「おはようございます!!!」
今日も校門前から聞こえてくる威勢のいい声に類は自然と頬が緩むのを感じた。
気温が少しずつ上がり始める初夏の季節。司と同じクラスになり、互いに想いあっていることが分かって、付き合いだしたのがついこの間のように感じられる。司と過ごす度に新鮮に好きの気持ちが溢れ出るのだ。自分の頬が緩んでいることは自覚していたが、それを隠さないままに類は司へ声をかけた。
「司くん、おはよう」
「おお!類、おはよう!」
いつもと変わらない司の様子に類はまた微笑みを深める。今日も今日とて声が大きい恋人は校門前で挨拶運動に勤しんでいるようだ。新学期になったばかりの頃は司の声量に驚く一年生もいたが、数ヶ月も経てばみな慣れたらしく、「おはようございまーす」とどこか気の抜けた返事が帰ってくる。
ふと類は司の服装がいつもと違うことに気が付いた。昨日までの司はシャツの袖をまくり、その上に夏用のセーターという着こなしだったはずだ。しかし今日の司はシャツの袖をまくらず、ボタンまで閉めていた。司は風紀委員になってからいっそう身だしなみに気を使うようになったが、果たしてここまでだっただろうか?
「司くん、今日は袖をまくっていないんだね」
「ああ、気にするな。たまたまそういう気分だっただけだ」
司の返答に少しの違和感を感じ、司になにか変わったことがあっただろうかと思案しようとしたところで、司の大きな声がそれを遮った。
「それよりも、だ!お前、シャツのネクタイは上まで上げろといつも言っているだろう!」
「司くん、ネクタイの付け方なんて個人の自由だと思わないかい?ネクタイを上まで上げることで息苦しさを感じ、授業に集中出来なくなってしまうよ」
よよよ……とでも語尾に付きそうなほど眉をシュンと下げて、司を見つめる。司に甘えている自覚はある。しかし司と話しているといつもとは違う自分が顔を出すのも類にとっては楽しいことだった。それにこの顔をすれば司が強く出れないことも重々承知である。つまるところ、類は司との何気ない日常を楽しんでいるのだった。
「う……。お前、その顔すれば何でも許されると思ってないか?だいたい、お前はいつも授業をまともに聞いてないだろう!」
「ひどいよ、司くん……。それじゃあ君は僕が今日一日ネクタイを上げて過ごすことでストレスが溜まって、マンボウのように死んでしまっても良いって言うのかい?」
「ま、マンボウ?よく分からんが、お前はマンボウじゃないだろう!全く何でそんなに屁理屈を言うのが上手いんだ……」
いつものように百面相をする司が面白くて、類は司の顔をじっと見る。自分の思い通りの反応をする司の素直さが可愛らしくて、少し前に感じた違和感はいつの間にかどこかへ消えてしまっていた。
◇
5,6時間目は体育の時間だった。太陽が昇ったお昼時、屋上ですらシャツの袖をまくっていなかった司に類は朝感じた違和感を思い出していた。
着替えの時間、類は司を観察していた。司に何かあったのではないかと心配だったからである。他の男子生徒が続々と着替え始める中で、しかし司は着替えようとしなかった。やはりどこか体調でも悪いのだろうかと司に声をかけようとした時、司は突然教室を出ていこうとした。
「司くん!どこに行くんだい?」
「ん?ああ、トイレで着替えてくる。類は着替えたら先に行ってていいぞ」
司は体操着を持ってそそくさと教室を出ていってしまった。類は明らかに様子がおかしい司にいよいよ心配な気持ちが大きくなっていた。他の男子生徒はもう着替え終わってぞろぞろと教室を出ていく。自分も着替えなくては授業に遅れてしまう、このことはまた後で司に聞こう、と思い類も体操着に手を伸ばした。
◇
司は体操着の上に長袖のジャージを着ていた。気温が上がり始めたこの時期にジャージを着ている生徒など司以外にはいない。現に他の生徒から何故ジャージを着ているのかと問い詰められているが、司は曖昧な返事しか返していなかった。
「司くん、この時期にジャージはさすがに暑くないかい?」
「いや……特に深い意味はないんだが……気にするな」
司の目が泳いでいる。明らかに触れて欲しくなさそうな様子だ。類の不安は増していく。この時期とはいえ熱中症の危険性があるし、それ以上に恋人が何を隠しているのか、どうして自分にまで隠そうとしているのかが分からないのが類にとってもどかしかった。
◇
結局、司は最後までジャージを着て授業を受け、着替えもトイレで済ませたらしく、戻って来た時にはまたシャツをかっちりと着ていた。
放課後。
類は司を自分の家へと誘っていた。司は最初断ろうとしていたが、類が司にどうしても見せたい演出があるのだと言えば、司は断ることが出来ない。演出に関しては嘘である。しかしここまで言わなければ家に来ようとしない司にもどかしさは増していく一方だった。
家に向かう途中、類は考えていた。司がシャツをまくりたがっていない、もっと言えばおそらく腕を見せたくないのだろうということは簡単に予想がついた。そして昨日まではまくっていたのだから昨日から今日にかけて何か司に変化があったということだ。昨日も練習がない日で、司を家に誘ったが断られてしまったのだ。その時は司にも用事があるのだろうと、少しのがっかりした気持ちは感じつつも了承したのだ。その後に何かあったのだろうか。
司が突然いつも以上に服をしっかりと着ることは以前にもあった。その時は行為の中でつい司への思いが溢れて、司にキスマークを付けてしまったのだ。司の反応がかわいくて、ついからかいすぎた結果、怒られてしまったことは記憶に新しい。
まさか、またキスマークを隠して?
いやいや、昨日僕と司くんは一緒にいなかったじゃないか。それどころか司くんには誘いを断られてしまったし。
じゃあ誰と?
いやいや、司くんに限ってそれはないだろう。自分で言うのもなんだけど僕は司くんに好かれている自覚がある。それに司くんに他の人の影があったら僕が気付かないわけが無い。
まさか、そんなはずない。そう頭では理解している。しかし1ミリでも可能性があれば、それから目を背けるなんて類には出来なかった。どのみち、この問題は解決しておかなければ今後の司との関係に関わる。類は司が何を隠そうとしているのかを知るための考えがあった。
◇
類の家に着き、自分の部屋に司を先に入れて、後から部屋に入り、類はドアを閉めた。
「類?」
「司くん、今日の君は一日中腕を隠そうとしていたよね」
類の言葉に司はあからさまにたじろいだ。上手い言い訳でも考えているのだろうか。しかし類は司を逃がすつもりは無かった。
「いや、そんなことは……」
「隠そうとしたって無駄だよ。君がいつもと違うことくらい、僕が気付かないわけがないだろう?」
類はさながら獲物を追い詰める肉食獣のような気持ちだった。じわじわと司との距離を詰めていく。司は少しずつ後ずさるがベッドにぶつかって、そのままベッドの上に座り込んでしまった。
「る、類、顔が怖いぞ?」
司が怯えたような顔で自分を見つめている。ああ、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。だけど問いたださなければならない。知ることは怖いけれど、知らないままで司との関係が拗れていくほうがもっと怖い。
「司くん、もう逃がさないよ。諦めて僕に何を隠しているのか教えてくれるかな?」
声色は冷静を装って、しかし言い訳をしても無駄だと言外に滲ませる。しばらく俯いて黙っていた司が声を発したのは数秒後だった。類にはその時間が数十秒にも感じられた。
「い……嫌だ……」
「ここまできて隠すのかい?拒否するってことはやましいことでもあるのかな?」
自分が焦っているという自覚はある。つい司を問い詰めるような口調になってしまった。数秒待ってもなにも答えない司に類は不信感が高まっていく。
「もしかして……キスマーク?司くん前にも同じことがあったよね」
「……!」
司は明らかに体をビクッと跳ねさせ、類をじっと見つめた。この反応で確信してしまった。司の腕にはキスマークが付いている。それも類では無い他の誰かのキスマークが。
「へぇ……」
思っていた以上に低い声が出てしまって、司は尚更怯えた様子を見せる。もはや司がどんな反応をしようが類を煽るだけであった。自分以外の誰かが司に口付けている。その事実に胸の中で黒くてドロドロとしたものが溢れ出すのを感じる。
「る、類!これは違うんだ!」
「何が違うのかな?違うならそのシャツの袖をまくって見せてみてよ」
「う……」
黒くてドロドロとした気持ちは大きくなっていく。司の顔は見えない。何分にも感じられる時間の後、しばらくしておもむろに司が袖をまくり上げた。
その腕には大小、濃薄様々なキスマークが無数に付けられていた。類は実際にキスマークがあったことよりも、そのあまりの数の多さに呆気にとられてしまった。
「司くん、これだけのキスマークいったい誰に……?」
司は何度か口をはくはくと動かしたあと、類の耳に届くか、届かないかくらいの声量で話し出した。
「じ……じぶんでやった……」
「……え?今なんて言ったんだい?」
「だから!自分でやったと言ったんだ!!」
類は思いがけない司の言葉にいよいよ思考が停止してしまった。
「何とか言ったらどうなんだ、類……」
類の頭脳はこれまでにないほど早く回転し、思考をまとめようとしていたが、そこに司の不安そうな声と見上げる子犬のような顔が目に入ってしまってはもう類の天才的な頭脳はまともに働きそうもなかった。
「はぁ〜〜〜〜」
「うおっ、類!重いぞ!」
途端に先程までの黒くてドロドロとした気持ちがどこかへ行ってしまい、気が抜けた類はいまだベッドに座り込んでいる司の元へ倒れ込んだ。
「る、類……その怒ってるか……?」
常の司なら考えられないほど小さい声で司が尋ねた。
「怒ってるに決まってるだろう……。君、どれだけ僕のことを心配させたと思ってるんだい?君が他の人にキスマークを付けられたんじゃないかって気が気じゃなかったよ……」
「オレが類以外に……?ないだろう」
心底何を言っているんだ?とでも言い出しそうな顔で言うものだから、類もだんだん先程までの自分の気苦労を思い出してきた。
「司くん……僕が今日一日どんな思いで過ごしていたか教えてあげようか?」
司の方へ倒れ込んでいた体を起こし、司を押し倒すような体制になりながら、類はニッコリと圧をかける。
「う………それに関しては本当にすまん………だがこれにも深い訳があるんだ!」
「へぇ……?恋人である僕にまで隠すほどの深い訳ってなんなんだい?」
キスマークを付けたのは司本人だということは分かった。しかしキスマークはキスマークである。例え司本人のものだとしても自分の預かり知らぬ所でキスマークを付けていたという事実が類には納得出来なかった。それこそ司から納得のいく理由を聞くまではこの状態から変わらないという意図を込めて司を見る。
「く………言わなきゃダメか………?」
「当然だよ。恋人を不安にさせたんだから説明くらいは聞かないとね」
しばらく司は口をもごもごとさせていたが、おもむろに口を開く。
「れ…………」
「れ?」
「れ…………練習だ!いつか類にキスマークを付ける時の!!」
突然耳元ででっかいデシベルをくらってしまい、類は自分の耳がキーンとなっているのを感じる。しかし今の発言は……?司は顔を真っ赤にして「もうどうにでもしてくれ!」と言わんばかりに目を瞑っている。
類は遅れて先程の発言にじわじわと胸にむず痒さが広がるのを感じた。
いつか自分にキスマークを付ける時の連習……
かわいい恋人の思いがけないかわいい発言に類は完全に毒気を抜かれてしまった。先程までの黒いドロドロはどこかへ行き、今は司への愛しさが溢れ出す。その上、目下の恋人は口を真一文字に結び、顔を真っ赤にしながら小動物のようにプルプルと震えているのである。
(面白い……)
類は先程まで勘違いで司を追い詰めていたことを棚に上げ、目の前の恋人をからかうことにした。類は司の表情がコロコロと変わる様を見るのが好きなのである。もっといつもとは違う司を見たい、好奇心の赴くままに類は司に追い討ちをかける。
「へぇ………もっと具体的に聞いてもいいかな?」
「な…………!お前!これ以上は恥ずかしすぎてオレの身がもたん!!」
「そんな………司くんは僕にこんなに心配をかけておいて、僕のお願いは聞いてくれないんだね………」
「人聞きの悪いことを言うな!!」
「フフ、じゃあ聞かせてくれるよね?」
「お前……圧がすごいぞ……」
類は司に逃がさないとばかりに圧をかける。類はこの状況を楽しんでいた。もはやキスマークの真相などはどうでもいいのかもしれない。ただ目の前の恋人の表情、一挙一動に夢中になっていた。
司はしばらく視線を彷徨わせ、もごもごと口を開いたり閉じたりしていたが、覚悟を決めたのか、依然として顔を真っ赤にしたまま、類の方を向いた。
「………絶対に笑わないって約束するか?」
「約束するとも」
そうして司はキスマーク事件の真相を語り始めた。
◇
事の発端は類がオレに付けるキスマークだった。晴れて付き合いだしたオレたちはお互いの時間が合う日に、体を重ねるようになった。
そうして数回、体を重ねたある日の朝。
「な……なんだこれは〜〜〜〜〜!!!」
洗面台の鏡の前、自分の体の至るところに無数のキスマークが付いているではないか!
類……オレの意識のない間にこんなことをするなんて……!なんて卑怯な奴だ!
「うーん、司くんは朝から元気だねえ」
洗面所にまだ眠そうな類が入ってくる。これは類に一言物申さなければ気が済まない。オレに寝ぼけて抱きつこうとしてくる類を制しながら、オレは類に文句を言ってやろうと口を開く。
「類、これはどういうことだ!」
「んん?これって何のことだい?」
「とぼけるな!このキスマークのことだ!」
「ああ、気付いたんだね。思ったよりも強く残っちゃったかな」
特に悪びれる様子もなく類は飄々としている。その様子が気に食わなくてオレはまた類に突っかかる。
「気付いたんだね、じゃない!こんなに付けて、今日の学校はどうするんだ!!」
「うーん、いっそのこと二人で休んじゃうかい?」
「休むか!!とにかく、オレはこれを隠すために色々してみるからお前は早く学校に行け!!」
「えー、隠しちゃうのかい?せっかく付けたのに……」
「お前……全然反省してないだろ……」
類は一瞬しょぼんとした顔はしたが、すぐにいつもの様子に戻り、制服に着替えた後、「司くん、体は大丈夫かい?何かあったらすぐに僕に言ってね」と言い残して、家を出ていった。
全く、類の奴……オレの体を心配するなら跡など付けなければいいのに……
結局、何とかキスマークを隠そうと色々奮闘してみたが、あまりにも広範囲だったため、隠すことは不可能だと判断してこの時期ならまず着ない長袖のシャツを取り出して学校に行く羽目になったのである。
なんとか学校には遅刻せずに済んだ。教室にはもうほとんどのクラスメイトが来ていて、あちこちで「昨日のアレ見た?」とか「宿題終わってないよー!」などそれぞれで会話して、ガヤガヤとしている。類は手持ち無沙汰なようで、自分の席で何やら機械を弄っていた。
類の奴、オレにあんなことをしておいて全く気にしている様子がない。
しばらく類の方を睨んでいると、クラスメイトの一人から声をかけられた。
「はよ〜司、今日は遅いんだな。ってかその服どうした?」
「おはよう!!ああ、これは気にするな……」
「いや、気にするだろ!どした?犬にでも襲われたか?笑」
「はは………まあそんなところだな………」
正確には犬ではなく、類に襲われたんだがな。
自分の席に着いたところで、ちょうど朝のHRのチャイムが鳴った。談笑していた人達は皆自分の席に戻り、今度は周りの人とヒソヒソ声で話をしながら、先生が来るまで待っている。
急に静かになると考えてしまうのは今朝のこと。類がオレに付けたキスマーク。
今朝、鏡の前で見たオレの体に無数に付いていたキスマークを思い出してしまう。
あれだけの数、いったいどうやって付けたんだ?オレはキスマークなんて付けられた覚えはないから、もしかしてオレが寝てしまった後にご丁寧に付けたのだろうか。それともオレの意識が朦朧としている間に!?
そこまで思考が至った時、つい類がオレにキスマークを付けているところを想像してしまった。
今朝見たオレの体のキスマーク。オレの体のあんなところやこんなところを一つ一つ類がなぞって、口付けていく。昨日の類のオレを見つめるはちみつを溶かしたような甘い瞳や、オレの名前を呼ぶいつもより低い声、焦れったいほど優しい手つきを思い出してしまって…………
「…………っ!」
顔に熱が集まっているのが分かる。長袖を着ているというのに、更に熱くなってしまって、たまらずシャツをパタパタと煽ろうと思ったが、そこでもキスマークのことを思い出してしまう。
八方塞がりだった。今、オレは自分の体に付けられたキスマークの存在を自覚してしまった。途端に周りからの視線が気になる。
ちゃんと全部見えなくなるように隠したよな!?オレの気付いていないところに付いているとかないよな!?
類はオレが見えないところにも付けたんじゃないかとか、この中に透視能力を持っている人がいたらどうしようとかそんなことまで考えてしまって、ますます全身がカッと燃えるように熱くなっていく。
「……て……ま、天馬!朝の号令!」
「…………ハッ!す、すみません!!」
オレは考えすぎて周りの音が聞こえなくなっていたようだ。突然先生がオレの名前を呼ぶ声が聞こえて、驚いて反射で立ち上がってしまった。クラスメイトたちからクスクスと笑う声が聞こえてくる。注目されていることを自覚してしまって、いつもなら「ハーッハッハッハ」と応えてやるところだが、生憎今はそんな余裕がない。それどころか余計に顔に熱が集まっている気がする。
「き、起立!!おはようございます!!!!着席!!」
「うわっ、声デカッ」
「今日は一段と気合い入ってんな」
オレは何とか号令をやり過ごし、席に座りながらチラリと類の方を盗み見る。オレはこんなにも乱されているのだから、類だって少しは意識していることを期待したのだ。
しかし、それが良くなかった。類はオレを見てくすくすを笑っている。そしてふいに目が合うと、目を細め、口元にゆるりと弧を描き微笑んだ。その表情が昨日の類の表情と重なってしまってはもうダメだった。
--パチンッ
何かが弾ける音がして、オレは全身から力が抜け、椅子にへたり込んでしまう。
「〜〜〜〜〜っ!」
教室では次の一限に向けて各々が準備をしている。再びガヤガヤとしだした空間の中で、オレは机に突っ伏し、真っ赤になった顔が熱くて、動けないでいるのであった。
その日の授業は散々だった。常に誰かに見られているような心地がして全く集中出来ないのだ。あと類がいる方からの視線がすごい。意地でも見てやらないぞと決意して、そちらを見ることはなかったが。
放課後。
教室にはオレと類の二人しかいない。オレは学級日誌を書くために居残りをしていて、それに類が付き合ってくれているのである。
「司くん、そんなに顔をムスッとしてどうしたのかな?」
「誰のせいだ!誰の!」
「うーん、僕だねえ」
「嬉しそうに言うな!!」
類は相変わらずニヤニヤとした顔でオレを見ている。今日一日授業に集中出来なかったのは、類がこの調子で休み時間やら昼休みやらにオレをからかうからでもあった。
「よし、終わったぞ」
「じゃあ帰ろうか」
「類……待ってくれ!」
カバンを持ち、帰ろうとドアに向かう類の後ろ姿に声をかけ、制服の袖を掴んだ。今日一日、オレは散々振り回されたというのに、類は余裕綽々なのが気に食わない。オレだって類のあたふたとしている顔が見たいのだ。
「類がキスマークなんて付けるから……今日一日類のことしか考えられなかったぞ……」
いつもよりも少し高めの声で、眉毛はへにょりと下げて、極めつけはうるうる上目遣いだ!
ハーッハッハッハ!どうだ類!少々恥ずかしいが、これくらい未来のスターにかかれば造作もない!
どうやら効果は抜群のようで、類は口をポカンと開けたままオレを見つめている。
フッフッフ……そのまま顔を真っ赤にさせて慌てふためくがいい!絶対かわいいに決まっている!
「へぇ……それなら、司くんは気付いているのかな?」
「んん?何がだ?」
「おそらく司くんが気付いていない所にもキスマークを付けていてね」
「へ……?」
「例えば、こことか……こことか、ね?」
「…………!」
突然、類がオレに近づいて、オレの耳元で「ここ」と言いながら、オレの内腿の足の付け根ギリギリの所や、お尻の下辺りを指でトントンと触った。その上、離れる時に軽く擽ってくる。
「う…………あ…………」
「フフ、司くん耳まで真っ赤だよ?」
近い。耳元で類の吐息を感じる。類の顔を見ることが出来ない。離さなければと思うのに、まるで金縛りにあったかのように、体が全く動かない。顔が赤くなっている自覚はある。しかし、どうすることも出来ない。研ぎ澄まされた感覚の中で、一瞬触れて離れていってしまった類の指の感覚が妙に残っている。心臓がドクンドクンと鼓動して、まるで破裂してしまいそうだ。
「司くん」
「…………っ!」
耳元で類に話しかけられて自分でも驚くくらい体がビクリと跳ねてしまった。恥ずかしい。余計に顔に熱が集中する。類がオレの耳をさわさわと擽ってくる。
「フフ、かわいい………そんなに怯えないで?ねえ、今日も僕の家に来ないかい……?」
「………………は………………」
「?」
「破廉恥だ〜〜〜〜〜〜っ!お前!よく学校でそんな事が出来るな!?家には行かん!!フン!オレはもう帰る!!!」
「…………え?司くん!?」
耳元でオレのでっかいデシベルをくらった類が直立不動で動揺していたが、そんなの知らん!
恥ずかしさのあまり教室を飛び出し、類に対する文句をブツブツと呟きながら、オレは猛スピードで家に帰る。ビュウビュウと吹く風がオレの赤く染まった顔を冷ますのを手伝ってくれた。
◇
「それ以来、オレはいつか類にやり返してやろうと考えていたのだ!」
「それでキスマークを付ける練習を?」
「そうだ……類にもオレと同じ気持ちを味わわせてやろうと思ったんだが……生憎キスマークの付け方が分からなくてな……」
「自分の腕で練習していたと……」
「ああ……思ったよりも難しくてたくさん付いてしまった……」
蓋を開けてみれば、キスマーク事件の真相は恋人のなんともかわいらしい策略であった。類は思わず口元がムニムニと緩んでしまうのを感じる。それを目ざとく見つけた司は抗議の声を上げた。
「お前……!絶対に笑わないって約束しただろ!」
「フッ……フフフ……だって、司くん、今自分がどれだけかわいいことを言っているのか自覚あるのかい?」
「む……?…………ハッ!しまった!言わなくてもいいことまで言ってしまった〜!これではオレの威厳が台無しだ……」
自称威厳たっぷりのかわいい恋人が、目の前で百面相を見せ、ウンウンと唸っている姿に、類の口元はますます緩んでいく。
「フフ、司くんは相変わらず面白いねえ。見ていて全く飽きないよ」
「全然嬉しくない!!というか!いつまでこうしているつもりだ!もうオレの話は終わったんだから解放してくれ!」
未だに類は司を押し倒した状態のままだった。司は類の腕の中から抜け出そうとジタバタとしている。
「類!お前、でかいんだからどいてくれ!どいてくれないと起き上がれん!」
「…………」
「んー!ビクともしないぞ!?おい、類!」
司は己の腹筋で中途半端に起き上がり、類をどかそうと肩を押している。
自分のベッドで、かわいいかわいい恋人が、腕の中から逃れようともがいている。
こんな状況、逃さないわけがない。
「司くん」
「………へ?」
未だ腕の中でもがいていた司を類はあっさりと再びベッドに押し倒した。
「うわっ!おい類、何するんだ!」
「せっかく練習したんだから、キスマーク、僕にも付けてよ」
「え?い、いや今日は……」
司が類から目をそらす。しかし類は諦めない。まさしく狩りを楽しむ肉食獣。司という獲物を前にして、どのように司を流させるか狡猾に計画を立てていく。
「えー、ダメかい……?」
「……っ!だ、ダメだ!そんな顔して流されると思ったら大間違いだぞ!」
「……本当に?」
類は司の手首を掴み、指先で手のひらを擽る。指で擽ってみたり、円を書くようになぞってみたり。
司から吐息が漏れる。司が流されやすくチョロ……素直な子であることも織り込み済みである。
「………!?んぅ…………ふッ…………くぅん…………んん…………はぁ…………」
最初の押しの段階で類に軍杯が上がるのは確定していたが、ダメ押しとばかりに司に口付ける。舌を絡めれば最初はイヤイヤと押し返そうとしていたが、次第に力が抜けて類に従順になっていく。キスをしながら手のひらを擽ってやれば、司の体はビクンと大袈裟に跳ねた。
司のシャツに手を滑り込ませ、スベスベの肌、薄く付いた腹筋をなぞっていく。司は潤んだ目で、眉をひそめ、類を見上げていた。
「司くん……」
縋るような声だった。類は狡猾に司を追い詰めながら、それでいて最後の決定権はいつだって司に委ねていた。本当に司が嫌がることはしたくないのだ。その優しさが司の恥ずかしさを増長させ、余計に司を追い詰めているのだけれど。
類の手はどんどん司の上半身を上っていく。とうとう類の手が司の胸の頂きをさらりと撫でたところで…………
「…………っ!待て!」
「…………なに?」
「………家族に今日は類の家に泊まるって連絡するから………」
「………うん。連絡しておいで」
◇
翌日。
今日も今日とて朝の教室はガヤガヤとしている。
「神代、なんか今日すっごいニヤニヤしてない?なんか良いことあった?」
「フフ、聞いてくれるかい?実は昨日司くんが、僕にキス……」
「だああああああああ!!!!」
「うわっ、ビックリした!いきなり声でかいぞ、司」
「キスの天ぷらを作ってあげたんだよな!?な!?」
「フフ……そうそう、僕が司くんにお願いしたらたくさん''キス''をくれたんだよねえ」
「あああ!?る、類は意外とたくさん食べるからな!オレの料理がさぞかし美味しかったんだろう!ハーッハッハッハー!」
「ふーん、何かよく分かんないけどお前ら新婚夫婦なの?」
その日の類は一日中上機嫌で、事ある毎にキスマークを自慢しようとするものだから、結局司が振り回されて、下克上が失敗に終わったのは言うまでもない。