少し霞んだ青空に、白に近い薄桃色の花が揺れる。
「綺麗ですね」
眩しそうに見上げるその横顔に、風信も目を細める。
フライト先の空港の隅に綺麗な桜の木が植わっている場所があるらしいので、折り返し便までの間に見に行きませんか? そう南風に聞かれて断るわけはなかった。
仲間に聞いた穴場だと言っていたが、確かに立派な枝ぶりに満開の花をつけた木々は見事なのに、人もおらず、静かに花が揺れている。
「写真だと色が上手くうつらないですね」
花をつけた枝の間に腕を伸ばし、スマホを掲げながら南風が残念そうに言う。花弁の後ろで、南風の袖口の黄色い三本線が見え隠れする。
「これだけ技術が進化しても、自然にはまだ叶わないよな」
口をついて出るそんなセリフに、こんなときくらい無邪気に楽しめば良いのに、制服を着ているとつい仕事が頭をよぎってしまう自分の不器用さを実感する。
「あ、鳥」
そんな風信をよそに、南風は枝に止まった小鳥にレンズを向けている。鳥が花の根元をついばむと、ポロリと花が落ちた。なるほど、どうりで花びらではなく花がそのまま地面に落ちているわけか。
離陸していく飛行機のエンジン音が空気を揺らすが小鳥は花をつつくのをやめない。
頼むから飛行機には近づかないでくれよ、そんなことを考えてしまい、また小さくため息をつく。
今この時を楽しもう。手近な花に顔を近づけて匂いを嗅いでいる南風を見つめる。
「これ、美味しいんですかね?」
「さあ。食べてみるのはやめといてくれよ。戻り便の前にお前が腹痛でダウンは困る」
風信の言葉に、南風は「た、食べないですよ!」と頬を染める。その様子に思わず笑ってしまう。
ほんのり色づいたその頬の薄紅色は、目の前の蕾の桃色よりもよほど愛らしい。
そんなことを考える風信をいなすように、ざぁっと一陣の風が吹く。
わぁっと腕を軽く上げながら笑う南風の周りを、風に吹かれた花びらたちが舞う。さっきまで風にも負けじとしっかりしがみついていたのが嘘のように。
ああそうか、とその様子を見つめながら風信はぼんやりと思う。
空も、風も、花も、みんな彼が好きなのだ。
風が止み、南風が服についた花びらをつまむ。
「花びらは白いのに、集まるとピンク色なの、不思議ですよね」
ああ、そうだなと言いながらも頭は上の空だった。南風の顔を見つめる。その額の中心に、花弁が一つ張り付いていた。
まるで印をつけるように。
「南風」風信の声に南風が顔を上げる。
「付いてる」言いながらそっとその額から花びらを取り、地面に捨てる。
渡さないぞ。
お前たちがどんなに彼が好きでも。
「髪にも……」
そう言いながら、一歩近づいて髪に手を伸ばす。黒い髪にしがみついている花弁をつまむ。
「あ、ありがとうございます。パイロットが顔に花びらつけてたら笑われますよね」想像したのか南風が笑う。彼も数時間後の自分を忘れているわけではないのだ。
空は何万フィート飛び上がったって手が届かないし、風が彼に触れられるのは一瞬だ。花だって、風信が摘んでひと吹きすれば彼の足元に落ちるほかないのだから。
俺は自分の意思で彼の隣に立てるし、その髪に触れられる。
いったい何を張り合ってるんだと思いながらも、手は南風の髪にそっと指をくぐらせ続ける。
「いっぱいついちゃってますか?」そう言って南風も手を伸ばした。だがもう花びらはついていない。
南風の目線が風信の顔を見つめ、もう自分の髪を見つめてはいない視線を捉える。だがそのまますっとその目は上を見た。
「機長も、ついてますよ」
南風の手が風信の耳の横を通りすぎ、そっと指が髪に触れるのを感じる。
その指が風信の髪に沿ってそっと上から下へと動く。上から下へ。こそばゆいような感覚。
「取れたか?」
言いながら視線を斜め上に向ける。
「はい」南風が微笑む。
その指から果たして本当に花弁が去っていったのかはわからなかった。