桜と初期桜が入れ替わったりする話。1.
その夜の月が酷く美しかったことを、棪堂哉真斗はいつだって昨日のように思い出すだろう。
腕の中の温もりがモゾモゾと動いて消えた感覚で、棪堂哉真斗は目を覚ました。
見慣れた自室の天井付近の壁に視線を投げれば、秒針を刻まないスイープ式の時計が深夜二時を指している。
日付が変わるくらいまで散々喘がせて、ぐったりと疲れ切って眠ったはずの腕の中の恋人が、思ったよりも早く動き始めたことを少し意外に思いながら、棪堂は上半身を少し起こして恋人 ── 桜遥の姿を探した。
桜の体力があることは知っている。初めてセックスした訳でもなければ、初めて自室に連れて来たわけでもない。
そのため、水を飲みたいとか、トイレに行きたいとか、そういった生理現象で動き回るのに棪堂への確認は必要ない。
首を回して部屋を見回せば、窓際のソファに座り、ブラインドを指で押し上げている桜の姿が見えた。
「さ、く……」
うっすらと月明りに照らされた横顔は儚げで、かぐや姫もかくやと恋うように月を眺める眼差しに、棪堂は呼び掛けるのを躊躇ってしまった。
「……」
棪堂が僅かに発した声に気付いた桜が、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。
暗い室内で青白い月明りのみに照らされた、酷く妖艶な眼差しに、嫣然と口元を上げた微笑みを見て、棪堂の全身に鳥肌が立った。
ゾクゾクと悪寒のように背筋が震え、興奮が腹の底から鼓動の速度を上げる。
初めて桜を手元に置きたいと思った時と同じ感覚に、棪堂はギュッと拳を握りしめた。
歓喜。興奮。焦燥。
様々な強い感情が棪堂の体内を駆け巡り、思わず起き上がってベッドを降りていた。
一歩、桜へと近付く。
桜を初めて見掛けたのは、風鈴とキールとの抗争の時だった。
あの時気になった棪堂の嗅覚に間違いはなく、直接まみえての戦闘で、心底惚れてしまったのだ。
抗争の時には惚れた弱みで桜を手に入れることは出来なかったが、焚石といるときにも感じたことのない新しい感情は棪堂の中にしっかりと根付き、できれば正攻法で桜を手に入れたいという切望へと変わった。
何度も何度も「好きだ」「付き合って欲しい」とアタックし、ようやく、今年の桜の誕生日にOKを貰って付き合い始めた。
それから半年。
棪堂は毎日幸せな日々を過ごしているし、桜も桜で、満更でもないと感じていた。
そんな桜に、まだ棪堂の知らない一面があったのかという意外さに、棪堂はすっかり昂揚していた。
しかし、興奮は冷めやらないのだが、何処か違和感もあった。
手を伸ばせば触れられる距離まで来て、棪堂は歩みを止めた。
目の前に居るのは確かに恋人の桜であるけれど、全身から醸し出す雰囲気は大人びていて全くの別人な上に、頭髪の色も色違いの目の色も普段と左右逆になっていた。
性格も見た目もまるっきり反転してしまったかのような桜に、棪堂は少しの恐ろしささえ感じてしまう。
「お前は誰だ……?」
思ったよりも警戒している声が出た。
けれど目の前の桜は全く意に介さないというように、嫣然とした笑みを湛えている。
「誰って、桜遥だけど」
低い声はいつもの桜のものなのに、全く別人のような口調が、棪堂の背筋をゾワリとさせた。
To Be Continued