祖父と孫と猫「なぁ、京太郎。おめぇもうすぐ十二歳の誕生日だろう?何か欲しい物はねぇのか?」
祖父が三時のおやつに、と近所で買ってきたであろうどら焼きとお茶の注がれた湯呑みをテーブルに並べながらそんなことを言ってきた。
「………………別に、要らないよ」
本心だ。
欲しいものがない……というか、分からない。今流行りのゲームだとか、漫画だとか。それらを適当に言っておけばいいのだろうが、如何せん興味が無い。興味の無い物を渡されたところで大事になど出来るとは思えないし、何よりじいちゃんに失礼だと思った。
「……………………そうかい」
くるりと背を向けた祖父。少しだけその背中が寂しそうに見えた。
途端に己の中に罪悪感が募る。
「……ごめん、じいちゃん」
謝罪を述べた。祖父を悲しませてしまったことへ。
「…………京太郎が謝ることじゃねぇさ。さ、おやつにしよう。どら焼き、まだあるからな。たんと食べろよ。お前は体が大きいからなぁ、ご飯だけじゃ足りないだろう」
そう言ってにこにことこちらにおやつを差し出す祖父。
「……うん、ありがとう。いただきます」
ぱくりとどら焼きを頬張った。口に広がる甘さに頬が少しだけ緩むのを感じる。いや、おやつの甘さだけじゃない。祖父と過ごすこの時間が好きなのだ。
ふ、と少しだけ笑みを零し祖父を見ると、祖父もまたあたたかな笑みでこちらを見ていた。
「……ねぇ、じいちゃん」
「なんだ?京太郎」
「じいちゃんが今まで一番、心から欲しがったものって……なに?」
純粋な疑問だった。自分には持ち得ない感情を知りたくなった。
自分より長く、濃く生きている祖父ならきっと知っている。
「そうだなぁ……うーん」
うんうんと唸る祖父。
もしかして、じいちゃんも分からないのかな?なんて思っていたら「あ!」と声が響いた。
「ばあさんだ」
「ばあちゃん?」
「そう、ばあさん。オレはばあさんに一目惚れでなぁ、特にあの綺麗な絹のような髪の毛。女神様か何かだと思って腰抜かしたんだ。もうこの人しかいない!と思って猛アタックしたもんよ」
「………………ふぅん」
やっぱりよく分からない。途端に興味が薄れ、目の前のおやつに夢中になる。
「……京太郎も、いつか分かるといいなぁ」
わしわしと頭を撫でられる。せっかくばあちゃんに梳かしてもらった髪の毛がぐちゃぐちゃになってしまった。
「……やめてよ、ガキじゃないんだから」
「はっはっはっ!何言ってんだおめぇ、まだまだガキだろうが」
ぺしんと頭を叩かれた。むぅ、としていると「ほら、そういうとこがガキなんだよ」と揶揄われる。
「さ、じいちゃんそろそろ盆栽の手入れしてくる。京太郎も庭来るか?」
「ううん、まだ宿題終わらせてないから部屋戻る」
「そうかい、しっかりやれよ」
「うん」
庭へ向かう祖父を見送って自身も部屋に戻ろうと席を立つ。
ふと先の会話が頭に過ぎった。
欲しいもの……じいちゃんは心の底からばあちゃんを欲したらしい。
傍に置いておきたい、大事にしたいと思ったのか。
「…………オレにもできるかな」
欲しいものが一つも思い浮かばないオレに。
少しだけ立ち尽くし考え込む。考えたところで答えなど出ないのだが。
じいちゃんが何か忘れ物でもしたのだろう、戻ってくる気配がした。遠くできしりと音を立てた廊下に急かされ、オレは逃げるように自室へ飛び込んだ。
「…………で、何で急にお前の家に行くことになってんだ?おい、杉下……無視すんな」
目の前の白黒頭がシャーシャーと鳴いている。
「…………お前、来たいって言ってただろうが」
「いや、だからってこんな急に?」
うるさいな、別にいつ来たって同じだろうが。そんな意味を込めてジロリと睨む。
「はぁ…………じいちゃんがさ、会いたがってんだよ。お前に」
「オレに?なんで?」
「…………さあ?」
「お前も知らねぇのかよ……」
正確には知っている。だが、コイツに伝えてやるつもりはない。
「ほら、着いたぞ」
がらりと引き戸を開ける。隣にいる桜はそわそわとして忙しない。
すると奥から「あぁ、京太郎。おかえり、早かったなあ」と声が聞こえた。
「じいちゃん、ただいま。桜連れて来たよ、じいちゃん会いたがってただろ」
奥からゆっくりとこちらに向かってくる老人に声を掛ける杉下。そんな杉下を見て桜は「こいつも、こんな穏やかな声で喋れるんだな」なんて場違いなことを思ってしまった。
そんなズレた感心を覚えていると、いつの間にか目の前に来ていた老人に声をかけられた。
「あぁ、君が桜くんかい!いつも京太郎から話は聞いているよ」
「やめろじいちゃん、余計なこと言うなよ」
「本当のことだろう、意地張ってんじゃあねぇよ。ごめんね桜くん、うちの孫いつもこんなんで。いやいや、本当よく来てくれた」
そう言って手を摩られる。
こちらも挨拶しなくては、とは思ったが最初に抱いた疑問を投げかけずにはいられなかった。
「いつも……オレのこと話してるのか?」
目をぱちぱちさせながら問いかけた。いやまさか、杉下がそんな……とは思うものの、期待する胸の鼓動は止められない。
「え?ああ、そうだよ。京太郎なぁ、いつも夕飯の時に桜くんのこと教えてくれるんだ」
「おいやめろ」
「見た目は猫みたいだとか、動きは猿みたいだとか、ちょっと小馬鹿にした言い方はするんだけどよ、愛おしさがちっとも隠しきれてねぇのよ」
「やめろ」
「じいちゃんなぁ、よっぽどその人のこと好きなのか?って聞いたことあってよ。そん時京太郎なんて答えたと思う?」
「や、やめ」
「うん、オレの大事な人。連れてくるから。だってよ!もうじいちゃん嬉しくてなぁ、涙出ちまってよぉ。いやまさか今日連れてくるとは思わなんだ」
「やめろっつってんだろ!」
杉下の絶叫が廊下に響き渡る。
ふぅ、ふぅと息を荒らげながら横をちらりと見やると顔を真っ赤にして汗を流す桜と目が合った。
「……………………忘れろ」
「……………………無理だろ」
お互い目を逸らしながらそんなやり取りをする。まるで長時間太陽の下にいた時のような、そんな錯覚を覚えるほどに暑い。特に頬が。
「ああ、こんなところで立ち話させてすまねぇな。ほらほら上がって。今お茶準備するから。京太郎、部屋案内してやんな」
いそいそと奥へ行ってしまった。
桜は火照った頬を冷まそうとパタパタと手で扇ぎ杉下を見やる。
「………………んだよ」
「…………杉下、オレのこと……大事?」
んぐっという音が杉下の喉から漏れ出た。そんな様子にくつくつと笑っていると胸ぐらを捕まれ無理やり距離を縮められる。
「あ?んだよ、お前の家でまで喧嘩する趣味はねーぞ」
「…………に、き………………だろ」
「あ?んだって?」
ボソボソとよく聞き取れない。耳に手を当てて聞き返す。
「だ、…………きま、……っ」
「あぁ?もっとはっきり喋れよお前」
「だからっ!大事に決まってんだろうが!!!!」
キィィンと耳鳴りがするほどの大声。耳鳴りが止む頃に、その言葉を頭の中で反芻させた桜はまたしてもボンッと音がするくらいの赤面をかました。
そんな桜の様子を見て機嫌が直ったのか、杉下は得意気に額に唇を落として「顔、真っ赤だな」と鼻を鳴らした。
「だだだ、誰のせいで……!」
「ん?うん、オレのせい」
また軽く額にキスをされる。吹っ切れたのか、いつにも増して甘さ溢れる杉下に桜はどぎまぎするしかない。
「もう……何なのお前ぇ……やめろよな…………」
「あ?…………やめねぇよ。だってようやく見つけたモンだし」
「……?」
「いや、こっちの話」
そう言ってスタスタと廊下を歩いていく杉下。後ろを追いかけ、斜め後ろからその顔を除くといつもより少しだけ、ほんの少しだけ綻んだ表情が見えた。
茶の間に着くと緑茶の香りが出迎えてくれた。杉下に「好きなとこ座れ」と言われ、なんとなく杉下の左隣に座る。
「京太郎、桜くん。お茶の準備出来たぞ。お茶菓子、どら焼きで良かったかい?桜くん食べられるか?」
「あ、おう、いや、はい。食べれる……です」
「日本語危ういぞ、お前」
「うるせぇな」
「はっはっはっ!いいぞいいぞ、いつも通りで。さ、ほら。おやつにしよう。じいちゃんに、お前たちの話を聞かせてくれねぇか?」
穏やかな午後三時。杉下家に春色がやってきた日。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ小突き合いながらも、やはりお互い幸せを包み隠せない二人を眺めては、祖父は自身の目尻の皺を更に深くするのであった。