夢の続き、或いは始まり『アイドルになろう』
別にデュースは最初からそう思っていたわけではない。プライマリースクールの頃、母と街で買い物をしていた時にプロダクションから声を掛けられたのが始まりだ。キッズモデルの勧誘だった。
大手のプロダクションだったが親心としては不安しかない。ただ、母子家庭で生活があまり楽ではないことをデュースは知っていた。母との生活が少しでも楽になれば、とデュースは自分でその道に入ることを決めた。
とはいえプロダクションに入ればすぐに仕事が来るわけではい。幼いながらもデュースは整った顔立ちをしていたが、我が強くなければすぐ埋もれてしまう。運良くとあるブランドの専属キッズモデルとして契約をとることができたのは、実力というよりは運だった。
デュースが16歳になる直前に、所属していたプロダクションが子会社を創設した。歌手やアイドルをメインにした新規事業だ。一応デュースもそちらへの移籍というか移動を打診されたが、不器用なデュースは歌も踊りも苦労しそうという理由で断っている。キッズモデルからの脱却も上手く行き、今は一人前のモデルとしての活動も安定していた。
同期だったり同じくらいの年頃だった人達が何人か移動になり、いくつかの新しいアイドルグループが作られたと聞いた。デュースには関係のない世界だ。そのグループは発表から間もなく人気が出て、デュースには更に遠い世界になった。
「デュースさ、なんでこっちの話蹴ったの? お母さんに楽させてあげたいってあんなに言ってたじゃん。稼ぎ全然違うっしょ」
同じキッズモデルだったエースは、今はアイドルとして活動している。器用なエースだから学校の勉強もステージのパフォーマンスもなんなく出来ているけれど、ダンスルームで見掛けたときにデュースは自分には到底できそうもないと分かっていた。
「モデルの仕事で十分食えてるし、母さんも喜んでくれてる。それに今度海外への売り込みもしてもらえそうなんだ」
「ゲッ、海外進出? おこちゃまデュースくんにはまだ早いんじゃないですかぁ?」
「いつの話だゴルァ!!」
デュースが加入すればグループ内ではニコイチ枠の予定だったのは、本人たちの知るところではない。
「まぁ一応さ、社長も『いつでも追加メンバーとしての枠はありますので』なんて言ってるし考えとけば?」
「うーん…」
デュース自身は別にモデルの仕事を天職だとは思っていない。カメラマンの前でポーズをとるのだって表情を作るのだって、正直苦手な部類だ。キッズモデルの頃からのマネージャーと、気心の知れた気さくなカメラマンの前でようやくプロとして立っていられる。
こっそり加入予定だったグループのダンスを練習したこともあったが、まず最初のステップで躓いてからは一切触れていない。本当に自分には向いていないのだろう。アイドル事業も大波に乗った会社は新しいグループを次々と育成中だ。賑やかになるだろうこの世界に、デュースの居場所はなさそうだった。
デュースがよく出入りする撮影スタジオがあるビルには、ダンスレッスンが出来る部屋がいくつもあった。ついでにボイストレーニングルームやラジオスタジオ、ドラマの撮影まで出来る設備があるのだから近隣の表現者たちはこぞってこの建物に集まってくる。
撮影で向かうと他のモデルや俳優、そして勿論アイドルメンバーなどと出くわすことも多い。路線の違うもの同士で朗らかに会話していることもあれば、ライバルのように火花を散らしていることもあった。デュース自身は今まで絡まれることもなかったのだが。
「ねぇねぇ、お前どこのグループ?」
撮影が終わり、今日は建物内でそのまま解散となった。マネージャーは別件で仕事があるというのでデュースは一人身支度をして帰るところだった。
初めて見る相手だった。ターコイズに黒いメッシュの入った目立つ髪色に、金色とオリーブのオッドアイ。おまけに見上げるほど背が高い男だ。廊下でバッタリ会った相手に突然声を掛けられて、デュースは思わず辺りを見回した。
「いやお前だって。他に誰もいねーだろ」
「は? 僕?」
「新規グループ? それとも追加メンバー?」
「……あ。僕は部署が違うというか。もしかして貴方はどこかのグループメンバーの人ですか?」
「部署?」
立ち話もなんだから、と近くの休憩スペースのソファに座らされ、なぜか缶コーヒーまで渡された。そのまま愚痴のような話をツラツラと垂れ流され、デュースは困ってしまった。
「オレさ、スカウトでアズールとジェイドと一緒に入ったんだけど練習イヤで抜けてきちゃった」
「はぁ。えーと、リーチさん、はもうアイドルでのデビュー決まってるんすよね」
男はフロイド・リーチと言った。兄弟と幼馴染の3人組でのデビューが決まっていて、グループ名を聞いたところ以前エースから聞いた新規グループの名前と同じだった。お披露目もまだなので顔も名前も知らなかった。
「だって別に練習することなくね? あのくらいのダンスなんて楽勝過ぎてしんどいんだよねぇ」
「ダンス得意なんすか?」
「得意つーかぁ、元々体動かすの好き。歌も嫌いじゃねーし? でも練習するの飽きた。帰りたい」
「羨ましい…。僕はダンスが全く駄目でそっちの道は諦めたんで」
「えっ、何サバちゃん踊れないの?」
「サバちゃん?」
「なんか全体的に青っぽいから、サバちゃん」
指をさされて、デュースは自分に変なあだ名がついたことを知った。魚のあだ名をつけられるのは生まれて初めてだった。ニヤニヤ、と笑うフロイドはすくっと立ち上がると、その場で簡単なステップを踏んでみせた。右足、左足、と軽やかに踏まれるステップに、デュースは思わず「おおっ」と声が出る。最初は簡単だったステップは、次第に振り付けのあるものへ、ターンは素早く、クルクルと舞うようなダンスかと思えばやがて靴音を響かせる激しいものへ。
ちょうど一曲分と思われる長さを踊りきり、フロイドは最後にピタリとポーズを決めた。デュースの目から見ても完璧だと思った。終った瞬間にデュースは握り拳で雄叫びをあげた。観客が満員のホールだったら、きっと全員がそうしたに違いない。
「す、すげぇ!!」
「別に大したことなくね? 覚えるだけなら何十分かだし、踊れるようになるのもそんなに掛かんなかった」
「いや、マジすげぇっすよ! メチャクチャキレがあってダイナミックで…でも細かい部分の振り付けまで手を抜いてないっつーか…」
「……そう?」
「マジっす!」
キラキラと純粋な瞳で言われたらフロイドも悪い気はしない。気まぐれな部分が大きいフロイドだって、気分が良ければサービスだってする。
「は〜い、サバちゃん立って」
「え?」
ただその『サービス』が良いものかは分からない。デュースの腕を引っ張りあげると、フロイドはデュースの横に立った。
「はい、まず右ぃ」
「えっ、は?」
「右っつってんだから右に踏み出すんだよ」
「いッてぇ!」
フロイドの肘がデュースの頭にヒットする。曲がりなりにも一応モデルをしている人間にこの扱い、一体何様のつもりなのか。突如始まったフロイドの行動に、デュースは疑問に思いながらも渋々従うしかなかった。
「2歩前に出て右、左、右、左でワンセット、3回ステップ繰り返してぇ、次は右足から後ろに3歩、4歩目でターン」
「ん? 右、左、右、左…右、左、右、左…、右……」
「オッケー。そしたら腕の振り付けはぁ」
「…………いやいやちょっ、ちょっと待ってくださいそんな複雑な動き無理ですって!」
「無理じゃなくてやるんだよ」
「…こんなことやって意味あるんですか? 別に僕はダンスを踊りたいわけじゃ…」
足元の動きだけでも頭がパンクしそうなのに、フロイドは今度は上半身の振り付けまでは追加してくる。慌てて制止しようとするデュースをちょっとムッとした顔で睨み返すも、一息についてから切り出した。
「でもさぁ、サバちゃんしっかりオレの動き見て覚えようとしてくれてるじゃん。覚え悪いけどやる気はあるし。一回しっかり身につけば忘れないタイプじゃね? そういうタイプは徹底的に基礎と基本の動きを覚えられれば応用の動きもすんなり覚えられると思うよ」
デュースはちょっとドキッとした。過去に自分のダンスを見た人間は「ちょっと難しいかもね」「人には向き不向きがあるから」とマイルドな言い方で下手だと伝えてきた。でもフロイドはデュースのことを見て評価してくれる。そして上達する可能性を示してくれる。尊敬、とは違うかもしれないが、この時デュースの心に生まれた感情はしっかりと芽を出した。
「……僕はもっと上手く踊れるようになりたい、です」
「いーじゃん。えーと、サバちゃん仕事モデルだっけ。学校もあるだろうし、空いてる時間あったら教えてあげる。サバちゃん歌上手い? そっちの練習もしたいなら教えてあげないこともねーけど」
「…!! 宜しくお願いします、リーチ先輩!」
「いやオレ先輩じゃねーし」
デビュー前の忙しい時期だというのに(まぁフロイドのサボり癖のせいで忙しそうに見えなかったのだが)、フロイドはこまめにデュースの指導をした。デュース自身も別に路線変更したいわけでもなく、モデルとしての表現の幅を拡げるのに役立つだろうと練習に励んだ。
プライベートで会うことも増え、フロイドからデビュー日が決まったこと、それから衣装合わせをしたと送られてきていよいよなのかとデュースは思う。
その頃にはデュースはダンスを一曲丸々踊れるようになっていた。元々流行には疎いので原曲を知らないのだが、歌の入っていないその曲はアップテンポで印象的だった。
『中継会場まで来てよ』
とメッセージが来たとき、デュースはワクワクした。フロイドはデュースにダンスを教えることはあったが、『コンプライアンスとかなんとか』などとのらりくらりとアイドルとしての部分を見せてくれなかった。確かにデビュー前で情報統制が敷かれているだろうから、ホイホイと口にはできなかっただろう。つまりアイドルとしてのフロイドを初めて見ることができる機会なのだ。
しかもデビューのお披露目も兼ねた全国中継に、フロイドは関係者招待でデュースを中に入れてくれるという。生で見られるかもしれない。会場と時間を伝えられて、デュースは当日までそわそわとしながら過ごした。
その日、デュースはとんでもない目にあった。約束の時間にその場所へ行くと、建物に入ってすぐに知らない人間にキャッチされた。
「デュース・スペードさんですね、遅れてますので急いでください」
「は? え?」
「スタジオ入まで時間ないです、メイクと髪同時でいきましょう」
「服の方は?」
「サイズは大丈夫そうです」
いや待ってくれ、人違いだと言いたいのに呼ばれる名前は間違いなく自分である。あれよあれよととある一室に引きずり込まれ、鏡の前に座らされると数人がかりでもみくちゃにされる。メイクルームだ。よく見れば鏡に映った部屋の中に今日はオフのはずのマネージャーが映り込んでいる。手をヒラヒラさせている。オイ。
「マジで時間無いです!」
「オッケー行ける行ける!」
「はい立って、これに着替えて!メイク崩さないように!」
今日はモデルの仕事は無かったはずだ。こんなの聞いてない。それに時間が押してるというのは一体どういうことなのか。慌ただしくスーツ系の衣装を着させられ、デュースはまた廊下を足早に誘導される。
「この先3番の撮影スタジオです、中継中なのでなるべく静かに入ってください」
「撮影スタジオ?」
「急いで〜!!」
追い立てられるまま、デュースは扉を開いた。暗いスタジオの遮光幕をすり抜けていくと、撮影機材、スタッフ、照明、そして。
「あ、サバちゃんおっそ〜い!」
「リーチ先輩…ッ」
照明の照らされたステージの上に、フロイドが立っていた。ついでにグループメンバーと思われるフロイドに似た人と、銀の緩やかなウェーブの髪が印象的なもう一人もマイクを手に立っている。どうやらこの3人でデビューのようだ。スーツもビシッと決まっててかっけぇなぁ。デュースは感動して、それから「ん?」と疑問に思う。
「ごめんねぇ、準備の時間とか考えてなくて間違えて集合時間伝えてた」
ステージ上のフロイドが手招きしている。いや、今まさにデビューの中継をしているであろう人間が、ステージ外の招待客に声を掛けてはマズいのでは? デュースは返事をしていいか分からなかったが、痺れを切らしたようにフロイドがづかづかと歩いてきて、デュースの手を取り引きずった。
慌ててもあとの祭り、デュースがステージまで引きずられたところで、銀髪の青年がコホンと咳払いをしてから手にしていたマイクを口元へ当てた。
「少々トラブルがありましたが、ここで更に重ねて発表となります。この度デビュー当日でのサプライズ加入として、系列プロダクションよりデュース・スペードさんを迎えることになりました」
青天の霹靂とはまさにこのことだった。そんなこと聞いてない。
「えっ……いや待ってください、聞いてない…ちょ、マネージャー!?」
遠くでマネージャーが嬉しそうに手を振っている。デュースがキッズモデルの頃からのマネージャーだ。仕事はできるし、厳しくも優しい人だ。さっき銀髪の青年がサプライズ加入だと言っていた。いやまさか、そんな。
「サバちゃんがあんまり一生懸命練習してたから、社長にお願いしたらオッケー出ちゃってさぁ」
青ざめるデュースの横で、フロイドは嬉しそうに笑っている。デュースはそれどころではない。え、つまり、その。え?
混乱しているデュースをよそに、天井からは何やらイントロが流れ始める。
「あ、サバちゃん立ち位置ここね。踊り出しはオレたちに合わせればいいから」
よいしょ、とフロイドに位置を移動させられてデュースはハッとする。流れているのは知っているリズムの曲だ。今流れているもののほうが何倍も情報量が多いが、毎日何回も何十回も聴いた。ああそうか、渡されたのはデモ曲のデータだったんだ。すっかり体に馴染んだ動きは、曲に合わせて体が勝手に踊り出すほど。
『アイドルになろう』
別にデュースは最初からそう思っていたわけではない。デュースにとっては事故で、フロイドにとっては強引に掴み取った運命だ。
だって、サバちゃんが好きになっちゃったからこうすれば一緒にいられると思ったんだもん。そんなことをケロリと言うフロイドに、デュースが頭を抱えるのはこの中継が終わって控え室で問い詰めた時だ。
END