花言葉七つ「……なんか、明らかに七つより多くねえか?」
「ついでに採ってきたんだよ。ちゃんと全部食えるから安心しろ」
青々とした野草を洗いながら、聞こえた答えに一番は胸を撫でおろした。二人のゆるやかな会話に混じり、火にかけた鍋の音と葉物を切る音が優しく響く。台所には米の柔らかな香りが広がってきていた。
年明けから一週間が経つよく冷えた夜のことだった。例年通りの約束で、この日はナンバが家を訪ねてくることになっている。いま二人は揃って台所に立ち、夕餉の支度を進めている。
一番が前に立つ流しの中には、名もわからない草や野菜が、とても二人前とは思えない量たっぷりと置かれている。七草がゆを作るためにとナンバが持参したものだ。一番は先ほど玄関先で出迎えたときのことを思い出した。ドアを開けて現れたナンバは、いっぱいに草が詰まった袋を手に下げていた。驚く一番の表情をどう捉えたのか、「大根のほかは全部摘んできたんだ」と得意げに告げながら。彼のそういう時の表情が一番は好きだった。
今はどんな顔をしているのか知りたくなって、隣に立つナンバのほうをそっと見る。もう粥の準備は済ませてしまったようで、今は一番の洗って切った食材を茹でたり炒めたりしている。その手元をじっと見ると、ナンバは短い箸で器用に料理をしていた。この家に菜箸はないので、棚にあった余りの箸を渡したのだ。渡したとき、ほんの一瞬だけナンバの表情が緩んだ気がしたのを思い出す。気にかかることでもあるのかと思ったが、すぐに料理に取りかかったのでそのまま何も聞かなかった。
泥のついた根っこを注意深く洗いながら、一番は意識を手もとに戻した。シンクにまだまだ浸かっている、ナンバの路上生活時代のフロンティア精神のたまもの——街のいたる所から採取した野草たちと、ベランダ菜園の産物を眺め、一番は口元を緩めた。やはりどう見ても、七草よりもずっと多い。ずいぶん張り切って持ってきたなと思うとともに、きっと自分の健康を心配しているのだと思い至ったからだった。むずがゆい気持ちをどう表すか迷っていると、ナンバが訝しげに訊ねてきた。
「なんだよ。にやにやして」
「いや、ありがたいと思ってよ。こんなに気遣ってもらって。それにちょうど、こういうもんが食べたいころだったし」
「そうかよ」
素直に感謝を口に出すと、世話焼きの恋人は素っ気なく目を反らした。わかりやすい照れ隠しすら心地が良くて、一番は言葉を続けた。
「本当だって。知ってるだろ。もう年末からずっと、ごちそう続きで……」
「言いすぎだろ。そんな豪勢なもんばっかじゃなかったって」
今度はナンバもおかしそうに笑う。それもそのはずだった。年越しから年明けまで仲間たちも含め、一番の誕生日祝いを兼ねて一緒にいたのだ。この頃の一番の食事は彼もよく知っているところだ。
「ま、健康祈願なのは本当だしな。お前も、倒れられちゃ困るだろ?」
ずいぶん素直になったナンバは、シンクの脇のボウルに話しかけながら言った。水の張られたそこには、ペットのナンシーが居心地良さそうに収まっている。粥を土鍋で炊く間、一時的に避難させているのだ。
「悪いな、もうしばらく借りるからな」
土鍋で暮らすきっかけになった張本人に話しかけられ、ナンシーは赤いハサミを振りながら不思議そうに首を傾げた。
◇
「さっき、健康祈願って言わなかったか?」
土鍋とおひたしと買ってきた総菜が並ぶ机には、ちゃっかり缶ビールも二つ置かれている。めでたい華やかな色合いの缶だ。年賀用に買っておいた残りだろう。わざとにやにやしながら健康との矛盾を訊ねてみると、ナンバは悪びれずに目配せしてきた。
「それはそれ、これはこれだろ。ほら、いただきます」
いただきます、と同時に缶を開ける音がする。笑いながら一番も手を合わせた。気安い乾杯の後、できたての粥をよそって一口掬う。溶け合ってとろとろになった米の粒がれんげの中で混ざりあっていた。口に含むと、優しい味わいと、野草の瑞々しい歯ざわりと、土手や野原の記憶のような風味が口いっぱいに広がっていく。一番は心の底からの感想を言った。
「……美味い」
「本当か? よかったよ」
「ああ、俺もよかった」
今年もこうして一緒に食べられて。本音の部分は粥と一緒に飲み込んでしまったけど、きっと互いに同じことを思っているだろうと思いながら二人で食卓を囲む。米よりもだいぶ多く入った野草たちがが優しく腹を満たしていった。
◇
「そういえば、懐かしいもんがあったんだよ」
食事をあらかた食べ終わり、ビールの二缶めを開けようかとしていた頃だった。ナンバが草を入れて持ってきた袋の底を漁り、何かを取り出しながら言う。手にはビニール袋で包まれた荷物があった。
「なんだ?」
「これ、大掃除してるときに出てきてさ」
大掃除、という言葉を意外に思いナンバを見やると、少し誇らしげな様子で笑い返してきた。俺だって掃除くらいする、と言いながら渡されたそれは、雑誌の束のようだった。
「これは……」
「覚えてるか? 俺らの家とかサバイバーで、よく読んでたろ」
渡された表紙にはよく見覚えがあった。赤い表紙に学生の持つ参考書のように題が書かれている。ギターの教本、解体の教本、漢気の教本——それらは昔、ナンバ達と初めて出会ったばかりのころ、ハローワークに行く前に読みふけっていた本たちだった。
「まだ種類あったと思うんだけど、今の家にあったのはこれだけでよ」
「よく取ってあったな。すっかり忘れてた」
懐かしさに浸りながら、一番は本をぱらぱらとめくった。もう今は使わないけれど、覚えのある技や知識が書かれている。忘れようのない冒険の思い出が蘇り、ページに捲る指先からもう戻らない日々の感触が伝わるようだった。一瞬だけ胸の奥に痛みに似た郷愁が広がっていく。ちくりと痛んだ瞬間の顔を見逃さなかったのか、隣のナンバが明るい調子で言葉を紡いだ。
「多分、引っ越すときにこっちの荷物に紛れたんだな。ほら、俺も武術の古本、読んでただろ?」
傘を持つふりをして『杖術』をやってみせるナンバに、一番は笑った。手元の本に目を落とす。彼にも頼んだジョブ名がいくつか見えた。この見よう見まねの杖術にも助けられたことを思い出す。けれどもいつだって一番の助けになってたのは、ナンバの心のこういう部分だと思う。そう実感すると、言いようのない気持ちが一番の胸に広がった。
「渡そうと思ったんだけど、遅くなっちまった。本当だよ、別に年明けすぎてから大掃除して見つけたわけじゃねえからな」
ばつが悪そうに言うナンバに一番は微笑む。引っ越しで荷物が紛れたという仮説が、今になってじわじわと嬉しくなっていく。共に過ごしたあの部屋を思い出しながら一番は答えた。
「疑ってねえって。……ありがとな、捨てないでいてくれて」
まっすぐ礼を伝える。真剣さが予想外だったのか、照れくさかったのか、ナンバはふっと目をそらしてしまった。別に、捨てやしないだろ、ゴミじゃないんだから、なんて小さく呟くのが聞こえる。その声をよそに一番は思い出の本を部屋の棚にしまった。自然と口角が上がっていく。
「なんだよ、にやにやして……」
少し前に聞いたのと同じ口ぶりで、ナンバが訝しげに訊ねてくる。うまく説明できるかどうか自信がなくて、一番は少しだけ考えた。古い教本を使っていた日々も、互いの持ち物が混ざるほど近くで暮していたことも、ナンバが荷物を捨てずにとっておいたことも、全てが地続きで幸せだと思ったのだ。
「いいや、なんでもねえよ。ビール、続き飲むか」
「……飲む」
言葉で説明しきってしまうのは難しいと思い、代わりに一番はこの幸せを続けることにした。すぐに素直に頷くナンバに、思わず笑いが漏れそうになる。こんな気持ちになれる人間なんて世界でそうそういないはずだ。その気持ちを噛みしめながら、空になった土鍋を運び、二缶目のビールを取りに行くべく一番は冷蔵庫へ向かっていった。
その背を追い、ナンバも空になった食器を下げ始める。ふとその視線が、菜箸代わりにしていた箸に向かう。ナンバは小さく笑った。何かを噛みしめるような表情だった。指先が懐かしそうに箸に触れる。そっか、こっちに紛れてたんだな。聞こえないくらいの声でそう呟くと、愛おしげに一番の背中を見た。それからすぐ、何事もなかったように片付けへと戻っていった。