推しの兄「待て、俺すげぇ嫌な予感がする。居るだろ、奴が」
液晶画面の向こうで私の推しこと、風鈴所属「destiny」の青色担当杉下京太郎は夜色の長髪をくしゃりと掴み、顔をギュッと顰めた。
『は〜〜〜〜?顰めた顔すら可愛いのかお前は〜〜〜〜?知ってたが……』
『あたしゃすおがさくぴの隣で運命面して立ってんのが大好物なんだ』
『なんの予感がしたんだい……?』
『にれくゆのキョト顔可愛すぎ愛』
私は濡れた髪を拭くのもそこそこにスマホで実況用の掲示板を開く。そしてスイスイと文字を打ち込むと、ポンとTLに放流される。
『奴……とは……?』
私はわりと最近駅の広告で杉下京太郎と目が合ってから「destiny」を追っているので、推しの言う“奴”に心当たりがなかった。苦手な芸能界での知人などがいるのだろうか?口下手な彼のことだ、一人二人いたとしても変じゃない。私がそう頭を捻っていると次々とTLは更新されていく。
『お?新規か?囲め!』
『大丈夫、怖くないよ、ちょっと言動と顔と雰囲気と性格が怖いだけだから』
『全部じゃねえかwww』
『治安最悪な世界線の杉っち』
『杉ちゃんの双子のお兄ちゃん知らない?多分彼のことよ』
『たおはな良かった……』
お兄ちゃん。
推しの、双子のお兄ちゃん。
嗚呼推しよ、君が口下手でSNSなんかに明るくないのは知っているが、そういうの声を大にして言ってくれ……供給が非常に助かる。推しが弟であるという情報でしばらく生きていける。
スマホを机に置き、ははあ、とひれ伏していると、液晶画面の向こうでまた動きがあった。
「お前ほんとアイツ苦手な」
「え〜桜君ゲスト知ってるの?」
「あー…まあ、ちょっとな…面白え奴だよ」
「わあ、ドキドキですね!じゃあちょっと呼んでみましょうか!」
「呼ばんでいい。帰らせろ。聴いてるよな?帰れ」
いつもスンとした顔でクールに不動のセンター緑担当桜の後ろで壁のように黙って立っている彼がこんなにも喋るのが正直言ってありがたかった。私はまだ見ぬ彼の兄へ感謝をする。ありがとう杉下兄、ぶっちゃけ兄弟仲心配なくらい嫌われてそうだけどそれはそれ。
推しは液晶画面の向こうで必死にゲストを呼ばせまいと抵抗していたが、進行の黄色担当楡井が桜さ〜〜ん!と助けを求めると、桜や赤色担当蘇枋がもちゃもちゃと杉下に群がる。
「観念しろ〜取って食われはしねえんだから」
「はいはい、進まないからね。にれくんお願い」
「はい!では呼んでみましょう!どうぞ!」
「やめろ〜〜来んな〜〜奴は食うんだよ」
寡黙な推しがここまで拒絶する兄が逆に気になってきた。私はテレビの音量をほんの少しだけ上げる。
最初、幽霊が映っているのかと思った。ゲスト用の明るい照明の下からゆらりと現れた杉下と同じ色の髪を垂らしたこれまた同じくらいの身長の大男が、くらい目で顔を引き攣らせるように笑う。背筋に冷たいものが走った。なんだコイツ。地上波で映っていい人間なのか?と困惑するお茶の間をよそに、大男は口を開く。
「はあい♡京ちゃん、来ちゃった♡」
「帰れやクソ兄貴」
「オイ、お兄様に向かってなんだその態度は。……怒った顔も可愛いな、やっぱそのままでいいよ」
「本当に嫌い、マジで」
「さくちゃん〜〜!京太郎が嫌いって言った〜〜!」
「な?面白え奴だろ?」
「思ったよりパワフルだなぁ」
「あはは、さあ今日のゲストは人気急上昇中演技派俳優『ミヤコ』さんです!杉下さんの双子のお兄さまとか?ちょっとメモして良いですか?あ、簡単な紹介Vがあるそうです!ちょっと見てみましょう、どうぞ!」
『はい、はじめさん。アンタが言うなら』
『てめえは“はい、やめます”で良いんだよ』
『今からお前を打ちます。頑張ってね』
『俺アンタがいなきゃ息もできない』
『アンタの人生めちゃくちゃにしたい』
〈通称『たおはな』でお馴染み『手折った花の名をきみは覚えているか』でヤクザに飼われ普通の好きがわからない、愛するひとを傷付けることしかできないことに苦悩する主人公『キョウ』をその圧倒的な演技力で演じ切った人気急上昇中演技派俳優『ミヤコ』、暴力的で破滅的なお互いを傷付け合う二人の恋の行末には衝撃の展開が!?〉
あ、これこの間映画館で予告見たやつだ、と頭の中で情報がヒットした。レーティングがクソ高いやつじゃなかったっけ……血塗れで顔を歪ませながら育った環境故に殺意にしかならなかった愛を叫ぶ男が印象的で、はて?どこかで見たような……?と思っていたのだがまさか推しの兄であったとは。助かる。
私が両の手のひらを合わせて祈っている間にVTRがあけて、『ミヤコ』は杉下の隣にしっかりとにこにこと微笑みながら座っていた。
「おお〜!俺この前これ観ましたよ!ちょっとグロいんですけど、なんか悲しくて……!」
「わ〜ありがとう〜これね、しばらく役抜けなかったんだよなあ……悲しい奴なんだよ『キョウ』はさ、『はる』のこと大好きなのにさ、キスしたいのに噛みついちゃうんだよな……京ちゃんみたいだよな、俺のこと実は大好きなのに素直になれない」
「みて、鳥肌立った。コイツを俺らの隣に置かないでくれない?てか帰って?誰が呼んだのホントに」
「おーいお兄ちゃん悲しいぞ、良いのか。お前と同じ顔で泣き喚くぞ」
「ごめんお兄さんちょっとそれはやめて、杉下君クールキャラだからさ」
「お前ほんとコイツ苦手な……普通に一緒に出掛けたりするくせに」
「目的地一緒なんだもんよ……ほんとやだ……ちょっと抱きしめさせて……むり……」
「良いぞ♡どんと来い♡」
「てめえじゃねえ」
私は推しの供給過多で瀕死だった。一生分喋っているのではなかろうか。桜を抱き込んで精神安定を図る推しに他運命たちがずるいずるいと群がる様が尊くて涙が出てくる。これを彫像にしてルーブルに貯蔵しよう……
「ずるい!!俺お兄ちゃんなのに!!」
「数分の差だろうが!!帰れ!!」
ついに推しが吠える。意図的に見ようとしなかった兄をグワッと振り返ると、その勢いを殺すように『ミヤコ』は杉下の顎をガシリと掴む。にこにこと笑っていた顔からスウ、と笑みが消え真っ黒い目が細められた。
「やっとこっち向いたな、京太郎。お兄ちゃん嬉しいよ」
ゾワリ、と背筋が凍る。アイドルの顔をそんなに強く掴むなとか言いたいことはいっぱいあるのだが、まずは本当に地上波で映っていい人間かどうかを教えて欲しかった。『役が抜けてない』から?それとも元々?俄然興味が出て来た。推せるかも知らん。
『ミヤコくんのインスタ時々杉下くん出没するよ。隠し撮りばっかだけど。杉下くん推し助かるんちゃう?あの子SNSほとんど動かんじゃろ』
『そもそも同じ顔定期』
『ミヤコくんの隈ってあれメイクでしょ?寝起きとか見分けつかなさそう』
『ばっか、おめえ目が死んでる方がミヤコくんで輝いてる方が京太郎くんよ』
私はすぐさま掲示板を開いていたタブを最小化してインスタのアプリを起動させる。検索窓に『ミヤコ』と入力すると推しと同じ顔のアイコンが出て来た。スルスルとスクロールして行くと、『寝起きドッキリ〜笑』の文言と共に予告なしに推しの寝顔を喰らったので、世界の全てとミヤコくんに感謝しながらそっとフォローボタンを押す。ありがとう、助かります。