雷で青野寺のトラウマフラッシュバックななつあお「うわあ……すごく降ってきちゃったね。青野寺くん、傘は持ってきたかい?」
窓の外では、滝のような雨が会議室のガラスを叩き、轟音と共に稲光が空を裂いていた。
「…………」
返事はない。
俯いたままの青野寺の表情は、暗くてよく見えない。けれど、落雷のたびにその肩がびくびくと小刻みに揺れているのが、はっきりとわかった。
「……青野寺くん、大丈夫かい?」
名津黄が声を掛けると、青野寺はびくりと肩を揺らし、無理やり笑顔を作るように答えた。
「っあ、だ、大丈夫……です……」
だが、震えていた。
その手が。声が。心が。
膝に置かれた書類はくしゃくしゃに握られ、汗で指先がじっとりと濡れている。
(……だめだ。なんでもないふり……しないと……っ)
雷は、青野寺にとってただの自然現象ではなかった。
暗く冷えた家。
眠れない夜。
何度も耳を塞いで、布団の中でじっと朝を待ったあの時間。
孤独と、恐怖と――忘れようとした記憶が、雷鳴によって容赦なく引きずり出されていく。
「そんなに青ざめて……大丈夫には、見えないけれども」
名津黄の優しい声が響く。
だが、青野寺は自分の不甲斐なさを覆い隠すように、早口で喋りだす。
「……っだ、うぅ……っ……お、俺、駄目なんです……雷、っ……っ、こ、子供みたいですよね……はは……す、すみません……」
しきりに頭を下げながら、唇が震えていた。
無理に言葉を繋げるその声は、今にも壊れそうだった。
(だめだ、こんな……みっともない……のに……っ)
ぽたり、と落ちた涙が、くしゃくしゃになった書類に染みを作った。
名津黄はそっと手を伸ばし、彼の頭を撫でようと身を乗り出す。
「……青野寺くん」
しかし――
「っ、あ…!ご、ごめんなさいっ、ごめんなさい……っ、も、もう許してください…!…ご、ごめんなさい…っ、ごめんなさいぃ…!」
その瞬間、青野寺の体がびくりと大きく跳ね、顔が怯えたように歪んだ。両手で頭を守るような仕草。
名津黄ではない“何か”に怯えるような――
かつての誰かに、殴られると怯えるようなその表情は、明らかに過去の記憶に引きずり戻されていた。
(……ああ、これは……)
雷鳴が、トラウマを呼び起こしている?
言葉で止められるようなものじゃない。
理屈も、大人も、届かない場所に、彼は今――閉じ込められていた。
名津黄は何も言わなかった。
ただゆっくりと、静かに、青野寺を抱きしめる。
何も語らず、背中を撫でることもせず、ただ包むように。
まるで、青野寺が「今ここにいる」と思えるまで待つように。
数分の沈黙が、雷鳴の合間に降り積もる。
やがて、青野寺の呼吸が少しずつ静まり、震えていた体も次第に落ち着きを取り戻していった。
「……青野寺くん」
ゆっくりと声をかける。
「……もう、大丈夫だよ。今までよく頑張ったね」
ぽろ、とまたひと粒、青野寺の頬を涙が伝う。
けれどその顔は、さっきよりも少しだけ、やわらかい。
「……っう"、……すっ…すみません"……」
「謝らなくていい。怖いものがあるのは、恥ずかしいことじゃない。僕には……青野寺くんの気持ち、ちゃんと伝わってるよ」
抱きしめた腕の中のぬくもりが、小さく震えながらも、確かに寄り添ってくる。
――この人にだったら、知られたっていい。
そんな想いが、ゆっくりと、名津黄の胸に伝わってくるようだった。
窓の外、雷鳴はまだ続いていた。
けれど、名津黄の腕の中は、静かで、あたたかかった。