病鉢巻元祖本家で妖怪の勢力が2分し始めてから、何回目の合戦だろうか。50を超えたあたりから、正確に把握する必要性を感じなくなり、今では10の位しか把握していない。
そんな何回目かの合戦の夜。夜は基本的に停戦となっており、それぞれ体を休め次の日また戦が始まるという形になっている。屋敷に戻り、縁側で夜風にあたりながら、元祖の将として明日の戦略に思考を巡らす。
リンリンと鈴虫の鳴き声。満月の光を受けてゆらめく池。
こんな季節に合戦など、先は見えている。だのにあやつときたら、聞かないものだから……
などと思考していると、ドロン、と紫煙が上がり、一人だった縁側に副将のオロチが現れる。
ギ、と床板を踏み締める音。現れた男は片膝を立て、首を垂れる。
「土蜘蛛殿、本家軍から報せが…」
「申せ。」
「本家軍から休戦調停を申し込まれました。」
「…憶測ですが、あちらの将の不調によるものかと」
「どうしますか」
「わかった。休戦調停を結ぼう。」
首を垂れていたオロチが思わず、と言った様子で顔を上げる。
「…随分と早いご決断で。」
金の瞳がこちらを見上げる。怪しんでいるとまではいかないが、なにか引っ掛かりを覚えているかのような目線だ。
「…どちらにせよ、そろそろあやつも冬眠に入る時期だ。張り合いがない。」
「本調子でない者と戦って勝利しても仕方ないだろう。」
威風堂々を掲げる元祖軍が、休戦を受け入れる理由としては違和感がないだろう。
「は…承知いたしました。」
オロチは頭を下げ、短く休みの挨拶を告げるとドロン、と紫煙をあげて姿を消した。
ふたたびリン、リンと鈴虫の鳴き声だけがあたりを満たす。
「あの愚か者が…だからやめよと言ったのだ。」
亥の刻。戦に疲れた妖が眠りにつく頃。
知らせを受けた吾輩は一人、本家に忍び込む。
己の発する妖気を隠匿し、あの蛙の部屋へ向かう廊下を牛歩で歩みながら思案に暮れる。
会って、何を言おう。わざわざ忠告してやったというのに、無下にするからだ?無様な姿だな?
敵対しているくせにこうやって密かに逢瀬をするのは今に始まった事ではない。もちろん公にできることではなく、秘密裏に、だ。
だが、合戦が始まって逢瀬をするのは流石に憚られる…しかも休戦調停を結んだのちに逢瀬に出向くなど、大ガマの不調を心配して出向いているようなものだ…。心配ではあるが、そのようなことを口にしていい関係ではない。互いを想っていることを口にすることに一線を引いている。勢力を二分するような喧嘩が起きて以来、それは向こうもだ。譲れないものは譲れないが、それとは別にやはりこの男が他の者と関係を持つなどということがあることは許せない。あやつもまた…そうであってほしい。
まあ、つまり、いがみ合ってはいるが、互いの想いに変わりがないことを確かめる為に、元祖と本家で勢力が2分した後も逢瀬を重ねるという関係に落ち着いている。
ことの始まりを思い出す。あれはまだ元祖と本家が確立する前だ。
吾輩と大ガマは喧嘩することなど日常茶飯事であったが、なんだかんだ上手くやっていたし、喧嘩が起きようが起きまいが…会えばほぼ毎回のように体を重ねていた。いつからそうであるかなど、もうとうの昔に感じる。だが、勢力が2分化するほどの事態となると、これまでのように睦み合うことが一切なくなった。それは意地だったと思う。だが本家派の副将としてあの妖狐がつき、大ガマの身の回りをうろちょろとしていること、あの妖狐に屈託のない笑みを見せるあやつの様子にはらわたが煮えくりかえるような感情を覚え、あの蛙を密かに呼び出し再び犯したあの夜から、ここまでその関係が続いている。その夜は初めこそ吾輩を口汚く罵り抵抗していたが、夜がふける頃には覆い被さる吾輩の背を、腰を、その青白いうでで、柔らかな髪舌で、隙間なく肌が合わさるほどにきつく抱きしめていたのだから…きっとあやつもこちらと同じ気持ちである、はずだ。
ごちゃごちゃと考えていると、もう部屋の前に着いていた。
そうなると何を言うかなんてもうどうでもよくなり、とにかくふたりきりになりたい、その顔を見たいと言う想いに突き動かされ、襖に手をかける。結局何を言うか思案していたことが全て無駄であったなと悟ると、ス、と襖を引いた。
暗い部屋に月光が差し込む。
来訪を予期していたらしい蛙は、半身を起こした状態でこちらを横目に見ていた。
襖を開けたその手を離すと、吾輩の手の影に阻まれていた光が、その亜麻色の髪に、肌に、ぬらりと差しこむ。滑らかな曲線を描く頬、唇に影が落ち、まるでいつかに大ガマに連れられて見に行った西洋画のようだ。
光を受けて煌めく赤い瞳がこちらを見つめる。
「土蜘蛛…」
半身をひねりこちらを向く大ガマ。その左肩からこぼれる髪の一房…その先。髪を束ねる髪紐の青に、言葉を失う。
褥の傍に片膝をつき、右手でそのひとふさを掬い上げる。髪と髪紐の間に人差し指を差し込み…
「おい土蜘蛛…なんか言えよ」
正気を確かめるかのように右手でこちらの左肩を押す大ガマに意を返す余裕もなく、青い組紐をギリ、と引きちぎる。
「わ…おいおい」
蛙は怒るでもなく呆れたように声を漏らした。不調というのは本当らしい。怒るほどの気力も湧かないのだろう。
「あーあ、気に入ってたのに。」
破るのを阻止しなかったのはガマが疲れてたから。疲れてるのに馬鹿力の土蜘蛛を止める体力使うほど大切なものではなかった
「あんたはほんと相変わらず、お堅いねえ」
小首を傾げてそういう。
晒された白い首筋が、頬や唇が、赤い瞳が、開け放した襖から射す月光に照らされる。
軽口を叩いているつもりなのだろうが、妖気が弱まっているせいでまったくいつもの張り合いがない。
(ふわっと柔らかい感じで言ってる 陽気が弱っていて気迫がなく、それでいて芯にある気丈さは失われていないものだから、どこか色っぽくすらある。
「病鉢巻、だろ?ただの表現方法の一つじゃねえか。形式にとらわれすぎだぜ。」
瞬きを一つ。
髪を纏めていた藍染めの組紐を引きちぎられ、流れるままになった髪に視線を落とす。
数100年を共にし、幾度となく体を重ねた仲。こちらが何を考えこの蛮行に至ったのか、この蛙には見え透いている。なんら意外でもない。
この男が形式をわざと破るきらいがあることもまた、吾輩は知っている。
「貴様は気にしなさすぎだ。その、青い隈取りといい…」
発する己の声が低く強張っているのが自分でもわかる。
親指で青い隈取の走る目頭、瞼、目尻をなぞる
はは、そんなこともあったな…と独りごつ。ゆるく背を揺らしてわらう大ガマ。
初対面で隈取の色で喧嘩したことを思い出しているのだろう。
力なく笑うさまは、褥の中で己に体をゆるしているときの様子に似ていて、どうにも気分を揺さぶられる。己は怒っているというのに。
「不吉という言葉を知っておるか?意味が体を成すこともあるのだぞ」
「まじないじみてんなあ。そういうのもあったりなかったりだろ?」
実際そうだと自分でも思う。だが、もしものことを思うと、この男の青い組紐で髪を垂らすように結った姿が目に焼きついて離れないだろうと思うと、そうせざるを得なかった。
「そんなに不安そうにしてんなよ土蜘蛛。」
いつくしむような、やれやれというような表情でこちらを見つめる
「違う…怒っているのだ、うつけものが…」
「大丈夫だって…」
土蜘蛛を撫でる(ここ慈愛を感じる撫で方をしているという描写で)
「あんたがオレに妖気を分けて、元気にしてくれるんだろ?」
不敵に笑う。施しを受ける側だというのに、なんて図々しい言い草だ。
「ほら…はやくしてくれよ」
→煽る
ち、と舌打ちする土蜘蛛
「貴様、吾輩が弱っている貴様を気遣っているというのに煽るとはどういう了見だ」
「煽ってなんかねえよ。あんたが煽られた気でいるだけだ」
「もうよい、黙れ」
弱っているくせに殊勝なその唇に噛みつき、よく回る舌を嬲る。
「んう、ふ…」
れろ、れろと丹念に舌を舐る
「はふ、あぁ、あんたの妖気だ」