どろをすすってでもなんでもする
『カブルー殿もそろそろ出歩く際は護衛をつけませんといけませんよ』
ほんの数時間前にそんな話をしたばかりだった。
現実というのは言葉にすれば不思議とそうなることがある。気のせいかもしれないが、そういうものもあるかもしれないと思う。
目の前には三人の男。
手には得物。明らかに殺意を持っている。
無駄とわかりつつもとりあえず対話を試みてみる。
「なにか御用ですか」
「宰相補佐カブルーだな」
「人違いです」
我ながらベタな返答だ。
言葉の代わりに返ってきたのは刃だった。
しょうがない、とひとりごちて、カブルーも剣を抜く。
対人戦はそこそこ得意のつもりだが三体一となるとさすがにキツイ。
ひとまず一対一に持ち込むようにして、走り回る。手首を打ち据え得物を落としたところを、足でひっかけ、両肩と足の爪先に剣を刺す。
これで一人クリア。
もう一人の男は体格が大きく、明らかに不利だ。刃を受けながらもう一人の対処も考えつつ重い一撃を受けていると、対峙していた男の足首がずる、とずれて、崩れ落ちた。男は一瞬何が起きたのかわからぬ顔をしていたが、状況を理解して叫び声をあげた。
鮮やかな切り口から血が溢れ出している。
「無事か」
ミスルンの声が聞こえたことで、カブルーは少なからず安堵を覚えた。襲撃者の足首が綺麗に切られたのは彼の転移魔術による加勢だったのだ。
「いやあ、助かりました……ちょっと多勢に無勢で」
もう一人残った男は何が起こったかわからぬようだが劣勢だけは感じとったようで、咄嗟に逃げる体勢を見せた。カブルーは走り、そこを後ろから袈裟斬りにする。
傷はさして深くはない。
倒れ込んだ男の手首に剣を突き立て、杭のようにした。男はもがいたが、やがて諦めたようだった。
「こんなところでしょうか。ありがとうございます。危ないところでした。助けにきてくれてありがとうございます」
「少し。帰りが遅い気がしたので迎えにきた。……三体一で怪我もなくここまでやれれば上等だろう。お前は対人戦だけはうまいからな」
「半分褒められて半分けなされている気がします」
「うん。はんぶんはんぶんだ」
「……ですか。しかし、スパッと切れてますね……」
「生きているだけマシだ。とりあえず残っている奴の足と腕の腱を切る。暴れられたら面倒だ」
「運ぶのが難儀そうですね」
「兵士を呼んでこい。私が見ておく」
「助かります」
ミスルンにその場を任せるとカブルーは来た道を走り戻った。番兵へ事の次第を伝え、城へ詰めていた兵士数人と現場へ戻る。縄をかけられ、襲撃者は運ばれていった。
「ご協力ありがとうございました」
「また城へ戻るのか」
「そうなりそうですね。今日は帰れないかもしれません」
「うん」
仔細を伝え、屋敷へ帰る頃には明け方近かった。城へ泊まったほうがいいのではと言われたが、疲れたときにこそミスルンの、恋人の顔が見たかった。
「ただいま戻りました」
「戻ってこれたのか」
「まあ、なんとか。今日は持ち帰りで屋敷での仕事にしてもらったので、家で過ごせそうです」
「うん」
ミスルンは水を一杯カブルーの前に置いた。いつの間にかこんな気遣いもできるようになっていたのかとカブルーは少し驚く。
喉の渇きに今更気づいたように差し出された水をカブルーは飲み干した。
「昨夜の」
「ああ、はい。本当に助かりましたよ。ありがとうございました」
助けてもらったとはいえ、宰相補佐暗殺未遂は国家機密である。暗殺者たちからろくに情報を引き出せなかったことも含め、話せることはなにもない。だが礼だけは述べたかった。
「殺そうとはしていない傷だった。何か聞き出すためか。殺すのに抵抗があったからか」
「そうですね。どっちもあるような……。というか俺、結構必死でしたよ。多勢に無勢ですし」
カブルーは少し笑ってみせる。ミスルンはそれを無視してとつとつと語り始めた。
「国家を守るということは、あらゆる方法と胆力をもって守る覚悟でなければならない」
「そうですね」
「表面では友好的に接しても裏では戦を行う準備をせねばならぬときもある」
「体験談ですか?」
「嫡男になれずとも、教育はひととおり受けた。国家の要人は言葉一つで街や国を滅ぼす裁量を持つ。それが過ちでも過ちを認めてはならない。そういうものだと教えられた」
「西方エルフの教育ではそうなのでしょうね」
「この先同じことが起きたとして」
ミスルンは少し言葉を区切った
「ためらわず殺せ。私には、お前の命の方が大切だ」
「……ええ。俺も、あなたに会えなくなる方が、つらい」
ミスルンが両手を差し出し、カブルーはその胸へ入り込むように抱きしめた。
夜中じゅう起きていたのだろう。体は冷えていて、こわばっている。
自分の命の価値は、この人の喜びと悲しみと、たくさんの仕事と、自分を大切に思ってくれている人たちの優しさといたましさ、そういうものでできているのだと思った。
カブルーは以前から考えていた暗殺や諜報に長けた組織の編成を実現させようとしていた。
宰相のヤアドにだけは相談したが、ライオスにもマルシルにも他の大臣たちにも話してはいない。
ヤアドは理解を示し、そういうものも必要だろうと言ってくれた。
言葉一つで誰かをころす。その役目は自分が引き受ける。ライオスに話せば反対されるのもわかっていたし、承諾されたとしても、ズレてはいるが善良な王の心に影をさすような真似はしたくなかった。
初めて言葉だけで人をころす命令を出した日は、ひどく憂鬱な気分になった。自分が思っていた以上に、揺り動かされた。
心の疲労が顔にも出ていたのか、珍しく早く帰ることができた。ミスルンと夕飯を共にできそうだと思い、近くの酒場で料理をいくつか作って貰って持ち帰った。ワインは家にまだ何本かあるはずだった。
「戻りました」
「おかえり」
ミスルンはカブルーを見ると、すこし、しかめっ面のようなものをした。
「つかれている」
「ちょっと忙しかったからですかね。でも心配されるほどのことはありませんよ」
「少し待て」
台所をごそごそとあさり、ジョッキとレモンを数個取り出したミスルンは、その有り余る握力でレモンを握りつぶした。果汁がジュッとジョッキの中に吸い込まれていく。
「飲め。果汁には豊富な栄養が含まれており疲れを取る効果があると聞いた」
「いや、これレモン丸絞りですけど?!絶対すっぱいと思います!」
「からだにいい」
「それはそうなんですが!もう少し他の果実と混ぜるとか砂糖をいれるとか」
「砂糖も疲れたからだに良いそうだ。いれよう」
「いや今度は入れすぎ……ええい、もう!いただきます!」
砂糖を惜しげもなく投入するミスルンに頭を抱えながらも、カブルーはジョッキを手に一息でのみこんだ。
「はぁ、はぁ……おいしかったです。ごちそうさまでした」
「うん。ならばよかった」
ふ、と片方だけ口の端を上げてミスルンは笑ってみせた。それだけでカブルーはこの恋人に安らぎを覚え愛おしく思い、重い責がわずかばかりでも軽くなるのを感じた。
「酒場でいくつか料理を作って貰ってきました。温かいうちに食べませんか」
「うん」
食卓に並ぶ新鮮な野菜を使ったヨーグルトソースのサラダ。白身魚と野菜の油煮。ハーブの効いた牛肉のミートグラタン。つまみにナッツをいくつかとドライフルーツ。白パン。
城にいる頃は食欲などなかったのに、目の前にすると急に腹が減った。
生きているだけ限り腹が減る。眠りに就く。
ついでに愛する人とセックスできればそれ以上のことはない。
ワインを出して、乾杯する。
ランプに照らされた恋人をデザートに食べてしまおうとカブルーは思い、最初のひとくちにてをかけた。