉じられた。
    「こんなに熱烈にアプローチされて落ちない方がおかしいだろう」
     互いの体の間に置かれていたアーニーの手にそっと自分の手を重ねる。その手はぴくりと反応し、手のひらを上に向けるように動いて、重ねた手をぎゅっと握ってくれた。
     そっと顔を寄せて唇を合わせる。
     心臓の音がどくどくとうるさく、これほど緊張する口づけがあるのかと驚いたが、幸せだった。
     口づけを解き、至近距離で目を開くとアーニーもゆっくりと深緑を覗かせる。目が合ってどちらからともなく笑い合った。
    「今までの僕は随分損をしていた。こんなに幸せな気持ちになれる感情があるんだな」
    「そうか」
    「あなたが言ったように、恋愛という感情に振り回されるのも悪くない。こうして最後に幸せが待っているんだから」
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