「トリックオアトリート!いや、アンドか?まあいい、お菓子もあげるし悪戯もするぜ」
「…………」
などと、家の扉を開けば玄関にはとんでもない格好をしたスカーが笑顔で待っていた。
胸元が開き過ぎたメイド服に似た服を着ている。首には赤い首輪から紐が長く垂れていて、意味の無い丈のスカートの下から細い紐が腰の両側から垂れていて、これまた隠す気のない下着が裾から覗いていた。
大急ぎで玄関の扉を閉めて開けっ放しにしていたカーテンというカーテンを閉めた。
その後ろを嬉しそうに付いてきて、ワクワクと言った風に自分の首輪に繋がれた紐、つまりリードを握っている。
「はい、これ」
もちろん渡された。
「漂泊者専用のメイドだぜ。色々と好きに使ってくれ」
「じゃあ付いてきて」
「わかった」
リードを握って寝室のクローゼットまで向かう。首輪を引っ張る形にさせられ、紐がぴんと張る度に「強引だな」と嬉しそうな声が聞こえてきた。
クローゼットを開いてハンガーにかけてあった部屋着の上着を手に取り、スカーの背中にかける。オーバーサイズで丈の長いそれのボタンを上から下まで全部閉じて、目に毒しかない服を全て隠した。
「焦らしプレイか……?いや、鈍感な優しさ……?何にせよ嬉しいな……」
こいつは俺なら本当に何でもいいらしい。
ようやく一息が付ける、とフラフラのベッドに座り込む。リードを握ったままだったからスカーも付いてきて隣に座った。
「……疲れた」
「お疲れ様」
労うなら労うなりの格好をしてくれ、と心から思ったけど声にする元気もない。
外を走り回って依頼をこなし、疲れきって夜に帰宅したら不法侵入してきた敵が破廉恥すぎるコスプレをしていたら、度肝を抜かれて疲れるだけだろう。これがそういうことをする雰囲気の中での格好ならまだ話の筋は通っていたかもしれないけど、帰宅直後すぐは話が違う。
「ハロウィンだから張り切ったのに……お前は風情を感じる情緒もないのか?」
「はろ、うぃん」
「そういうイベントの記憶もないのか?可愛いやつめ」
俺の頬をスカーの指先がつんつんと突いてくる。爪が長いので少し痛い。
「瑝瓏からすれば異国のイベントではあるが、魔女という存在は知ってるな?色んな物語で悪役として登場する魔術を使う女のことを指すんだが、その魔女たちの集会が起源と言われている。現代では魔女や悪魔、霊、その他多種多様なものの装いをして、トリックオアトリート……お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、なんて言ってお菓子を他人からせびるイベントだ」
スカーは妙に物知りなところがある。いや、俺の記憶が無いからものを知らなすぎると言うだけかもしれないが。
少し悪意のある言葉を使われていることはわかっているので、自分の頭の中で組み立て直し、ハロウィンなるものの概要を理解していく。
「……お菓子なんてないぞ」
「だから来た!」
ガバッと長い腕を広げたスカーは、その両腕で俺をホールドして押し倒してきた。ベッドがぼふん、と鈍い音を立てる。
「悪戯が目的?」
「悪戯も、だ。今日の夕飯はハロウィンにちなんだメニューで揃えたぜ」
だから玄関でトリックアンドトリートとか言っていたのか。
ハロウィンにちなんだメニューというのが一体何を指すのかはわからないが、美味しいものが並ぶのは確約されている。
俺の家に不法侵入し始めた頃も十分美味しかったが、ここ最近はめきめきと料理の腕が上がってきている気がする。敵じゃなければもっと仲良くなりたいのに。
と考えてしまって、すっかり胃袋を掴まれていることを自覚した。これじゃあいつか食事に薬を混ぜられていても気にせず食べてしまいそうだ。
……まあ、今こうやって俺に頬擦りをしてくるような奴が、俺に隠れて薬を盛るなんてことをするかと言われたら否定しか出来ないんだが。
「とはいえ、ハロウィンも知らないのは誤算だったな。これじゃあこれから続く恋人のイベント関係が台無しだ」
「恋人じゃないだろ」
「何も付き合ってる奴ら限定じゃない。それをきっかけに恋仲に発展させるイベントでもある」
だったらせめて敵組織から足を洗うなり、誰かに危害を加えるのを辞めるなりしてくれ。
「クリスマスとか、バレンタインとか色々あるのに。今度それらをテーマにした物語でも語ってあげる」
「知識が増えること自体はいい事だな」
「その後の本番のイベントが一番だろ」
目だけ横に移動させてスカーを見れば口を尖らせて不機嫌そうな顔を演出していた。長い腕が伸びて俺の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜている。
「はあ……。まあ、記憶が無いのは仕方ないか。せっかくお前にこのイベントを色々と楽しんでほしかったんだが……俺の格好の感想は?」
「とにかく驚いた」
「事前知識もなければそうもなるか」
特大の溜息をつかれる。そうは言っても知らないものは仕方ない。リードから手を離してスカーに抱き着かれたまま腕を組んで俺も不機嫌をあからさまに示してみる。本当に不機嫌では無いが、大きな溜息への仕返しだ。
「仕方がないとはいえ、納得がいかないな。本当は玄関でいきなり襲われるのが理想的な流れだったんだが」
「人のことをなんだと思ってるんだ。そんなに節操なく見えるか?」
「節操を無くしたかったんだ。でも失敗。……さて、仕方ないがハロウィン初心者に最もハロウィンらしい姿で手解きをしてあげるか」
「え?」
俺を抱き締めていた腕が急に宙へ伸びる。その指先にはどこから取りだしたのか見慣れた黒いカードが握られていて、突然のことに反応が出来ずにいると目の前に黒いゲートが現れ。
「ほら」
抱き締められたままゲートの中へ吸い込まれてしまった。
まずい、と体を捩ってスカーの腕から逃れようとしたけど間に合わなかった。2本しか無いはずの腕はいつの間にか5本の指に変わっていて、上着の柔らかな質感から少し硬く黒い体毛が俺を包み込んでいた。
「スカー……!」
気を許しすぎた。どれだけ俺に甘くて、ふざけたことをしていたとしても、凶悪な残星組織の一員で、それもひと握りしかいない監察の1人。それも狂気で言うならトップクラスと言われているほどの。
デバイスは腰に着けたままだ。これなら、一瞬の隙をついて音骸の力を借り、指のすき間を縫って外に出られるはず。
「ハッピーハロウィン!なんてな」
ガラガラと骨がぶつかるような音と一緒にスカーの楽しげな声が聞こえてきた。傷だらけの骸骨のような、ヤギに似た角をそこから生やした顔は表情が分かりにくいが、声色からテンションが高いことは分かる。
残像の姿のスカーはちょっとした建物くらいの大きさはある。そんなスカーに優しく両手で抱えられ、まるで赤ん坊をあやすように、所謂高い高いをされたような形で俺を持ち、スカーはそれを見上げていた。
「下手なコスプレなんかよりよっぽどハロウィンらしいだろ?」
「…………」
気が抜けてずるりと指の間から体が滑っていく。スカーは慌てて俺を落ちないようにそっと手のひらに乗せ、大事に胸の前に持って抱えた。
「っと、危ない。怪我をさせたくないんだ、お前も気をつけてくれ」
本気で慌てたらしく優しく俺を抱え直して目線の高さまで持ち上げた。あの時戦ったような凶悪さや圧倒的な暴力性は微塵もなく、その力を持て余すように少しだけ不器用に何度も俺を持ち直した。
ハロウィンというのは、魔女や悪魔、霊の類に扮装してイベントを楽しむものだと言っていた。確かに本人の言う通り、どんなコスプレよりも悪魔らしくてコンセプトにあった姿だとは思う。
「……本気で驚いた」
「ハハハ!ハロウィンはそういうイベントだからな!」
ガラガラとくぐもった声で笑うスカーの鼻先に触れる。ゴツゴツとした骨のような感触は硬く、炎を内包しているかのように暖かかった。
黄色い4つの目を数度瞬きさせたかと思うと素直に閉じて撫でられるがままになった。両手で鼻先を挟んで撫で回すと目を閉じたままガラガラと鳴らして嬉しそうに笑っている。残像の姿になってもスカーはスカーのままらしい。
不思議な感覚のような、ほっとするような。
「くすぐったいな、ふふふ」
「やめた方がいい?」
「好きにしてくれて構わない」
というので、今度は黒い下顎の方を撫でてみた。黒いそこも体毛はほとんどなく、同じく骨のようにゴツゴツとしていた。
「全く……俺をこうやって好き勝手出来るのはこの世界でお前だけだよ」
くぐもった骨の音と一緒にスカーはそう言って口を開けて。
「…………」
「ふふ」
「最悪だ……」
黒い舌で俺の頬を舐めた。頬だけじゃない。そのまま髪まで舐め上げたせいで、ぐっしょりと濡れてしまった。
「お前をこうやって舐められるのも俺だけの特権だ」
尖った下顎がつんつんと頬を突いてくる。痛くはないけど触れる度に頬が熱い。
「このまま食べてしまいたくなるな。頭からぱく、と一口で丸呑みできてしまいそう」
「どうせしないんだろ」
「しない、じゃない。できない、だ。そんなことしたらお前をこうやって抱き締められなくなってしまう」
骨ばった親指が俺をつついてくる。ちっとも痛くないそれはざらざらとしていた。
白い鼻先を撫でながら「お風呂に入りたい」と素直に告げると、逆だっていた首周りの毛がゆっくり垂れていった。嫌らしいが、俺も早く顔と髪を洗いたいので鼻先を突きながらもう一度繰り返すと「嫌だ」とシンプルな拒否が返ってきた。
「もう少しここにいる……」
きゅ、と指で握られて胸元に手が移動する。熱くて肋骨が浮き出たようなそこは微かに震えている。
「最初はハロウィンらしく、なんて思っていたがここにいれば誰にも邪魔はされない」
「でもベタベタする」
「それは……悪かったよ」
おしまい、と示すように青く光る指先を叩くとゆっくり開かれ、また目線と同じ高さまで移動する。4つの黄色い目がじっと俺を見つめてくる。常に水平を保つ瞳孔は俯いても俺の方を見ていることを表していた。
「後で何かお菓子を作ってあげるから」
「お前が?俺に?」
「だから悪戯はおしまい。ハロウィンってそういうイベントなんだろ?」
グルル、とスカーが短く唸ったと思ったら急に重力を感じた。手を離されたか、と受身を取ろうとすると、ぼふ、と慣れた柔らかい感覚が俺を受け止めた。
見渡すまでもなく、そこはさっきまでいた自宅の寝室で、隣には俺の上着をきっちり着込んだスカーが座っていた。何度か瞬きをしたスカーは俺の脚に手を乗せて目を輝かせながら俺を覗き込む。
「お前が俺のために作ってくれるお菓子、楽しみにしてるから」
「そこまで期待されると困るな。スカーほど料理も上手くないし」
「上手い下手じゃないさ。お前が俺に何かをしてくれるってだけで夢みたいに嬉しいんだ」
子供みたいな反応を見せるスカーに頭を撫でる。今度は少し硬い髪に手が埋もれた。
「その前にお風呂に入らせて」
「わかってる。もちろん風呂の用意もしてあるぜ」