隣のシリアルキラーな双子に愛されるアズ8よくわからない人からの贈り物はもらわない
それが置かれるようになったのは、先週くらいだった気がする。
最初は会社への通勤の時。誰かが供えたのかというような道路の隅に置かれていた花束に一瞬目を向けた時があった。その翌日、今度は会社の前に無造作にそれが置かれていたらしい。警備員が拾ったらしく、差し込まれていたカードに書かれていた特徴が似ていたからと、声をかけられた物の、それは一応処分したと後から言われた。
そうして、遂に週末になると何故かデスクの上に花と、恐らくギフト用というやつだろう、ぬいぐるみが置かれていた。
ここ最近仕事が立て込んでいたアズールは、殆ど無意識に、流れるように処分していた。彼にとってデスクに勝手に物が置かれているのは嫌がらせくらいにしか思わない。何しろ過去よく虐められていた彼からすれば、そう考えるのが自然である。
そんな理由から、アズールは特に何か問題とも思わないまま、休日を迎え、ついでに言えば完全に忘れていた。
「アズール、部屋の前に何か置かれていましたけど」
ジェイドがそう言ってきて、アズールは、怪訝そうに顔を上げた。
「……部屋の前、ですか?」
「ええ、花束と……それに」
ジェイドは、片手に花束、片手にぬいぐるみを持っていた。ぬいぐるみは何故か首元を押さえ込んでいて、生き物だったらくびり殺していそうな手つきである。実際形が若干変わっていた。アズールはそれらを眺めて、ああ、と手を打った。
「嫌がらせじゃないですか。会社の僕のデスクにも同じような物が置かれていたんで」
「は?」
更にぬいぐるみの首をジェイドの手が締め上げ、形が更にねじ曲がった。
「嫌がらせ? これがそう見えるんですか」
花束の中に入っていたカードを渡され、アズールは思わず眉を上げて紙切れを見つめた。筆圧が強すぎるのか紙のせいか、太く滲んだ文字で「For You」と書かれていた。ご丁寧にハートマーク付きである。
「……嫌がらせじゃないんですか」
「……ええっと」
ジェイドは、明らかに信じて疑わないその様子に思わず二の句が継げず、黙り込んだ。過去一体彼に何があったのだろうと思ったが、今それは取り敢えず問題ではない。
「多分ですが、ストーカーという奴だと思います」
「……これが」
「ええ。ここ最近、見ず知らずの人間と会話したりとか……ありますか?」
ジェイドの問いに、アズールは少し考えてから
「いえ、仕事では……新規の顧客はいないですし……。休日はそもそもなんでかお前達としか会話していないし」
「そうですか」
ジェイドはそれはまあそうだ、と納得して頷いた。何しろ、アズールの身辺については細心の注意を払って監視しているのだ。人はそれをストーキングと言うが、彼らは真面目である。犯罪者は自分を棚上げにするという、あれだ。
「ジェイドー、外見てきたよー」
何故か金属バットを持って部屋に入ってきたフロイドに、アズールは思わず目をしばたいた。
「なんです、その物騒な物」
「しょうがねーじゃん。アズールにストーカーしてるやついるなら叩き潰さないと」
フロイドは、ジェイドの持つぬいぐるみを受け取って、テーブルの上に置いてざくざくと切り刻みはじめ、ジェイドはキッチンに入って勝手に花束を分解して花を仕分けはじめた。
「えーっと、何してるんです二人とも」
「静かにしててください。ああ、お茶入れましょう。アズールはそこに座っててください。出来れば音も立てずに」
「……ええ?」
ジェイドとフロイドの、なんとも言えない雰囲気に押され、アズールは思わず言われるままにソファに座って黙って二人の様子を伺った。
フロイドは、何故か持っているナイフでぬいぐるみをズタズタにしてから中綿を解していき、中から何かを取りだした。
「なん――はい」
じろっと睨まれてアズールはむうっと黙りこみ、小さなチップのような物を取りだしたフロイドを眺めていた。フロイドはジェイドに手を振り呼ぶと、二人で何かよくわからない機械を引っ張り出してきて、ごそごそとダイヤルを回しはじめた。
「……駄目ですね」
やがて諦めて機械をしまったジェイドに、
「じゃ、壊すわ」
ばきっと指先でチップを潰し、フロイドははぁ、とため息をついた。
「もう喋って良いですよ」
「はあ……」
アズールは二人の手慣れた様子に、どういう事なのかと二人を見やった。ジェイドとフロイドはその視線は軽く流し
「こういう物を名乗らず置いていくような人間、大体何をしているかなんて予想できますからね」
「そうそう。アズールちょっとその辺抜けてんだよなぁ」
「いや、だって……。嫌がらせに一々気にしていられないというか」
「こういう物をすぐに嫌がらせと判断してしまう貴方の発想については今後矯正していくとして」
「取り敢えず、これを送ってきた奴絞めないとだよねぇ」
ジェイドとフロイドは真剣に頭を悩ませはじめ、アズールは、何か一瞬流れていった不穏な単語の気配に気のせい? と眉をひそめた。が、聞こうとするアズールに、ジェイドとフロイドはじっと視線を向け
「取り敢えず、相手が分かるまでは僕とフロイドのどちらかが送迎します」
「一人でふらつくの禁止」
「……え、いや……そこまでする必要はないのでは?」
アズールの台詞に、ジェイドとフロイドは、全く同じタイミングでため息をついて首を振った。こういうときそういえばこの二人は双子っぽいと、関係無いことをアズールは考えた。
「あのさぁ、アズール。もう何度酷い目に遭ってきたわけ?」
「全くです。正直、四回くらい死んでてもおかしくないんですよ。僕らがいたからなんとかなっているわけで」
「……それは、そうですけど」
アズールは若干申し訳ない気持ちが湧いてきて、珍しく素直に頷いた。
「ストーカーというのは、大抵やることがエスカレートしてくる物です。今回だって、最初は会社だけだったんでしょう?」
「そうですね」
「因みに、いつくらいから始まったの?」
「先週ですね。月曜日に会社に行く途中に、そんな感じの花束が道ばたに置いてあったんですよ。で、無視して中に入ったのですが、翌日になったらどうやら会社の前に置かれていたそうで」
ジェイドとフロイドは、若干引きつった笑顔のまま、アズールの話を聞いていた。
「警備員が捨ててくれたそうなのですが、次の日には僕のデスクに置かれていましたね。かなりびっくりしましたけど、邪魔だったしどうせ悪戯か嫌がらせだと思って、そのまま確認しないで処分してもらいました」
「それ、他に知っている人は?」
「いえ、いないと思いますよ。警備員くらいじゃないでしょうか」
「……うーんなるほど」
「アズールの行動圏内にいるのは確かですが……僕らが気付かないというのがどうにも不思議ですね」
「だよねぇ。ある程度俺らが見張ってるのに」
違和感があったが、アズールは当たり前に会話をする二人に挟まれ、何となく会話を聞いておくことにした。これ以上はまた何か小言を言われそうだったのが面倒だったのだ。
「……しかし、一週間の間にアズールの家を突き止めているんですよね」
「そうだねぇ。近所なら俺らが気付かないのも変だし」
「その辺りも含めて、送迎の間に何か気付くことがあるかも知れませんね」
二人はどうやら何か納得し、アズールの肩を掴んで微笑んだ。
「そういう訳ですから、勝手にあちこち行かないでくださいよアズール」
「休みの日も俺らか離れちゃ駄目だから」
「……わ、かりましたよ」
そもそもここ最近二人がいない時どうしていたっけ? というレベルで二人と一緒にいた事実に気付いて、アズールはなんとも言えない気分のまま頷いた。
「おっはよーアズール」
寝癖が若干直っていないフロイドがアズールの部屋にやってきて、まさにこれから出ようとしていたアズールは出鼻をくじかれるようにつんのめった。
「……え、あ、タイミング良いですね……?」
どうにか狼狽えていたのを誤魔化すように眼鏡を直し、アズールはフロイドを見上げた。フロイドはそうかなーと、いつものふわふわとした口調で答え、
「まあねぇ。アズール大体同じくらいの時間に出てるでしょ」
「そりゃ、まあ遅刻したら困りますから」
外に出たアズールの後を、フロイドがぷらぷらとついていく。アズールの視界のわずか外に立って、彼は視線を周りに向けていた。
「……んー、なんて言うかアズールはさ、毎日の行動がルーティン化してんだよなぁ」
「何か悪いことでもありますか?」
「んー、悪い奴からするとすげー楽」
「と言うと」
「歩くルートも時間も大体同じなら、待ち伏せが楽。偶に道を変えたりとか、どっかによったりとか、そういう遊びがないとまずい」
「はあ」
そう言う物なのか、とアズールはフロイドの話に思わずため息をついた。
「帰りって結構まちまちじゃん」
「ええ、繁忙期やらそうでない時で、結構差はありますね」
「帰りもまあ、同じ道を通ってるとやっぱこう、ストーカーってやたらに粘るからあんまりなぁ」
「なんでそんな事に時間使うんでしょうね」
「まあ、アズールはねぇ。いろいろあるから」
「なんか、馬鹿にされている気がするんですけど」
露骨に嫌そうな顔をするアズールに、フロイドは彼の肩に手を回す。歩いているうちに二人は大通りを横切り、更にその先の繁華街へ渡る横断歩道の前にたどり着いていた。
「してないよー? オレはアズールの事大好きだから」
近くを通りかかった通勤途中の女達は老いも若きも思わずよろけるような笑みをアズールに向けてフロイドは答えた。
「朝っぱらからよくそんな冗談言えますね」
もはや彼のそんな言葉にも慣れきってしまったのか、アズールは軽くフロイドを小突くと、さっさと横断歩道を歩き出した。
「嘘じゃねーんだけどなぁ」
若干不満とも、苛立ちとも取れる表情でフロイドは呟き、思わず髪をかきむしってアズールの後を追った。
二人で並んで歩いて、やがてアズールの会社の前まで来るとフロイドは辺りに目をやった。
「ここで大丈夫ですよ」
「ん、頑張ってねぇー」
フロイドはアズールの手を握り、握手のように強めに振ってから手を離した。
「はいはい。気をつけてくださいよ」
アズールの言葉に、フロイドは機嫌良く微笑み階段を上って建物の中に入っていったアズールを見送った。
「……さてと」
アズールが見えなくなると、フロイドはビルの正面を通って裏口がないか探し、やがて通用口とおぼしき場所に立つと、ふらりと監視カメラの位置を確認した。
そのまま、通用口のドアのノブを回して、鍵が掛かっていないことに気付くとフロイドはそれ以上は止めて入り口にしばらく立っていた。
「どうかしましたか?」
しばらくすると、監視カメラの映像で気付いたのか、見回りなのか、警備員がフロイドに声をかけてきた。
「あ、どうもー。あのさぁ、ここのビルに花束置かれてたって聞いたんだけど」
フロイドの言葉に、警備員は一瞬警戒するようにフロイドを見つめた。フロイドは手を振って
「あ、オレね、その花束置かれてたアズールの友達」
「……あ、ああ。そうなのかい?」
「そうだよー。今日送りに来た。正面側のカメラに写ってんじゃねーの?」
へら、とフロイドは気の抜けた笑みで警備員に通用口の方を顎で指す。
「ほら、ストーカーだったら危ないからさ。警察とかに相談する前に色々情報必要で」
「ああ、なるほど。災難だねぇ」
「花束ってもう捨てた?」
「ああ、ただ見回りの時の記録は取ってあるよ」
「ちょっと、いつ頃に見つけたかとかって教えて貰えない? 記録見せる必要は無いんだけど」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
警備員は通用口から中に入り、フロイドは開け放たれた通用口のドアに寄りかかって中に目をやった。
――通用口にはセンサーは付いてない感じか
通用口のすぐ横にある警備室の様子を眺めると、出入り口の様子を六分割で映したモニターがチラリと見えた。画面に何が映っているかは確認できなかったが、数分ごとに切り替わるのか、時折映像が全く違うシルエットになることがあった。
「ああ、すまない。えーっと、花束は先週の火曜日にはじめて置かれていたみたいだね」
「火曜日……」
「ああ、時間帯は明け方で……午前六時の見回りで発見しているようだ」
「ふーん、それまではなかったんだ」
「ああ、それが、おかしな話で五時の時点では何もなかったし、監視カメラにも異常は無かったんだけどねぇ……」
どうしたものか、と首をかしげている警備員に、フロイドはそっかぁ、と困ったように首をかしげた。
「で、そのあとはもう無いの」
「いや、そのあともあった。これが……水曜の午前九時に、そのアズール・アーシェングロット氏からぬいぐるみの廃棄の方法についてセンターに問い合わせがあったようだ」
「廃棄……」
「うん、ただ捨てるにはどうしたら良いか、と聞かれて、そんな物が会社の、それも大の大人が持っているのも、と思ったから理由を聞いたら、花束と一緒に置かれていたから処分したい、と」
「はあ……」
様子が想像できて、フロイドは思わずため息をついた。
「それで、いつ頃置かれた物かって分からない?」
「うーん……、実は、建物の中でも、廊下とかなら確かに警備するけど、中については人が居ないか確認するくらいだから……。人の机の上に何が置かれているか、っていうのはねぇ」
「まあ、そうだよねぇ」
フロイドは肩を音してから、すぐに立ち直ったように顔を上げ
「ま、いいやー。それだけ分かれば。ありがと警備員さん」
ばいばい、と手を振りフロイドは通用口から外に出て、鼻歌を歌いながらアパートに戻っていった。
その日はどうにか早めに仕事を切り上げ、アズールは外に出た。会社の入っているビルの正面玄関はちょっとしたホールのようになっていて、店やテナントなども入っている商業施設も兼ねていた。いくつか椅子などが置かれたそのエントランスで、ジェイドはこれでもかと目立っていた。
正直、フロイドもかなり目立っていたのだが、エントランスで待っていたジェイドの方はそんな物では無かった。それなりの時間そこに居たせいか、遠巻きにギャラリーのような物が出来ている。
ざわざわと視線がジェイドに集中しているのだが、彼は全く気にも留めずに、パラパラと本を眺めていた。
「……ああ、アズール。お疲れ様です」
ふと顔を上げたジェイドは、本を閉じて立ち上がってアズールに近づいた。
――目立つ……二人とも顔良いから……
アズールは視線の刺さり具合に閉口しながら、ジェイドに近づいていった。
「いえ、待たせてしまったようですね」
「そんなこと無いですよ。丁度色々足りない物を買い足したりしていたので」
紙袋を手に、ジェイドはにこやかに答えてアズールの背中に手を回した。
「今日の夕食はフロイドが良い魚を見つけてきたんで、ムニエルにすると言ってました」
聞いただけでお腹がすいてきて、アズールはぐうっと鳴りそうになったお腹を押さえ
「そうですか。楽しみですね」
疲れてはいたが、わずかに軽くなった足取りでアズールはジェイドと並んで外に出た。
「それで、今日は何かありましたか?」
「何か、というか。また同じ物が置かれてたくらいですかね」
アズールの言葉にジェイドはなるほど、と呟き、首を振った。
「本当に、貴方はどうしてそんなに妙なのに好かれるんでしょうね」
「僕に聞かないでくださいよ。別に……お前達が関わる必要なんて無いんですから嫌なら」
「別に嫌ではないですよ。最初にあったときに助けて欲しいって言ったじゃ無いですか」
「……あ、ああまあ……」
彼らが引っ越してきたその日のことを思い出し、アズールは思わず黙りこむ。なんだか、忘れている気がするがそれが何かが思い出せなかった。
それを察したのか、ジェイドはにこやかな顔で
「……ねえアズール。あのとき貴方、僕らに助けを求めたときになんて言ったか覚えてます?」
「あー……。必死だったからあまり」
覚えてないですね、若干いたたまれなくなってアズールはぼそぼそと呟く。大通りを抜け、住宅街に入ると辺りは比較的静かで、生活音や団らんの会話があちこちから途切れがちに聞こえていた。
ジェイドは、静かなその道路の向こうを眺めながら、面白がるように
「おや、そうでしたか。貴方の性格上、ちゃんと何かやってくれると思っていたのに何もなかったから、そんなことじゃ無いかと思いましたが」
ジェイドはそう言ってアズールに顔を向けて、にやりと笑い
「あのとき貴方、何でもするって言ってたんですよ」
「……何でも」
ぼんやりとした記憶が戻ってきて、アズールは思わず呻いた。必死だったとは言え、普段なら絶対に言わない類いの事を言ってしまったと思わず後悔したが、後の祭りである。実際、それで助けて貰えなければ命と一緒に何か色々失っていた可能性が高い。
ジェイドは機嫌良く頷いて
「ええ、何でも。まあ僕らも何でもと言われても全然思いつかなかったので、気にしてなかったんですけど」
「今は気にするんですね」
「ええ。まあこのストーカーの問題が片付いてからですね」
「い、良いでしょう。既に何度も助けられているのは事実です。僕だって約束は守る男ですよ」
「ええ、知ってますよ。だから、変なのに食われないでくださいね」
妙な言い方だ、とは思ったが丁度アパートにたどり着いて、二人はそのまま階段を上ってアズールの部屋に入っていった。当たり前のようにフロイドがキッチンから顔を出し、おかえりーとにこやかに出迎える。
「……偶にここが自分の部屋かお前達の部屋か分からなくなるんですよね」
「まあまあ、良いじゃん」
「そうですよ。楽しければ良いじゃないですか」
二人はアズールの手を取り、チラリとお互いに目配せした。
アズールの部屋から戻った二人は、リビングで地図を眺めて腕を組んでいた。
「フロイドの聞いた話からすると、やはり会社の付近が怪しいですね」
「そうだねぇ。通用口は出入りが出来る状態だから、それなりに出入りしている業者だったりすると、ノーマークだろうね」
「帰りにアズールから聞いたところでは、今日も机の上にプレゼントがあったようです」
「休みの日には家に置いてきて、仕事がある日は会社に置く感じなのかな」
「そんな感じですね。しかしなんで今このタイミングなのでしょう」
「さぁ、それこそ狩ってみないと分からないんじゃねーの」
フロイドは監視カメラの位置を地図上でポイントしながら少し考え
「どっちにしろ、今日もしアズールをそいつが監視していたら、何かしらアクションしてきそう」
「その可能性は高いですね。僕らがあんなに彼と親しくしている様を見せられたのですから」
ジェイドは、そう言ってから思わずにこやかな顔になり
「それにしても、送り迎え良いですね。今度からずっとやれないでしょうか」
「嫌がりそうだけどねぇ。デートしてるみたいで良かったけど」
二人は、そう言ってため息をついた。
どうやら、自分はジェイドとフロイドの言うストーカーの機嫌を損ねてしまったらしい。
その日、出社して自分のデスクに鞄を置こうとして、アズールは思わず机の上を見つめ、少しの間動きを止めた。誰かがオフィスに入ってくる気配に気付いて、彼は急いで机を綺麗にして、鞄から飲み物やガム、本を置いて汚れたティッシュや紙切れを給湯室側のゴミ箱に放り込んだ。そのまま布巾を掴んで急いで取り切れなかった汚れを落として、やれやれと胸をなで下ろした。
――油性マジックとかじゃなくて良かった。
触った感じはただの水彩絵の具らしかったが、赤い絵の具で机が真っ赤になっているのは中々心臓に悪い。ついでに、昔よく見た悪口のようなものが書かれていればそれなりに驚くものだった。
――馬鹿、とかまあ子供っぽいですが……。売女……?
チョイスされている単語おかしくないか? とどこかズレた感覚でアズールは片付けて、何事も無かったように仕事を始めた。
この程度のことで一々気に病むような歳でもない。アズールは、一瞬浮かび上がりそうにある古い記憶を押さえ込み、咳払いをして仕事に集中しようと作業に取りかかっていた。
それからという物、ストーカーのプレゼント攻勢は相変わらず続きながら、会社のデスクへの嫌がらせは確実にレベルが上がって言っていた。最初に花束が机に置かれるようになってからかれこれ三週間は経っただろうか。
どこから持ってきたのか生ゴミらしい物を置かれて、流石にアズールはうんざりして清掃のスタッフに頭を下げて掃除をお願いするしかなかった。
仕事も繁忙期にさしかかり、送りは良いにしても迎えに来るジェイドとフロイドに、後ろめたさと苛立ちが混ざりはじめていた。
「明日以降はもう迎えは良いですよ」
迎えに来たジェイドに、アズールは若干イライラしながら言い捨て、エントランスから外に出ようとした。
「待ってくださいアズール。どうしたんです?」
「仕事が繁忙期になってきて、多分日を跨ぐ可能性があります。今日だって本当はもう少し終わらせてから出ようと思っていたんですよ。まあ、いつもだと」
腕を掴み、ジェイドはわずかに眉をひそめてから、アズールを自分の方に向けさせた。
「気を遣わなくても良いと言ったはずですが……。それに、なんだか随分疲れているように見えますね。何かありましたか?」
「別に何もないですよ」
視線を逸らそうとするアズールの顔を両手で押さえ込み、ジェイドはアズールの目を覗き込んだ。
「ちょ、っとジェイド……っ」
「アズール、もし会社の中でストーカーに絡む何かあったのならちゃんと言ってください。僕らが出来るのは限られてるんですから」
「……それは」
アズールは、ため息をついて観念したように
「少し前から、僕のデスクにそのストーカーからの嫌がらせが続いてて」
「ほう……」
すっとジェイドの目つきが鋭くなったが、すぐに労うようにアズールの頬を撫で
「そうでしたか。僕らがアズールと一緒に居るから、やり方を変えてきたんですね。何かパターンが変わるかとは思って居ましたが……。嫌な思いをさせてしまいましたね」
「いえ、別に。そのくらい大したことではないですから」
「そんなこと無いですよ。実際それで嫌な気分になったのなら」
ジェイドは、アズールの頬から手を離して、彼の手を取ってエントランスから外に出た。流石に外野のざわめきと視線が煩わしくなってきて、彼は周りに意識がまだ向いていないうちにアズールを連れ出そうと歩き出した。
「まあですが、その付きまといももうすぐなんとかなりますよ」
ジェイドの言葉に、アズールはそうですか、とわずかに表情が明るくなった。
「なんとか、警察の方に出せそうな情報も集めましたので」
「そうですか……」
明らかにほっとした顔になったアズールに、ジェイドは
「今日は僕達二人でアズールの部屋に泊まりますよ。何かあったら困りますから」
「……え、それは別に……」
良いかな、と引き気味のアズールに、ジェイドは遠慮なんてしなくて良いですよ、と上機嫌で答えた。
酒を飲んで雑魚寝、のパターンでは無く、最初から三人で床にマットレスを敷いて寝るのは正直初めてだった。
ジェイドとフロイドに挟まれるという配置に文句を言うとか言う前に決められ、そのまま流れるように横になったアズールは、すうすうと健やかに寝息を立てていた。
「……そろそろ仕留めたいですねぇ」
ジェイドは寝ているアズールを眺めながら呟いた。
「大体目星は付いてるよ」
フロイドはアズールに抱き枕の如く腕を回しながらジェイドに囁いた。
「もう少し泳がせるかと思ったけど、そういう事してたんならさっさと回収しないとだねぇ」
「ええ、今日聞き出すまで分かりませんでしたから」
どうやらフロイドにぎゅうぎゅに絞められているせいか、悪い夢を見ているのかうなされているアズールを見つめてジェイドはアズールの頬を撫でる。
「本当に、困りましたねぇ」
「やせ我慢とかじゃないんだろうね」
「いずれその辺の話も聞いて、落とし前は付けさせても良いかもしれないですね」
「いいねぇ面白そう」
うう、と呻いているアズールを、ジェイドも反対側から抱えて二人はそのまま仲良く眠りについていた。
終わりが近いと思えばこの程度は大丈夫、と思える物だ。だからといって、連続で朝の掃除をする事は正直勘弁願いたい。
アズールは布巾で机とその周りの床を拭いてどうにかなった事を確認して、席に着いた。
その日は朝から予想していたとおり凄まじい忙しさで、アズールは昼食もそこそこに張り詰めたまま仕事を続けていた。
ようやっと息をつけたのは、定時も大分経った頃で、彼は立ち上がって凝り固まった身体を伸ばし、腰を押えながら部屋から出た。
普段ならあまりやらないが、買い物にも行きそびれてしまって食べ物もない。仕方が無いので甘いコーラか、エナジードリンクで誤魔化して、仕事を終わらせようと休憩室の自販機で飲み物を買って廊下に出る。
「お疲れ様です。アズールさん」
「あ、ああ。どうも」
どうやら見回りをしていたらしい警備員が、男子トイレの中から出て来てアズールに声をかけてきた。名前を呼ばれて一瞬狼狽え、アズールはそれでもどうにか笑顔で答える。
「まだ仕事ですか?」
「ええ、もう少し掛かりそうで」
「そうですか。もうここのフロア、最終退出者になりますので」
「分かりました」
アズールは答えて部屋に戻ろうとして、警備員の脇を通り過ぎようとした。その身体を、警備員がいきなり腕を伸ばしてきて抱え込む。
「な……っ、ぐ、んんー⁉」
口に布――恐らく彼が付けていた手袋だろう、が押し込まれてアズールは声が出せず、うめき声を代わりに出して暴れられる限り身体をバタバタと動かした。
壁に身体を叩きつけられるように押さえ込まれ、アズールは一瞬息が止まってがくん、と膝から力が抜けた。
首元を押さえ込まれ、後ろから男の荒い息が掛かって、アズールはまたこの展開か、と若干既視感を覚えた。どちらにしろ命の危機なのは確かだ。
「今日はあのむかつく男はいないから、やっとお話しできますね」
「……っ」
片方が口を押さえられている状態でお話になるわけがない。
アズールは相手を睨もうとしたが、相手の方はどうやら機嫌が良いのか、興奮しつつも弾んだ声でアズールのジャケットの内側に手を差し入れた。
「んー!」
助けを求めて思わず呻いたアズールの耳に、非常口のドアが開いた音が聞こえてきた。
「こんばんはー」
「お邪魔しています」
かつん、と手に持つバットを床に着けて鳴らし、フロイドがにたりと微笑んだ。
ジェイドは、首をかしげて呆然としている警備員をライトで照らし
「さて、彼から離れてくれませんかね」
「……双子……?」
呆然と呟いた警備員は、アズールを抱えたまま人質にするように抱きかかえた。
「そうだよー。気付いてなかったんだ?」
「おかしいと思っていたんですよね。アズールの周りはほぼ常に僕達が目を光らせて、妙な輩に目を付けられる可能性は大分低くなってきていた。なのに、今回ストーカーに悩まされることになった」
「俺らが見られない場所って言ったら、アズールの仕事場辺りくらいだしねぇ。その辺に当たりを付けてここの所ずっと監視してたわけ」
「机の上にプレゼントが置かれていたのがまず妙でした。監視カメラの映像などからは、妙な人物は見当たらない。なら、映っててもおかしくない人間が該当するだろう、とは思ってました」
「で、色々あんた以外の警備員と仲良くなってさぁ、セキュリティセンターの監視カメラの映像をたまーに目の端で観察してたら、数カ所カメラが壊れて映像が映ってない場所が合ったんだよねぇ」
「はい、それがこの場所。この廊下」
「映っていなければ何をしようとも気付かれないもんね。別の警備員がおかしいって思うこともない」
フロイドは、こつ、と一歩前に出て警備員の男を睨んだ。
「さてとー、ロースト? ソテー? どうしてやろうかなぁ」
「く、っそ。アズールさん、さ、こっちに」
「んー!」
アズールは藻掻いてフロイドの方に手を伸ばし、フロイドはアズールに叫んだ。
「後ろに転がって」
「……!」
アズールを引きずっていた男は、突然突っ張って反対側に踏ん張っていたアズールが自分の方向に重心を動かしてきて一気にバランスを崩してひっくり返った。
「アズール!」
ジェイドがアズールの手を取って羽交い締めにしていた男の腕からアズールを引っ張った。
「ジェイド、大丈夫?」
「ええ、アズールは無事です」
ジェイドはアズールを後ろに引っ張っていき、フロイドは了解、と大きくバットを振った。
「じゃ、アズールと下に行っててよ」
「ええ、そちらはお願いしますね」
もごもごと何か言っているアズールに、ジェイドははいはいと適当に返事をして、非常階段の向こうに消えた。フロイドは、起き上がって逃げる男の背中を見つめて、楽しそうに呟いた。
「ギタギタにしてやろうーっと」
仕事は繁忙期。ストーカーに襲われて危うく言ってしまうと貞操の危機。
乗り越えた日付を眺めてアズールはぐったりとベッドに転がった。
「疲れた……」
「はい、お疲れ様です」
アズールの髪を梳いて、撫でるジェイドに、アズールはなんとも言えない顔をして
「子供扱いしてませんか」
「してませんよ」
しれっと答えたジェイドは、物音に気付いて音の方に目をやった。
「ただいまー」
「ああ、フロイド。どうです? 彼は」
フロイドは、声だけで返事をして、洗面所の方に行ったのか、くぐもった声が寝室に聞こえてきた。
「黙らせた。取り敢えず、びびらせたからもうアズールに付き纏わないって」
寝室に入ってきたフロイドは、シャツも替わっていたのだがアズールは気付かず、起き上がってフロイドを見上げた。
「面倒な事をさせてしまいましたね」
「別にー? アズールは大丈夫?」
「ええ、ただ、ちょっと……」
眠い、と呟いてアズールはそのままうつらうつらし始め、二人は肩をすくめてアズールをベッドに寝かせた。
子供のように撫でられ、アズールはまずい、とぼんやり考えながら
「癖になるから……あまりされると」
困る、とブツブツと口に出していることも気付かずに寝入りはじめていた。
「なるほど、アズールに親切にして貰ったのがきっかけと」
いつものように解体処理前のちょっとした語らいの場で、男の言葉に二人はため息をついた。
泣き叫ぶ男の話では、どうやらやる気の無かった見回り中に労って貰ったのがきっかけでアズールに興味を持ったらしい。そうして、外面の良さやら何やら、仕事での彼の真面目さに惚れ込み、お近づきになりたいと徐々に狂っていったようだった。
「アズールにも困った物ですね」
「外面というか、猫かぶりの威力すげーね」
「意識している時の対応は胡散臭さがあるからまあ、なんですけど、気を抜いているときの対応でころっと行くみたいですね」
ため息をついて、ジェイドは男の息の根を止めた。
「そういえば、アズールが最初の時のお礼について話があると言ってましたよ」
「最初……ああ、何でもするーって言ってた奴? なに、本当に何でもしてくれんの?」
「さあ、そうだったら、何をして貰いましょうね」
重たい包丁をたたきおろし、ジェイドは呟いた。
+++++++++++++++++++++++++++++
なんか食べたいだけじゃなくって色々面倒くさいことになってきてる二人
そろそろかなーという感じ