白昼夢夏の日差しから逃れるように木陰に座り込んだ魏無羨は、目の前に広がる蓮池を見渡していた。空の色を溶かし込んだように青く澄んだ水面の上で、濃く大きな緑の葉とその合間から天へ向かって伸びる薄紅色に染まった花弁が、ただ風に揺られていた。
時折いたずらに吹く風が、魏無羨の頬や黒一色の衣に寄り添うように流れる黒髪をくすぐるように撫でていく。
蓮花塢に帰ってからしばらく経った。
日が出ている間は自室で鬼道の術を思案し試すか、気の向くままふらりと外へ足を運び、思うままに動く。日が出ていない夜は相変わらずまともに眠ることはできていない。
この日はなぜか蓮池が見たくなり、屋敷を出てからどこにも立ち寄らず懐かしい場所への道を歩いた。
辿り着いた蓮池は、幼い頃に何度も師弟たちと訪れ知らぬところはないと思っていたあの場所だ。少年たちの喧騒が一瞬よみがえり、しかし現実はあのころと同じとは思えぬ静けさばかりが満ちている。
ただここにあるのは、木々の葉の擦れあう囁きのような音、水辺の生き物が水面を揺らす音ばかり。常に感じる事のない穏やかさがあった。
心地よさに誘われて、いつの間にか眠ってしまったらしい。
気怠さに身を委ねながらも傾いていた体を起こし、重い瞼をゆっくりと開いていく。
わずかに開いた視線の先に、白くたなびくものがある。
それは手を伸ばせば届きそうで、もし掴めたとして途端に手のひらからすりぬけてしまいそうな朧気な輪郭をしていた。
青と緑と薄紅の、その色の中心に一点の白が佇んでいる。眩いばかりの色。それは魏無羨の知った男の姿をしていた。
向けられる広い背。纏う白一色の衣。長く艶やかな黒髪は、吹いていく風に揺らされることもない。ただ白い綾だけがひらりひらりと風に舞う。
まるでそこだけが切り取られた一枚のうつくしい絵のようだ。と魏無羨は思った。
そして同時に、何者も触れてはならない。いや、触れることの許されないものだとも思った。
男と最後に会ったのはいつだったか。思い返せば、そうだ。
あの夜。
こちらへまっすぐに向けられた玻璃のような色の眼に浮かぶものが何か判別できないまま「帰ろう」と言った男に、身の内から溢れ抑えきれぬ怒りに支配されるまま拒絶の意思を込めて返した。魏無羨は確かに男と己の間に境界線を引いた。
最後に見えた男はどんな顔をしていただろう。
あの時は、目の前の獲物をどう裁くか、その激情ばかりが身の内に巣くって意思を持っていた。
境界線の向こうに去っていった男の、美しく整いすぎた顔にあったのは怒りなのか、それとも他の何かだったのか。己を嫌っているだろう雅生に生きる男がなぜここにいるのか。
いや、違う。あれは決してここに居るはずのない男だ。そう思うと、乱れ始めた胸のうちがすっと凪いでいった。
それでも名を呼べば、男の姿をした幻は振り返ってくれるだろうか。
「藍湛」と、魏無羨は男の名を呼んだ。