ヤンデレの素養がある長太郎と、絶対にヤンデレにさせない男前な宍戸さん 「宍戸さん」が「尊敬すべき先輩」から「俺だけの宍戸」さんに変わるまで、かなりの年月がかかった。外堀を埋めてから、自身の意思で鳳を選んでくれるようになるまで、それはそれは苦労をしたものだ。鳳は宍戸を絶対に手放す気はない。やっと宍戸の恋人という立場を手に入れたのだから。
「ただいま」
「おかえりなさい、宍戸さん」
鳳は、宍戸のささいな変化にも気づく自信がある。宍戸さん、今日はシャワーをしてから出かけたはずなのに、どうして女性ものの香水がほのかに香るんですか。俺、今日宍戸さんがどこに行ってたか聞いてないですよ。ずいぶんと遅かったですね。
「伝えてなくて悪かったな。今日はゼミの飲み会があったんだ。一次会で帰ってきたつもりだったけど、遅くなるなら連絡しておけばよかったな」
まるで鳳の不安な心を見透かしたかのようだ。
宍戸さんへの感情が大きいほうだな、と自分でも思う。できることなら宍戸を「絶対に浮気できない環境」に閉じ込めてしまいたいとすら思うことがあるが、今までそうしてきていないのは宍戸が"彼氏"として完璧すぎるからだ。
でも、宍戸さん。女性ものの香水の香りがうつるほど距離が近かったんですね。俺、不安で不安で飲み会までついていきたい気分になってしまいますよ。
「……悪かったな」
そんな顔すんなって、と言って、鳳の頭をわしわしと撫でる。宍戸さんは鳳のことを犬みたいだと表現することがある。最近、自分でもそれはあながち間違いではないのではと思うことがある。だって、宍戸さんに触れられるだけでこんなに嬉しい、不安なんて吹き飛んでしまうのだから。
「宍戸さん、お風呂沸いてますよ。もう春なのに、今日は冷えますね」
「ありがとよ。そうだな、夜になると一気に冷え込む感じがするぜ」
そういうと、持ち物をリビングに置いて宍戸さんはバスルームへ向かう。鳳の目の前には無防備な宍戸さんのスマートフォンが一台。正直、中身が気になる。覗き見るなんて最低なことだ。宍戸さんに嫌われてしまうかもしれない。でも……。
そんなことを考えていると、真っ暗だったスマートフォンの画面がパッと明るくなる。覗き見るなんて最低なことだ、最低なこと……。そう思いながらも、不可抗力で見えてしまったものは、鳳をダークサイドへと誘うものだった。
『Mika:今日は楽しかった♡ 亮くんありがと!』
「で? 長太郎。これはどういう状態だ?」
鳳は、宍戸がバスルームから出てきたところを寝室に連行し、ベッドに雪崩れ込んだ。宍戸をベッドに縫い付けるように覆い被さると、絞り出すような声で言った。
「ごめんなさい、覗き見るつもりはなかったんです。でも、宍戸さんのスマホにMika……ミカさん、の通知が見えてしまって」
宍戸はケロッとした顔で「ああ、ミカか」と言う。ミカ? ふうん、下の名前で呼び合う仲なんですね。
「前も話しただろ、ゼミの同期のミカ。今日の飲み会であいつ飲みすぎてよ、途中まで送ってやったんだ」
それは宍戸さんがこんなに素敵だから、わざと飲みすぎたフリなんてして気を引こうとしたんじゃないですか。しかも途中まで送るなんて、そのまま何かあったらどうするんですか。世界中に宍戸さんと交際していることを言いふらしてまわりたい。こんなことになるなら、いっそこの部屋に閉じ込めて……。
そう鳳が考え始めたとき、唇にしっとりと柔らかいものが一瞬触れる。それが宍戸の唇だと理解するまで、鳳にはしばらく時間が必要だった。
「……!? えっ!?」
鳳が声をあげると、宍戸は困ったように笑いながら、もう一度鳳の唇に触れるようなキスをする。
「ミカとはなんもねえよ」
また鳳の心を見透かしたかのようなことを宍戸は言う。しかし、キスで誤魔化されてやる鳳ではない。少し、いや、だいぶドキドキしたが、なんにもないと思っているのは人からの好意に鈍感な宍戸さんだけかもしれない。
「どうして、何にもないと言えるんです? ミカさんはそう思ってないかもしれないですよ」
宍戸は少し考え込むと、鳳が予想だにしないことを言ってのけた。
「言ってなかったか? 俺、お前と付き合ってるって、ゼミで言ってるから」
宍戸さんが教えてくれた、パキッとして2人でシェアするタイプのアイス。今では鳳のお気に入りだ。鳳が寝室から宍戸を開放すると、宍戸は「ほらよ」とアイスの片割れを鳳に差し出してきた。
「不安にさせたか?」
「……はい」
「まだ不安か?」
「……はい、少し」
宍戸が自分と付き合っていることをゼミのメンバーに言ったとしても、他の人から誘惑されないという保証はない。宍戸さんを信じていない訳ではないのだが、正直、不安だ。不安で不安で、俺以外を見ないようにしたいと思う。
「長太郎。俺、高校1年のとき、ずっとシングルスだったよな」
「はい。そして、高校2年から3年までの間、俺とダブルスを組んでいただけましたよね」
宍戸は、「だから、えっとだな」と言い淀む。頬をぽりぽりと掻きながら鳳に背を向けるように体の向きをかえて言った。
「俺、多分お前が思ってる以上にお前のこと好きだから。……言わせんなよな、ちょいダサだぜ」