豪快に京都へ「車で行くんですか?電車の方が早くないですか」
店を出てさっそく駅に向かおうとした千紘を巻墨は引き止め、車で移動すると告げた。
「車の方が安全だろ。装備もしてあるしな」
隊長は得意げに説明した。斜めに切り上がった口端が車への自信を表していた。可愛らしいな、と千紘は感じたが黙っていた。それより装備ってなんだ?
「装備とら?」
「武器や小道具が車に隠してあるんですよ」
炭がすかさず説明した。
「へえ」
さすが忍びだ、と千紘は感心した。その評価が伝わったのか、隊長は満足げに頷いた。こくり。
「じゃあ、車を出しますから、ちょっと場所を開けてください」
炭の依頼に千紘は振り返った。駐車場はどこだろう。きょろきょろと周囲を見渡す千紘の肩を、杢は長い腕で掴んだ。最初は肩を強く掴まれたが、すぐに柔らかく抱きかかえられ、店の脇へそっと移動させられる。杢の腕も身体も熊のように大きく、肩を抱かれただけなのに、千紘は全身を包まれた気持ちになった。なんだか温かい。杢と千紘は、歳はさほど離れていないと聞いた。実際、杢は隊長や炭よりも若者らしい軽い発言が多い。しかし、なんとはなしに信頼したくなる安定感が杢にはあった。身体の大きさだけではない。ほどよい雑さと丁寧さのバランスが好ましあのだと思う。
空いたスペースに、炭は一人で立ち、懐から巻物を取り出した。
妖術だ。
千紘が気づいたと同時に、巻物は展開され、車が目の前に現れた。丸くて大きなライトが特徴的な小型車だ。カラーはもちろん黒だったが、ボンネットだけが白く塗られている。可愛らしさもあるが、機動的な雰囲気があり、巻墨によく似合っているとおもった。それにしても杢はこの車体に入るんだろうか?車より杢の方がデカくないか?
突然現れた乗り物に千紘が静かに興奮していると、炭が「どうぞ」と促して運転席に向かった。スマートな仕草で背負っていた刀を外し、扉のどこかにしまった。カチャリと小さな音がしたから、妖術ではなく物理的に格納したはずなのに、どこに収納したかは全く分からなかった。なんだか格好いい。
どうぞ、と言われたものの千紘は動くことができず、道の脇にぼんやりと立っていたが、音もなく寄ってきた隊長に腕をとられ、後部座席に座らされた。強引なそぶりは全くなかったのに、千紘が気がついたら車の中に収まっていた。忍びって恐ろしい。そして格好いい。
隣に座った隊長はどこからかクッションを持ち出し、巧みに背もたれと自分の間にそれを挟んで、シートベルトを締めた。よく出来た人形がクッションに埋められているようだ、と千紘は思ったが黙っていた。可愛い、と伝わると怒られるような気がする。可愛いが、可愛いだけではなく、人間らしさが薄いとも思ったのだが、自分の拙い話し方では上手く受け取ってもらえない気がした。人形のように音も気配も匂いさえも消すことができるというこの人たちと作戦を一緒にするのは、特別な気がしてわくわくとした。
「あんたもベルトを締めたほうがいい。炭ちゃんの運転は豪快だから」
グラサンの隙間から上目遣いでこちらを覗く瞳は楽しそうだった。豪快な運転を千紘に自慢したくてたまらないんだろう。澄ました顔でハンドルを握る炭が、そんなに乱暴な運転をするとは思えなかった。静かで丁寧な走りをしそうだ。
「炭ちゃん、出して」
杢が背を丸めて助手席に収まったのを確認し、隊長は炭に声をかけた。杢の頭は天井に届いていた。太い首に支えられた硬そうな頭に押され、車の天井がひび割れそうな気になった。千紘が観察したところ、大丈夫そうに見えたが、本当は天井が少し盛り上がっているのかもしれない。
隊長が指示を出すのと、炭が車を発進させるのは同時だった。
スタートはスムーズだった。音も静かだったと思う。でも、スタートした後の加速はあっという間だった。車はいつしか風よりも早くなった。車窓の景色は川の水のように速く流れ、時々きらきらと光った。いま、座村さんのせいで太陽は見えないから、光ったのはなにかの看板だったかもしれない。高速のサービスエリアだったのかもしれない。世界の形も存在もよくわからないまま、景色は混じり合って後ろへ流されていった。そのくらい炭が運転する車は速かった。なるほど豪快だ。
その分、車体は揺れ、震え、飛び跳ねた。千紘と隊長はベルトに抑えつけられていたので、車内を跳ね回らずに済んだ。千紘は小さく軽そうな隊長がベルトをすり抜けて車中に放り出されるところを想像した。妄想の中の小さな隊長は猫のように背中を曲げて綺麗に丸まり、モノクロのゴム球となり弾力をもって天井にぶつかって、スーパーボールのように車内を縦横無尽に飛び跳ねた。いやいや、違う。これは妄想だ。現実の隊長はクッションを活用して隙間なくシートベルトに固定され、固定しようがない細い脚を車の揺れにまかせてプラプラと揺らしていた。
助手席に座る杢は一人だけ別の次元にいるかのように落ち着いて、ゆうゆうとシートに体を埋めていた。たまに車が回転しそうなほど豪快に揺れている時は、イカつい熊みたいな体全体を車と一緒に揺らしていた。車が揺れているのか、杢が揺らしているのか、分からなくなり混乱するので、千紘は次第に杢を観察しなくなった。炭はその隣の運転席で踊るようにハンドルを回した。
「こんな運転して捕まんないんですか?」
「警察はこのスピードにゃ追いつかねえよ」
「でも、車のナンバーとか記録されるでしょ?」
「この車はナンバーなんてないし、万が一車体から俺たちを割り出せたとしても、適切に処理されるからな」
要は警察よりも神奈備の方が力があるということらしい。
「速く安全に主を移動させる方が大事だから」
呟いた隊長は笑っていなかった。仕事人の横顔だった。
「さ、運転は任せて、俺たちはしっかり寝るぞ」
隊長が千紘の脚に手を乗せた。小さな手の平はあたたかだった。
「焦ってるか?」
「いや、その」
いいえ、と言いながら、脚の上の小さな手を握った。子供の体温に改めて驚く。思わず、千紘の口元が弛んだ。
「部隊は役割分担だからな。休む時間がある奴は休むのが仕事だ」
隊長は千紘に掴まれた手を握り返す。
「俺と一緒に寝ろ」
掴まれた手が熱い。熱さで脈が速くなっている気がする。
言われたとおりに目を閉じると、耳の奥で脈打つどくどくという音を聞こえる。小さく滑らかな手が千紘の指を握り直す。気持ちいい。
気持ちいい、と感じながら、千紘の意識は徐々に薄れていった。隊長も同じように感じているだろうか。この気持ちよさを、分け合えているだろうか。
〆