運命 初めてその子を見たとき、運命の相手だとデイヴィスは確信した。
デイヴィス・クルーウェルは優秀なアルファの一族の生まれだった。何代遡っても直系はアルファ、親類も半分はアルファ。ちなみに両親はアルファ同士の恋愛結婚で、デザインとファッション関係の会社を経営している。アルファはオメガとつがうのが当たり前だなんて言われているが、オメガの総人口数はアルファよりもずっと少ない。だから遠い親類まで全員合わせてもオメガとつがいになってる者は2人もいなかった。
「僕はオメガの彼女とつがいになれたけど、きっと彼女は運命ではないと思うんだ」
それは幼い頃のデイヴィスが、オメガの女性と結婚した従兄弟と話した時のことだ。
「勿論彼女は素敵な女性だし、オメガであることを抜きにしても愛してる。でも、運命のつがいだと言うほど、本能で引かれたわけではないと思うんだ」
そう言ってコーヒーを飲む彼の横顔が酷く悲しく見えて、デイヴィスの心にツキリと刺さるものがあった。
運命のつがい─────おとぎ話とも都市伝説とも言われる話だ。子供のデイヴィスも知っている。数千、数万、数百万分の1ともいえる確率で存在する、魂までも惹かれる唯一の相手。出逢った瞬間にソレだと分かるというが、2次性徴すらまだのデイヴィスにはさっぱりだ。
「彼女は運命のつがいではなかったけど、僕にとっては運命の人だ」
そう言って笑う従兄弟は、やっぱりちょっと悲しそうだった。
学校へ行けば世界は広がり、全寮制の有名魔法学校へと進学すればその世界は更に広がった。デイヴィスは優秀であったし、行事や旅行で知らない土地へ赴くことも増えた。
まだまだ年若いデイヴィスだが、オメガと知り合う機会も増えた。副反応の少ない抑制剤や魔法薬、フェロモン抑制の魔法などを組み合わせ、オメガはベータやアルファと変わらない生活をしている。
一般的に流通しているアルファ用の抑制剤も実によくデイヴィスの体に適合していた。パッと見では相手の2次性は分からないことが多く、相手に打ち明けられて知るくらいだ。
体感ではやはりオメガの数は非常に少ない。NRCではアルファの割合が高く、ベータとアルファの割合はほぼ半々、オメガは各学年に1人いるかどうか。もちろん同学年のオメガとは多少の交流があったが、一度だけ嗅いだフェロモンも抑制剤を服用していたお陰が「これがオメガのフェロモンか」という程度だった。
先にも述べたがデイヴィスの家は優秀なアルファの一族だ。なので勿論交際の申込みやデートのお誘い、果てはお見合いの話まで舞い込んでくる。相手はオメガであることもあったし、これまた立派な肩書きのついたアルファであることもあった。親は好きにすればいいというスタンスでデイヴィスに丸投げであったが、デイヴィスの琴線に触れる出会いはなかった。
まだ在学中、もっともっと自由を謳歌したい。好きなことをしたい。ある程度の歳になったら考えて相手を選べばいい、オメガでも、アルファでも、ベータでも構わない。ずっとそう考えていた。
だから、その出逢いはあまりに突然で、デイヴィスの世界はまるでひっくり返ったようにぐちゃぐちゃになってしまった。
それは19歳の冬。ウィンターホリデーに実家へと帰省した時だった。家族への挨拶もそこそこに、デイヴィスはふらりと電車に乗って出掛けていった。年の瀬も近く年末年始で開かれるマーケットへ向かうためだった。
駅を5つやり過ごし目的の街へ着くものの、混雑する駅にデイヴィスは辟易として外へと流れ出る。気まぐれで来てみたが思ったよりも人が多くて正直失敗したと思う。それでも人の流れに沿いながら街をふらつき、お気に入りのブランドの路面店でネクタイとシャツを買い、チェーン展開のない二つ星レストランで食事を済ませ、そういえばと紅茶の茶葉を頼まれていたことを思い出した。
薔薇の王国はコーヒーよりも紅茶の消費量が多い。デイヴィスの家も圧倒的に紅茶の消費量が多かった。この街には有名紅茶メーカーの直営店があるし、一段落ついたところでデイヴィスはその店へと向かう。
もう少しで目的の店に着くという時、花束を抱えたような香りを感じた。酷く甘い香りだ。どこか爽やかにふわりと香るようで、逆にじわりと重くも感じる香り。デイヴィスの心臓がドクリと強く脈を打った。────オメガのフェロモンだ。こんな人混みの中でフェロモンを垂れ流しにしているなんて有り得ない。いやもしかしたら急なヒートに見舞われてしまったのか。勝手に熱くなる自身の身体に舌打ちをする。
もしヒートを起こしたオメガがいるなら迅速な保護と専門機関への要請が必要だ。しかし辺りをぐるりと見回してみても人の波は相変わらずダラダラと流れているし、オメガがヒートを起こしている気配もない。それにベータの人間もオメガのフェロモンは感知できる筈なのに誰も気づいている様子もなかった。
そもそもデイヴィスだって抑制剤を服用している。人混みに出るからといつもより強めのものを選んだ。これは一体どういうことだろう。その時だった。
「おかあさん!」
という声が足元を駆け抜けて行った。デイヴィスの腰よりもなお低い場所から聞こえたその声は幼く、弾むような声色で母を呼ぶ。声が通り抜けた瞬間、デイヴィスはその香りを強く強く感じた。一瞬目眩でも起こしたのかと思うほど、今まで感じたことのない魅惑的な香り。下半身に熱が集まりそうになるのを必死に散らすよう努め、ゆっくりと振り返る。
数メートル離れた場所で、若い女性に抱き上げられた子供がいた。モコモコの服に包まれた手足はまだ短い。せいぜい2・3歳くらいだろうか、マフラーの上からもまろい頬が分かる。深い海のようなネイビーブルーの髪は柔らかく、冬の寒風に揺れている。大きな瞳はエメラルドともパライバトルマリンとも言える美しい色合いで、カットされた宝石のような輝きを放っていた。
「お母さんの手を離さないでって言ったでしょう」
「ごめんなさい」
そんな会話が聞こえてくる。実に幸せそうな親子の姿だ。母親と思しき女性は子供の解けかけたマフラーを片手で直そうとして、しかし逆にはらりとマフラーは更に解けてしまう。子供の短い襟足から覗いた白く細いうなじに、デイヴィスの目は釘付けになった。
「デュース、もう寒いからもう帰りましょうね」
「おうちにかえったらココアがのみたい」
「あら、じゃあ帰りにスーパーに寄らなきゃ」
母親の顔に頬を寄せて笑う子供が、ふと何かに気がついたようにデイヴィスへと顔を向けた。水面の輝きを湛えた美しいピーコックグリーンの瞳がまっすぐにデイヴィスを捉える。
この子だ。
と、それは誰でもないデイヴィスの脳が告げる。直感めいたものを感じた。いや本能の叫びだったのかもしれない。運命なんて陳腐な言葉、信じていなかった。薬を飲んでなお、2次性徴すらはるか先のこんな幼い子供に惹かれる理由なんて、きっと。
ふらりと人並みに消えそうになる二人の姿を、デイヴィスは抑制剤を噛み砕きながら追った。バスに乗り、下車後も更にバス停から少し歩いて、小さなスーパーで買い物をし、親子は仲良さげに手を繋ぎながら歩いていく。そうして郊外の緑が豊かな住宅街まで、デイヴィスはついてきてしまった。小さなアパートの部屋の場所まで確認して、デイヴィスは悩んで、そしてゆっくり踵を返す。
頭はまだ混乱していた。もし運命のつがいというものが本当に存在するなら、きっとあの子がそうだという確信があった。歳は10以上離れているだろう。あんな幼い子供が、という驚きも強い。
それでもあの子を忘れることなんて出来そうになかった。帰ったらまず、家族に相談するべきか。相手の親にもどう説明したらいいだろう。こんなに頭を悩ませることなんて、自由奔放におのが道を違わず進んできたデイヴィスには1度たりともなかった。
『運命のつがいを見つけた』
それだけで不思議な高揚感はずっと続いている。自分が酷く興奮しているのが分かる。どうやって手に入れようか、ずっと考えている。
その日の夜、デイヴィスは初めて特定の相手を想って自慰をした。今まではただの生理現象だと適当に済ませていたものが、脳裏に描く相手がいるだけでどうしようもなく身体が熱くなった。幼い姿のままではあまりに後ろめたさが勝るので、成長させた想像の姿の相手を、頭の中で思うままに蹂躙した。どんな声で鳴くのか、どんな痴態で自分を受け入れるのか、快楽によがる顔は、あの瞳はどのように濡れるのか。身体の奥底まで貫いて揺さぶって、そこへ吐き出すことを考えただけで自身を扱く手の動きは速くなる。傷一つないうなじを想像して、じわりと唾液が口内に滲み出す。いつか歯を立てることは叶うのだろうか。
デュース、と小さく呟きデイヴィスは果てた。荒い呼吸は1人分だけ、広いベッドにもデイヴィスだけだ。デュース、デュースとその日初めて知った名前を何度も小さく零す。
あの小さな子供は、まだデイヴィスの名前すら知らない。それ以前にきっと存在すら認識していない。
運命が始まるのは、これからだ。
エンド