「おはよう」
ブリーフィング室で後ろからかけられた声に、若い副操縦士が振り返る。
「おはようございます。風信機長ですか」
「ああ。NY2501便はここだな?」
「はい、はじめまして」
社内で名高い風信機長だが、その副操縦士はまだ一緒に飛んだことはなかった。二人で確認を始める。
風信も、話しながらこの初めて組む副操縦士の様子をみていた。少しばかり早とちりしがちなところはありそうだが、判断は早そうだ。ちらちらと自分の顔を伺ってくる様子に少し引っかからないでもないが、機長の反応が気になるのは仕方ないだろうとそれほど気にはとめなかった。
一通り確認を終えたところで、風信は指を軽く弄び、左手から指輪をはずした。だが外したところでそれは風信の指からぽろりと落ちた。
「あっ」二人が屈みこむ。
足先に落ちていた指輪を風信が拾う。だが屈んだ拍子に今度は胸にさしてあったサングラスが滑り落ちた。目の前に着地したそれを副操縦士が拾う。二人とも立ち上がり、風信は礼を言って副操縦士からサングラスを受け取った。そして指輪をポケットにしまった。
若い副操縦士はそれをじっと見つめた。
「それ、ひょっとして」「ん?」
「南風とお揃いの……」
少し前に、ロッカー室で南風が他のパイロットと話しているのが聞こえたのだ。
「これ? 実は風信機長とお揃いなんだ」「ええーすごいじゃん」
何だろうと覗き込んだが、南風たちはそのまま彼の前を通り過ぎて出ていってしまい、彼には何がお揃いなのかわからずじまいだった。
風信は鞄から眼鏡ケースを出し、手元のサングラスを拭きながら、「ああ。南風が何か言っていたのか?」と言った。
副操縦士は、指輪がしまわれたポケットを見ながら「え、ほんとにそうだったんですか?」と驚いた顔で言った。
「この間フライト先で一緒に買いにいった」と風信。
副操縦士の頭の中で、風信と南風が一緒に指輪を選んでいる様子が思い浮かぶ。
「……すごいですね」
「そうか? 別によくあるウェリントンだぞ」
そんな名前の入ったブランドがあったっけ、と彼は考えた。パイロットにしては手頃なブランドなら思い浮かぶ。だが、問題は値段ではない。どの指にしていたか覚えていないが、ひょっとして薬指じゃなかっただろうか、と彼の胸が高鳴る。
風信機長と南風副操縦士。彼はこれまでも二人の親密な様子を目にしていた。
風信は、何やら目を丸くする彼に、手元のサングラスを見ながら、同じサングラスくらいでそれほど驚くだろうか、と考えながら言った。
「俺たちにとっては、いつも必要なものだからな」
風信の口から出た「俺たち」「いつも」という言葉が彼の頭の中でこだまする。
「さあ、そろそろ行こうか」と言いながら風信は眼鏡ケースを鞄にしまった。
「つけないんですか?」
遠慮がちに尋ねる副操縦士に、風信は驚いた顔をした。
「いや? 空港でつけてたら、カッコつけて見せびらかしてるみたいじゃないか。そんなん社員仲間に見られたら恥ずかしいぞ」
そういって笑いながら髪を直す姿は、彼にはもう照れ隠しのようにしか見えなかった。