タカノリ・ヴェステンフルス(前半)この日のコンパス本部は、いつになくそわそわと落ち着かない雰囲気が漂う。
プラントの歌姫ならぬ「歌王」として君臨する、伝説的ロック歌手のタカノリ・ヴェステンフルスが、コンパス本部を訪れ、本部大ホールでスペシャルライブをやるというのだ。
コンパス本部の大ホール入口は、気持ちいいほどに高い天井から差し込む光が開放的で、新しい時代の世界平和監視機構施設らしい明るさがある。正面ロビーには大きな羅針盤のモニュメントがあり、床にはコンパスの紋章があしらわれている。
最初にホール入口に現れたのは、あの二人。
「執務服以外の服でここに来るのは、何だか新鮮ですわ」
「僕もだよ」
ライブに先だって、コンパスメンバーに「支給」された、タカノリのライブグッズTシャツ姿のラクスが、やはりTシャツ姿のキラと共にホール入口の羅針盤前に現れる。
「コンパス本部で、あのタカノリ・ヴェステンフルスさんのお歌を聴けるなんて、思ってもみませんでした…」
「プラントでは、そんなに有名な歌手なの?」
「有名も有名ですわ!私が『歌姫』ならば、あの方は『歌王』と呼ばれておりますもの」
芸能事情に疎いキラの素朴な疑問に、ラクスは早口で熱弁を振るう。
「父に連れられて入ったライブイベントで、初めてあの方の歌声を聴いた時は、全身が震える位に感じ入りましたわ。バラードではいつの間にか涙が流れておりました。何より、長いライブイベントで、最初から最後の曲まで、歌声が決してブレずにいたのには、尊敬と憧れを抱きましたわ。いつかは、どこかのステージで共演したいと思っておりましたが、最初の大戦が始まって、情勢がステージライブどころではなくなってしまって」
「そ、そうなんだ…」
突然発動された、ラクスの「歌姫魂」に、キラは若干引き気味になる。
(そういえば、僕と出会う前のラクスは「プラントのアイドル」だったんだっけ)
今は静かにキラの側にいてくれるラクスが「歌姫」であった事実を、改めて思い出すキラであった。
「なんでも、コンパスへの感謝の気持ちを伝えたいとあの方が申し出て、今回のスペシャルライブが実現したとか。どのようなステージになるのか、楽しみですわ」
「僕も楽しめるかな」
「もちろんですわ!」
ライブを楽しみにするラクスの笑顔に、キラも笑顔になる。
次にホール入口の羅針盤前に現れたのは、オーブからやってきた、あの二人。もちろん、ライブグッズTシャツ姿だ。
「誰なんだ、この歌手は…私は、プラントの芸能事情に疎いから、よく分からないんだ」
コンパス本部での首脳特別会合という名目でプラントに呼ばれたカガリは、ホール入口でラクスの秘書・リオからもらった、タカノリに関するフルカラーチラシを見て、首を傾げる。
チラシの中のタカノリは、筋骨隆々とした肉体美で、マイクを喰らわんばかりに熱唱している。カガリには、肉体美を誇る彼が、歌手には見えなかったのだ。
「彼は本当に有名な歌手なのか、アスラン」
今回のアスランは、「アスハ代表の護衛」ではなく「オーブ軍のコンパス構成員」という名目でプラントを訪れている。故に、護衛らしくカガリから半歩引いた位置ではなく、ぴったりと寄り添っている。コンパスメンバーで二人の「関係」を知らない者の方が少ないため、隠す必要がないからとも言える。
「プラントを代表するロック歌手のひとりだ。ザフトのフェイスで、オレンジ色のグフを駆っていたハイネ・ヴェステンフルスの遠い親戚だというな」
アスランが洩らした言葉に、カガリは鋭く反応する。
「アスラン、言葉だけは知っていたが…ザフトのフェイスって何だ?」
「うっっ」
アスランの脳裏に、ザフトに復隊していた頃、カガリを傷つけてしまった痛い思い出がよみがえる。ライブの前だというのに、妙な冷や汗が出る。
しかし、自ら言い出したことから逃げる訳にもいかない。
「特務隊フェイス…今のオーブでの俺の立場のように、ザフトでもある程度の裁量が認められる立場…だと思っていたんだ、復隊したあの頃は」
カガリの表情が、曇る。
「あの…頃」
タカノリの話から、彼の遠い親戚のハイネの話に繋がり、そこからザフト特務隊フェイス時代の話になるのは、アスランにとっては予想外だった。
「上手くいけば、俺がザフトとオーブを繋ぐ存在になれるのではと思っていたこともあった」
「アスラン…」
アスランのザフト復隊の本当の意図を知ったカガリは、それ以上フェイスのことについて追及できなかった。
しかし、アスランのザフト復隊は、結果としてオーブに刃を向け、カガリを傷つけてしまうことになり、MSはキラに切り刻まれ、シンの増長で居場所を失い、最終的にはザフト脱走という形で終わってしまったので、アスランにとっての特務隊フェイスは、ある意味黒歴史に近い。
「…いや、これからライブで楽しむ時に、こんな話はよそう」
アスランは、それきり口を噤む。
「そ、そうだよな、聞いた私も悪かった」
カガリは、変な雰囲気を払うべく、必死に笑顔を作る。
「私は、立場上こういうライブになかなか参加する機会はないから、楽しみだな、楽しみだな」
「カガリも、きっと楽しめるさ」
「そうだといいな…」
次に羅針盤前に現れたのは、ライブTシャツに身を包んだ賑やかな三人。手首には、揃いのオレンジ色のリストバンドをしている。
「コンパス本部で、タカノリのライブを見られるなんて、信じられないわ!」
アグネスは、タカノリのフルカラーチラシを、重そうな「痛バッグ」にそそくさとしまう。パイロットスーツに合わせたラベンダー&ペールグリーンの「痛バッグ」の外装には、何処で集めたのか、タカノリのトレーディング缶バッジやアクリルコースターがいくつも入っている。
「ちょっとアグネス、バッグの中に何がそんなに入っているの」
「ルナマリアには見せてあげるわ」
アグネスは「痛バッグ」を開ける。バッグの中には、ペンライトが10本近く入っている。
「じゃーん!今日のために、ペンライトいろいろ持ってきたんだー。あんた達に分けてあげてもいいけどー?」
嬉々としてペンライトを見せびらかすアグネスに、ルナマリアはため息をつく。
「アグネス…タカノリ・ヴェステンフルスのワンマンライブは、基本的にペンライトとかの光り物は禁止のはずよ」
「えー」
「ほらほら、今日のフライヤーにも書いてある。演出上の都合だって」
ルナマリアは、手にしていたフルカラーチラシの注意事項をアグネスに見せる。
「そんなんで本当に『タカノリ推し』って言えるの、アグネス?」
「何よ、推し活は自由じゃない。あんたと違ってチンケな彼氏がいない私は、今は推し活に精を出してるのっ」
「ルールを守れないと、推しに迷惑かけるのも分からないの?それと、人の彼氏をチンケって何よ」
アグネスとルナマリアが微妙な雰囲気になってきたところに、フルカラーチラシを見た「チンケな彼氏」・シンが、割って入ってくる。
「ルナー、ヴェステンフルスって…ミネルバにいた、ハイネと関係があるのか?」
アグネスは、(うわ、ルナマリアにチンケな彼氏って言ったら、本人現れたわ…)と眉をひそめながら、そっと二人の側を離れる。
「遠い親戚で、声はそっくりだけれど、軍人ではないそうよ。ハイネとは身長もだいぶ違うし」
ハイネは、シンどころかアスランよりも長身であったが、タカノリの公称身長は、シンどころかルナマリアよりも小柄だという。
「でも、タカノリの存在感は身長以上で、筋骨隆々な肉体美と凄まじい歌声で人々を魅了する歌手よ。その知名度とカリスマ性故に、プラント最高評議会議員やザフト特別広報官の候補として名前が上がったことがあるけれども、『僕は一介の歌手に過ぎませんから、まだまだ歌い続けたいですから』と、政治や軍の世界に入るのを固辞し続けていたとか」
「そうかー」
タカノリの存在は、シンが家族を失ってプラントに上がり、ザフト士官学校に入った時に、同期のルナマリアやメイリンやアグネスの噂話で知っていて、動画配信で歌は何曲か聴いていたが、シンが生で歌声を聴くのは、今回が初めてだった。
「楽しみだなー」
「絶対、すごい迫力のライブよ!」
続けて、ムウやマリュー、ノイマンやハインライン、アーサーやコノエを始めとしたミレニアムクルーが、ライブグッズTシャツ姿で、羅針盤前から大ホールに吸い込まれてゆく。
「こういう形でこのホールが使われるのは、初めてじゃないかしら」
「音楽ライブなんて、久しぶりだな」
「若者が通うようなライブに、我々のような年寄りが招かれるなんて、コンパスに参加するまでは考えられませんでしたな」
それぞれの思いが、コンパス本部大ホールに集まる。