桜遥が棪堂哉真斗に堕ちるまで - Day05 - ~ 2 weeks love progress ~下記のストーリーを埋めていく予定です。
※更新頻度とは連動していません
■ 1日目 来訪 ※公開済み
■ 2日目 烹炊 ※公開済み
■ 3日目 接吻 ※公開済み
■ 4日目 呼名 ※公開済み
■ 5日目 寝顔 ※この話
□ 6日目 逢瀬
□ 7日目 未足
□ 8-10日目 空白
□11日目 残声
□12日目 悋気
□13日目 初夜
□14日目 後朝
■ 5日目 寝顔
その日、桜は屋上で級長の集まりがあり、その後は椿野を始めとした四天王に絡まれていて、学校を出るのがかなり遅くなった。
夏場だというのに陽が沈みそうになっていたため、時間的には『夕方』というより『夜』の方が近いだろう。
今日の夕飯はどうしようかと考えていると、自然と『棪堂は今日も来るのだろうか?』という思考が挟まる事に気が付いた。
来ているかも知れないし、来ていないかも知れない。
学校からの帰りに夕飯を買って帰った方が効率がいいことは判っているのだが、万が一棪堂が夕飯を持って来ていたら、買った食べ物が無駄になってしまうかも知れない。
そう考えると、一度家に帰って棪堂が居るのか居ないのか確認した方が良いだろうと思えた。
今まで1人で生きていた桜にとって、他人の行動を踏まえて自分の行動を考え無ければならない事は、酷く面倒に感じた。
けれどそれ以上に『人と共に過ごしている』という感覚が、慣れなくて面映ゆい。
風鈴に通い始めて集団の中での生活に慣れ始めては居たが、プライベートまで人が入って来ることにも抵抗感が少なくなっていることは、桜にとってはポジティブな変化だった。
桜が家に帰ると案の定、玄関には棪堂の靴があった。
しかし、すぐに聞こえて来そうな「おかえり~」の声が聞こえて来ない。
不審に思って音を発てないように部屋に入ると、部屋の真ん中で棪堂は眠っていた。
「…………」
畳の上に直に横臥し、何かを抱くように、猫のように背中を丸め、体格の良い身体が小さく見えた。
長い前髪が顔に陰を落とし、高い鼻を際立たせている。
起きているときはいつも表情がくるくる変わるため、こうしてじっとしている棪堂の顔を見るのは初めてかも知れない。
普段との雰囲気の違いに、どうしてだか目が離せなくなった。
桜が引き戸を引いて畳に足を踏み入れたところで、棪堂の身体がピクリと反応し、閉じられていた瞳が見開く。
「!!」
バッチリと桜と目が合うと、棪堂の顔は瞬時に険しいものから緩んだものへと変化した。
「おかえり~、はるか」
いつもの調子の棪堂に、桜ははっと小さく息を吐く。
寝起きでも警戒していた棪堂に、桜も少し空気を飲まれてしまっていたらしい。
「人ん家で勝手に寝てんじゃねぇよ」
「悪ぃ悪ぃ。待ってる間にウトウトしちまった」
後頭部を掻く棪堂を見ながら、桜は何となく、寝ている間でさえ警戒しているような棪堂が気になってしまった。
「今日は何食う?」
起き上がって伸びをした棪堂は、言いながらスマホを取り出して、ポチポチと操作をしている。
今日はどうやら手ぶらのようで、テイクアウトして来た物も、作って来たようなものも見当たらなかった。
「これから注文すんのか?」
「おう。30分ぐらいで来るけど、腹減ってんなら何か買ってくるか?」
「いや、そういうの頼んだことねぇから、珍しいなと思って」
「じゃあ、デリバリーの定番、ピザにするか」
再びスマホをポチポチすると、ピザの写真が並ぶ画面を桜にも見えるように傾けた。
「何系食う?」
何系と言われても、桜は宅配ピザを頼んだ事がないので、どんな種類が有るのか判らない。
「判んねぇから、お前の好きなの頼めよ」
「おっけー、じゃあ来てからのお楽しみだな」
楽しそうに言いながら、棪堂はポチポチと画面操作を続けた。
『宅配』ということは、この家に運んでくるということだろう。
桜は不意に、先日棪堂が言った言葉を思い出し、少しだけ揶揄ってやりたい気持ちになった。
「なぁ。 前にここの住所を他人に教えたくねぇって言ってたのは、いいのか?」
その時言った棪堂の『惚れた奴』という単語は、あえて意識しないようにした。
「オレの名前で注文したし、オレが受け取れば問題ねぇだろ」
しかし桜の予想に反して、棪堂は何てことも無いように返してくる。
自分が言った台詞を忘れた訳では無いということは、その返答から伺い知れた。
揶揄いが不発に終わってしまったことに桜は少し面白くない気持ちになったが、ニヤニヤした棪堂からはそれすらも見透かされているようだ。
桜が内心ムカついていると、不意に棪堂があくびを噛み殺した。
転寝をしていたようだし、桜には日頃よりも棪堂に覇気が無いように感じられたのだ。
「疲れてんのか?」
先程の眠っていた棪堂の表情を思い出しながら、桜は伺うようにその表情を覗き見る。
そういえば昨夜はお互い雨に当たっていて、風呂に入ったとはいえ、棪堂の服はちゃんと乾いていなかった。
そこから体調を崩している可能性もあるなと考えたところで、目の前の棪堂がにぱぁと飛び切りの笑顔を向けて来た。
「心配してくれんの? 嬉しいなぁ」
「違ぇよ! 疲れてんなら、無理して来んな」
「えー? 遥はオレに会えなくて寂しくなんねぇの?」
「寂しい訳ねぇだろ!」
いつもの軽口で雰囲気を変えられてしまい、心配して損したと内心思う。
「オレは寂しいんだけど」
「知らねぇよ」
ニヤニヤしている棪堂はいつも通りで、桜が感じた違和感が気のせいのようにも感じられた。
軽口を言い合っていると、ドンドンと玄関ドアが叩かれた。
玄関チャイムが壊れているため、来訪者はボタンを押して音が出ないことが判ると皆ドアを叩くのだ。
「えんどーさーん」
この家を訪ねて来て棪堂の名を呼ぶのは、先ほど注文した宅配ピザしか無いだろう。
棪堂は「はーい」と返事をしながら玄関に向かい、大きな平たい正方形の箱を一番下に、いくつか重なった箱と、紙袋が入ったビニール袋を持って戻って来た。
座卓のようなものは無いので、相変わらず畳の上に直接箱を置く。
さながらピクニックのようにいくつかの箱が開けられ、ピザが2枚とポテトにサラダ、それからドリンクが2つ広げられた。
ピザはそれぞれ4種類ずつ味が有るようで、90度ずつ見た目が違っていた。
「コーラとウーロン茶、どっちがいい?」
「……コーラ」
ドリンクのカップを受け取ると、視界いっぱいに広がる美味しそうな食べ物に、桜の腹はぐぅと鳴った。
その音が聞こえていたのか、棪堂は瞳を眇めると「こっちが肉系のピザで、こっちがシーフードとその他」と、大雑把にピザの内訳を説明し始める。
「食べようぜ」
桜はうんと一つ頷くと、「いただきます」と呟いてピザに手を伸ばした。
棪堂と飲食を共にするようになって、何となく口にするようになった言葉だ。
一人で食事をする時は、何も言わずに食べ始めていた。
棪堂に何かを言われた訳ではない。
食事のマナーに関して、箸の持ち方も食べ方も、何かを指摘されたことはない。
けれど一緒に食事をする棪堂は「いただきます」と手を合わせるし、食べる所作も綺麗だった。
そのため桜は、それを見て自然に真似るようになったのだ。
「意外と出来たてで来るんだな」
口に入れたピザの思わぬ熱さに、そんなことを呟けば、棪堂はニコニコしながらピザを持ち上げた。
「注文受けて30分で、作って冷まさずに配達してくれんのすげぇよな」
感心したような響きが棪堂にしては珍しい台詞に思え、桜は思わず棪堂をじっと見詰めてしまった。
「な、なに?」
桜の視線に棪堂は、少し狼狽えたような声を出す。
「お前でもそんなこと言うんだな」
「え? 何? なんのこと?」
「なんでもねぇ」
よく喋る棪堂は、何気ない発言までは覚えていなかったようで、桜がどんな発言を気にしたのかは判らなかったらしい。
棪堂哉真斗という人間は出会いは最悪だったのに、顔を合わせる回数が増えるたび、最初に抱いた印象から少しずつ遠ざかる。
自己中心的に見えるが、他人のことや物が良く見えているようでもある。
でなければ、1年以上も前に去った風鈴の校舎の中のことなんか、覚えてもいないだろう。
町を襲撃してきたときだって、あれだけの人数を集め、布告状通りに風鈴の生徒が立っている間は、破壊行為を行わないようにさせていた。
梅宮に対して何が一番『されたくない事』なのか判っていたし、それは効果を発揮していた。
他人の一番されたくない事が判るということは、逆に一番して欲しいことも判るということだ。
棪堂は桜に自分が負けたと宣言してから、桜の嫌がることを行っていない。
むしろ桜の為人を理解し、踏み込む距離も範囲も引くタイミングも、計算しているようにすら思えた。
「野菜も食えよ」
棪堂の差し出してきたプラスチックのパックを受け取り、しぶしぶ葉っぱを口にする。
ピザで油っこくなった口の中が少し緩和されて、ほんのちょっとだけ美味しいと感じられた。
棪堂と一緒に食べたり飲んだりするたびに、桜は何かを見透かされているような気がしている。
初めてこの家にやって来た日から、毎日餌付けをされているようでもある。
本当に本当に癪だが、それがイヤではないのが、自分自身でも何となく判っていた。
「ごちそうさまでした」
ピザもサラダもポテトも全部綺麗にたいらげて、それらが入っていた箱だけが残された。
棪堂はピザの入っていた空き箱を潰してコンパクトにすると、元々はドリンクやサラダが入っていたビニール袋に押し込んだ。
さらに他の箱やドリンクの紙パックを潰して同じように推し込むと、ぎゅっと袋の口を縛った。
「食ったし、帰るな」
棪堂はそう言って、それを持って立ち上がったので、桜は思わず声を掛ける。
「ゴミくらい、置いてっていいぞ」
棪堂は一瞬きょとんした後に、にかっと笑うと「じゃあ、お言葉に甘えて」と、玄関に向かいがてら、台所の、本来ならガス台を置く場所にそれを置いた。
棪堂を見送った桜がシャワーを浴びて風呂場から出ると、台所のガス台を設置する場所に置いてある、先ほどのピザのゴミが目に入った。
明日家を出るときにゴミ捨て場に持って行くため、その場所に置いたままにしてあるのだが、自分一人のゴミとは違い、なんとなくこそばゆくなるような気持ちになった。
これまで棪堂はやってきても、荷物もゴミも全てを持ち帰り、全く何も残さずに桜の家を辞していた。
昨日、棪堂が使ったタオル以外で、この家に棪堂の痕跡が何も無かったのだ。
桜はそれに気が付いて何とも言えない気持ちになっていたため、今日はようやく明確に残された痕跡に、少しだけ己の表情が緩んだ気がした。
◆5日目 終了◆