桜と初期桜が入れ替わったりする話。2.
「桜遥さん! 好きです! 付き合ってください!」
桜遥が住んでいるアパートの階段下で、棪堂哉真斗は本人が降りてくるのを数時間前から待っていた。
そして、降りて来た桜が目の前に来ると、膝を付いて一輪の薔薇の花を差し出し、プロポーズのように告白をしたのだ。
「はっ!? なっ! ばっ……!!!」
突然のことに驚いた桜が、後へぴょんと飛び退る。
その顔は真っ赤になっていて、全く歯牙にも掛けられていないわけじゃないことに、棪堂は少しホッとした。
桜に告白したのは、もう両手でも数え切れない回数になっていた。
最初の告白は初めて茶しばきに行った際に、軽いノリで「オレと付き合わねぇ?」と訊いてみた。
すると桜は、少し頬を赤らめながらも「お前は誰にでもそんなことを言ってそうだ」と流されてしまった。
次に告白したのは、突発的に桜と会った時だった。
「これって運命じゃねぇ? 付き合おうぜ!」
「こんなんで付き合ってたら、オレは梅宮や楡井や蘇枋とも付き合うことになるんだが……」
桜の頬はうっすらと赤くなっていたが、スンとしたままあしらわれた。
それから、会うたびに告白したり、告白するために会う約束を取り付けたり、軽いノリから重いノリまで色々試して、徐々にその気になってくれているような気配を感じていた。
そして今日、桜遥の16歳の誕生日に、とびっきり真剣な告白をしたのだ。
プロポーズだと思われてもいい。
『結婚前提じゃないと付き合わない』っていうなら、それでいい。
棪堂はとにかく真剣だった。
これまで度重ねた告白の結果、真面目で重めの告白の方が、桜の反応がいいことが多かった。
そして今日は桜の誕生日だ。
多数の日本人は誕生日を特別視しているし、誕生日にプロポーズや告白をすることが多いだろうとも思っている。
つまり今日は、比較的勝機が高めな日なのだ。
であればサプライズで意表を突いて、あわよくば吊り橋効果的なドキドキを与えられたら、さらに勝率は上がりそうだと考えた。
そしてその結果、『白スーツで膝を折って薔薇の花を捧げる』に落ち着いた。
「そ、そんな大げさな恰好して、エイプリルフールってことか……?」
告白を受けた桜は、棪堂を見ながら真っ赤な顔でどぎまぎとしている。
想定通りの反応に、内心ガッツポーズを作りそうになりながらも、棪堂はまだ気を抜いてはいけないと気を引き締め直した。
桜の言う通り、桜の誕生日はエイプリルフールだ。
一般的には嘘を吐いてもいい日と言われていて、特に学生時代には下らない嘘を吐いたり吐かれたりしていたものだ。
しかし当然、棪堂はエイプリルフールなどではなく、本当の本気で桜に告白している。
「それより大事な、お前の誕生日だろ?」
真剣な眼差しで伝えれば、桜は息を飲んだように動きを止めて、じっと棪堂へと視線を向けた。
「……」
沈黙が二人を包む。
まだ少しひんやりとする春の風が過り、薄緋色の桜の花びらを舞わせた。
「……いいぞ」
ぼそり、と落ちた桜の声に、棪堂は我が耳を疑った。
「え?」
酷く間抜けな顔をしていたであろう自覚はある。
目の前の桜の顔は耳や首まで真っ赤になって、口元を手のひらで覆っていて、色違いの瞳は震えるように揺れていた。
「……付き合ってやっても、いい」
覚悟を決めたように、しっかりとはっきりと言葉にした桜の声に、棪堂は思わず唾を飲み込んだ。
「……エイプリルフール、じゃ、ねぇよな」
思わずぼそりと出てしまった台詞に、強烈な右ストレートが飛んでくる。
普段なら避けて相手を悔しがらせるのに、今日は避けることが出来ずに、まともに喰らってしまった。
「は?おい!避けろよ!!」
殴った張本人からの理不尽な台詞を聞きながら、棪堂はパタンとその場に倒れた。
気までは失わなかったが、一瞬昏倒するくらいの強烈さはあった。
桜のパンチは当然として、桜の台詞にやられた方が大きいだろう。
「……ほんとに?」
地べたに頬を付けながら、ぼそりと問い掛ける言葉が漏れた。
しゃがみこんで棪堂の顔を覗き込んでいた桜は、顔を真っ赤にしながら頷く。
「……お、おう。お前と付き合ってもいいよ……」
だばーっと涙があふれた。
心底惚れた相手に告白をして、受け入れて貰えて付き合えることが、こんなに嬉しいことだと知らなかったのだ。
こうして桜と棪堂が付き合うようになってから約半年。
その間に二人で色々な『初めて』を経験して、今日は『初めて』棪堂の部屋で桜とセックスをしたのだ。
これまで身体を繋げるのは、桜のテリトリーである桜の部屋がいいだろうと、そこでばかりしていた。
棪堂の部屋に桜が遊びに来たこともあったが、コトには及ばなかったのだ。
今日は何故だか桜が「泊まってみたい」と言ったために、初めて棪堂の部屋でお泊りをして、その流れでセックスをした。
そうして棪堂の腕の中で、いつものように眠っていたはずだったのに。
今、目の前に居る桜は、棪堂の知っている桜では無かった。
しかし見た目は間違いなく桜で、髪の色と目の色の左右が違うだけのため、鏡越しに見ている気分になってくる。
けれどその顔に張り付いた表情は、普段の桜の、何処かあどけなさを残したものとは違い、成熟さと達観さを併せ持っているような顔をしていた。
「別人格、なのか?」
棪堂の問いに、その桜はふわりと妖艶な笑みを深めた。
「頭のいい奴は、そう考えるのか」
見た目も声も棪堂の愛する桜遥なのに、表情も口調も選ぶ言葉も桜とは程遠い。
「じゃあ、何なんだ?」
「オレは、コイツが生まれる前に、生まれる予定だったものだ」
棪堂の脳内に、受精した胚は双子だったが、胎内の成長過程で片方が死んで、吸収されて思念だけが残ったのか?
などと、オカルト的な思考が巡った。
桜の髪色と目の色が違うことも、そういった要素が原因の可能性もあるのでは?とまで、思考を進めて行く。
「生まれる前に死んだ、桜の双子の片割れとか?」
現実的では無いが、既に目の前の桜の状態が現実的ではないため、棪堂は考えるがままに言葉を投げる。
正解が貰えるとも思えないし、それを自分が理解できるとも思えない。
けれど何かしらの理由が無ければ、この状況を打破する切っ掛けも見付けられないだろうと思うのだ。
「ははは。それも不正解」
桜はソファから立ち上がると、棪堂の目の前に立ってその顔を見上げて微笑んだ。
視線の艶やかさにドキリとする。
「オレは、コイツが生まれる前に生まれ、外の世界を知らずにコイツの一部になった」
舞台俳優さながらに大仰に言いながら、その桜は己の手のひらを己の胸に押し当てる。
「だからまあ、オマエの考え方は間違っていなくもない」
泰然と微笑みながら、ビッと、人差し指が棪堂の眼前に向けられた。
「オレが現れるのは、コイツの情緒が揺らいでいて、深く眠りについている時だ」
『情緒が揺らいでいる』とは、感情が不安定になっているということだろうか。
これまで二人で夜を共にしたことは何回も有ったが、こんな風になったことは初めてだった。
今日の何処かに、桜を不安定にさせている何かがあるのかと考えていると、桜は小さなあくびをして棪堂を通り越してベッドへと潜り込んだ。
「……コイツの眠りが浅くなると、オレは眠くなる」
そして、何事も無かったかのように瞼を閉じる。
「おやすみ。棪堂哉真斗」
そう言うと桜はすぐに、小さな寝息を立て始めた。
気付くと色違いの髪の位置が、元に戻っている。
変わった瞬間は判らなかったのに、『変化があった』ことは確実に判るのだ。
まるで狐につままれたようだった。
頭が靄に包まれたように、思考が明確にならない。
棪堂はベッドの端に座り桜の寝顔を見ながら、今の出来事が夢なのか現実なのか、頭を悩ませるのだった。
To Be Continued