6畳半のロクデナシ 1話オベロン・ヴォーティガーンは金回りが良いが、とにかく身につく金が無い男だった。
父親は名だたる脚本家か、それとも政界へも顔が効く弁論家か。母親は男に節操がなかったけれど色香のあるいい女だったので、薄汚い金は幼少の頃より流れてきた。
しかしマァそんな家庭環境だったオベロンが健全に育つわけがない。母親に似て顔が良く、口も回ったから、母と同業の姐さん達には可愛がられてきたけれど。
刹那的な生き方しか知らなかったので、ある日オベロンは、手を出してはいけない女に手を出した。
それはヤのつく職業の情婦だった。オベロンは彼女の家で、気ままなヒモ生活をしていたのである。
湯水のように組織の金を使っていたところ、それが相手の男にバレて、追われた。ゆえにオベロンはとりあえず、なんとか金を工面して女を海外へ逃した(一応それぐらいの情はあったのである)。しかしそのせいで逃げ遅れたオベロンはヤクザに捕まり、男どもにタコ殴りにされて廃工場に転がされた。
このままドラム缶にコンクリートごと詰められて東京湾に沈められるのかしら、と思った時、偉いさんがやってきて、「待て」と声をかけた。
「そこまでボッコボコに殴られてもマァ、いい男じゃないの。えー、何このイケメン。これは海に沈めて魚の餌にするより有効利用すべきですぞ!」
オベロンは2mを超える大男を見て、何だこのキモいおっさん。と内心思った。
男の名前はエドワード・ティーチといった。
のちにオベロンは、藤丸立香とともに真っ当な世界で生きるために、このティーチに向かって土下座をして助力を乞うことになるのだが、彼はまだそれを知らない。
ティーチはオベロンを見てニコォ……と凄みのある笑顔を浮かべると、地面に契約書を落とした。
「今すぐ死ぬか、名前を書くか、どちらかを選べ」
オベロンは契約書に目を走らせた。そこにはオベロンと女が使った組織の金の額と、返済を誓う文章が明記されていた。しかしその文章、嫌に空白が多い。つまり後で好き勝手に記入できるということだ。
ヤバい契約書だ。しかしそれを指摘したら殺される。拒否しても殺される。オベロンが赦されことは、大人しく名前を書く事だけだった。
右手は変な方向に曲がっていたので、左手で名前を書いた。オベロン・ヴォーティガーン。自分の悪運もここで尽きたってワケね。さてさて、一体どこへ売り飛ばされるやら。
ティーチはオベロンの名前がちゃんと書かれているか確かめるためにしげしげと契約書を見つめて、それから虫の息のオベロンを見下ろし、ニヤァ、と恐ろしい笑顔を浮かべた。
「まぁ心配しなさんな。その体を使ってアコギな金儲けをさせてもらうだけだからァ。なんたって拙者、オベロン氏のカカ様にお世話になってる身なんでェ。しっかりご奉仕してもらって嘆願されたから、息子の命ぐらいは助けてやりますよっと」
なんだよコイツ、母親の客なワケ、とオベロンはげぇと思った。っていうか本当に吐いた。先程腹を思い切り蹴られていたので、血も混じっていた。
急速に意識が遠ざかっていく。ティーチの「運べ」というドスの効いた声を最後に、オベロンは気を失った。
□■□
次に目を覚ました時、オベロンは誰かに手当てされていた。殴られて高熱を出していたので、冷たいタオルで顔を拭われるのが心地よい。
「誰だ……?」
見覚えのない女だった。
顔は可愛いけれどオベロンの好みではなかったので、多分オベロンが連れ込んだ女ではない。
「私の名前は藤丸立香」
と立香は言った。
「ティーチさんに頼まれて、オベロンのお世話をすることになったの」
「ふーん」
「大丈夫?どこか痛いところはない?」
「君、馬鹿なのか?全身が痛いに決まってるだろう。俺の右手、まだついてるよな?」
「安心して、全治3ヶ月だって。それにそこまで元気に言い返せるなら、大丈夫だね」
オベロンは気を失う前のことを懸命に思い返していた。
美女とのヒモ生活を楽しんでいたら、その女がヤクザの情人で、組織の金を使い込んでしまって、金を返せと襲われた。とりあえず女は逃したけれどオベロンは捕まって、何かの契約書を書かされた……。
「あー、っと。申し訳ないけど立香ちゃん、だっけ?僕は今、自分の状況があまり分かっていない。申し訳ないけれど、どんな立場に僕が置かれているか、教えてくれるかな」
「とにかくオベロンには、怪我の治癒に専念してもらう。特に顔の腫れをどうにかしてもらわないとダメみたい。オベロンはアイドルになるから」
「へ?」
「アイドルとして売り出すって、ティーチさんが。私はオベロンの付き人兼、お世話がかり」
「はあ?」
その日から、オベロンの人生が変わった。
刹那的に、その場を濁して生きてきたオベロンが、その進退を考えながら生きねばならなくなった。
そしてまた、藤丸立香という、善人なのにヤクザの世話にならなければならない境遇にいる少女を愛し、愛されて、彼女と一緒に真っ当な生き方をしようともがき苦しむようになる。
その未来をまだ、2人は知らなかった。
□■□
さて、改めて立香から事情を聞くことで、オベロンは以下のことを知った。
エドワード・ティーチの属する組織はアイドル業を斡旋している会社を傘下に置いている。この度オベロンはそこでアイドルデビューをして活動することで、使い込んだ金を返済させていくことが求められている。
もしオベロンが逃げようとしたり、アイドルとして日の目を見ないようなら、ゲイビデオに出演させられるか、臓器を売らなければならなくなるらしい。
オベロンは、芸能界を目指して上京してきたのに、結局は娼婦に身を堕としていく姐さんたちを腐るほど見てきたので、多分自分はゲイビデオ行きだな、と思った。
男とヤッたことはない。だが尻は大切にしたいから、ゲイビデオに出演するならタチ役でお願いします、と言ったのだが「ネコ役しかダメみたい」と立香が無常にも教えてくれた。そして彼女は「喉は無事のようだから、さっそく来週からボイストレーニングを始めようね」と言う。
「君さ、鬼なのか?全身打撲のうえに高熱で苦しんでいる人間に言う言葉がそれか?」
「全身打撲と高熱で苦しんでいる原因は、オベロンがティーチさんの会社のお金を使い込んじゃったからでしょ?自業自得じゃない」
「それは確かに」
「あと、オベロンの借金の金利はトイチで増えるみたい。だから、ゆっくりしている時間はないんじゃないかな」
「……。俺の人生、詰んでない?」
結局はドラム缶に詰められて東京湾に沈められる最期しか見えないのだけど。
立香は「暗い事言っても仕方がないよ」と明るく言って、「お腹すいてない?ご飯を作っておいたけど食べる?」と優しく尋ねてきた。
オベロンは素早く「食べる」と答えた。実はさっきから腹が減って仕方がない。
立香が台所へ向かってから、オベロンは改めて部屋の様子を見る。
広さは6畳半。
ボロい。
荷物どころか家具さえ揃っていないけれど、あの子の部屋なんだろうか?
しっかし、先日まではタワーマンションでヒモ生活をしていたのに今はこのザマよ。あまりの落差に笑えたが、オベロンは住む場所に頓着しないタイプなので雨風が凌げればそれで良かった。
立香が食事を持ってきた。そのメニューを見てオベロンは爆笑した。
「なんだコレ。なんだってこんなメニューなんだ?病人食か?」
「オベロンは今、病人だよ」
「それは確かに」
スン、とオベロンは表情を削ぎ落とした。彼は今、39度近く熱があるのだ。
再度食事を見る。お粥とお味噌汁と卵焼きとサラダ。いや、でもやっぱお粥て。
「オベロン、4日間熱にうなされてたんだよ。ほぼ栄養剤と水分しか摂ってなかったんだから。突然がっつりしたものを食べたら胃がびっくりして吐いちゃうよ。右腕も使えないだろうし、スプーンで食べられるものが良いんじゃない?」
「それは確かに」
オベロンは「いただきます」も言わず食事に手をつけた。お粥は梅干しの酸味がほのかに効いていて食べやすく、お味噌汁も卵焼きも美味しかった。
オベロンが左手で不器用に食べているのを見守ったあと、立香は立ち上がった。
「じゃあ私、自分の家に戻ってるね」
「ここが君の家じゃないのかい?」
「ここはオベロンの家だよ。私はこの隣」
「そうなの?」
ここ、俺の家なの?
「ティーチさんの会社が所有してるアパートなんだ」
絶対訳あり物件だな、とオベロンは思った。そして家賃の金額を聞くのが怖い。
立香が立ち去ってから、オベロンは改めて考えた。
さてどうしよう。着の身着のままここに転がされていたが。財布がない。携帯は……ズボンの尻ポケットに入っていた。だけど画面がバキバキに割れていて操作不可能だった。
□
折れてるっぽい右腕をぶら下げて、オベロンは食べ終わった食器を持って部屋を出た。それにより築50年は経っていそうなボロアパートの2階部分が新居だと判明する。
両隣を確認したのち、窓枠にハーブの植木鉢を置いている方の部屋のチャイムを鳴らす。
「はい」と女の声があったので「隣の部屋のオベロンだよ」と彼は言った。
間もなく立香が出てきた。
「さっきは食事をありがとう。お粥、いけたよ。だけどごめんね、水道が引かれていないみたいで水が出ない。だから食器は洗ってないんだ」
食器を立香に手渡し、オベロンは女たちをそうやってたぶらかして来たんだろうなぁ、という綺麗な笑顔を浮かべた。
「あとお金貸してくれる?一万円でいいよ」
オベロンはボコボコに殴られてアザだらけの酷い顔だった。それなのに人目を惹くオーラがある。
彼にアイドルデビューをさせて金を回収しようとするティーチの考えは間違っていないのかもしれない。そして同時にこの人、本当ロクでもないな、と立香は思った。
【続く】