もみもみ休日の研究室は、普段の騒がしさが嘘のように静まり返っていた。普段なら飛び交うデータ解析の声や、キーを叩く音、誰かのぼやきが響くはずなのに、今日はやけに落ち着いている。
——いや、厳密には落ち着いていないのかもしれない。
「……なぁ。」
「なんだ。」
ウルリッヒはデータ端末を片手に、ソファに腰を落ち着けていた。相変わらずウルリッヒはラプラスの白銀の制服を着ていた。ラプラスの制服は、機能性を重視しており、密着感のあるデザインだ。特に胸や肩、腰周りが強調される作りになっている。義体の性能向上のための調整が施された結果、全体的に筋肉のラインが目立ち、以前よりも更に体が引き締まった印象を与えていた。
そして、アドラーはその胸筋をずっと揉んでいた。
「……何をしている。」
「いや、改めて思うけど……お前、やっぱり胸パツパツすぎね?」
アドラーは指を食い込ませるようにして、ウルリッヒの胸筋を押し、掴み、時折もみしだく。
「つか、これ、ほんとに筋肉か? 義体だろ?」
「義体だが、構造的には筋繊維に近いものを模している。」
「へぇ……」
アドラーはしばらく無言で、その「筋繊維に近いもの」を掴んでみたり、押し返してみたりした。
「……これ、俺より胸あるんじゃねぇか?」
「キミと比較する意味が分からないが。」
「くそ……普通、こんなパツパツの胸になるか?」
アドラーは指でぐっと押してみる。確かに弾力がある。張りがありつつもしなやかで、人工物とは思えないほどの自然な感触だ。
「……てか、ほんと硬ぇな。」
「義体だからな。」
「お前さ、鍛えたわけでもないのにこの胸筋って、何かズルくね?」
「技術の勝利だ。」
「胸筋に技術を詰め込むな。」
アドラーはまたむにゅっと掴む。
「……で、お前、何で何も言わないの?」
「何か言う必要があるか?」
「普通、揉まれてたら止めるだろ。」
「別に害があるわけではない。」
「お前……ホントに義体になってから感覚鈍ってねぇ?」
「そんなことはない。」
「じゃあ、こうしたら?」
アドラーは今度は指先でくすぐるように撫でてみる。
「……」
「……」
「…………やめろ。」
「おっ、珍しく反応したな?」
ウルリッヒはわずかに眉をひそめ、アドラーの手を払いのけようとする。
「くすぐったい。」
「はーん? なるほどな、ここをこうして——」
「やめろと言っている。」
「お前、意外とくすぐったがりか?」
アドラーが面白がって手を伸ばすと、ウルリッヒは素早く身を引いた。
「やめろ。」
「へぇ〜、くすぐったいのか〜」
「無駄に絡むな。」
「でもこの胸筋、マジでおかしいだろ。」
アドラーは腕を組んで、しげしげとウルリッヒの体を眺めた。
「お前、やっぱり胸筋ばっかでウエスト細すぎね?」
「義体のバランスとして最適化されている。」
「最適化っていうか……いや、やっぱこの胸筋、おかしいだろ。」
「キミは一体何が言いたいんだ。」
「別に。ただ揉みたいから揉んでるだけだけど?」
「…………」
ウルリッヒは少し疲れたようにため息をついた。
「……好きにしろ。」
「おう」
アドラーは満足そうに、再びウルリッヒの胸筋を揉み始めるのだった。
——数分——
そもそも胸を揉むのにも飽きてきたアドラーは、ウルリッヒの手の前で腕を組んで無言で見つめていた。
——いや、見つめるというより、ガン見だ。
確かに義体の技術は素晴らしいし、何より無題のないデザインだ。
だが、それが問題だった。
「……何だ?」
ウルリッヒはようやくアドラーの視線に気づき、端末から顔を上げた。
アドラーの目線はウルリッヒの下腹部に注がれている。
「…………」
「……何か言いたいことがあるなら言え。」
「いや……」
アドラーは目を細める。
「……やっぱ測るわ。」
「は?」
アドラーは返事も聞かず、机に手を伸ばしてメジャーを取り出す。
シャッ
メジャーが軽快な音を立てて伸びると、ウルリッヒの磁性流体にうっすらと皺が寄った。
「……何を測るつもりだ?」
「お前の股からの距離。」
「…………」
「ちょっとじっとしてろ。」
ウルリッヒが抗議の言葉を発するよりも早く、アドラーはすっと膝をついてしゃがみ込み、ウルリッヒの股の間からメジャーを当てた。
「……何のために?」
「気になった。」
「意味は?」
「知的好奇心。」
「ならやめろ。」
「無理な相談だな。」
「…………」
ウルリッヒはため息をついた。
アドラーは真剣な顔でメジャーを確認し、そしてふっと小さく笑った。
「……ここか」
そう呟くと、ペタリ。
ウルリッヒの白銀のつなぎの上から、ちょうど股から17cm上の位置に、黄色い付箋を貼った。
「…………」
ウルリッヒはそれを見下ろし、付箋の意味を問おうとしたが、その前に——
アドラーの手が、そっとウルリッヒの下腹部を撫で始めた。
「……何をしている?」
「いや、ちょっと確認してる。」
「何を?」
「いや、なんか……こう……」
アドラーは言葉を濁しながら、ウルリッヒの下腹部の上を指で滑らせた。義体特有の硬質な素材の下に、精密に作られた筋肉の感触がある。
まるで本物の皮膚のような義体の質感。
「…………」
ウルリッヒは視線を落とし、自分の腹を撫で続けるアドラーを見下ろした。
「何が目的だ?」
「いや、普通に触り心地が良かったから……?」
「…………」
「あと、お前の義体、やっぱりすげぇな。なんか、本物の皮膚みたいにちゃんと動くし……」
「当然だ。最新の技術が詰まっている。」
「なるほどねぇ……」
アドラーは感心したように呟きながら、付箋の貼られた場所をもう一度撫でる。
ウルリッヒは端末の画面を閉じると、深いため息をついて椅子の背にもたれかかった。
「……もういいか?」
ウルリッヒの声は低く、疲れを滲ませた響きだった。彼はアドラーを直視せず、視線をわずかに逸らしてその動きを捉えている。
「もう少しいいか?」
アドラーは軽い口調で答え、口元に微かな笑みを浮かべた。彼は腕を組んで一歩近づき、ウルリッヒの体を改めてじっくりと眺め回す。
「……測定の意味は?」
ウルリッヒが眉を軽く上げて尋ねると、アドラーの笑みが一瞬深くなった。
「どこまで入るのか」
その言葉に、ウルリッヒの顔が一瞬硬直する。だが、彼は何も言わず、ただ黙ってアドラーの視線を受け止めた。
「意味がないことをするのも悪くないだろ?」
アドラーが肩をすくめて言うと、ウルリッヒは目を閉じ、再びため息をついた。
「……キミには付き合いきれない。」
彼はそう呟きながら、腹部に貼られた小さな付箋を剥がし、それを指先で小さく丸めた。丸めた付箋を机の上に放ると、彼は立ち上がり、身体を軽く伸ばした。パツパツのつなぎがその動きに合わせて筋肉の輪郭を際立たせ、アドラーの視線が再び彼の腹部に吸い寄せられる。
「じゃあ、その格好で出かけるのはやめてくれるんだな?」
アドラーが期待を込めた声で尋ねると、ウルリッヒは淡々と答えた。
「無理な相談だな。」
「ちっ……」
アドラーが小さく舌打ちをしつつ、彼の視線はウルリッヒの腹部に留まった。その目はまだ触り足りないと言わんばかりに輝いている。アドラーが一瞬躊躇った後、我慢しきれなくなったように手を伸ばした。
「なぁ、ちょっとだけいいだろ?」
アドラーの声は軽く、しかしどこか真剣味を帯びていた。ウルリッヒが怪訝な顔で彼を見下ろす前に、アドラーの指先がウルリッヒの腹部に触れた。冷たく細い指が、つなぎ越しに硬く引き締まった腹筋の表面をそっと撫でる。手の動きは慎重で、まるで義体の反応を確かめるような繊細さがあった。
「……何だ?」
ウルリッヒの声に微かな苛立ちが混じった瞬間、アドラーの指先が腹筋の中央を軽く押した。すると、義体の内部で微弱な電流が走ったような感覚がウルリッヒを襲った。ピリッとした刺激が腹部から下肢へと伝わり、彼の右足が一瞬だけピクッと跳ねるように動いた。ウルリッヒの眉がわずかに動き、驚きと不快感が混じった表情が顔をよぎった。
「ア、アドラー……何した?」
ウルリッヒが低い声で問うと、アドラーは目を丸くして手を止めたが、すぐにニヤリと笑った。
「……義体の感度高すぎだろ。ちょっと押しただけで電流走ったのか?」
彼は感嘆の声を漏らしつつ、再び指先で腹筋を軽く撫でてみる。今度は慎重に、電流が再び流れないよう力を調整しながらだ。ウルリッヒの腹部は硬く張り詰めているが、つなぎ越しに感じる温もりと微かな弾力がアドラーの好奇心をさらに刺激した。
「……マジで技術班の奴ら悪趣味すぎるだろ…」
アドラーはそう言いながら、今度は両手を使ってウルリッヒの腹部を軽くマッサージするように動かし始めた。手のひら全体でゆっくりと圧をかけ、筋肉の流れに沿って滑らせる。指先が脇腹のラインに触れた瞬間、再び微弱な電流が走り、ウルリッヒの左足が一瞬だけピクッと反応した。彼の顔がわずかに歪み、明らかに我慢の限界が近づいている。
「……やめろ」
ウルリッヒが低い声で警告を発したが、アドラーは聞こえないふりをして手を動かし続ける。指先が腹筋の溝をなぞり、軽く押しては離すを繰り返す。そのたびに義体が微かに反応し、電流が走るたびウルリッヒの足が小さく震えた。
「ほら、ここんとこ硬すぎるんじゃないか? もう少し緩めてもいいかもな」
アドラーはそう言って、腹部の中央を軽く揉みほぐすように動かした。するとまたしても電流が流れ、ウルリッヒの膝が一瞬ガクッと下がりそうになる。彼は腕を組んでアドラーを睨みつけ、静かに耐えていたが、その視線には明らかな怒りが宿っていた。
「義体のメンテなら、専門の技術者にやらせろ。」
ウルリッヒの声は冷たく、アドラーの手を払おうと腕を動かした。アドラーがすばやく手を引いて笑い声を上げると、ウルリッヒは足元の感覚を確認するように軽く踏みしめた。
「クソ、こんな体を技術班になんか触らせるくらいならいっそ俺が……」
アドラーはそう言って一歩下がり、ウルリッヒの反応を観察するように目を細めた。ウルリッヒは無言で彼を睨み返し、義体の微調整が必要かどうか考えているのか、少しだけ腹部に手を当てた。だが、アドラーの視線はまだ彼の体に注がれ、おそらくこの先も来ないであろう、その時のことを考えていた。