ショコラの軌跡 健康的な褐色の肌を持つ、背の高い男性がこの店にやってきたのは、多分もう五年程前の話だ。
店の前にふいに現れた大きな人影は、そのまま扉のあたりを右往左往して、軽く十往復は見送ったと思う。
そっと扉を開いて、よろしかったら中へどうぞ、と促すと、その方は慌てたように目をぱちぱちと瞬いて、いや、その、ご迷惑では、などとつぶやいておられたが、お買い求めにならなくても、ご覧になるだけでもどうぞ、と重ねて促すと、ようやく大きな体を縮めて店内に入ってきてくれた。
「いや、こんな大男がチョコレートショップにいると、ご迷惑ではないですか」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
「しかし、店に入ろうとしていた人が遠慮してしまうとか」
どことなく落ち着かない素振り。謙虚というのか、気にしすぎというか、店のことを思ってくれてありがたいというか。
「お気遣いいただいてしまってすみません、お客様は皆さま大歓迎です」
これは本当。お店にとっては、背が高かろうが、ちょっと圧迫感がある風情だろうが、お客様はお客様であることには違いない。
「そうですか、いや、動物園のうさぎにも逃げられるもので」
「……ウサギ」
「はい」
眉をハの字に曲げて言われるので、まぁそれはいたしかたないのではないでしょうかお客様は少々大柄であられるのでウサギが警戒してしまうのはウサギの責任ではなく防御反応といいますか……、とは、言わなかった(絶対言ったらダメ)。
「何か、チョコレートをお探しだったんですか?」
「あぁ、はい、それが、その、友人が、いや、親友。そう、……親友が、ここの看板と同じ紙袋をよく持ち歩いていて」
「しんゆう。……ご友人様がお買い求めいただいているのですね、ありがとうございます」
「今、前を通りかかった時に、同じ看板だったので、ここだったのかと……。こんなかわいらしいところに、本当に場違いで」
「いえいえ!」
黙っているとどこまでも恐縮されそうだったので、とりあえず私たちはカウンターにいくつか種類をお出しした。試食をどうぞとすすめると、遠慮しつつも召し上がってくださる。
「じゃあ、これを」
フランボワーズのボンボンを二箱購入いただいて、大きな体を小さくしながら扉をくぐり、帰っていかれた。
多分、いらしたのはその一回きりのはずだ。
私たちは、そのお客様が志献官だとは当時気づけなかったのだ。
「やぁ! ボクだよ! ご無沙汰してしまってすまないね! 今日は仁武と一緒なんだ!」
と、元気よく来店くださった舎利弗純壱位、の、背後に、そっと立っているその姿を見るまでは。
舎利弗純壱位は常に白い制服をお召しだったので、その方が羽織っていた黒い外套を、制服だとは認識できなかったのだな、と、私たちは今更のように思い出していた。
「みんな無事だったかい? このあたりもぎりぎりまで侵食があったろう?」
一時は店も開けられない状況だった。その頃、シリウス、というデッドマターの要所と、志献官のみなさんたちは最後の戦いをしていたらしい。私たちは安全なところを求めて渡り歩いており、そういうことがあったということをずいぶん後から新聞で知った。
「いっとき、店を閉めていましたが、物流も回復しましたので」
「避難要請もあっただろう、ご迷惑をおかけした」
すっと、黒い制服の方が頭を下げる。鐵仁武司令代理。今ならお名前もわかる。新聞に大きく載っていたから。
「もう安全になったというのに、なかなか気忙しくて、外出もままならなくてね。ここは変わってなくて嬉しいよ。今日はね、ボクの親友を連れてきたんだ、仁武だよ! ほら、仁武は初めてだろう? かわいらしいお店なんだ」
「……あぁ」
鐵司令代理は言葉少なだ。大丈夫です、お客様の情報はお守りします。貴方様はこちらにいらしたことはございません。
「いくつか出してもらえるかな。キャラメルと、ピスタチオと、……そうだな、フランボワーズにしようか。久しぶりにね」
カウンターに並べると、舎利弗純壱位はピスタチオを摘んで口に入れた。相変わらず、綺麗な指と綺麗な顔。
「うん! やっぱりおいしいね」
「もうしばらくしたら、カカオも、もっと良いものが手に入ると思いますので」
「……失礼、それは物流の関係ということで?」
鐵司令代理の目が少し真剣になった。
「年内には、小型船ですが船便が出るようになるという知らせがありました。そうしますと、南の方から、本場のカカオを取り寄せできるようになります。侵食されていたとしても、三年もすればカカオは成木になりますので、遠からず良いカカオのチョコレートをお届けできるようになると思うんです」
「そうか。それは、……よかった」
かみしめるようにつぶやいて、一人頷いている。
「三年で木になるのかい? それは知らなかったなぁ」
鐵司令代理が何かをかみしめているうちに、舎利弗純壱位はカウンターに出したものを一人で全部食べ終わり、この三種類を二箱ずつ包んでくれたまえ、とニコニコしている。
「二箱ずつでよかったかな?」
「……ウチは確かに大家族だが、チョコレートが六箱で足りないということはないと思うぞ」
「そうかい? あ、じゃあ、これとは別に、キャラメルをいくつか袋に入れてもらえるかな」
道中のおやつにしよう、とニコニコする舎利弗純壱位に、鐵司令代理の眉がハの字になっている。
「……これからお出かけ、でございますか?」
よく見ると、二人の手元にはそれぞれ小さなトランクが。
「そうとも! 仁武の実家にご挨拶に行くからね、手土産は必要だろう?」
「あぁいや、ご挨拶、いや」
ご挨拶というのは違う、いや、どうなのか、と眉をハの字にしたまま鐵司令代理は挙動不審になっているけれど、舎利弗純壱位はニコニコのままだ。
でも、袋にたくさん入れたキャラメルのボンボンを手渡すと、
「結局、あの虎にはあげられなかったなぁ」
と少し寂しそうな顔をした。しかし次の瞬間、
「そうだ、うさぎならどうだろう。うさぎはチョコレートを食べても大丈夫かな?」
と元気よく尋ねてこられた。トラもウサギも胃腸が人間とは違います、といつもの返答をしようとしたところへ、
「大丈夫なわけがないだろう」
と、真っ当なツッコミを入れてくれる方が一人。
「もうこれ以上おやつはいらないからな。行くぞ」
「そうかい? 果物もほしいんだけどなぁ。じゃぁ、また来るよ! ありがとう!」
ニコニコと手を振って扉を出て行かれる舎利弗純壱位。いつもお買い上げありがとうございます。
そして、二度目のご来店の鐵司令代理。その節は志献官と気づかず、また、しんゆう、が具体的に思い浮かばなくて失礼いたしました。
恐縮されなくていいので、お一人でもお二人でも、また、いらしてくださいね。