それは淡く揺らめく陽炎のように無謀な恋だな、というのは自覚があった。
デュースは自分の人生を振り返ってみても、明確にここまで『好きだ』と思える相手に出会ったことがなかった。デュースが恋した相手は同性な上、更に種族が違っていた。いや同性間の恋愛はどこの国でも一般的に認められているので問題ではない。
その相手と言うのは、デュースとは違う寮で、学年は一つ上で、あまり良い噂が無くて、デュースよりも背が一回りも高い人物で。とんでもない気分屋という事以外は、正直デュースは知らなかった。
オクタヴィネル寮のフロイド・リーチ。ウツボの人魚で、デュースがひっそりと想いを寄せている相手だ。
初めて彼を見た時の事をデュースはよく覚えていない。ハッキリと一個人として認識したのは、エースと色変え魔法の練習をしていた時だ。自分の失敗した魔法を、フロイドが無邪気に楽しそうに笑うものだから、デュースはそれがひどく印象に残ったのだ。
イソギンチャクとしてアズール・アーシェングロットにこき使われていた時も、フロア担当ではあったがポジションのせいか厨房にいることの多いフロイドと会話をする機会が多かった。たまに調理場まで要件を伝えに入ると、真面目な顔でフライパンを扱うフロイドの顔を見る事が出来てつい目に留めてしまった。
いつから、どの時に、というのはデュース自身にも定かではなかったが、気がついた時にはフロイドに恋心を寄せるに至っていたのだ。それはしっかりとデュースの心に根を張っていたが、残念ながら気付いた瞬間に摘まなければならない芽でもあった。
「デュース部活終わった?」
「ああ。エースもか」
「本当は片付けあったんだけど代わってもらった」
「他の奴に迷惑かけるなよ」
エースとデュースは部活は違うが帰りのルートが被っているので、終了時間によっては途中で合流することも多い。終わる時間が合いそうだと思えばお互いに待つこともあった。その日もエースから『一緒に寮戻ろうぜ。少し待ってて』とメッセージが届いていたので体育館の出入り口でデュースは待っていた。
あー疲れた、と伸びをしながら歩くエースに、ミステリーショップで甘い物でも買おうかと提案される。ちょっと喉も乾いていたし、デュースはそれを快諾した。
「いやー今日やたらフロイド先輩がやる気出しちゃってさぁ、1on1誰も抜けねーし、ロングシュートは外さねーし、ダンクシュートまで決めるしでヤバかったんだよね」
「そうか……、リーチ先輩はすごいな」
部活の話をしていると、時折エースの口からその名前が零れることがある。その度に少しドキリとしてしまうが、何でもない風を装ってデュースは言葉を返す。いや、本当は部活中のフロイドの様子が知りたいので少し嬉しくなってしまう。
「オレも頑張りましたけど?」
「エースはシュート決められたのか」
「いや無理でしょ。調子いい時のフロイド先輩には誰も敵わねぇって。あーあ、試合の時もあのくらいやる気出してくれればなぁ〜」
「オレが何だってぇ?」
ミステリーショップ目前で、隣を歩いていたエースが「ぐえっ」という潰れた声と共に前のめりになった。エースの肩に置かれた肘がメリメリと食い込んでいる。耳のすぐ近くで聞こえた声に、デュースはぞわりと背中を震わせた。
「いだだだ…! フロイド先輩、ちょっと、痛いんですけど…!」
「カニちゃんうるせー。つーか一年生って今日片付けじゃねーの? サボりじゃん」
「代わってもらっただけですって」
ちょっと横を向けば、目で追う事に慣れてしまったターコイズが視界に入る。リーチ先輩だ、と認識した瞬間にデュースは声が出なくなった。「口応えするなんて生意気」とか言いながらフロイドはエースの頭に顎を乗せる。羨ましい、なんて思ってしまう自分が恥ずかしくなる。
「あ、フロイド先輩もなんか甘い物食べます? ちょっとしたやつでいいならオレ奢りますよ」
「誤魔化そうとしてるの丸分かり、まぁ貰えるもんは貰うけど。サバちゃんは何かくれんの?」
「えっ?」
不意の飛び火でデュースはフリーズした。今のやり取りに自分が入り込む余地なんて無いはず。ぼんやり眺めていたデュースは思考が真っ白になる。
「サボりのカニちゃんと一緒にいるって事はぁ、サバちゃんも共犯だよねぇ?」
ニンマリと笑う口元には、尖った歯がずらりと並んでいる。濡衣、トバッチリ、巻き添え、色々な単語が頭を通り過ぎていったが、デュースは震える唇で「お、奢らせていただきます」と小さく返した。
「なぁデュース、お前もしかしてフロイド先輩苦手?」
3人でミステリーショップに入り、フロイドは無遠慮に店内を物色している。離れた棚の前で、デュースはエースにコソコソと話し掛けられた。ギクリとデュースが固まると、エースはハァと溜息をつく。
「いやさ、お前顔色悪くなるし、先輩と全然目合わせないし、あんまり喋んねーし。そりゃオレらイソギンチャクで酷い目にあったけどさぁ、意外とフロイド先輩単体はそんなに問題ないっつーか?」
「………そこまで苦手ではないと思うんだけどな、もしかしたら元々合わないタイプなのかもしれない」
エースがそっちの方向に勘違いしていてくれるならその方が有り難い。否定はせずに、デュースは棚にあるまとめ売りのノートを手に取る。補習の多いデュースはノートの消費も多いのだ。
本当に苦手なら良かったのに。接点も殆どない相手なのだから、苦手なら無視もできたのに。そう思う。
「サバちゃ〜ん、オレアイス食べたい。カニちゃんはこれ買って」
「は? なんすかコレ。握ると目玉が飛び出す魚のキーホルダー…? 叩き売り90マドル……?」
「おもしれーでしょ」
「いやデュースの方が高いじゃないっスか!」
「いーじゃん別に。すみませーん、カップアイスのバニラミントチョコソースがけのダブル1個」
止める間もなくフロイドはサムに向かって注文を入れてしまう。今日は涼しいのにダブルだなんて欲張りだね、なんてサムに言われつつ、フロイドは上機嫌だ。
「サバちゃん早く払ってよぉ」
「あ、すんません!」
手招きされてデュースはフロイドのそばへと駆け寄っていく。ノートと合わせた値段を聞いてデュースは内心呻くが、断わる言葉も思い浮かばず財布を開いた。部活帰りの買い食いを控えれば今月は大丈夫そうだ。
斜め後ろからフロイドが覗いている気配がするが、不用意に振り向いて反感を買う可能性を考えてグッと我慢する。金額丁度で小銭が出せて少し嬉しい。
「……あー。じゃーあ、アイス追加でもう一個ぉ。カスタードプディング、カラメルソース追加、フレーク追加のチョコソース追加〜」
後ろからマドル札を挟んだ指先が伸びてきて、デュースは背中と後頭部にピッタリと触れるものを感じた。頭の横からちょっと間延びした声が響いてドキンと心臓が鼓動を打つ。
「おや、持ち帰りかな?」
「食べてくからそのままで。お釣りはサバちゃん貰っていーよ」
「は?」
はいお釣りだよ、と渡されたお金をデュースはうっかり素直に受け取ってしまう。ポンと手に乗せられた金額にはマドル札が含まれていて、デュースが支払った金額よりゼロが一個多い。
「え、えええ…っ⁉ リーチ先輩、多いです、待ってください!」
「あーあ。サバちゃん受け取っちゃったねぇ。それ先払いで週末ラウンジのヘルプ入ってよ。アズールが誰か連れて来いって言うのに誰も捕まんねぇからさ」
あー見つかってよかったぁ! とフロイドはまたご機嫌だ。そしてポカンと呆けているデュースのポケットから財布を抜き取ると、フロイドはデュースの手の中の『先払いの給料』を勝手に財布へとしまい込んでしまう。
「ラウンジの連絡アプリまだ消してねーだろ? シフトの時間とかはアズールから連絡あると思うから宜しくねぇ」
財布を元のポケットに突っ込まれ、フロイドに顔を覗き込まれる。綺麗なオッドアイだ。金色とオリーブ、暗闇でも輝くような。
「……返事は?」
「あ、えーっと、分かりました……」
有無を言わさぬ圧を掛けられ、デュースは何も考えずに返事をしてしまう。それを聞いてフロイドは「サバちゃんありがと〜♪」とにっこりと笑みを浮かべた。
「はい、じゃーこっちのアイスはサバちゃんにあげる」
受け取ったアイスのうちカスタードプディングのカップをひょいとデュースの手のひらに乗せ、じゃー週末ね、とフロイドは去っていってしまった。
背中を見送るしかできなかったエースとデュースだったが、エースの手の中にはまだ変なキーホルダーが残ったままだ。呆気に取られている間に全てが終わってしまった。
「いや、このキーホルダーどーしろってんだよ……」
「明日渡せばいいんじゃないか?」
「明日には気が変わってるかもしんねーし、でも覚えてたら厄介だなぁ。つーかお前大丈夫なわけ?」
「う……、大丈夫だと思う」
「代わってやってもいーぜ?」
「シフトに入るだけなら別に問題ない。……多分」
結局エースもアイス(とキーホルダー)を買い、二人でアイスを食べながら寮へと戻る。エースに一口分けてもらったチェリーパイ味のアイスは、酸味のあるドライチェリーと砕いたタルト生地がアクセントになっていて美味しかった。
しかしデュースの口にはフロイドから奢ってもらったカスタードプディング味のアイスの方がピッタリだった。追加トッピングされていたソースやフレークもアイスとよく合っていて、『厨房に立ってる人は素材の組み合わせもバッチリなんだなぁ』と感心してしまう。
その日の夜に、ラウンジ勤務専用の連絡アプリにメッセージが入った。この度はフロイドがご迷惑をお掛けしました、という挨拶に続き、シフトの方はホールスタッフで18時〜、可能であれば一週間ほど続けていただけると有り難い、追加のお給料は勿論出る、つらつらと繋がる文字列にデュースはどうしたものかとベッドの上で眉を顰めた。
ラウンジでのバイトは時給も悪くないし、お給料は欲しい。ただ、今の自分がフロイドと同じ職場で何事もなく働けるかという不安が残る。エースの言うように顔色が悪く見えるなら良いだろう。だがそれでフロイドから顰蹙を買うのはいただけない。
悩んで悩んで、デュースは『ホール業務に徹しても大丈夫でしたら』と返信した。一応、『前回のバイトの時にキャパオーバーというのが分かって』『細かい事に気を取られると絶対にヘマをするので』とさも有り得そうな理由も付けておく。暫くすると了承の旨のメッセージが返ってきたので、デュースはようやく胸を撫で下ろした。
ラウンジのバイトは忙しい。ホールに専念するにしても、客の案内、オーダー、配膳、皿を下げたりタイミングを見計らってデザートや食後のドリンク提供、客が帰ればテーブルを片付けて次の客を案内して。少し経験があるとはいえ覚えの良くないデュースは新人と殆ど同じ扱いだ。
「こちらのドリンクを5番テーブルへ、帰りに7番テーブルのお皿を下げてください。その際にデザートの確認を」
「はい…!」
ホールを回すのはジェイドの役割である。ホール全体をよく見ている上、スタッフの能力に合わせて的確な指示も出せる。デュースへもオーバーしないギリギリこなせる量の仕事を振ってくれていた。
走らないよう気を付けながらデュースはひたすら仕事をこなしていく。それにしてもその日は忙しかった。ホールスタッフも少ない中での週末の混雑だ。
「う、わ…ッ!」
ドン、という衝撃は肩から。テーブルから空いた皿を下げて戻ってくる途中、ふざけて騒いでいた生徒が立ち上がり、デュースの肩にぶつかったのだ。抱えた皿と共にデュースの体がぐらりとバランスを失った。積み上げた皿が斜めに傾きズレていく。
備品の破損はアズールに酷く怒られる。給料から引かれることはないが、金色をした契約書がチラリとデュースの頭を過ぎった。
「あっぶねぇ」
ぐい、と腰を抱かれたかと思うと目の前でバラけていった皿がピタリと宙で止まった。魔法みたいだ、と一瞬思うがどう考えても浮遊魔法だ。腰に回された手には薄紫色のマジカルペンも握られている。
「お前ら何、店で暴れんの? 店の規約見たことある?」
その声に背筋がぞわりとした。特徴的な声に振り向かずとも誰だか分かる。フロイドだ。そしてこれはものすごく機嫌が悪い時の声だ。普段からつい聞き耳を立ててしまうのでデュースは知っている。
ふわふわと浮かんだ皿はデュースの持つトレイの上に重なりながら元通り戻ってくる。割れた物は1つもないようだ。ホッと一息ついたデュースだが、腰の手はまだ離してはくれない。
「……あの、ありがとうございます、リーチ先輩」
「別にサバちゃん悪くねーし。『営業妨害と思われる行為を確認した場合、相応の対応をとらせていただきます。』に抵触って事で」
ゆっくりとデュースが振り返れば、ドリンクを沢山トレイに載せたフロイドがかなり不機嫌そうな顔をしていた。そんな顔ですらカッコいいなと思ってしまい、きゅう、と胸が締め付けられる。
デュースにぶつかった生徒はといえば、顔を真っ青にして何とか弁明しようと喋っている。それでもフロイドは「うっせー絞める」などと言い出すので、その生徒は一緒に来ていた友人共々お金を置いて逃げるように店を出ていってしまった。
はぁ、と大きな溜息が近くで聞こえる。デュースの心臓は先程からバクバクと忙しなく動いている。綺麗に手の中に戻ってきた皿が、震える手のせいでカチカチと音が出てしまう。取り繕えるほど器用ではない。
「……あーごめんねぇ、怪我されるのも皿割られるのもめんどくせーから」
するりとデュースの腰に回されていた手は解け、気ぃつけてね、とフロイドは離れていった。今日は厨房担当のはずなのにどうして。そう思い目で追っていくと、どうやらホールが回らなくなってきたのを見て一時的に出てきたようだった。
普段あまり振る舞いの良くないフロイドだが、ラウンジでたまに給仕をしている姿は意外と様になっている。スムーズな動きでテーブルを回り、グラスも皿も音を立てずに提供する。そのギャップもデュースにはドキドキとするものだった。
手にしていた皿がまたカチリと音を立てた。また何か起こす前にとデュースは震える足を叱咤して歩き出した。
「災難でしたね、デュースくん」
「リーチ先輩…。いえ、お騒がせしてしまってすみませんでした」
「フロイドも言っていたようにデュースくんに非はなかったと思いますよ」
皿をなんとか洗い場まで運び、ようやく一息ついたところでデュースはジェイドに声を掛けられた。心臓はなんとか落ち着きを取り戻し、フロイドが戻ってくる前にさっさとホールに戻ろうとしたところだったのに。
「僕がもう少し周りをよく見ていれば避けられたのに…」
「そう自分を責めないでください。誰にだって予測出来ないことはあるものです」
チラチラとホールを見ればドリンクを配り終え、空いた皿を器用に重ねたフロイドがこちらへと向かってきている。また心臓はドクンと大きく脈を打った。
すれ違うならもう一度お礼を、ああ、でも顔をちゃんと見られないような気がする、男らしくしねぇと、でも目を合わせたら逃げたくなってしまう。好きなのに。好きだから。
「デュースくんはフロイドが好きなのですか?」
デュースの手から滑り落ちたシルバートレイが、床に当たって大きな音を立てる。ホールスタッフがあちこちで「失礼しました」と言うのが聞こえる。なのに、デュースはそれらの音をちゃんと認識することが出来なかった。
「…………あ、の。えっと、なんで」
「デュースくんはフロイドの事をよく見ていらっしゃるでしょう? けれど必要以上に避けている、視界に入らないようにしている。最初はフロイドを嫌っていて様子を窺っているのかと思っていたのですが、遠くからフロイドを見ている瞳が随分と熱っぽかったので」
フロイドは気づいていないようですが。とジェイドは楽しそうに言いながらデュースが落としたトレイを拾い上げた。長い腕が棚にあった新しいトレイを取り、どうぞ、とデュースの前へ差し出される。一方のデュースは先程までとは違う動悸に胸が苦しくなっていた。背中に氷水を流し込まれたように血の気が引いていく。
「その、リーチせ…フロイド先輩には、言わないでください」
否定する事自体が思い浮かばず、デュースは震える唇を動かして言う。知られたくない、興味が無いと言われるならまだしも、気持ち悪いだの身の程知らずだの言われてしまったら立ち直れないかもしれない。
「おや、どうしてですか? フロイドも喜ぶと思いますよ」
「だってフロイド先輩は、僕の事なんとも思ってないです。寮も違うし、エースみたいに部活が同じわけでもない。たいして知りもしない僕から好きとか言われても、」
「なぁに二人で話してんの?」
狭まった視界の端から、今一番聞きたくない声が飛び込んできた。一瞬息が詰まるが、それでも無理に酸素を吸い込んでデュースはフロイドを見ないように会釈しながら横をすり抜けて行く。
「 ッ、僕もうホール戻りますね! リーチ先輩、さっきは本当にありがとうございました!」
意識しないと息がうまくできない。顔が熱い。好き。やっぱり好きだ。声だけでドキドキしてしまう。言えない。気づいてほしくない。苦しい。好きだと言えたらこんなに苦しまずに済むのだろうか。
無謀で不毛な恋心は、引き抜くにはあまりにも深く根を張っていた。
「……。 はあぁぁあ〜……ッ…」
スペードマークのスタッフを見送り、持っていた皿を適当に洗い場に突っ込むとフロイドは盛大な溜息をついた。今日は人手不足で洗い場スタッフも駆り出されており、ここに居るのはフロイドとジェイドの二人だけだ。
ホールからもこの場所は直接見えない。フロイドは壁を背にズルズルとしゃがみ込むと頭をくしゃりと掻き上げた。
「………ジェイドぉ、オレやっぱサバちゃんにメチャクチャ避けられてる…」
「そのようですね」
「最悪……オレが何したってんだよ…、まぁ色々あったけどさぁ」
ぐしゃぐしゃと髪を乱してそのまま呻きながらフロイドは俯く。長く深い溜め息が吐き出され、泣きそう、とポツリと零される。
「全然さ、オレのこと見てくんねーの。目も合わせてくんねーし。喋ってても楽しそうじゃねぇし…今日だってやっとラウンジに引っ張って来たのに……」
『どうしようジェイド、オレもしかしたらサバちゃんのこと好きになっちゃったかもしんない!』
そんな申告をジェイドが受けたのはかなり前のことだ。とんでもなく気分屋で、気まぐれで、飽きっぽい兄弟が、ある日突然興奮した様子で自分にそう告げたのだ。
色変え魔法の練習をしていたデュースに全身をカラフルに染められ、それがなんだか面白くて、気分が良くなったので色変え魔法のコツを教えてあげたそうで。一生懸命に林檎を黒に染めるデュースに、綺麗な瞳の色に、思い通りに色を変えて喜ぶ姿に、きゅ、と心臓が締め付けられるような気がしたとフロイドは言った。
帰り道すがら胸の高鳴りの原因を考えてみるもフロイドの頭の中にはデュースの色々な表情ばかりが浮かんできて、こんなに誰かのこと考えてるなんてアズールとジェイドくらいだな、そのくらいサバちゃんのこと気に入っちゃったのかな、まぁけっこう好きかなぁ、好き、…好き?
好き、という単語が出てきた途端に、天啓のようにフロイドに雷が落ちた。
『オレ、サバちゃんが好きかもしんない』
胸に広がったその感情は、あっという間にフロイドの頭にまで昇ってきて多幸感をもたらした。ドキドキと心臓が早鐘を打つ。顔がポカポカする。今までなんとも思っていなかった記憶の中のデュースの仕草ひとつひとつが勝手に再生される。綺麗なピーコックグリーンの瞳が陽光の下で宝石のように輝く様が鮮明に思い浮かぶ。リーチ先輩、と呼ぶ声も寸分違わず耳に甦る。
ふわふわとした思考のまま、鬼気迫るようなスピードで寮へと戻り、フロイドは部屋に戻っていたジェイドに開口一番にそのセリフを吐き出したのだった。
『サバちゃん……ああ、ハーツラビュル寮のデュースくんのことですか』
『そう、サバちゃん! どうしよう、オレなんかサバちゃんのこと考えるだけでドキドキする。なんかぎゅーって絞めたいし、今すぐ会いたいし、触りたい』
『それで、好き、ですか』
『これって好きってことでしょ?』
『それはつがいになりたい、という意味ですか?』
興奮していたフロイドは、その一言でピタリと静かになる。つがい、という単語は人魚にとってとても重要で大切なものだ。それは一生を添い遂げる相手に使うものだし、軽々しく口にするものではない。頭の中でそのフレーズを何度か繰り返し、よく考えてからフロイドは言った。
『オレ、サバちゃんとつがいになりたい』
「オレ、サバちゃんに嫌われてんのかなぁ………」
「嫌われているならデュースくんは今ラウンジにいないと思いますよ。そろそろ直接デュースくんに気持ちを伝えればいいじゃないですか」
「ヤダ。それでサバちゃんに無理って言われたらオレ死ぬかもしんない。つーかサバちゃん絞めてオレも死ぬ」
「言わないと始まらないものもあるのでは」
「ウツボは臆病なの!」
あーもー! と声をあげて立ち上がったフロイドは、その辺のシンクに蹴りを入れると厨房の方へと戻っていく。おやおや、と見送るジェイドは少し意地の悪い笑みだ。
5秒あればコロリと気分や考えが変わるフロイドが、こうも長いこと1つの対象に執着しているのをジェイドは見たことがなかった。だから応援してあげたい気持ちもあるが、対象が人間となると簡単に背中を押すこともできない。人魚に愛されてつがいになるのは人間にはかなり大変なのだ。
ウツボは臆病で、巣穴でひっそりと息を殺して待ち構え、テリトリーに入り込んできた獲物を狙う。ウツボの性質を強く引き継いでいる人魚も同じだ。そしてそれは様々な事柄にも言える。もちろん好きな相手にも。
不自然にならない程度に顔を見に行き、会話はいつも二・三言。たまに後輩のエースをだしに多めのスキンシップ。少しでも意識して貰えたら告白しようと思っていたのに、あまりに効果が見られず「サバちゃん鈍感過ぎてツラい」とフロイドは嘆いていたが、そうではなかったらしい。
確実に仕留められる確証が得られるまで小さなモーションをかけ続けるフロイドと、気持ちを知られたくないと避け続けるデュース。第三者であるジェイドから見ればおかしな光景ではあるが、そろそろ二人が肩を寄せ合い仲睦まじくしている姿も見てみたい。
お節介はバレないように。
まずはデュースくんの方から少し押してみましょうか。そんなことを考えながら、ジェイドはホールへと向かうのだった。
End.