幸福だった吟遊詩人 昔あるところに、陽の光のような美しい髪を持つ王子様がいました。
王子様は宮廷で聴いた、吟遊詩人の美しい音楽をずっと覚えていました。
王子様はその吟遊詩人を呼び立て、再び音楽を奏でさせ、また、彼から楽曲を学びました。
「うつくしい音色、キミの手はまるで魔法のようだ」
幼く、気弱な吟遊詩人は何も言えずに俯きました。王子様は続けます。
「俺に悪い魔法がかかった時、キミのその、魔法のような音楽、言葉で、俺のことを倒してほしい」
吟遊詩人は驚きました。王子様を討伐するなんて夢にも思わなかったからです。
「いいえ、王子様。僕にはそのようなことはできません」
「いいや、キミにしか頼めない。俺が闇に飲み込まれた時、キミならきっとその巧みな言葉の波と、そこに込められた音楽で、俺の負の力を壊してくれるだろう」
あまりにも王子様が熱弁するので、吟遊詩人は渋々了承しました。すると、王子様は屈託なく笑いました。
「ありがとう。俺は幸せものだ」
吟遊詩人はそう笑う王子様に心を奪われました。まるで、神様に褒められたように、天にも昇る気持ちでした。
◇
それから数年経ち、王子様が王様になった頃。唐突にその世界の空は割れました。粉々になった天井、壁、土煙。
吟遊詩人は、音楽を奏でるための両の腕を無くしました。呆気なく。あっという間のことでした。
これでは、王様に送る音楽を奏でられません。
吟遊詩人は悲嘆に暮れました。しかし、そうしたところで何も始まりません。
吟遊詩人は生きる決意を決めました。ガラクタで繋ぎ合わせた機械の腕を携えて。
◇
それからまた数年経ちました。
王子様だった王様の言葉通り、王様は闇に飲まれる寸前でした。瞳は虚ろで、誰のこともぼんやりとしか認識していません。
幼き日から随分と変わってしまった吟遊詩人のことなど、王様はとうに忘れてしまっていました。
「王様、今のあなたは、壊すに値するひとになりました」
吟遊詩人は悲しそうに伝えました。王様は、吟遊詩人のことを一瞥しました。
「キミは? 誰だ?」
吟遊詩人の心が冷えていく音がしました。王様はもう、闇の中にいて、その瞳に誰も映っていないのでした。
「さようなら王様、僕が壊して差し上げます」
吟遊詩人は、王様を壊しました。王様の体は地面に倒れ、起き上がることはありませんでした。
◇
それからしばらく、吟遊詩人は森で兎と熊に出会いました。兎はぼろぼろでみすぼらしく、熊もお腹を減らしていました。
「吟遊詩人さん、オレたちの仲間になってよ」
兎が声をかけます。
「俺たちは家を探しているんです」
熊が続けます。
吟遊詩人は、少し考えてから、森の奥深くを指差しました。
「あちらに行けば果実がなっているよ。運が良ければ川も見つかる。頑丈な洞穴を家にして暮らすといいよ」
それは、吟遊詩人が今できる、唯一の助言でした。吟遊詩人は兎と熊に幸福に触れて欲しかったのですが、自分には差し出せるものが無いため、言葉を紡ぐしかありませんでした。
「ありがとう吟遊詩人さん! オレたちと一緒には来ない?」
「やめておくよ。体がぼろぼろで痛いんだ」
「俺が運びますよ」
「君はこの兎さんを運んであげて」
そう伝え、吟遊詩人は二人と別れました。
吟遊詩人は知っていました。この森に果実があるか、川があるか、頑丈な洞穴があるかも、保証が無いことを。
願わくば、彼らにとって良いものに出会えるように祈りましたが、それを確認する術はありません。人助けをするには吟遊詩人の心と体はあまりにもぼろぼろでした。
◇
また、吟遊詩人は森を歩きます。もはや、歩くというより彷徨っているようでした。そこで、自動人形と出会いました。
「吟遊詩人とお見受けする」
「そうだったろうか。もうわからないよ」
「そうか、私も私がもうわからない」
自動人形はとこしえの時を過ごしたあまり、記憶が混濁していると訴えました。
「私を作ったひと、私の原型、家族、主人、それらがいた気がする。しかしもう、思い出せない」
自動人形は、体のあちらこちらから配線が飛び出ており、それはそれは物悲しい姿をしていました。
「何もわからない世界でひとり、生きることはつらい」
「そうだろうね」
「どうか、私を壊してくれないだろうか。そこの配線を千切れば、機能は停止する」
自動人形は淡々と言いました。吟遊詩人も特に驚きもしませんでした。なぜなら、この自動人形の動作寿命はとっくに過ぎており、生きていることが不思議なぐらいの見た目をしていたからです。
「君は、それで楽になれるかい」
「なれる。停止。死ぬ、その時を誰かに看取られる。幸せだと感じる」
「わかったよ」
吟遊詩人だった彼は、自動人形の配線を、そのぼろぼろの機械の手で引きちぎりました。
「あ、ありが……」
言い終わらないうちに、自動人形はその役目を終えました。鬱蒼とした森の中、彼はとこしえをどう過ごしていたのか。それは吟遊詩人だった彼に知る術はもうありません。
◇
吟遊詩人だった彼は、いつしか森の中で横たわっていました。
すでに音楽も言葉も無く、風のさざめきの中にただいるだけの存在になりました。
怪我だらけの体、錆びていく機械の腕。音楽と言葉を紡いだ姿はとうの昔に朽ち果てていました。
しかし彼は全うしたのです。
頼まれていた通り王様を壊し、請われた通り兎と熊に優しい嘘を与え、また頼まれた通り自動人形を壊しました。
その仕事は吟遊詩人の範疇を超えました。彼はただの破壊者で嘘つきでした。しかし、それは、全て彼の中から溢れた、優しさの一部でした。
(何が正しいのか、もうわからない)
吟遊詩人だった彼はその時求められた成すべきことをしました。ただ、それが、正しいことだったのかはわかりません。時が経ったときに、その時代に相応しい価値観が決めるのでしょう。
彼は目を瞑ります。次に目を覚ますかは分かりません。彼は最初に宮廷に呼ばれて始まった旅のことを思い返します。元を辿れば身に余る光栄から始まったような気もしました。しかし、今の彼はぼろぼろです。
彼の命にとどめを刺してくれる人は、いませんでした。
彼は眠りました。穏やかな眠りでした。
◇
「王様、聞いてください」
「吟遊詩人さんに会いました! 教えてもらった道を辿ったらお城へ来れたんです!」
兎と熊は、吟遊詩人に教えられた道を辿り、お城に到着していました。果実も川も洞穴もありませんでしたが、綺麗なお城に眠る王様を見つけ声をかけました。
「長いこと眠っていた気がするよ。キミたちは?」
「オレたちは仲間と家を探しています!」
「吟遊詩人さんに教わった道を辿ったら、王様に会えました」
「では、キミたちは俺の仲間なのだろうか」
「そうに決まってる!」
「そうか、それは嬉しいな。新しい光を見つけた気分だ」
「王様、吟遊詩人さんを知りませんか? ぼろぼろで、大層弱っていました」
「吟遊詩人……俺の知っている彼だろうか」
「わからないけど、あの人にもう一度会って、お礼を言いたい!」
「そうだな。彼のおかげで君たちに出会えた」
「俺たちで吟遊詩人さんを探しにいきましょう」
「ああ。森の中に門番の自動人形を置いている。経年で劣化しているかもしれない。途中で見つけたらキミは運んでくれるか?」
王様の問いに熊ははにかんで答えました。
「乗せるぐらいならお安い御用です」
「助かる。お城に連れて、手入れをしてまた元気になってもらおう」
「王様! 吟遊詩人さんもだよ」
「もちろん。彼のおかげで目が覚めて、仲間を得られたんだ。彼の言葉と音楽をもう一度聴かなくては」
王様と兎と熊は、森へ歩き出しました。辿るものは何もありません。だけど、『仲間』のために歩き出しました。自動人形と吟遊詩人を助けるために。
広大な森に果てはありません。しかしそこを歩いていかなくてはなりません。大切な人たちを、仲間を救い出すために。
◇
あるところに、幸福だった吟遊詩人がいました。
彼は、再び、誰かのために音楽を奏でられる日を待っています。
了