バターサンドと悪魔 ハロウィンは盛大なイベントの1つだ。
大人も子供もそれぞれの楽しみ方があり、時期が近付き街が徐々に妖しく飾り付けられていく様は幼い頃からそわそわとしたものだ。
魔法教育学部のある大学に通うデイヴィスだったが、その年のその日、サークルメンバーのハロウィンパーティーには参加せずに街をフラフラしていた。安っぽい衣装で飲んで騒ぐだけの集まりには興味がなかった。
NRC在学中にハロウィンでやりたい事は全てやり尽くしてきたデイヴィスには『良い子ちゃん』のハロウィンは少々物足りない。それなら本格的に盛り上がる時間に街を歩いた方が、まだハロウィンというイベントを楽しめそうだった。
空がオレンジから紫、紺へと染まっていく時間帯。西の空はまだ薄ら太陽の名残を残している。普段であればそろそろ子供は家に帰る時間……なのだが、今日だけはハロウィンという免罪符を振り翳してあちこちで走り回っていた。
ゴーストや妖精の格好をする者、幻想の生き物の角飾りと尾をつける者、グレートセブンやそれにまつわる登場人物を模す者。
住宅街はバスケットやポーチを持った子供が行ったり来たり。通り沿いの家の前にはカボチャの飾りが置かれ、うちにはお菓子の用意があるよ、という目印になっている。子供たちはカボチャの置物がある家を訪ねて「トリック・オア・トリート」とお菓子を貰うのだ。
デイヴィスの実家もこの通りから少し入った場所にあるが、母は毎年立派なカボチャ飾りを置いて手作りクッキーを用意し、小さなモンスター達の来訪を心待ちにしていた。
家の飾り付けもそこそこ力を入れており、数年前には少々やり過ぎて泣いてしまう子供が居たくらいだ。翌年からは反省して電飾とコウモリの可愛い仕上がりになっている。
そこまで思い出して、ふとデイヴィスは母が焼いたクッキーが食べたくなった。毎年切らさないようにと大量に焼いているので、今更自分が多少失敬したところで誤差の範囲だろう。
近くのスーパーに寄ってアルコールとツマミを少々、両親への土産も兼ねて購入する。
店を出れば既に空の色からオレンジやピンクが消え去り、僅かに紫が残る程度でいよいよハロウィンらしくなってきた。
街路樹に骸骨がぶら下がり、歩道には赤いペイントで『Happy Halloween』とイタズラ書きがされている。地面にお菓子が落ちてると思って子供が拾えば、ポンと弾けて消える逆イタズラもあった。
きゃーきゃーとライオンの仮装した子供が走ってくる。デイヴィスが体を引いて避けなければ体当たりをされていたところだった。
普段であればデイヴィスも甲高い声に苛つき舌打ちの一つでもしただろうが、あいにくハロウィンの夜に目くじらを立てるほど不寛容な男ではない。
先程、魔法を使える子供が人の家のカボチャに勝手にペイントをして怒られているのを見た。デイヴィスは同じ年頃の時には道路に魔法で血糊ペイントを施して怒られている。事故現場と勘違いされたらしい。
前を歩く少女達は一人はハートの女王のドレスに似せた服を着ており、もう一人は水色のワンピースに白いエプロンをつけていた。薔薇の王国ではグレートセブンの中でもハートの女王に関する話が特に人気があるので、ハロウィンの仮装では多く目にすることができる。
女王や王の仮装は定番だ。たまに女王に逆らった大罪人の少女の仮装も見るし、手軽にできるトランプ兵の仮装もよく見る。
丁度目の前の二人にトランプ兵が数人合流してきて小さな王国が出来上がるのを見て、デイヴィスは小さく笑いを零した。
数分も歩けば自分の家が見えてきた。帰る事は伝えていないが問題はないだろう。驚かせるつもりでチャイムを鳴らそうと腕を上げたデイヴィスだったが、後ろに気配を感じて振り返った。
子供が一人立っていた。デイヴィスの腰よりも低い位置にある頭が見上げてくる。その青髪の頭には白いウサギの耳がピンと立っている。白いシャツ、赤い上着に黄色のベスト、グレーの半ズボンと、大きな時計の形をした黄色いポシェット。物語と違った翡翠の瞳。
「あの、このおうちの人ですか?」
ああ白ウサギの仮装だな、とデイヴィスはすぐに分かった。上から下まで確認して、かなり凝っているなぁと思う。
5歳かそこらだろうか、かなり可愛らしい顔をしている。クリクリとしたややツリ目の瞳に、剃ってはいないだろうに整った眉。睫毛も長く、玄関の照明の下で影ができている。つんとした鼻のラインも控えめな口元も全体としてバランスが良い。これは間違いなく将来は美人に育つだろう。髪はロングの方が好みだが、この子には紺碧のショートヘアがとても似合っている。
つい凝視してしまったが、少女に首を傾げて「ごめんなさい、ちがいましたか?」と続けられ、デイヴィスはハッと「いや、俺の家だ」と答えた。
パッと表情を明るくしたその子はニコニコと笑いながらデイヴィスにハロウィンの定番の言葉を口にした。
それを言われてから『しまった』とデイヴィスは思う。自分の家とは言え生憎今は子供に渡せる菓子の類を持っていない。今更チャイムを鳴らして母を呼ぶのも変に思われるだろうか。
手元でカサリと音をたてるスーパーの袋。ああそういえば、とデイヴィスはその子の目線の高さに合わせるように片膝をついた。
「レディには少々早いかもしれないが、とっておきのお菓子だ。こっそり食べないとママやパパに怒られてしまうぞ」
そう言って袋から個包装されたレーズンバターサンドを1つ、差し出した。酒は別に買ってあるのでアルコールの入っていないタイプのものだ。
これくらいなら渡してしまっても大丈夫だろう。なにせハロウィンの夜、アルコールの入ったチョコを配って警察沙汰になった家があるくらいだ。
差し出されたそれを受け取ったその子は、手の中の菓子とデイヴィスの顔とを交互に見てから、ぷう、と頬を膨らませた。
「……僕、女の子じゃないです」
デイヴィスとしたことがうっかりである。少女と見紛う可愛らしさに勝手に性別を決めつけてしまっていた。
「おっと、それは失礼。お詫びにもう1つやろう」
ちょっと値の張るバターサンドだがこの子には渡してもいいだろう。良いものには幼いうちから触れておいて損はない。
遠くから女性の呼ぶ声が聞こえる。少年はその声にパッと振り返ると「お母さん」と返事をした。通りの反対側で若い女性が手を振っている。暗くてよく見えないがどうやら少年は母親似なのだろうというのが分かった。
少年は手の中に増えたバターサンドをポーチの中に納め、「ハッピーハロウィン!」とだけ言うとデイヴィスの前からパタパタと走って行ってしまった。母親が大好きなのだろう、名前を呼ばれてご機嫌な様子で駆けていく後ろ姿は仔犬のようだ。
★ ☆ ★
デイヴィスがそんな昔の話を思い出したのは、つい最近の事だった。
「昔メチャクチャ美味しいバターサンド食べたんですけど」
という恋人のなんでもない一言からだ。NRCでのハロウィンも一段落して、ようやく二人きりの時間を確保できてゆっくり食事でも、と休日にこっそり遠くの街へデイヴィスとデュースは出掛けていた。
街角の雑貨屋では終わったばかりのハロウィンの雑貨やお菓子が値下げされていて、それを見たデュースがそういえば…と話し始めたのだ。
「小さい頃、ハロウィンの時期に母さんの実家の近くでお菓子を貰い歩いていたんですけど……他の家はチョコとかクッキーとかキャンディくれたのに、一軒だけバターサンドをくれたんです」
恋人のハロウィンでの寮コスチュームを思い返して内心ニヤついていたデイヴィスは、そこで一気に古い記憶まで呼び出してしまった。
ハロウィン、バターサンド、隣を歩く恋人の容姿。
「バターサンドを食べたのはそれが初めてで。で、美味しかったから母さんにねだってスーパーで買ってもらったら味が全然違くて……ショックでそれ以降バターサンド苦手になっちまったんです」
困ったように眉を下げて笑うデュースだったが、デイヴィスの頭の中では今パズルが嵌っていく真っ最中だ。
デュースの言うスーパーは、おそらく大衆向けの庶民派スーパーだ。高級嗜好品を取り扱うような、デイヴィスが行きつけのスーパーとはラインナップも扱うメーカーもかなり差がある。
そういえばこの先の大通りにはデイヴィスお気に入りのバターサンドの直営店がある。歴史ある店で、もちろんデイヴィス行きつけのスーパーにも昔から卸している店だ。
この歳になればラムレーズンの入った本格的なものを与えてやってもいいかもしれない。予約したレストランの時間までまだ時間はたっぷりある。
「少し寄りたい店がある」
「いつも好き勝手連れ回すじゃないですか」
「お前の見たいものも見ているだろう?」
さて、久し振りのバターサンドは一体どんな味に感じるのか。ちょっと悪い笑みを浮かべる大人は、ハロウィン期間よりも生き生きとしているのだった。
End.