三十分ライティング① お題 集団下校、数学、デッドスペース 祖母の一周忌が来た。つまりは、アルハイゼンが教令院に入学してから、一年が経ったということだ。
聡明だった祖母は晩年、認知症ぎみになり、アルハイゼンが介護し、そして亡くなり、この世から隠れてしまった。アルハイゼンは一人で葬儀の手続きをして、教令院に祖母の死去に関する手続きと、アルハイゼンの入学の手続きを済ませたのだった。
アルハイゼンの大好きな祖母は、アルハイゼンの育ての親でもあった。アルハイゼンがどれだけ平然としていても、祖母の死に何も思わないわけではない。今日は早めに家に帰り、祖母の喪に服そうと思っていた。
教令院は広い。人気のない場所だって、光の差さない暗い場所だってある。たまたまアルハイゼンは資料を探して、そんな人気のないデッドスペースに立ち寄っていた。人気がないことは基本的に悪いことだが、そんな場所を好ましく思う輩もいる。アルハイゼンに敵意を抱く学生だ。
アルハイゼンはいつも通り教令院の先輩に「生意気だ」と怒られ、「馬鹿にしやがって」と因縁をふっかけられても、どうでも良かった。興味がない。
アルハイゼンが因縁をふっかけてきた学生を無視していたら、学生から肩を掴まれた。無視して振りほどいたら、殴られた。どうでも良い。アルハイゼンは切れた唇から流れる血を、袖口で拭った。早く洗濯がしたい。血は早く洗わないと、しみになってしまう。
「何してるんだ、君達!」
叫び声がした。カーヴェの声だ。
カーヴェが細身の建材とランプを手に、アルハイゼンに駆け寄ってくる。カーヴェが細身に似合わない力強さで建材を振り回すものだから、アルハイゼンを殴った学生達は蜘蛛の子を散らすように、逃げ出していった。やはり、どうでも良い。
「大丈夫か、アルハイゼン。また、酷い目にあったな」
カーヴェの呼吸が荒い。大きな建材を振り回すなんて無茶をしたせいだ。アルハイゼンにとって、カーヴェもまたどうでも良い人物のひとりだった。お人好しなこの先輩は、アルハイゼンが他の同級生に絡まれていると、よく駆けつけてくれる。
ヒーローなどではない。アルハイゼンを見放す罪悪感に耐えられないだけだ。アルハイゼンは冷静に、カーヴェを評価していた。
カーヴェは手元から絆創膏を取り出すと、アルハイゼンの切れた唇の端に、絆創膏を貼って手当してくれた。
カーヴェが首を傾げた。
「アルハイゼン。何か悲しいことでもあったか」
「何故そう思う」
「いや、なんだか元気がないみたいだから」
「今日が祖母の一周忌だ」
「……そうだったのか。お悔やみを申し上げるよ」
アルハイゼンが淡々と語ると、カーヴェは沈痛を濃縮したみたいな顔つきで、アルハイゼンの祖母の死を悼んだ。
「何か、君の悲しみを紛らわせることができたら良いんだけど……。ああ、そうだ。アルハイゼン。好きな数字は?」
「好きな数字などない」
「なら思いついた数字で良い」
「七百五十」
「なら……。2×3×5×5×5か」
カーヴェは手にしていた建材を壁に立てかけると、建材を包んでいた紙を大きく広げた。カーヴェはフリーハンドで正確な図面を引いて、紙に穴を開けていく。
カーヴェは加工した紙を球になるよう折って、建材の上に被せた。カーヴェがランプを紙の真下に置く。
暗い室内。昏い天井。カーヴェがランプに明りを灯すと、天井に人工の星空が広がった。即席のプラネタリウムだ。
ランプの明りを浴びたカーヴェが、アルハイゼンに笑いかけてくれた。
「方位二百三十五度、高度五十五度の星空だ」
アルハイゼンが思いつきで言った数字を因数分解し、計算した数字をもとに、簡単なプラネタリウムを作ってくれたらしい。
――――なんて変な男だろう。
アルハイゼンは星見の趣味はない。そんな話をした覚えもない。
それでもカーヴェは、アルハイゼンに星を見せれば、アルハイゼンを慰められると思っているらしい。なんとまあ、ロマンチストなことだろうか。
それでも、アルハイゼンはつい、カーヴェをしげしげと見つめた。カーヴェの作った簡易プラネタリウムは、紙に穴を空けて、ランプで照らし出して作った物だ。アルハイゼンもその気になれば、計算して、同じ形状のものを作ることができるだろう。
だが数字から連想して、プラネタリウムを作るという発想は、アルハイゼンだけでは出ない。相手を慰めるために星空を見せるという発想も、アルハイゼンには出ない。
興味が引かれた。
カーヴェの語る美学、芸術性はアルハイゼンには分からない。缶詰知識を使えばカーヴェの記憶を覗き見ることはできるのかもしれないが、きっとそれだけでは味気ない。カーヴェが造り上げるもの、カーヴェが美しいと思う物を、アルハイゼンの目で見てみたくなった。
「一緒に帰らないか、カーヴェ。君と話がしてみたい」
「良いぞ」
アルハイゼンの瞳はよく磨かれた鏡のように、カーヴェの姿を捕らえていた。