Merman’s test garden 植物園で二人きりの茶会が催されてから数日が経った。十二月に入り、ウィンターホリデーを直前に控え、校内全域に開放的な雰囲気が漂う。NRCの学舎は一際喧騒に包まれていた。お昼休みのこと、食事を食べ終えたトレイが携帯を開くと一件のメッセージが入っていた。ジェイドからだった。曰く、
「親愛なるトレイさん、先日は興味深い"訳あり"を有難うございました。急な開催ではございましたが、僕の心づくしのおもてなし楽しんで頂けたでしょうか?
早速次回のお茶会のご予定をお知らせ致します。場所は本校運動場の観覧席、日時は12月初週の放課後であればいつでも。と言いたいところですが、ホリデー間近でお互い忙殺され、それどころではありませんよね……。
非常に残念ではありますが、休み明けにまたご一緒できればと思います。良いお返事をお待ちしております。
尚、我がモストロ・ラウンジではウィンターホリデーを待ちきれない生徒の皆さんに、特別なメニューをご用意しております。
宜しければ、ご友人とお誘い合わせの上是非いらっしゃって下さい。
追伸 アズールも最近ますます店舗運営に奮迅しており、上記の日程の段あながち間違いでもありません。というのも、当ラウンジでは冬季も運動部の皆さんの活動を幅広くサポートするため、スポーツドリンク・ホットドリンク等々ケータリングサービスの更なる拡充を目指しており、僕はこの寒空の下、上記の日程でコロシアムへ出向かねばならないのです……。僕は寒海育ちなのでこの程度の冷えは平気なんですけれど。」
トレイは文面を一読し、返事を送らずに画面を閉じた。さて、どうしたものか。神妙な顔をしていたのだろう。同席していたケイトが、明るく声をかける。大食堂の一角にぱっと花が咲く。
「あれ? トレイくん、難しい顔してるね」
「ちょっとな……」
「また何か頼まれごとされちゃった感じ? トレイくんって本当優しいよね〜。でも無理そうなら早めに断りなよ」
「そうだな」
とトレイは眉尻を下げる。気にかけてくれるが、無闇に立ち入らない。この距離感がトレイには心地よかった。人が増えてきたので、二人とも食器を片付け、早々に食堂を後にした。
所属しているクラスが異なるので、帰る教室は別なのだが、授業が開始するのにもう暫く間がある。普段より浮き足立ち、騒がしい廊下をホリデーの間何をするか、マジカメでどんな年明けの写真を更新したいかと雑談しながらケイトと二人で悠々と歩いていく。一学年進級すれば、この学舎に籍はおいてもインターンで学外へ出向くことが日常になる。こうして、学生服を着た、騒々たる生徒らに囲まれることもそのうち懐かしく思えるかもしれない、と言うと気が早いだろうか。言外に、二人の胸の内には、来年の今頃どのように過ごしているのだろうという将来への思いがある。
三年生の教室が並ぶ廊下に差し掛かる。自分の教室へ入りかけたトレイの肩を捕まえて、ケイトはウインクして言った。
「トレイくん、ちょい待ち。このけーくんに任せなさい!」
「何の話だ」
「何ってさっきトレイくん、面倒くさい案件抱えちゃった〜って顔してたよ? 食堂で」
「そういう訳じゃないんだが……」
「いいからいいから! オレの 十八番の占星術、してあげる。最近やってなかったでしょ?」
教室へ一旦荷物を置いて、トレイが流されるようにケイトの楽しげな足取りについていったのも、この高校生活は過ぎゆく流れの、景色の一つであると今を惜しむ気持ちが生じていたからかもしれない。
トレイは占いと言うものをあまり信用していなかったが、ことケイトの占星術に関しては別である。星読みは術者の積み重ねた経験、人々へ向けられる観察眼、そして占われる対象にどのような人生を歩んで欲しいかと発される警句を、要は術者の人柄を信じるか否かに成否が懸かっているが、霊感や第六感、精霊の囁きといった啓示を直感せずとも、または単純に占星術の腕前以前に、ケイトの読みなら信じてもいいとトレイは思っている。だが、口にしたことはなかった。
ケイトは自分の席に腰掛け、スマホを開きながら唸った。普段はタロットカードや水晶玉を使い、時には魔法で霧まで生じさせて神秘的な雰囲気作りに興じるケイトだったが、あくまで演出の一つと捉えているトレイの前では徐々にこざっぱりとした手順を踏むようになり、最近ではスマートフォン一つで済ますことも珍しくない。「トレイくんってロマンを分かってないよねー」と最初こそ唇を尖らせていたが、トレイの見る限りケイトは大して気にしていないようだ。ケイト曰く実のところもうその手の書籍は電子で揃えているらしい(可愛い占い用品は買うそうだが)。トレイは前の座席を手で引いて座り、しかつめらしく携帯と睨み合うケイトを見守っていた。額にかかったオレンジの髪が若々しく跳ねている。
「トレイくんのホロスコープは把握してるから、今は星の廻りとの相性がどうかっていうのを見ていくね。今はちょうど水星が逆行しててザ・カオス! って感じなのね。連絡やら通信がてんやわんやだよ〜って。そこにトレイくんがお持ちの蠍座! オーケー、なーるほど。なるほどねぇ」
「何かわかったか?」
ケイトの生き生きとした語りに耳を傾けながら、トレイは未来予測が当たるかどうかよりただこの光景が好ましいのかもしれないなと感じていた。
「控えめに言うとね、トレイくんやばいよ」
「何だって?」
癒しを感じ、ほっとしたのも束の間これである。
「秋頃からこれまでのツケを払わされてるな〜ってムードだったじゃん、よく言えば新風が吹き荒れて息がしやすくなる。覚えあるでしょ? ところがね」
ケイトはにんまり笑って、手のひらを上に向け、トレイに指を差し言った。「トレイくんはまた変化を迫られている。この冬から春にかけて大事な選択をすることになる」
「インターンのことかな」
「うーん、どうでしょう。人の縁って感じがするけどね。それでさっきのお悩みだけど……。そうねえ」
ケイトは眉間を揉みながら言った。
「おそらくトレイくんの悩みの本質はその頼み事自体ではないね。というか正直興味のない話。でも、それは今までのトレイくんなら、という話」
トレイはちょっと瞠目する。
「少し、相手の思惑とは全然関係なく、トレイくんにも何らかの考えがあって、ただそれを相手に開示していいものかどうか、悩んでいる」
黙ったままのトレイに向かってケイトは「いいんじゃない」とにっこり言い切った。
「トレイくんもまだまだ若いんだから」
「お前もだろ」と突っ込むトレイにあははとケイトは笑いながら続けた。
「それは置いといて。だから遠慮することないって。じゃなきゃね」
とケイトは突如表情を消して、
「トレイくん、死ぬよ」
「そりゃないだろう……」
ケイトの占星術が生徒間にも評判なのはこの飴と鞭、甘辛ミックスの緩急がついた、ジェットコースターに乗るようなアドバイスが癖になるからという声もあった。
「大丈夫! ラッキーアイテムがあれば万事解決……っとリリアちゃん、丁度良いところに」
「なんじゃ、呼んだか」
ケイトの視線につられてトレイが後ろを振り返ると、何の気配もなく濡れたような黒い髪にマゼンタのメッシュというビビッドなコントラストが目を引く中性的な美少年が立っていた。トレイは反射的に「うお」と声を上げる。
「リリアちゃん、トレイくんにね〜、ちょっと死相が見えてんの! 役立つ物とか持ってな〜い?」
「死相って……」
そこまでじゃないだろ、そうだよな? とトレイは正常性バイアスを疑い始める。
「まぁ、時読みは一つの暗示にかかる行為じゃからな。あまり強い言葉を使うのは感心せんが」
とトレイの顔を覗き込んだリリアは、眉を跳ね上げて、
「うわ、本当に出ておる!」
とのけぞった。その仕草が甚く演技がかっていたので、信じていいものかどうか、トレイは自分が玩具になったような気分で、半笑いになる。
「しかーし、このわし手ずから、不安的中大ピンチなトレイも急死に一生を得、八面六臂の大活躍、強敵を屠ること間違いなしのグッズを授けてしんぜよう。何が出るじゃろな」
とリリアが乱雑にポケットを漁ると、出てきたのは金属で出来た細い棒だった。
「何これ……ご、ヘアピン?」うっかりゴミと言いかけるケイト。
「今朝中庭を歩いておったらな、キラリと光るものを見つけたんじゃ。いや〜、我ながら譲るのは惜しい。しかしトレイの将来がかかっておるからな!」
はは……とトレイは力なく笑い、しょうがなく受け取る。右手を上に向けるとポトリと小さな棒が落とされ、冷ややかな肌触りが伝わる。
「よいよい。礼は。これから春まで肌身離さず身につけておくことじゃ」
「え〜〜、おかしいなー? けーくんの直感がピーンと来てたんだけどね?」
ケイトは納得いかないと言う風に目を瞑り、首を傾げている。
「勘なあ……」
「トレイよ、人の子の直感も馬鹿にはできんぞ? 不可侵の領域は確かにあるよ」
とリリアは深みのある声音で言う。クラスのざわつきが一瞬地平へ遠のくような気がした。予鈴が鳴り、平生の空気感に戻った教室から、去りゆくトレイの背中にリリアは小さく言った。「愛情とかな」
不思議そうな様子のケイトを認めて、リリアは愉し気に答える。
「な〜に。わしの経験談じゃ! そんなことより……」
とリリアの声音が真剣味を帯びる。
「占星術は術者と占われる者が共に星に照らされ、作り上げる儀。誰かの人生を映し出す眼は、占い師のものじゃ。術者の人生を媒介する限り、迷える子羊と占星術者の生、二者は切っても切り離せぬ鏡。つまりじゃな、おぬしの方こそ何か気に懸かる事があるのではないか?」
「心配してくれてありがとう、リリアちゃん。でも、そう言うんじゃなくてさ」
ケイトは一息置いて、「トレイくんともずっとこうして過ごせる訳じゃないからね。とか言って!」
言葉尻は軽薄だったが、ケイトの静かな眼差しは学園の熱気を離れ、窓外の遠くへ向かった。
一方、廊下を往くトレイは肩の荷が降りたような逆に増やしたような謎の安堵感が、校舎に漂う陽気な調子とない混ぜとなっており、それまで漠然とした未来に感じていた寂寥をすっかり忘れてしまっていた。自分の教室へ帰る途中、何気なく中庭を挟んだ向かう側にある、他のクラスの開け放たれた窓に目を遣ると、レオナがのんびりと欠伸をしている姿が見えた。
「言えることは今のうちに、ね。ま、たまに変なこと口走ったとしてもどうせ皆忘れちゃうからさ、あはは!」
とおちゃらけて笑うケイトに、
「そうかもしれん。じゃが、簡単には失われんよ、愛しい記憶というものは」
と慈愛を込めてリリアは言った。
ところ変わって、モストロ・ラウンジ営業時間後の某室にて。
「お前、やりすぎるなよ」
とアズールは、くったりと力が抜け、浜に打ち捨てられた海藻のようになってしまった他寮の学生と、彼に絞め技を喰らわせているフロイドに声を掛ける。一度膿を出し、意気揚々と新たな航路へ舵を切る我がラウンジの行き先を、腐った富栄養化で増殖した"海藻"が帯となって妨げている。
この所、各寮の有力者がオーバーブロットを起こすという事件がまるで何かに誘引されたかのように、連鎖的に発生しているが、それを格好の好機と捉え、下克上に挑む者、昔年の恨みを晴らす者の数が増加傾向にあった。
「僕としてはクリーンな運営に努め、皆さんの信頼に応えたいんですけれどね」
やれやれとアズールは肩を竦める。
「ダメだ、アズール。コイツ口割らねーわ」
「すみませんね、あまりお役に立てなくて」
とジェイドはしおらしく言うが、血気盛んな他寮生に飛びかかられ、まずその口を黙らせたのはジェイドの膂力であった。
ぺちぺちとフロイドが気を失った獣人の学生の頰をぺちぺちと叩いている。ジェイドのユニーク魔法、 かじりとる歯は情報戦において強力な封じ手であったが、フロイドに抱かれるようにして、床で寝ている彼には効かない。つまり、過去に一度用いたことがあるので、反抗的な態度に出られればそれに応じるしかない。前より多少アズールも、険のとれた交渉を行うようになったとはいえ、必要とあらば"謀"と"暴"、両方の手駒を使う他なかった。以前より一時的に手段こそ限られてしまっているが、逆境こそアズールの面目躍如。これまでより生き生きとサクセスストーリーを描き、励行するアズールの様が双子は痛快でならない。
さて、目下アズールには一つ懸念事項があった。アズールの見立てでは、海域を塞ぐ"海藻"たちの反抗は散発的なようでいてその実、彼らは共通して何らかの目的を持つのではないか、と。つまりは裏で手を引く者がいて、モストロ・ラウンジが擁する何らかの情報を求め、遠所からパラパラと礫を投げている。
「これは仮定の話ですが、万が一にもこの海藻共が、外部のアングラな組織と繋がっているとなると厄介ですね、退学者が出るかもしれません」
だからどうした? という風に顔を見合わせる双子に向かって、アズールは肩を竦め、かぶりを振った。わかってないですね、と。
「人が減ると市場が縮小して利益も減りますからね。当学園、編入は受け付けていますが、学生が減ったからと言って、新年度まで補充もありませんし……」
「アズール、全員が金袋に見えてんの?」
「何言ってるんですか、ただの金袋じゃありません。辺りを動き回って時にはダイマまでしてくれる素晴らしい金封ですよ」
「そういう身も蓋もない所好きですよ」
床に伸びていた悪童が意識を取り戻した。アズールはこの不穏分子を、頭から何の情報も与えられていない、言わば蜥蜴の切られた尾と判断して、"契約"を結び、一度帰らせた。その後、アズールはVIPルームで書類に目を通しながら言った。
「ともあれ、早々に尻尾を捕まえたいですね。"茶会"の件はどうなっている?」
豪奢な肘掛け椅子にやや体重を預け、アズールは傍らに立つジェイドを見遣った。後方でフロイドが書架を物色している。
「フロイド、読んだら元の場所に戻すんですよ」
「はぁい」
アズールはフロイドの手にした書籍のタイトルを記憶することにした。ここで言う茶会とは無論ジェイドが偶然トレイの臨席を賜った場。しかし、実際ジェイド一人きりの茶会はあれが初めてではなく、校内にきな臭いムードが漂う昨今、索敵の意味も兼ね前々からひっそりと行われていた。
「今のところ、これといって成果は挙げていませんね」
運動場で部活動を行う生徒は俄然身体能力の優れた生徒、或いは体力向上に関心を持つ傾向が高い。そこを買われてずる賢い大人に声を掛けられる人員も、過去にはいた。何かが仄見えるやも。
「そういえば、次回の視察は引き続きトレイさんもお越しになる手はずになっています」
アズールはへえと興趣をそそられたような顔をした。ジェイドとしても、トレイの返事に少し意表を突かれていた。誘いは断られるものと。アズールは訝るように顎に手を当てたが、考え直したようにゆったりと肘掛けに腕を置き、言う。
「彼はあまりこの手の話題には関心がないでしょうし、気取られることもないでしょう」
「そうですね」
すると、ジェイドの肩にフロイドが顎を乗せ、拗ねたように一言。
「オレもウミガメくんの作ったお菓子食いてぇ」
「おやおや、持ち帰りますよ」
「ぜってぇ嘘〜〜」
「お前に偵察は向きませんからね。相手方が何か仕掛けてくるかもわかりません。フロイドは暫く 哨戒を務めてください」
「ちぇっ。今度金魚ちゃんからひったくろ〜」
と口にしたそばからフロイドはそっちの方が面白そうと、ころころ笑っている。部屋中央のローテーブルに、フロイドが積み上げた本の塔を見てアズールは小さく首を振った。
「もし、お前が証拠をつかめたら、寮長である彼の耳にも入れなければならないでしょうね」
双子を見据え、アズールは吐息を漏らした。