お互い「ユキ」「モモ」と呼び合ってますが、地の文章は千斗と百瀬で書いてます。
*千斗
ベンチャー企業の社長。オンラインゲームで百瀬と知り合い、心惹かれる。恋愛童貞。
*百瀬
就職浪人のフリーター。高校時代サッカーをやっていたが怪我をしてしまい、そこから無気力になっている。惰性で始めたゲームで千斗と知り合い、交流を深めていく。なかなか就職活動をしないので姉の瑠璃から心配されている。
*三月
アイドルを目指している青年。アルバイト仲間の百瀬とは仲が良く、プライベートでも遊ぶほどだが恋愛感情は全くない。
千斗は百瀬が働くコンビニの社員通用口にいた。アルバイトが終わってから近くで待ち合わせする場所がない千斗のために百瀬が教えてくれたのだ。
今日もアルバイトに入っているならばこのドアから出てくるはず。そう思った千斗は一人待っていた。
まだ春になったばかりなのかジャケットを羽織っていても肌寒い。寒さをごまかすように腕を組んで二の腕をさする。
待ち続けて数十分経った頃、誰かがドアを開けたことに気づいた千斗は勢いよく顔を上げる。百瀬の誤解を一刻早くも解きたいという気持ちが先走って誰が来たかも確認せずに駆け寄った。
「モモ! この前は……!」
千斗は途中まで言ってから慌てて口を閉じた。
そこにいたのは待ち焦がれていた百瀬ではなく、百瀬よりも背が低い夕焼け色の髪をした青年だった。
以前百瀬が話していたアルバイトの同僚だろう。ぱっちりとした目、快活さの中に気の強さが備わっていそうな強い意志を青年から感じた。
青年は驚いた顔で千斗を見ていたが、やがて何かに気づいたのか目をつり上げた。警戒心や不信感を隠そうともしないので声色も固く強ばっている。
「……あんた、何しに来たんすか? 百さんならいないですけど?」
百瀬を狙うストーカーだと勘違いされていると気づいた千斗は否定しようとするが、自分の行動を振り返って口を噤んだ。
たしかに百瀬と待ち合わせもしていないのに勝手にアルバイト先のバックヤード入口に立っていれば怪しまれるに決まっている。
ここに百瀬がいないことも分かったので、これ以上の長居は不要だ。今日も百瀬と会えなかったことで沈む心を押し隠しながら千斗は頭を下げる。
「そうか……人違いをしてしまってすまなかったね」
このまま青年に百瀬はどこにいるのか聞いてもいいが、こんなに怪しまれているならば更に不信感を募らせるだけだ。
まさか千斗が謝ってくるとは思わなかったのだろう。青年は豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くしていた。
頭を上げた千斗がその場を去ろうと背中を向けようとした直後、我に返った青年が千斗の手首を掴んだ。
突然のことに千斗は驚いたせいか心臓が飛び跳ねそうになる。平成を装いつつ顔だけ青年の方に振り向く。そこには自分でも驚いている青年がいた。理由は分からないが、きっと反射的に手首を掴んでしまったのかもしれない。
青年は何度も口を開けたり閉じたりしていたが、唇をギュッと噛みしめると大きく口を開けた。
「……あの! この後って空いてますか? オレ、アンタと話したいことがあるんですけど……」
「話したいこと?」
さっきまでは千斗に対して不信感を隠そうともしなかった青年の中で何か心情でも変わったのだろう。話したいこととは百瀬のことだろうか。それならば千斗は青年から話を聞く必要がある。
ゆっくりと青年に体を向けると、手首を掴んでいた手をほどいてくれた。
「ここじゃなんですから、ついてきてください」
そう言われて青年に黙ってついていく。通勤経路として毎日車から見ている景色とはまた違って見えた。手作りなのだろうか――木で作った小さな看板を大通りに置いている小料理屋が裏路地にあったり、路上ライブ中のアーティストの周りには観客たちがまばらに集まっていたり、客引きの騒がしい声があちこちから聞こえてきたり。ネオンの明かりだけではない。普段感じない景色がそこにはあった。
まるで百瀬と出会った時のようだ。今までの千斗は仕事に明け暮れて小さな物やいつもそこにある日常の景色に触れることをしてこなかった。そんなものを見る余裕がなかった。社長という立場で日々仕事に忙殺されていく。家と会社を行き来するだけ。これからもずっとそうだと思っていた。
だが、ゲームを始めて百瀬の優しさと明るさに触れた千斗の日常は白黒で退屈なものから彩り豊かな世界へと変わった。百瀬がしてくれる小さなことでも嬉しいと思い、百瀬が待つゲームの世界に一分一秒でも早く飛び込みたくて思わず部屋着に着替えることすら忘れてスーツのまま夢中になっていた。それはきっとゲームだけじゃない。百瀬に惹かれたからだ。
太陽みたいに明るくて笑顔が素敵で頼りがいがあるなのに、自分のことには不器用で過去の傷を抱えて生きている。そんな百瀬のそばにいたい。そう強く願っている。
青年は慣れた様子で人混みをすり抜けていく。千斗は置いていかれないように必死に青年についていった。
着いた先はファミレスだった。久しぶりに入った気がする。大学生の頃いつも勉強しているカフェが満席だったので仕方なく入って以来だろうか。あの時は隣のテーブルにいた高校生が騒がしくてドリンクバーを一〜二杯飲んですぐに帰った気がする。
奥からやってきた店員との会話は全て青年に任せて千斗は小さな背中を追いかける。案内された席に座ると、メニュー表はなく代わりにタブレットが置かれていた。来ない間に随分と様変わりしていて、勝手が分からない千斗は呆然とする。
一方、青年はタブレットを土台になっている充電器から外した。慣れた様子でタブレットをタップしている。
「とりあえずドリンクバーで良いっすよね?」
「あ、ああ……」
何も分からない千斗は頷くことしかできない。やがて注文が終わった青年はタブレットを元の場所に戻した。
画面には『御注文ありがとうございました』の文字が映っていた。どうやら、これで注文されているらしい。店員が注文を取らなくていいなんてすごい時代になったものだ。
千斗が最近のファミレス事情に感心していると、ドリンクバーに向かおうとした青年が席を立つ。
「ホットコーヒーで良いですか?」
「それで構わないよ」
わかりました、と青年は席を立ってドリンクバーに向かう。数分待てば、千斗のコーヒーと自分のメロンソーダを持ってきた。千斗の前に置かれたコーヒーにはちゃんと砂糖とミルクと木のマドラーも置かれた。気がきく子だ。
青年はメロンソーダを一口飲むと息を吐きながらコップを置いた。居住まいを正して千斗と向き合う。
「自己紹介まだでしたよね。オレ三月って言います。3月って書いて三月です」
この青年――三月は礼儀正しい子なんだなと思った。歳の割にはしっかりしており、初対面の大人にも動じないところは純粋に尊敬する。
千斗もそれに倣うように挨拶をしようと口を開く。
「僕は……」
だが千斗の自己紹介は三月に遮られた。
「知ってます。千斗さん、ですよね? 百さんから話をよく聞いてます」
まさか百瀬が自分のことを話していたとは思わなかった千斗は目を丸くする。
「そうなの?」
「はい。いつも楽しそうに話してましたよ。……最近までは」
「……」
どこか棘を含んだ言葉に千斗は何も言えなくなる。ストローに口を付ける三月の丸い目には鋭い色が宿っていた。その目は千斗を責めている気がした。いや、きっと気のせいではない。全てとまでは言わなくても三月は百瀬から話は聞いているのだろう。
あの時に見せた百瀬の泣きそうな顔を思い出して胸が苦しくなる。違うんだと大声で叫びたくて、遠くなる背中を抱きしめたくて。だが、それは出来なかった。人混みの中から百瀬を見つけることは叶わなかった。
最近ゲームの中ですら会えていない。百瀬は今どうしているだろうか。一人で泣いているのか、それとも千斗以外の男と一緒にいるのだろうか。そう思っただけで千斗の心の中に黒いモヤが広がっていく。その隣にいるべきは千斗のはずなのに誰かの腕の中に愛しい百瀬が抱かれているのかと思うだけで気が狂いそうになる。
三月はストローから口を離す。ことりと置かれたコップの音が千斗を現実に引き戻した。目の前に座り千斗を見据える三月を見つめ返す。
「オレ、まどろこっしいことが苦手なので直接言います。……もし百さんと真剣に交際する気がないならこれ以上つきまとわないでください。百さんは明るくて優しくて、繊細な人なんです。昔いろいろあったらしいですけど、今も藻掻いて苦しんでる。
最近、やっと百さんが前を向き始めたと思ったんです。それは千斗さんのおかげだと言ってました。
『自分のやりたいことをすぐに見つけられなくても良い。生きている内にきっと見つかる。僕は早く見つけられただけで、君はまだまだこれからじゃないか。ゆっくりでもいい。他人と比べて焦る必要はどこにもないんだよ』って言ったの覚えてますか? その時の百さん、他のこともやってみようかなって言ってたんですよ。今までどこか寂しげだった百さんが晴れ晴れとした顔で笑ってたんです。でも、あんたはそれを壊した。
それを弄ぶ真似をするつもりならオレはあんたを許せない。遊びのつもりなら百さんを傷つけるだけなのでこれ以上やめてほしいんです。どうか……お願いします」
三月は両手を膝の上に置くと深々と頭を下げた。
目の前の青年は愚直なほどに百瀬の幸せを願っているのだ。それはきっと隣で百瀬の苦悩を見てきたからだろう。そうでなければ赤の他人にここまで出来ない。
しかも見知らぬ大人に対して。千斗の周りに同じようなことが出来る人がいるのか考えたが、誰もいなかった。
しかし千斗も譲れない。百瀬への思いは誰がなんと言おうと本物だからだ。隣にいて笑顔を向けてほしいと思うのは百瀬一人だけだ。
三月の真剣なお願いに千斗も答えなければならない。背筋を伸ばした千斗はきちんと座り直して向き合う。
「申し訳ないけど、君のお願いは聞けない」
千斗の言葉に三月は眉をひそめる。これは想定内だ。
「この前百さんともキスしたのに他の女ともしてたんでしょ? どう言い訳するつもりなんですか?」
「それに関してだけれども、彼女は僕の元恋人だよ。僕は社長だとモモ――百瀬さんから聞いてるだろう?」
「そうですけど……そもそもコンビニにも置いてある経済雑誌にデカデカと表紙を飾ってる人なんて皆知ってますよ」
至極ごもっともなことを言われた千斗は苦笑いした。
そうだ、あの時は確か一日のスケジュールを書かされた気がする。朝食は配達員に持ってきてもらっていると書いたら「ホテルでの朝食にしてください」と謎の駄目出しを受けた。世の中が思い描く社長像を描きたかったらしいが、これ以上仕事の時間を削られたくなかった千斗は最終的に投げやりになった覚えがある。
「それはどうも。……一度会社が傾きかけたことがあってね。その件で奔走してたら彼女と会う時間が取れなかったんだ。落ち着いた頃に気づいたら浮気されてた。港区社長会に所属してる社長だったよ。問い詰めたら逆ギレされて、そのままサヨウナラ。それなのに僕が社長として成功したらすり寄ってきたんだ」
自分とはあまりにも違う世界に三月は唖然としていた。だが、すぐに眉をつり上げて千斗を睨む。
「……とりあえず、あんたの女を見る目がないことは分かりました」
「はは、たしかにそうかも」
そう言われたら千斗は何も言えない。今までの女性遍歴を見ると褒められたモノではない。一夜の関係は当たり前。千斗はセフレのつもりでいたら付き合っていると思っていた女から逆上されたこともある。
千斗自身も彼女たちと真剣に向き合おうとしなかったからなのかもしれない。
「開き直らないでください。そういう男なら付き合う前からキスするなんて簡単にできちゃうわけですよね」
「それは……その……」
「なんですか? やっぱり遊びだったんですか? 若い子となら誰でも良かったんですか?」
「違う、そういうことじゃないんだ……誰でも良かったんじゃなくて……」
千斗は気まずそうに目が泳いでいたが、やがて気合いを入れるようにカップを手に取るとコーヒーを口の中に一気に流し込んだ。すっかり冷めたコーヒーは不味かった。だが、千斗の決意は固まった。大人としての矜持なんて、百瀬のためならドブに投げ捨ててやる。
「その……笑顔が可愛くて、我慢出来なくて……しちゃったんだ……本当は告白しようかと思ってたのに、気づいたら、キスしてた……」
あまりにも酷い言い訳に千斗は顔を手で覆った。怖くて三月の顔が見られない。男子高校生の恋愛話でももっとマシなエピソードがあるはずだ。
あの時、助手席に乗って無邪気に笑うモモを見ていたら数日前から考えていた綿密な計画なんて全部吹き飛んでしまった。
キスした後もぽかんとした顔をしてから、耳まで真っ赤にしてるところが本当に可愛くていじらしくてたまらなかった。
やはり告白するべきだと己を奮い立たせたのに、結果は悲惨だった。
開いた口が塞がらないのか唖然としていた三月だったが、我に返った。
「いや、それでもダメでしょ! キスしたいって気持ちは分かるけど、告白の前にしたら体目的だって思われても仕方ないですよ それで告白しようとしたら他の女にキスされて、本命に逃げられたとか昼ドラもビックリの展開だよ!」
「本当……その通りです……」
「なんだよこの展開……ただの恋愛ド素人だったってだけじゃん……」