布団に願いを 短い秋が過ぎ去り、急な寒さが押しかけて来た日の夜だった。一番たちの暮らす元小料理屋の二階にも、二度目の冬がやってこようとしている。唸る風が建付けの悪い窓を揺らす。もうじき日付の変わるころで、寝支度とともに窓の灯りは消えていた。
狭い部屋のまん中には布団が一組敷かれている。もぞもぞと動くそこから、ナンバの声が聞こえてきた。
「おい一番、もっとこっち寄れ、隙間できてんだろ」
「いや、絶対、朝までにずれるだろ」
さっきから躍起になって布団を調整するナンバに、一番は心のまま思ったことを述べる。言葉とは裏腹に、柔らかな声色になったことには自分でも気がついていた。
じきに取り壊しになる予定のこの古びた住居に、突如として襲ってきた冷気は容赦がなかった。窓や壁からは冷気が降りそそぎ、冷蔵庫のなかに放り込まれた錯覚に陥ってしまう。どこからか吹いてくるすきま風に、旧型のエアコンの暖房は太刀打ちができなかった。
寝間着の前を合わせながら、このままでは寝付けないと言い出したのはナンバの方だった。秘策がある、と得意げに告げられた。経験上、こういう時のナンバは見ていて飽きない。だから一番はしばらく観察することにした。
ナンバはまず部屋の中央に布団を移動させた。窓からも壁からもできるだけ距離をとりたいようだ。そのまま眺めていると、二人分の敷布団を重ねだした。訳を訊ねてみると、「冷えは下から来るから」と返された。それからナンバは掛け布団を二枚、同じ要領で重ね、そこに潜りこんでしまった。そしてこちらを見てながらぽんぽんとねぐらを叩いている。要するに彼が編みだしたのは、一つの布団に入って暖を取るというシンプルな方法だった。
「思ったんだよ。結局、いちばんあったけえのは人肌だなって」
一番の真横に寝ころがり、ナンバは満足げに言った。入ったばかりの布団はまだ冷えている。肌にあたる布はところどころ冷たい。それでもぬくぬくと心地よさそうなナンバの様子を見ていると、こちらまで温まってくる気がした。自分より少し冷たいナンバの手が触れた感触がした。一番のほうを向いて、手足を温めているようだった。自然と頬がゆるんでいく。湯たんぽがわりにされるのも悪い気はしない。
「まだ十一月だろ、今から寒がって冬本番、どうすんだよ」
「本当になあ」
ごろごろと寝そべりながら言う。どうする、と言ったものの、別に一番も深刻に考えてはいない。それを分かっているのか、ナンバも適当に返事をよこしてきた。ゆるゆると会話は続いていく。こうして布団を重ねたのだって、対策という名の口実だ。要は、くっつきあっていたいのだ。その暗黙の了解がくすぐったくて、一番はこっそり身じろぎをした。
布団が温もっていくのをしばらく待つ間、何気なしに天井を見た。常夜灯がやわらかく部屋を照らしている。橙色の光が心を温めてくれる気がした。ぼんやりと眺めていると、こちらに顔を寄せて暖を取っていたナンバも仰向けに転がった。
「屋根があるだけで十分だと思ったのに、人間、欲が出てくるもんだよな」
また布団の位置を探りながら、ナンバがしみじみとした調子で言う。前の冬、初めてこの部屋に来たころの話をしているのだとわかった。ここで暮らすうちにすっかり寒さに弱くなった相棒を思うと、一番の胸には愛おしさが広がった。
「ホームレス生活で鍛えられたんじゃなかったのか?」
わざとからかうように言うと、ナンバは軽く笑い声を立てた。
「ああ、鈍っちまって、野良生活はもう無理かもなあ」
もうすっかり飼い猫だよ、と、くすくす笑いながら言葉が続く。気を許しきった言葉に照れたのは一番のほうだった。言った当人は一番の気も知らず、足で布団を掻いている。温かい部分を探そうとしているのか、やがて足をすり寄せて来た。
外でひと際強く風が吹き、轟くような音がした。また冷気が部屋に忍び込む。先ほどのからかいのお返しのように、今度はナンバがいたずらっぽく言った。
「お前こそなんとかしてくれよ、勇者だろ」
布団を首元のぎりぎりまで上げながら、寒さをなんとかしろと言ってくる。無茶な相談だ。
「わりいな、休業中なんだよ」
そう告げるとナンバは小さく笑った。望みどおり暖めようと、一番は腕を回した。その拍子に掛け布団がめくれ、暖まった空気が一気に部屋のなかに散っていった。
「バカ、さみいって」
叱るようにナンバが言う。寒いと言ったその手は布団を手繰らず、一番の背中に回された。二人の間の距離がなくなっていく。重なった体温が熱かった。熱を逃してしまわないよう、一番は布団を深くかぶった。二人一緒にすっかり頭まで潜ってしまう。すると足先がほんの少し出て、また叱られた。ぴったり抱き合ったまま、布団のなかでくすくす笑う合う。笑うと腕から振動が伝わった。とたんに、胸の奥が締め付けられるような気持ちがした。幸せで温かいのに、不思議な感覚だといつも思う。溢れる気持ちのままおやすみを告げた。
大きな湯たんぽと同衾しているからか、ナンバの寝つきは早かった。腕のなかで寝息を立て始めたのを確認して、一番は仰向けになった。また常夜灯のオレンジ色が目に映る。
——人間、欲が出てくるもんだよな。
寝る前のナンバの言葉を思い出して、一番は小さく笑った。本当にそうだった。隣で眠る体温を感じながら、朝も来ないでずっと二人でいられたらいいのにと願っている。ずいぶん欲ばりになったものだと思う。星の代わりに灯りに祈りかねない自分に呆れながら、一番は願い事を変えることにした。ひとまず、朝まで布団を掛けたままでいられますように。また叶いそうもないことを祈りながら、一番は目を瞑った。
◇
夜更けが少し過ぎたころ、一番は夢から目を覚ました。ほんの小さな物音が聞こえる気がしたからだった。体の側面にぴったりと熱を感じる。横を見ると、抱き枕の要領でナンバがくっついてきていた。布団は脱げてしまっている。寝返りの拍子に蹴とばしでもしたのだろう、寒そうに身を縮め呻いている。
目が覚めた原因に合点がいき、世話の焼ける相棒だと一番は苦笑した。肩まで布団をかけ直してやると、むにゃむにゃ言いながら脱力していった。胸に愛おしさが広がっていく。明日の朝、起きたらこの話をしようと思いながら、一番ももう一度眠りについた。
◇
もっと後、夜明けが近づいたころ、今度はナンバが目を覚ました。裸眼と暗さで見えづらいのか、きょろきょろとしている。しばらくしてやっと、隣で丸まる一番と、豪快に蹴とばされた掛け布団を見つけたらしい。一番は凍えたように、小さく縮こまっている。寂しい子供のような寝相だった。
布団を掛け直し、体が緩まっていくのを見届け、ナンバも再び布団に潜りこんだ。一番の少し冷えた手をとり、自分に抱きつかせるように添えさせる。窓の外は白み始めていた。夜明けまであともう少しだった。それを惜しむように、ナンバは隣の身体に腕を回した。
二人きりで眠る狭い家に、明け方の冷えた空気が忍び寄った。誰も見ていない部屋の真ん中、きちんと掛けられた布団の内側で、二つの熱が溶けあうように寄り添っていた。