煉瓦通りの異人達アーシェングロット&リーチ商会出張所にて
その店は異人達が多く住む海辺の街にいつの間にか存在していた。
一時期良くあった表側が洋式、裏側に回ると和風の折衷型のその店の中で、その辺りでも有名な異人の男がせっせと働いていた。
開国してから既にそれなりの時間が経ってはいるものの、情勢は相変わらず流動的で、異国からの来訪者にとってはまだこの国は危険とも言えた。
「……失礼します。アズール」
「ああ、戻ったんですねジェイド」
書類から目を離さずに、アズールは答えた。この国では殆ど見かけない長身の男は、はい、と微笑んだ。
「どこまで行ってきたのかは知りませんか……。まあ良いですよ。成果はありましたか」
「ええ、それはもう。品川辺りでも結構な当たりを引きまして。それに変わった模様の朝顔の鉢を譲り受ける事も決めましたし、あとは」
「その話はまあ良いです。こっちはこれから面倒な仕事が控えているんですよ」
「おや、というと?」
ジェイドは面白そうにアズールの側に近づいた。アズールは目元を押さえながら
「ええ、また新しく同国人がやって来るそうです。彼への宿の手配や対応をする必要があります」
「おや、それそれは。最近増えましたね」
手紙をアズールから渡されて眺めながら、ジェイドは呟く。
「ええ、商機とみて来ているのでしょうね。まあ、こういうのはリスクを取って早い者勝ち、と言いますが」
「あなたのように、ですか」
手紙を返し、ジェイドは含んだ笑みを浮かべ
「さて、何のことだか」
アズールはふふ、と幾分得意げに笑って、ふっと真顔に戻ってジェイドを見上げた。
「宿の手配は済ませましたが、他にもいくつか出向いてやることがあります。で、フロイドを道々確保していきますよ」
立ち上がったアズールに、ジェイドは眉を上げて、困ったように微笑んだ。
「どこに居るかは判りますか?」
「さあ、どうせ遊郭でしょう。あそこでどうやらこちらのギャンブルを覚えたようで……全く」
ジェイドはおやおや、と面白そうに笑い
「まあ、彼は深追いはしないでしょうからね」
「されたら困りますよ」
コートと帽子をアズールに渡し、ジェイドは彼の後をついて外に出た。
「さあさあ張った張った丁か半か!」
男の声にその場に居た者達が次々「丁!」「半!」と喚く。
「んー、俺は半で」
手の先に別のサイコロを弄びながら、周りよりも明らかに体躯の異なる男が呟いた。
「全員よろしいか。では」
蓋が開いて、二つのサイコロの目を見つめて男達が悲鳴と歓声を上げる。
「半!」
「お、また勝ちー」
「フロイド! いつまでそこで油を売っているんですか。仕事です」
馴染みの声に、男はんー? と体を起こして振り返る。
「あ、アズールじゃん。え、何仕事?」
「そうですよ。早く行きますよ。全く、何ですかその恰好は」
靴を脱ぐのが億劫なのか、入り口から声を張り上げるアズールに、フロイドはゆるりと立ち上がって賭場から出てくる。
派手な女物の着物を肩に引っかけ、ゆるいにもほどがある着流し姿のフロイドは、あはは、と軽く笑って肩に羽織っていた着物をアズールに被せる。
「おい! こら!」
「それぇ、良いやつなんだって。なんか賭けで勝ったから貰った。アズールにあげる」
「そりゃ、見れば判りますよ良いものだってのは。ていうか……これどこぞの遊女の物、じゃないか?」
良いのかこれ、ときらびやかな友禅の着物を、アズールはじっと見つめて検分した。
「良いじゃん良いじゃん。くれたんだし」
「誰がくれたか判らない、でしょうね」
「うん、わすれたー」
「はあ」
「おやおや、また随分と稼いだようですね」
「あは、何だっけこう言うの。大漁大漁」
信玄袋をぽんとジェイドに渡し、フロイドは下駄を突っかけ外に出る。
「ちょっと、そのまま行く気ですかお前は」
「だぁってこれが普通なんでしょここ」
アズールは少し考え、まあ良いでしょう、とため息をついた。店の女が着物を丁寧に畳んで風呂敷に包み、アズールに手渡す。
「ああすみませんね」
「いいえ、また来てくださいまし」
ふふと袖で笑みを隠して女は奥に引っ込み、アズール達は店の外に出た。
「それで、これからどこに?」
「手配した宿の警備について確認して、あとは世話人達の用意ですね。まあ、取り敢えずフロイドがこんなでも大丈夫でしょう……」
若干不安げにフロイドを上から下までチェックして、アズールは思わずゆるい胸元と足元の長着を引っ張りあげる。
「何々ー?」
「もうちょっとこのへん何とかならないのかお前は……」
裾を押さえるアズールに、フロイドはくすぐったそうに笑ってアズールの肩に腕を回す。
「良いじゃん皆似たような恰好なんだからさぁ」
「歓楽街と他を一緒にするな。全く」
ため息をついたアズールに、ジェイドはおやおやと可笑しそうに笑って眺めていた。
夕餉を終えて小さな庭を眺めながら縁側に足を伸ばしてフロイドはだらりと横になる。
「またお前はそうやって……」
眉をひそめるアズールを、フロイドは良いじゃん、と顔を上げて薄明かりにほのかに浮かぶアズールの姿を見上げた。仕事を終え、湯浴みでさっぱりした肌に白地に格子の浴衣をざっくりと着た彼は、フロイドの横に座る。
「この時期は夜は冷えるらしいですから、あまりはだけさせるのはどうかと思いますよ」
「はいはい」
起き上がったフロイドの浴衣が肩からするりと脱げ、こちらに来てから彼がいれた刺青に目を向ける。
「随分大きい物をいれましたね」
「格好良いでしょ? ジェイドは腕だけなんだよねぇ。アズールはいれないの」
「僕は良いです」
「えー。良いじゃんちょっとくらい。この辺とかさぁ」
「おい、人の服に手を突っ込むな」
浴衣の胸元に手を突っ込むフロイドをたたき、アズールは文句を言う。
「おやおや、賑やかだとまた苦情を言われてしまいますよ」
片付けを終えて戻ってきたジェイドは、縁側で戯れている二人に声をかけて、お茶を差し出した。ジェイドも洋服を脱いで濃い藍色に細縞の浴衣を、本人の好みなのかぴたりと綺麗に着付けていた。
「ああ、すみませんね」
戻ってこようとする二人に雨戸をそろそろ閉めてください、とジェイドは声をかける。ガタガタと二人が雨戸を閉めて戻ってくると、足を投げ出して座り茶を飲む。
「あ、アズール、はいこれ」
ばさっと昼間渡された女物の着物を渡され、アズールは、は? と眉をひそめた。
「何です?」
「長さいけたと思うからちょっと着てみてよ」
「おやおや」
艶やかな朱の中に花が描かれたそれを、浴衣の上に被せられてアズールは顔を引きつらせる。
「は、は?」
「どう? ジェイド。似合うでしょ」
フロイドの問いにジェイドはそうですねと機嫌良く頷いて
「ああ丁度僕ももらい物でかんざしなぞを持っていたんですよね。ほらビラ簪良いと思いませんかフロイド」
「なんでもっている……」
袖の中からするりと簪を引っ張りだしてジェイドはアズールの耳辺りに簪を差し、満足げに問いかける。
「あは、良いじゃんアズール」
「ひ、人で遊ぶな……」
簪を取ろうとするアズールの手を押さえ、フロイドが後ろから機嫌良くアズールに顔を近づける。
「良いじゃんちょっとくらい。今日一晩お勤めさせていただきますとか、言うんだっけ?」
「一夜の夫婦と思ってください、とかもありますよね」
ジェイドもそう言いながらアズールの浴衣の帯に手を掛けて微笑む。
「何が一夜だ……」
ぼそっと呟くアズールの言葉は都合良く聞き流し、二人は絹の感触を楽しみながら布の奥に手を這わせた。
最初の正月
冬のこの時期になると、隙間風がかなり身にしみる。
暖かな布団にグズグズと潜っていたアズールは、同居人の声に曖昧に答えて頭から布団をかぶった。
――この国、本当に夏以外のこと考えてなさ過ぎでは?
雨戸を豪快に開けていく音に閉口していると、失礼します、と声が響いた。ふすまの開く音ともに、畳の上を擦るように足音が聞こえる。
「アズール、もういい加減起きてください」
「寒い……。冬の間だけ店の方にいたいんですけど」
「おやおや」
布団の上から手で軽く叩かれるような感触がして、アズールはちらりと布団から顔をだす。和服はどうやらやめたのか、今日のジェイドはシャツにセーターを着て温かそうである。
「アズールまだ寝てんの?」
「ええ、寒いのが嫌とわがままを」
布団の上でフロイドとジェイドが面白がるような声のトーンで喋り、ぼふっとアズ-ルの寝ている布団の上に何かが覆い被さる。
「ちょっと重いんですけど!」
「だって俺だって寒いけど起きたんだもん。アズールも早く!」
ぐらぐらと揺らされてアズールはううっと更に丸くなって真綿の布団にくるまる。
「そもそもフロイドが何でそんなに元気なんですか……」
「今日正月? らしいからさぁ。近所の子供が言ってた」
「正月? ニューイヤーデーとかいうやつですか。この国ではやけに大事らしいですね」
ずぼっとフロイドのひやりとした手がアズールの布団の中に潜り込み、温い! とフロイドは機嫌良く冷たい手をアズールの素肌にべたっと触れさせる。
「ひっ! つ、つめた!」
「アズールあったかーい!」
「おやおや、二人とも子供みたいに……」
そう言いながらもジェイドは二人の戯れを愛おしげに眺めて、ひいひいと寝間着代わりの長襦袢をはだけさせて自分の方に逃げてきたアズールをずるっと布団から引き剥がす。
「アズール、ほら、僕の結城がありますからこれを。暖かいですよ」
乱れ箱に入れた服を横に、ジェイドは微笑んだ。
「さ、さむい……」
「この国の建物はどうしてもそういう作りですからね。夏は本当に暑いですが」
「熱いって言うかジメジメしててすげーびっくりした」
フロイドも布団をさっさと片付けて、着替えるアズールの近くに寄る。
絹鳴りも心地よく、寝ぼけたアズールの腰紐と伊達締めを解き、ジェイドは下ろしたばかりの新しい長襦袢をアズールの肌に羽織らせる。
「新しいのですか?」
ひやりとした肌触りと、とろけるような心地のする絹に、アズールはおや、と眉を上げた。
「ええ、先日こちらの正月には、下着や着る物は全部正月に新しくするのだと聞きまして」
「変わった話ですね」
「それでやけにこだわってたんだジェイド」
目を擦って、ようやっと覚醒してきたアズールはフロイドのぱりっとした新しいシャツに目をやり、なるほどと頷いた。
「お前の場合はそうでも無いと気にしなさそうですしね」
「良いじゃん、くれるんだから適当で」
「おまえのはくれたのではなく剥ぎ取ったの間違いでは?」
つい先日も店の中に負けた腹いせだとかで刀を振り回して暴れた男が来た事を思い出してアズールはため息をつく。
「だぁって賭に負けたやつが悪いだけじゃん。それに負けたら俺だってたまに剥ぎ取られるし」
「年末それで下着で帰ってこられたときにはどうしようかと思いましたよ」
アズールは思い出したのか目元を押さえ、羽織った長襦袢にジェイドから腰紐を受け取り締めはじめる。
「あまりきつくすると駄目ですよ」
指をひもと身体の間に入れて引っ張るジェイドに、アズールは分かってますよと手を軽く叩く。そうして、ふと寒さから洋装をしれっと着ている二人と自分を見比べて
「どうして僕だけこっちなんですか?」
とひらひらと袖を振った。
「おや失礼。ついこちらの方が良いかと思って」
するりと柔らかな風合いになった細縞の結城をアズールの肩にかけ、ジェイドは前に立って手慣れた動きで前を合わせる。
「めくりやすいからでしょーどうせ」
「ふふ、まさか」
軽くジェイドが床でだらだら伸びるフロイドの腹を小突いたが、フロイドは脇によけてニヤニヤと面白がって二人を見上げる。
「帯も博多の良い物を用意しました。良い締め具合でしょう?」
独特の柄が織られた細い帯をアズールの腰に巻き、きゅっと絹が締まる音をさせて吸い付くように肌に馴染む。アズールは満足げに頷いて、肩に羽織を掛ける。
「ええ、なかなか良いですね。お前のこれも肌に馴染みますね」
柔らかい肌触りの長着を撫で、アズールは機嫌良く呟く。
「何よりです。さあ朝餉にしましょう」
寒さにお互い身を寄せながら三人はパタパタと静かな正月の朝を迎えていた。
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いつか和物のお話で一本本にしたいという野望。今年は……やるか……