【蘭カミュ】シャンパンと美人は手がかかる 高級ホテルのスイートルーム。
ワンフロアすべてがその一室の為にあつらえてあると言っても過言ではないそこに、蘭丸は立っていた。
(…………嫌な予感しかしない)
エレベーターを降りてから、背中に妙な冷や汗が伝う。こんな風に緊張するのはいつぶりだろうか。
嶺二との番組である「まいど!アイドルらすべがす」の罰ゲームでこの場に放り込まれているのだが、あまりにも罰ゲームにそぐわない状況に混乱する。いつもであれば心霊トンネルだの、激辛料理だの、バラエティの名に恥じない過酷かつ面白系罰ゲームの実施が待っているはず――なのだが。
普段はゲストと対戦し、嶺二と一緒に罰ゲームを実施することが多い。今回は珍しく対戦相手が嶺二だったために、罰ゲームを受けるのは蘭丸一人。そしてその罰ゲームの内容を考えたのは嶺二だ。
エレベーターを降りた瞬間から、恐らくだがそこかしこにカメラが仕掛けられているのだろう。あたりを見渡してもそれらしきものは見当たらない。
「早くはじめてくださーい」
どこからか嶺二の声がする。やはり隠しカメラで見ているのだろう。
心の中で悪態をつきながら、渡されていたカードキーでスイートルームのロックを解除して足を踏み入れる。
(……ん?)
入ってすぐ何かがあると思ったのだが、ドアを開けてすぐは廊下だった。音もなく、しんと静まり返っている。奥の擦りガラスが嵌められたドアからは光が漏れているので、そこが罰ゲームの場という事か。
ぐずぐずしているとまた嶺二からの催促が来そうなので、意を決してドアを開ける。
「――は?」
「遅い」
そこはスイートルームの中でもメインルームに当たるのだろう。きらびやかな応接セットに、白を基調としたロココ調ソファと揃いのローテーブル。そしてなぜか散りばめられた白とほんのり淡いピンク色の薔薇の花弁が散らされた中、ソファで尊大に寛いでいる――カミュ。
しかも第一声から考えるに、どうやら今は伯爵モードらしい。
「いつまでそこに突っ立っているつもりだ」
「なんだこれ」
「お前が俺に侍ることが〝罰ゲーム〟とやらだそうだが?」
「はべ……!?」
素で出た疑問にカミュはふんと鼻を鳴らしている。
(様子が……)
確かにいつもの伯爵モードではあるのだが、なんとなく雰囲気が違う。
指示に従うのは癪だが、罰ゲームであるのでとりあえず少し距離を置いてカミュの隣に座った。その瞬間、薔薇の香りに紛れてふわりとアルコールの匂いが鼻をかすめる。
「着席した? それじゃ今から、ランランの罰ゲームを発表します!」
またもや嶺二の声がどこからか響き、「じゃじゃーん」とセルフ効果音の後に「ランランがどこまで叫ばずにいられるか! 耐久! ミューちゃん伯爵によるランラン称賛タイム!」と罰ゲームの詳細が明かされる。
「普段から顔を突き合わせると仲良しこよしの喧嘩コミュニケーションをとる二人だけど、認め合っている部分もちゃぁんとあるのは知ってるよ。なので、今回はランランが照れずにどこまで耐えられるかが罰ゲームになります」
「それって罰ゲームっていうのか?」
確かにカミュから褒められるというのは慣れなさ過ぎてむず痒く、早々に音を上げそうな気がしないでもないがバラエティ的には面白い罰ゲームかと言われると微妙だ。
カミュの伯爵モードが見たいファンには喜ばれそうだが、嶺二はその程度でこんな企画を考えたりはしないだろう。
「そこは抜かりなく」
「……?」
「ミューちゃん伯爵様は一時間ほど前からスイーツとシャンパンをお召し上がりいただき、現在大変ご機嫌麗しい状態です」
「ハァァァ!?」
やはり先程匂ったアルコールは気のせいではなかったのだ。
テーブルの上には様々なケーキスタンドが所狭しと並べてあり気付けなかったが、合間を縫うようにシャンパンのボトルが――。
真横のカミュを見ると優雅にシャンパングラスを傾けているが、開栓されたボトルの数を見る限り思った以上に飲んでいる。
「おい、お前これが番組の企画だって分かってるだろうな?」
「無論」
シャンパングラスを優雅にテーブルに置くと、カミュは蘭丸の方にずいっと体を傾がせる。そして蘭丸の顎に手をかけると、低い声のまま甘さを含んで「貴様を愛でればいいのだろう?」と囁いた。
「……っ嶺二! 中止! 中止だ!!」
「えー! まだ始まってもないよぉ?」
「酔いすぎだ! 事故る!」
「事故大かんげーい! では、罰ゲーム開始!」
「歓迎すんな!」
顎をがっちり掴まれているせいで動けないので、蘭丸はすかさず視線だけで音声を拾っていそうな場所に予想を立てる。恐らくテーブルの上のフラワーアレンジメントか、ケーキスタンドのどこかにありそうだ。ソファのどこかにもあるかもしれない。
「黒崎」
その声で呼ばれると、今考えてはいけないことが想起されて非常にまずい。事故になる前に、早々に褒められて音を上げるしかないと腹をくくる。
「さて、どこから愛でようか」
顎を掴んでいた手はするりと頬を撫で、耳を撫で、首筋に降りていく。
(愛でるの方向性!!!!!)
内心で大絶叫しながら「早く俺を褒めろ」と軌道修正を試みる。
カルテットナイトで飲みに行っても、カミュはほとんど酒を飲まない。たまに口にしているので飲めないわけではなさそうだ。その為、どの程度飲めるのか蘭丸も把握できていない。
極寒の国出身ともなれば酒も強いと思っていたが、今の状況を鑑みれば酔いやすい体質のかもしれない。空いているボトルの数からして量は飲めるのだろう――つまり目の前にいるのは顔色が変わっていないだけの、ただの酔っ払いである。
「ふむ、どこから愛でられたい?」
「愛でるな。褒めろ」
「触ると意外に柔らかいタンポポ頭……」
褒められているのか疑問だが、事故らないので良しとし――。
「お……」
おい、と言いかけてその言葉を飲み込んだ。声を上げれば終わったのに、うっかりバラエティ的撮れ高を考えてしまった。
カミュは蘭丸の頭を引き寄せて、よしよしと髪のふわふわを楽しむように撫で回していた。「髪が乱れる」とある程度で止めさせると、カミュはすんなりと引き下がる。
(分かってやってんのか?)
一瞬カミュの策略かと思ったが、間近で見る瞳はとろんとしている。表情は伯爵モードであるが、酔っぱらいの瞳だ。そして、それは蘭丸がよく知る状態でもある。
(見せたくねぇな)
そんなことをぼんやり思っていると、カミュの指先が蘭丸の胸元からへそのあたりまで下りていく。
「最近は鍛えて逞しくなったな。筋肉質だがしなやかな体つきになった」
「っ」
(セーフなのか、それは)と自問自答ながらも声を飲み込む。まだ二つ目ではあるが音を上げてもいいだろうか。微妙にギリギリなラインで、蘭丸も判断がしにくい。
「無自覚に柔らかい表情をしているときなどは貴重だな、好ましく思う」
再び顎を掴まれ、左右からじっくりと観察される。自分がどんな表情をしているかなんて確かめようがない。今度嶺二にでも聞いてみようか。
危うい方向性から、こそばゆいレベルにチェンジして蘭丸もほっとしていると耳元に唇が触れ「俺に向いていないのは妬けるが」とマイクに集音されないように囁かれる。直に吹き込まれる低音は鼓膜をビリビリと揺らし、力が抜けそうになった。
「カミュ、おまえ」
今のはわざとだと分かる。小さく唸ると、カミュはふっと口元を緩めた。
「あとは、そうだな――意志の強い瞳。信念は曲げぬ頑固者だが、やると決めたら貫き通す」
顎を掴んでいた指先が、蘭丸の喉を撫でた。こしょこしょと猫の喉を鳴らすかのような動きだが、くすぐったいだけでないのが苛立たしい。
「俺はお前の素の瞳の方が好きだがな」
何の――とは言わないが、じっと見つめられて時間が止まる。何か反応をしなければと思うのに、正面切って〝カミュが知る蘭丸の姿〟を好きだと言われるのは言葉が詰まる。
赤いコンタクトをオフにしている姿は、視聴者には見せたことがない。かといって、カミュだけが知っているわけでもない。確率的にその機会が多いと言うだけだ。正確な意味は二人だけにしか通じないが、これではまるでカミュだけが知っているような表現ではないか。
叫ぶほどではないが、忠告しないと目の前の酔っぱらいはするするとさらに余計なことまで口走りそうである。
「カ……ってぇ!」
急に顔面が近づいたと思ったら、そのまま蘭丸を巻き込んでカミュが倒れこんだ。
蘭丸の肩口では少し荒い呼気で「酔いが回った……」と呟いている。服越しに触れていてもアルコールのせいで熱くなっているのは容易に分かる。
「収録って分かってんのに、普通そこまで飲むか?」
「素面で言えるか、ばかもの」
こそこそと言い合うが、カミュの反応は遅い。
「おまえはそのままでいろ」
カミュの後頭部を抱え込むように抑えると「嶺二、もういいだろ」と声を上げた。
「ミューちゃん大丈夫?」
「飲みすぎだ。待ってる間に見張りくらい置いとけ」
「ミューちゃんがお酒も結構イケるとは想定外だったなぁ。罰ゲームなのに、ランランが良い思いして終わっちゃったよ……」
「企画倒れで残念だったな」
「最初はなかなかいい出だしだったのになぁ。途中ぼくにも聞こえないように二人でこそこそ話して! なに話してたの? ランランのえっち!」
「変なこと言うな。いいから水持ってこい」
「はーい! じゃぁ収録はここまで。すぐ持ってくよ」
嶺二の声が収録の終了を告げると、どこかでブツリと電子音が聞こえた。どうやら室内のマイクやカメラも切れたらしい。
「目眩は?」
「すこし」
しんと静まり返った部屋の中で、カミュだけがはあはあと熱い息を吐いている。蘭丸の上にいるカミュをちゃんと寝かせたいが、動かすときつそうな反応だ。
「ミューちゃん大丈夫?」
そっと室内に入ってきた嶺二は、蘭丸の上でじっとしているカミュを見て「ごめんね」と言った。
「普段飲まないから、そこまで飲むとは思わなくって。動けそう?」
「今は難しい。水、よこせ」
代わりに答え、蘭丸は唯一自由な方の手で嶺二からペットボトルを受け取る。
「起き上がれそうか?」
蘭丸が聞くとカミュは微動だにしなかった。だが、覗き込めば状態は分かる。「まだ無理そうだ」と蘭丸が返すと、嶺二は少し目を丸くした。
「へ~~~ぇ」
「んだよ」
「なにかぼくちんの知らないことがありそうなヨ・カ・ン」
「ねぇよ」
「ほんとにぃ~? 正直に言わないと、ランランにこのVTRのチェックさせてあーげない」
「とにかく! 今はこいつをどうにかしろ」
「そうだった! 車手配してくるから、もうちょっと休んでて。ランランちゃんと看病してね」
嶺二は素早く踵を返すと小走りに去っていった。振動を立てるなと言いたかったが、さすがスイート。絨毯がすべて音を吸収して、音も立たなかった。
「カミュ、起こすぞ」
「ん、」
蘭丸の上にうつぶせになっている状態から、ゆっくりと仰向けにしてから体を起こさせる。蘭丸にもたれかかるようにして縦になったはいいが、そのせいで余計にくらくらとしているようだった。
ペットボトルのふたを開け、口元に寄せるがカミュは眉根を寄せたまま目を開けようともしない。
「しゃぁねぇな、文句言うなよ」
蘭丸は少量の水を口に含んで、カミュの顎をくいっと上げる。そのまま口づけ、舌で唇をこじ開けると水を流し込んだ。こくりとカミュの喉が嚥下するのを見て、再び同じことを繰り返す。徐々に量を増やしたところで、カミュの舌が蘭丸の舌に擦りついた。
「だめだ。そんな元気あるなら自分で飲め」
まだ眉根にしわが寄っている。決して良い状態でないのにキスなどできるはずがない。余計に悪化させるだけだ。
ゆっくりとカミュの目が開く。うるんだ瞳は熱で氷が解けたかのようだった。
目の前にいるのは泥酔している男だ。具合が悪い相手に手を出すのは気が進まない。
(こんなこと、――ぜってぇしねぇのに)
蘭丸は触れるだけのキスを唇に、頬や目蓋にも落とす。横髪を撫でつけるようにして再び唇に触れようとしたところでガチャンという音がした。
「もうちょっとしたら……って、あれ? あれあれ?」
「車は?」
「あと五分くらいかな。それより、今なんか……」
「おい、歩けそうか?」
「……貴様の手は借りぬ」
「そうかよ。おい、嶺二。運ぶときおまえも手伝え」
嶺二の訝しげな視線をすべて叩き落として会話を進める。ここで口を挟ませたら面倒なことになる。それにドアの音がした瞬間に離れたので、見られてはいないはずだ。
「ランラン、ぼくに言うことない?」
「ない。あるとしたら、こいつに酒飲ませんな」
「ぐぬ、ガードが堅い。カルナイのリーダーとしてじゃなくて、友人としては?」
「――ねぇよ」
「ランラン~?」
「今は、な」
言うことは簡単だが、さすがにカミュの意見も聞かずに明かすのはフェアじゃない。
嶺二がきちんと線引きができて、秘密を守れる人間だとしても〝その時〟ではないのだ。
「じゃぁその時を待ちますか」
「おまえもな」
「え?」
「その時を待ってんぜ」
意趣返しに嶺二自身のことを示唆してやれば、分かりやすく目が泳ぐ。気付いていないと思っていたのであれば、蘭丸のことを侮りすぎだ。互いに付き合いが長いのだ。それくらいは気付ける。
肩にのしかかる重みがグッと増す。どうやら伯爵様はこの会話がお気に召さなかったようだ。
「心配いらねぇよ」
小さな声でカミュにそう囁くと、車の到着を知らせる連絡が嶺二のスマホに入った。
後日、あの罰ゲームがお蔵入りになったかと言えばそうではなく。
嶺二監修のもと若干のカットがされた罰ゲームは放映され、しばらくの間カミュが絶賛不機嫌だったのはまた別の話である。
なお、その不機嫌の理由の一つは藍からのアルコール摂取に関する講座とお説教だったとかなんとか。
fin.