Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    ysk_ota

    @ysk_ota

    @ysk_ota

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💃 💋 🍣 🍸
    POIPOI 39

    ysk_ota

    ☆quiet follow

    12/11に出したいカンボジアを旅する杉尾
    「きみおもへどもみえず」①
    ここまでは全年齢。次から成人向けになります。
    タイトルは李白の詞から。

    #杉尾
    sugio

    「きみおもへどもみえず」①「きみおもへどもみえず」

         一、

     昼休みの終わり際、年末休暇はギアナ高地でも行こうかなぁと考えていたら、尾形から電話がきて「カンボジアへ釣りに行かないか」と言われた。
     カンボジアといえばメコン川だ。チベットからベトナムまで、インドシナ半島を南北に貫く大きな大きな川で、多様な生物が多く住まい、豊かな流域では毎年何百もの新種の動植物が発見されている。
     そのメコン川が、中国の無茶なダム開発により流水量が激減し、汚染がかつてない速さで進んでいるという。尾形は海外の報道媒体やどこぞの偉い教授とも関わりがある。そいつらいわく、このままでは数年で生態系が崩壊するらしい。
     俺はただのサラリーマン、ただの遠征マニアだ。専門家の知り合いなんていない。そんな俺でも、この十年間に似たような科学的予言をいくつも聞いた。そして、現実となるのを目にしてきた。
     そのうち行こうと思っていたグレートバリアリーフがたった二年で半分以上白化したのは記憶に新しい。三年前はアラスカの山火事だ。温暖化の影響でいつまでも収まらず、森林が次々と発火した。火災が収まってすぐに旅行の予約を取ろうとしたら、州が同行を義務づけているガイドに「まだ危険だ」と断られた。生態系が乱れて熊の遭遇率が高いのかな、なんて思っていたら、予想外の事態になった。鎮火したはずの火が地中に残留し、数ヶ月後に突然燃え上がるゾンビ火災が頻発したのだ。おかげでユーコン川での釣行を諦め、尾形の仕事に付き合ってオーストラリアへ行くことになった。カヌーで川を下り、朝昼晩の糧を釣りで得て、オーロラを眺めて眠るはずが、セレブな寝台列車に乗って大陸を横断することになるなんて。あれはクソ退屈だった。ツアー代がタダでなければ途中で帰っていた。
     そしてまた、欲に塗れた人間の愚行により貴重な自然が失われようとしている。
     昼休みが終わり、周囲で電話の音が鳴り始めて、尾形は早口で続けた。
    「カンボジアの首都は南にある。そこからメコンを北上して、ラオスのパークセー空港から帰る。途中でトンレサップ湖にも寄る」
    「国境は? 陸路で越えられるのか」
    「ああ。国際バスがある。先にカンボジアでビザを取れば楽だ」
     週末までに返事をしろと続ける尾形に、「行く」と被せて電話を切った。
     俺が勤めているのはアウトドアブランドの日本支社だ。自社がプロデュースする製品の趣旨に沿い、社員のアウトドアスポーツ参加が推奨されている。そのため長期休暇が取りやすい。社則で年一回、一ヶ月の長期休暇申請が許されている。
     幸い前回の遠征から一年経過していたので、すぐに上長へ休暇願を提出した。会社は意識高めな顧客に向けて、自然愛護をテーマにした雑誌を刊行したりもしている。マーケティング部の同期に「メコン川の今を記録しておきたくない? 俺、ロケハンしてくるよ」と根回しもしておいたから、休暇はすぐに承認された。
     尾形が「水の流量を巡って中国政府と下流の猟師達が揉めている。いつ火が着くか分からん」と急かすので、乾期まっただ中の十二月に日本を発った。
     日本からカンボジアへの直行便はない。成田から出国したらどこかで乗り継なきゃならない。いつもどおり尾形にチケットを取らせたら、香港で十八時間も待機時間が出来た。俺一人なら冗談じゃねえと、多少金を払っても別の便を取るが、あいつはプライオリティパスを持っているから、あまり待ち時間を考慮しない。パスラウンジは飯もタダだし、シャワーもある。だがベッドはない。どんな上等なソファだって十八時間も座っているのは長すぎる。これが南米あたりだったら尾形のアホをトイレへ連れ込んで二、三発ヤっているところだが、香港国際空港はそんな場末じゃない。超一流ラウンジで俺は酒をかっくらい、へべれけで過ごした。尾形はソファに座り、ひたすら寝ていた。
     プノンペン国際空港へ降り立ったのは翌日の夕方だった。冷房の効いたロビーから一歩出たら突然熱気に包まれて、胃液がせり上がった。
    「ぐえぇ、あぢい」
    「三十度ある」
     尾形が高級ダイバーズウォッチを見て嬉しそうに笑う。俺も自分の安物を見た。摂氏三○.八度。二日前に出立した東京より十五度も気温が高い。カンボジアは熱帯モンスーン気候、一年中暑い南国だ。寒がりの尾形は「気温の変動がないから、慣れれば日本よりいい」と宣う。
    「たった三回遊びに来たくらいで、まるで自分のシマみたいに言う」
    「これで四度目だ。庭みたいなもんだろう」
    「よく言うぜ、新宿で迷子になるくせに」
     尾形は旅慣れている。アラスカから南米まで何十カ国も旅をしている。そのわりに日本の列車に慣れていない。自宅は茨城の水戸にあって、成田空港直通のバスが最寄り駅を通るから、電車に乗る必要がないのだそうだ。時々国内の釣り場を巡ったりもするが、全部自分の車かレンタカーだ。
    「東京の交通網はストイックすぎる」
    「まあ、十八時間も座禅してられる奴には合わねえよ」
    「文句言うなら次から自分で取れ」 
     尾形はグワッとあくびをすると、トゥクトゥクが溜まるロータリーの端へ向かって歩き出した。二人分のキャリーとロッドケースは置き去りだ。今回は釣りメインだから荷物が嵩張る。旅館なんて期待出来ない地域にも脚を伸ばすつもりなので、愛用のキャンプ道具も持って来た。
     俺はひどい二日酔いで自分のバックパックだって押しつけたいくらいだった。しかしへべれけすぎて、ここまでの手続きを尾形に任せっきりにしていたので、仕方なく二人分の荷物を引きずって後を追った。
     これまでタイとマレーシアに入ったことはあるが、インドシナ半島の中央部から南は未体験だ。カンボジアは地図で見ると三国に面している。東側はベトナムに、北の一部はラオスに、そして西と湾を挟んだ南をタイに覆われている。地理的には海辺も広いのに、タイの国境線が沿岸に深く食い込んでいて自前のビーチは少ない。島国で育った俺には他国に飲み込まれるような形に見える。カンボジア政府は閉鎖的で経済も貧しい。尾形にメコン川を餌にされるまで、訪れる気はなかった。
     尾形はこれで三度目らしい。杉元と違って服装も気候に合っているし、歩みに迷いがない。格安航空の硬いレストで妙な形に曲がった髪型も相俟って、あっという間に現地民に紛れてしまう。黒いタンクトップに胡散臭い花柄のシャツなんて着ていなきゃすぐ見失っていただろう。
     隣り合っているだけあって、カンボジアとタイは似ている。コンコースを歩いている時のフルーツとスパイスと魚醤が混じり合った匂いも似ているし、人の雰囲気もそうだ。ただしトゥクトゥクは俺が知っているものと違った。あっちじゃ屋根付きの三輪車に客席も運転席も乗っているものが多い。小型自動車みたいなかんじだ。カンボジアでは四人乗りの客席を原付で引きずる、より簡易なタイプが主流らしい。
     運転手達は客を待ち受けていた。十七八の若造もいれば、一家を背負っていそうな中年も、白髪の爺さんもいる。みんな、明るいペンキで塗りたくったボディの横で胸を張り、どこか自慢げだ。尾形は屋根の下に雨よけの幌を付けているトゥクトゥクを選んで、運転手の親父と値段交渉を始めた。
     ぽっちゃりした親父は尾形と、後ろに控える俺と荷物の山を見てニコニコと微笑み、聞き取りやすい英語で「五十ドルでいい」と言った。目的の宿まで十キロもない。一キロ五ドルはいくらなんでもやり過ぎだ。尾形は即座に「五ドル」と返した。日本のタクシーなら三千円くらいかかる距離を七百円て、どれだけ刻むつもりだ。こいつも大概だな。
     長引きそうな気配を感じて、俺は尾形の高いキャリーに腰かけた。
    「それじゃ赤字、破産だよ! 四十五!」
    「六ドル」
    「殺す気? 四十八!」
    「七ドル」
     二人は喧嘩のような素早いやりとりで距離を詰めるが、スタートが離れすぎているうえ、どちらも頑固なので中々埋まらない。親父の方が少し大きめに譲っているので、そのうち尾形が勝つだろう。
     海外旅行は好きだが、この値段交渉にはいつまでも慣れない。どれだけ貧しくなったって日本の円はまだ価値があるし、何より、俺と尾形が旅先で関わる商売人はどいつもこいつも貧しい。尾形が容赦なくやっつけようとしている親父だって着ている服と同じくらい歯がボロボロだし、膝が傷むようで軽くびっこを引いている。そんな連中とがなり合うくらいなら、多少ぼったくられたっていいじゃないかと思ってしまう。尾形には「お前は相手を見下している」と叱られる。言わんとしていることは分からないでもないが、遊びでお邪魔している俺たちが払える分を払って何の問題がある。日本の観光業だって価格設定で客をふるいにかけている。その中には原価に見合わない高値だってあるはずだ。
     この件について俺たちは平行線だ。もともと価値観が合うから連み始めたわけでもない。相互理解は諦め、値段交渉は尾形のやりたいようにさせている。
     交渉は二十五ドルで決着した。尾形は「二人、荷物、オーケー?」と親父に念押ししてから、俺に合図を寄越した。ヤマハのバイクにくっつけた客車に荷物を積み込み、尾形と尻を並べて座った。 
     親父は値段交渉中の難しい表情をはらりと脱ぎ捨て、バイクにまたがってエンジンを掛けた。片道三車線の立派な道路へ乗りだし、ギアを上げて加速する。
     知らない土地の空気を浴び、グロッキーだった頭が一気に覚めた。空が広く、太陽が燦々と降り注ぎ、排気ガスまみれの空気に泥が混じっている。常夏の国らしく鮮やかな街路樹が植えられ、その日陰に小さな商店が並んでいる。
     カンボジアはやはりタイと似ている。が、都市開発は三十年くらい遅れている気がする。多くの車両が行き交う道路にガードレールはなく、段差の低い、狭い歩道がある。標識は小さく、路面標示もほとんど消えている。タイの市街地は高速道路やバイパスが高架で複雑に絡み合っているが、こっちはひたすら平面だ。
     幹線道路脇に立つ看板は日本企業が多く目に付く。いすず、パナソニック、トヨタ。いずれも流線的で未来っぽいデザインだ。ときおり、渋い色に力強い漢字をあしらった中国企業の看板も混じる。立派な企業の足元を走る車やバイクは型が古く、泥だらけで、建物の密度も階層も低い。国民の経済状況は一目瞭然だ。
     全てが目新しい俺とは違い、四度目の尾形は慣れきっており、合皮のシートに頭を預けて居眠りを扱いている。シートベルトなんてないから今にも転がり落ちそうだ。俺がいるからって気を抜きすぎだろう。袖を掴んでこっちに引いてやると、目を閉じたまま肩によりかかった。
     俺は十八の頃から海外旅行を繰り返している。最初からただのツアー観光ではなかった。初めての遠征はブラジルの都市、サンパウロだった。バイト先の先輩に誘われ、ピーコックバスという怪魚を釣りに行った。
     流れる海のような広大なアマゾン川に小舟を浮かべて三日間、褐色の濁った水に釣り糸を垂らした。握りしめた竿を通して伝わる生き物の脈動。黄金に輝く巨大魚を釣り上げた時の興奮。十年経った今でも腰がぶるりと震える。
     しかもちょうどカーニバルの時期で、夜遊びも体験してしまった。世界中から集まった人々が踊り、笑い、怒鳴ったり泣いたりして、街は狂気の渦だった。俺は言葉も知らない相手と勢いだけのセックスをして、溺れるほど酒を飲み、道ばたで吐いている間に財布をスられた。
     物心付いた頃からずっと今の自分は本物じゃないという気持ちがあった。日本人、学生という身分を剥がれて、ようやく本当の自分になれた気がした。 
     学歴も職歴も貯金も将来もなにも意味がない。今、身一つで美しい太陽を浴びている。それが俺の全てだ……朝焼けの中、そう確信した。大使館で「酔っぱらって財布とパスポートを盗られました。戸籍を証明する書類もありません」と言って説教を食らってもその気持ちは揺らがなかった。たった数日間で、俺の人生は変わったのだ。ちなみに保険証をホテルに置いていたのでなんとか帰国できた。
     大学在学中はひたすらバイトと海外遠征を繰り返した。就職先もこのためだけに、金と休みを確保できる会社にした。釣りだけではなく、日本では認められていない危険なスポーツや、国境を跨ぐロングトレイル、狩猟、ダイビングもやる。俺の旅の目的は、豊かな自然と異文化でもみくちゃにされること。
     だが、尾形は違う。
     尾形はブロガーだ。日本語、英語、ロシア語のトリリンガルで、ハンドルネームも三つ以上もっている。自前のブログサイトに支払われる購読費と、他サイトや雑誌などから依頼されて写真を撮ったり記事を書いたりして生計を立てている。俺も季節休暇を使ってちょこちょこ海外に出ているが、一年の半分以上を国外で過ごしている。俺と違って、旅が仕事なのだ。
     人を枕にうだうだしている男を肘で突いた。
    「前の三回は仕事か?」
    「いや。一度目と二度目はキリングフィールドを巡りに」
    「ああ、髑髏が並んでるとこ」
     この国はほんの五十年前に施政者の手でめちゃくちゃにされた。独裁者が全国民を農奴にしようとしたらしい。あらゆる社会制度と施設が破壊され、それを支える人々が大勢処刑された。締め付けはエスカレートし、眼鏡をかけているだけで殺された人もいるそうだ。
     尾形はまどろんでいた目を開き、前を見つめて語った。
    「キリングフィールドの骨は標本じゃない。漂白していないから臭う。場所によっては血痕が残っているし、土が大量の血を吸って独特の有機臭がする。そういうのが国内に八十近くあってな。半年掛けて全部回った。雨期に入ると移動が厳しいから、一度帰ったんだ」
    「ふーん……車で?」
    「原付を借りた」
     半年も暮らしていたんじゃ、庭というのも納得だ。
     尾形は俺と同じような趣味で旅をしている変わり者だが、スポーツや文化交流以外に紛争や戦争などの跡地も好んで巡る。ダークツーリストってやつだ。何があったか知るだけなら、有名どころ二つ三つくらい回れば十分に思える。全部巡るなんて、何考えてるんだろう。
    「三回目は?」
    「地雷原見物と、銃を撃ちに」
    「ああ、いつものライフルね」
     尾形は銃が好きで、別の国でも度々撃ちに行く。
    「バズーカも撃った」
    「まじ?」
     体を起こした。尾形はガクンと背もたれに落ちて、俺を見上げた。
    「二百ドルで撃てるっていうから。……興味あるのか」
    「えー、うーん、合法なら、まあ」
    「国軍がやってるから、当然合法だ」
     国軍と聞いて血の気が引いた。
    「その銃、虐殺に使ったもんじゃねえの」
    「多分」
    「仕事か?」
     念のため確認した。尾形は察して、ただ首を横に振った。
    「信じられねえ……なんで……人を殺した銃だぞ? 髑髏の山見るだけじゃなくそんなの触って、お前、何考えてるんだよ」
    「……」
     隣に座っているだけで何かが移る気がして、思わず体を背けてしまった。尾形とぴったりくっついて知らぬ間に汗ばんでいた腰が、バタバタと風に煽られて冷えていく。
     トゥクトゥクは郊外から市街地に入った。だだっ広い畑ばかりだった幹線道路の脇に、ごみごみした商店や屋台が並び立ち、信号や道路標識で道がごちゃごちゃし始めた。尾形は少し気まずそうに、俺の横でトントンと指を鳴らしている。
    忌まわしい歴史を保存する重要性は分かっている。貧しい国が持てる物で金を得ようとするのも、理解はできる。だけど、よそ者の尾形がそれを一から十まで知ろうとする気持ちは分からない。今は白く輝くこの街中でも大勢が処刑されたのだろう。白いタイルの下、未舗装の泥が流血で染まる場面を想像すると吐きそうになる。その誰かを殺した銃の引き金を自分も引いてみようだなんて、俺はとても……本当に、どういう神経しているんだ。
     もうすぐ宿に着くし、無言でいるわけにもいかない。
    「……それで、今回はどうして一人じゃないんだ」
    「最初に言った通りだ」
    「でもお前『釣行なんて一人でやってられん』って言うじゃん。仕事?」
     依頼されて特定の魚を狙いにでもいくのかと思ったら、尾形はまた黙りこくってしまった。
    「え……もしかして、今回、俺のために組んだの?」
     尾形は答えない。背もたれにずるりと溶けたまま、街並みを眺めている。
    尾形と出会って今年で六年目になる。旅を始めてからは五年目。七度か八度の同行は全てどちらかの希望で行き先を決めて相手を誘う。スケジュールや財布の都合が合わなきゃ行かない。俺たちはそういう仲だ。セックスもするし、パスポートも命も預けられるが恋人でも親友でもない。こんな、相手が喜びそうな旅程を組むなんて思いもしなかった。
    「えー……そうなんだ……」
     さっき人でなしみたいな言い方をしてしまったから素直に喜んでやれない。失敗した。気まずくて照れくさくて、尾形の真似をして、客車のへりにもたれた。舞い上がった土埃が全部顔に当たる。最悪。
     国際空港から本日の宿まで、三十分も掛からなかった。平坦で牧歌的な下町に、近代的なコンクリートとガラスのビルディングが二、三本にょきっと映えている。日本の地方都市そっくりだ。
     尾形は運転手に料金を払い、俺は先に荷物と一緒に下りた。
     宿は尾形が前回も泊まったというゲストハウスだ。カンボジアの北西にあるトンレサップ湖から流れ込む同名の川と、メコン川が合流するほとりにある。気の良いおばちゃんに金を払い、暗くて狭い階段を上った。葛飾あたりにもありそうな雰囲気の木造アパートだ。
     大河を見下ろす部屋は閉め切られており、入った途端、サウナのようにじっとりと蒸した空気に押し返された。
    「あっっづ。まど、まど」
     ベッドに荷物を投げて腰窓に取りつくと、真っ先にトイレへ向かった尾形が怒鳴った。
    「壊すなよ!」
    「誰に言ってんだよ!」
     怒鳴り返して、窓枠に手を掛ける。予想通り、風化したペンキが粉になるような、傷んだ窓だった。欧州に比べれば日本も湿潤な国だが、東南アジアはその日じゃない。こういう水辺の、年季の入った安宿は備品が激しく痛んでいる場合があり、運が悪いと窓枠ごとすっぽ抜けたりする。
     白いペンキをペリペリ崩しながら、慎重に窓を開いた。川辺の湿った風が、街中の匂いを載せてさあと吹き込んだ。頬が一気に冷たくなる。
    「はあ……」
     俺が涼を得る横で、尾形は釣り用の防水靴から布製のデッキシューズに履き替えた。俺も貴重品をまとめ、小さなボディバッグに入れ替える。今日はここで一泊して、明日はビザを取ったらすぐ、トンレサップ湖へ出発だ。
     しばらく都会の飯が食えなくなるからと、俺たちは早々に街へ繰り出した。

    <2へつづく>
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺🙏💖💲⛎🎋ℹ🆔🇪💲⛎😊💘💖👏👏☺💕👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏☺💞✝🅰♑☮💲ℹ♏ℹ❣❣🌋💘☺👏👏👏👏👏👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    hisoku

    DOODLE作る料理がだいたい煮物系の尾形の話です。まだまだ序盤です。
    筑前煮 夜の台所はひんやりとする。ひんやりどころではないか。すうっと裸足の足の裏から初冬の寒さが身体の中に入り込んできて、ぬくもりと入れ換わるように足下から冷えていくのが解る。寒い。そう思った瞬間ぶわりと背中から腿に向かって鳥肌も立った。首も竦める。床のぎしぎしと小さく軋む音も心なしか寒そうに響く。
     賃貸借契約を結ぶにあたって暮らしたい部屋の条件の一つに、台所に据え付けの三口ガス焜炉があるということがどうしても譲れず、その結果、築年数の古い建物となり、部屋も二部屋あるうちの一部屋は畳敷きになった。少し昔の核家族向けを意識して作られた物件らしく、西南西向きでベランダと掃き出し窓があり、日中は明るいが、夏場には西日が入ってくる。奥の和室の方を寝室にしたので、ゆったりとしたベッドでの就寝も諦め、ちまちまと毎日布団を上げ下げして寝ている。また、リフォームはされているが、気密性もま新しい物件と比べるとやはり劣っていて、好くも悪くも部屋の中にいて季節の移ろいを感じることが出来た。ああ、嫌だ、冬が来た。寒いのは苦手だ。次の休日に部屋を冬仕様をしねえとと思う。炬燵を出すにはまだ早いか。洋間のリビングの敷物は冬物に替えとくか。気になるところは多々あれど住めば都とはいったもので、気に入って暮らしてはいて、越してきてもう三年目の冬になった。
    3423

    recommended works