呪い「せんせい」
子どもの声がして、離は櫛を置いて振り返る。
先ほどまで眠っていたと思うのに、子どもの黄色の目はぱっちりと離を見つめている。
「どうしましたか」
「起きました」
それはまぁそうであろう、と離は自分の長い髪を手でといて前にやる。手入れをしておかねば明日の朝が大変だが、髪は少し放っておいても泣いたりしない。離は鏡台を背にして、子どもに向き直る。
「眠れないんです」
「はあ……原因がおありで?」
「怖い夢を見たんです」
子どもの夢の話ほどつまらない物はないと思いつつ、それを語る子どもの声は、それはもう深刻だ。
「どんな?」
「おばけの夢」
子どもは真剣な眼差しを離に向けている。一応、おばけの親戚のモノノ怪の退治の仕方は教えていて、そしてそれが離の生業で、離の弟子である目の前の子どももそれを生業にする予定だ。
「おばけはモノノ怪より危なくないですよ?」
子どもは、ふるふる、と首を横に振った。子どもの赤みがかった銀色の髪が布団に当たり、さらさらと音を立てる。
「そう思って俺は剣を抜いたんです。夢の中で」
はあ、
「そうしたら、神儀が来なくて……呼んだのに」
「呼んだんですか?」
子どもはこくこくと頷く。
「おーいって……でも…………昼寝してて」
あらら、
確かに恐ろしいことだ。今まで仕事中に半身とも言える神儀に離が憑依できなかったことはないが、憑依できなかったら、どうすればよいのだろう。
「怖いですね、それは確かに」
離は立ち上がり、子どもの隣へと歩く。
「大人の薬売りは、おばけの退治の仕方は知りませんが、坤が怖い夢を見ないようにすることはできますよ?」
「本当ですか」
弾んだ子どもの声が響く。
「静かに。目をつむりなさい」
離は子どもの顔の前に座り、そっと、親指の腹で子どもの眉間を押す。
「坤はもう、目を瞑って、息をゆっくりゆっくりすると眠たくなってしまうようになりました。怖い夢も見ることができません。可哀想に」
耳を澄ますと子どもの一生懸命、ゆっくりゆっくりしている呼吸の音がする。
「それから……坤はもう、この呪いのせいで、私と離れ離れになることができません。可哀想に……そりゃあまぁおばけが出たら、私の相棒の神儀がおばけを斬りますが……あぁなんて坤は可哀想」
ほどなくして、子どもの呼吸はひどく穏やかなものに変わった。
離は下を向く。
食べ物の夢でも見ているのか、幸せそうに子どもは口をもぐもぐ動かしている。
「私も……お前に呪いをかけられたのかもしれない」
離は苦笑して子どもの顔にかかる銀色の髪をそっと横に流す。
「お前まで大切になってしまった……ヒトはまじないと呪いに同じ字を使うんですよ」
子どもは、離の指がくすぐったいのか、微かに口角を上げた。
「これでは私はお前とずっと楽しく一緒に居てしまいますね……可哀想な私」