桜遥が棪堂哉真斗に堕ちるまで - Day01 - ~ 2 weeks love progress ~下記の日程で話が展開していきます。
※更新頻度とは連動していません
■ 1日目 来訪 ※この話です
□ 2日目
□ 3日目
□ 4日目
□ 5日目
□ 6日目
□ 7日目
□ 8-10日目
□11日目
□12日目
□13日目
□14日目
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■ 1日目 来訪
ドンドンと玄関のドアが叩かれたため、桜遥は見ていたスマホから、視線を居室の出入口へ向けた。
居室を区切る格子状にガラスが嵌め込まれた引き戸は中途半端に開いていて、その奥には流し台しかない台所があった。
一人暮らしのアパートはお世辞にも広いとは言えないが、部屋の作りの関係で、桜の居る和室から玄関ドアは見えないため、実際には玄関ドアを視界に入れた訳ではないのだが、玄関に続く台所の先は、いつもと変わらず何も無い。
今日、誰かがこの家を訪れる予定は無かった。
そのため来訪者の選択肢としては、風鈴の誰かがアポなしで遊びに来たか、セールスだろう。
ドンドンドンと、再びドアが叩かれる。
セールスならば不在だと思って帰るだろうし、風鈴の誰かならばスマホに連絡が来るはずだ。
桜がもう一度スマホに視線を落としたところで「さくらぁ」と玄関の向こうから、家主を呼ぶ声が聞こえて来た。
「おーい! さくらぁ、いねぇのぉ?」
少し間延びした低い声。
聞き覚えのあるそれに、誰かと名前を呼び起こす前に、脳裏に顔が思い浮かんだ。
つい先日、街を掛けて抗争した、棪堂哉真斗では無かったか。
ドンドンともう一度ドアが叩かれた瞬間に、桜は勢い立ち上がり、玄関ドアへと向かった。
丸いドアノブにシリンダーキーが付いた古いタイプの鍵は開けっぱなしで、ちょうどノブが捻られドアが開こうとしていたところだった。
慌ててこちら側のドアノブを掴むと、10センチほど開いた隙間から、予想通り蛇のような眼差しで長身にタトゥーを所狭しと入れている、棪堂哉真斗が覗き込んできた。
「いんじゃん」
棪堂はドアを引いて中に押し入ろうとはせず、桜の引く力と同じ加減でドアの隙間を保っている。
「……何でうち知ってんだよ」
桜の問いに、棪堂はにまぁと笑顔を見せた。
「こういうの、調べんの得意だから」
桜の家は同じクラスの蘇枋や楡井も知っていて、恐らく風鈴の生徒ならすぐに調べがつくだろう。
そして狡賢そうな棪堂ならば、そういった生徒たちも利用して、簡単に情報を手に入れてしまいそうだ。
「……何の用だよ……」
相変わらず10センチ程開いたドアの隙間へ桜が問い掛けると、涼しい顔をしながら棪堂は、手にしていたビニール袋を掲げてみせた。
「一緒に、茶ぁしようと思って」
半透明のビニール袋の中にはさらにクラフト地の紙袋が入っていて、どこかでテイクアウトして来たものであろうことは伺えた。
「約束したじゃん、あん時」
棪堂の言葉に、桜は下を向く。
確かに、梅宮と焚石のケンカを見に行く最中に、そんな話をしていた。
しばし桜が黙っていると、棪堂は無言でドアの隙間を広げた。
引っ張っていた力が外に流れて、思わず桜はよろつく。
そして広がった隙間から、棪堂がビニール袋を差し出した。
「気が乗んねぇなら、また今度。これはやるわ」
反射的に上を見て、棪堂と視線を合わせる。
何かを考えているのかも知れないが、自分と戦った後に見せた、憑き物の落ちたような表情のままで、本当に他意は無さそうだった。
「……いや、いいよ。入れよ」
そう言って桜はドアノブから手を離す。
『世間話くらい付き合ってやる』と言った手前、初めての誘いを無碍にするのは気が引けたのだ。
一瞬きょとんとした後、棪堂はニカッと笑うと「おじゃましまぁす」と入って来た。
「うわぁ。生活感ねぇな」
入って早々部屋を見た棪堂は、からかうような口調で感想を述べて来た。
「うるせぇ」
棪堂の全く遠慮の無い様子に、桜は少しだけ気を使われなかったことにホッとした。
「テーブルとかもねぇの?」
「ねぇよ」
桜がどかっと部屋の中央らへんに座ると、棪堂も倣って桜の正面に腰を下ろした。
そして、ビニール袋の中の紙袋から、プラスチックカップを2つ取り出した。
「はい。何が好きか判んなかったから、一番ベタなの買って来た」
差し出されたプラスチックカップの蓋はピッタリとシールで圧着されていて、逆さにしても中身が零れないようになっている。
液体の色はミルクティー色で、中に黒くて小さい団子状の物が入っていた。
一緒に手渡された黒いストローは一般的なものよりも太く、団子状のものを一緒に吸い込むためのものだろう。
「タピオカミルクティー、嫌いだった?」
「いや、飲んだことねぇ」
「なら、ちょうど良かった」
棪堂はストローを袋から取り出すと、遠慮なくぶすりとプラスチックカップの蓋に突き立てる。
桜も真似してやってみたが、力が弱かったのかストローの尖った方の先端が少し丸まって蓋に押し付けられていた。
ストローをもう一度持ち上げて刺し直すと、ぷすりと無事に刺さり、中の液体まで先端が収まった。
「はい。カンパイ」
棪堂は何が楽しいのか、ニコニコしながら自分のプラスチックカップを、桜のプラスチックカップにコツンとぶつけた。
棪堂がズズっと吸い上げたのを見届けると、桜も恐る恐る口を付ける。
少し前に、周りで流行っていた飲み物だということは桜も知っていた。
ただ、流行りのものに乗る性格でもないし、店舗の周りには常に同年代の人間が居て、近付く事さえ憚られた。
そのため、これまで一度も口にしたことがなかったのだ。
「……甘いな」
「甘いの嫌いだったか?」
「……嫌いじゃねぇ」
桜の反応に、何が嬉しいのか棪堂はニコニコと笑顔を向ける。
「他にどんな食べ物が好きなんだ?」
何の為にそんな質問をされるのか判らず、桜は思わずそのままの疑問を口にした。
「何でそんなこと訊くんだよ」
すると棪堂はきょとんとした後、「ふはっ」と笑い出した。
「世間話だよ、世間話。してくれるって言ってたじゃねぇか」
確かに、屋上へ向かいながら、そんな話をしていた。
「つうか、世間話って食べ物の話なのかよ……」
これまでまともに世間話をして来なかった桜にしてみれば、自分から「世間話」とは言ったものの、正直、どんな会話をするものなのか分からないでいた。
「互いに踏み込み過ぎないで、当たり障りの無い話すんのが世間話だろ。食べ物の好き嫌いは手っ取り早いネタなんだぜ」
棪堂の説明に、桜はそんなもんかと納得する。
「後は、休みに何してるとか、どんなテレビ見てるとか……あぁ、桜はテレビ見ねぇか」
ペラペラと言葉を続けた後、棪堂は桜の部屋を見回して苦笑した。
「で、どんな食べ物が好き?」
桜が黙ってタピオカミルクティーを飲んでいると、棪堂が改めて好きな食べ物を訊いて来た。
「オムライス」
『ポトスの』と付けなかったのは、万が一棪堂がポトスに行ってしまうことを無意識に避けたかったからだ。
あの時約束した通り、棪堂は風鈴にちょっかいを掛けて来ないし、大人しくしている。
しかし、他人を使ってあんなにも大規模な抗争を作り上げることが出来る以上、警戒するに越したことは無い。
「卵しっかり焼いたやつ? それともフワフワのやつ?」
桜の中でオムライスといえばポトスのオムライスなので、卵がしっかり焼かれていて綺麗に巻かれたものをオムライスだと思っていた。
「しっかり焼いたやつ」
『フワフワのやつ』が判らなかったため、それしか答えようが無かったとも言えた。
「じゃあ、肉は好き?」
「……好き」
桜がすんなり答えたことが嬉しかったのか、棪堂はニコニコしながら質問を続けていく。
「食べ物のアレルギーはあるか?」
「……多分、無ぇ」
どうしてそんなにも質問が思い付くのか疑問に思う程、棪堂はいくつもいくつも桜に問いを掛けた。
それをひとつひとつ、少し悩みながら答えている内に、桜は自分自身がそれほど食に拘りが無かったのだと気が付いた。
栄養が取れて、腹が膨れればいい。
コンビニ弁当を家で食べたり、ファストフード店でかき込んだりしたが、どれも味を考えていた訳ではなく、その場で空腹を満たすためだけの行為だったように思えた。
だから食べ物の好き嫌いも思いつかなかったし、オムライスの種類がいくつかあることを知らなかったように、桜が存在さえ知らない料理もたくさんあるのだろう。
自分のことを振り返ったような気分になっていたところで、口を付けていたタピオカミルクティーが無くなったようで、ズズっとストローを空気が抜ける音が鳴った。
ストローを口から外して、空になった透明なプラスチックカップを眺めていると、棪堂の手が伸びてきて桜から空のカップを回収していった。
気付けば棪堂自身のカップも、既に空になっているようだ。
「そろそろ、帰るな」
そう言って、持って来た時と同じようにプラスチックのカップを2つビニール袋に入れると、それを持って立ち上がった。
「あ、ああ」
見送るつもりは無かったのだが、なんとなく棪堂の背中を追って台所の前まで行くと、靴を履いた棪堂がこちらを振り返って嬉しそうな顔をしていた。
「じゃあ、またな」
そう言って、あっさりと玄関を出て行った。
突如訪れて来て唐突に帰っていった棪堂に、桜は心を乱されたような気持ちになった。
先ほどまで一人でペラペラしゃべっていた棪堂が居た居室が、今は何の音もしていない。
いつも通りの自室になったというのに、何処となく寂しいような気持ちを、桜は感じてしまった。
◆1日目 終了◆