桜と初期桜が入れ替わったりする話。3.
棪堂哉真斗の翌朝の目覚めは良く無かった。
普段なら愛しい恋人、桜遥をその腕に抱き、温もりを感じながら最高に心地良く目が覚めるのに。
今朝は余り眠れず、そして夜中に出会った『もう一人の桜遥』の所為で、混乱を引き摺ったままだった。
腕の中に愛しい温もりはある。
髪の色はいつも通り、棪堂から見て右側が白で左側が黒。
しかし、深夜の桜は反転していて、性格までも対局にあるように見えた。
どうしてあんなことが起こったのか。
あれは棪堂の夢だったのか。
けれどあの存在感と現実味は、夢などとは思えなかった。
昨夜の出来事に頭を悩ませていた棪堂だったが、腕の中の恋人がはにかみながら「おはよ」と言っただけで、悩みなどどうでも良くなった。
否、どうでもよくはなっていない。
深夜の桜は棪堂に言ったのだ。
『オレが現れるのは、コイツの情緒が揺らいでいて、深く眠りについている時だ』と。
情緒が揺らぐ。
つまりは不満やストレスや何れかの要因で、精神的な安定が揺らいでいるということだろう。
桜の中に何等かの不満があるなら、それは解消しなければならないのだ。
「桜、なんかオレに不満とかある?」
ひとまずストレートに訊いてみると、寝起きで突然不満を訊かれて、桜は半分寝惚けながら首を傾げた。
「ふまん?」
普段よりもあどけない可愛さに眩暈を覚えながらも、棪堂は昨夜の桜になってしまった原因をさぐるべく会話を続けた。
「そう。不満。オレん家で寝るの、イヤだったとか……?」
「……」
考えているのか悩んでいるのか、黙った桜に棪堂は思わず焦ってしまう。
「な、何でも言ってくれ」
「え、棪堂の匂いがするから、落ち着かなかった……」
「……く、臭かったか?」
昨日、桜が風呂に入ってる間に、洗濯済みのシーツに換えておいたから清潔なはずなのだが……。
「……じゃなくて」
腕の中で桜が、少し頬を赤らめながら上目遣いで見て来た。
「ずっと、お前に抱き締められてるみたいで……」
「うっ」
『オレの恋人が可愛すぎる……』と悶えそうになりながらも、少し照れたような顔の桜の頬を撫でる。
「…………あと」
「ん?」
「……やっぱいい。なんでもない……」
言い掛けたのに途中で言葉を止めた桜にドキリとして、棪堂はその顔を覗き込んだ。
「些細なことでもいいから言ってくれ」
棪堂が必至だったからか、桜は少し眉を寄せて困ったような表情を浮かべると、少しだけ目線を反らせた。
「……他にも、ここで寝た奴いるのかなって……」
「!」
それは少しのヤキモチにも取れて、『オレの恋人は死ぬ程可愛すぎる!!!』と、再度飛びそうになりながらも、棪堂は必死で否定する。
「いないいないいない! この部屋に入ったことあるの焚石だけだし!!!
あっ、ベッドで勝手に焚石が寝てたことはあるけど寝てただけで…………」
訊かれてもいないことをペラペラと喋りながら、必死に桜へと弁解をする。
桜のヤキモチのような感情は嬉しいが、それが『あの』反転桜を顕現させてるのだとしたら、解消しなければならない。
「こ、こういうことしてんのは、後にも先にも桜とだけだよ~!」
腕の中の桜の頭にスリスリと頬ずりをしながら、棪堂は桜を抱き締める腕に力を込めた。
「……そっか」
腕の中で少し安堵したような小さな声が聞こえると、棪堂の背中に腕が回されて、ぎゅっと抱き締め返された。
それからしばらく、反転した桜は姿を現さなかった。
そもそも一緒に夜を過ごすこと自体少なかったし、棪堂の部屋に桜が泊まらなかったので、条件が揃っていなかったか、棪堂と一緒にいなかった時には現れていた可能性もある。
ただ棪堂は『あの夜』のこと自体が、夢だったようにさえ思えて来ていた。
人体構造的に一瞬で髪色や瞳の色が反転することは有り得ないし、であれば棪堂が夢や幻を見ていたという方が現実的だ。
初めて棪堂の部屋に泊まった桜の複雑な感情を無意識に受信して、夢の中に作り出してしまった可能性もある。
そのため棪堂は、反転した桜に関して考える時間が少なくなっていった。
恐らくこのまま夢だったのだと、記憶の隅に整理して仕舞ってしまうだろう。
「ん?今日はうちに泊まりたいって?」
土曜日に会う時は約束をしていなくてもだいたい泊まりになるのだが、棪堂は泊まるときにはセックスを考慮するので、慣れてない桜のテリトリーの方が精神的に良いだろうと桜の家を選びがちなのだが、久々に桜から棪堂の部屋に泊まりたいと言って来た。
棪堂の意識にふわりと、前回桜が泊まった時に現れた、反転した桜が過った。
「……ダメか?」
棪堂が即答しなかったせいか、桜がじっと棪堂の顔を見上げてくる。
「ダメじゃない!いいよいいよ!」
どうして唐突に棪堂の部屋に泊まりたいと言い出したのか。
そういえば前回も唐突だったと、棪堂は思い出した。
もしかしたら今夜はあの桜が出てくるかも知れないと思いながらも、桜の要望をきかない選択は棪堂の中には無かった。
To Be Continued