Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    0091boya_MTC

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 5

    0091boya_MTC

    ☆quiet follow

    ③ 自分自身を信じてみるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる   side.Juto
       
       
       
     車の後部座席に腰掛けていた。運転席の後ろ側。基本的には仕事の時も、プライベートでも自分でハンドルを握らないと気が済まないはずだが、なぜか不思議とそれが自然だと思い込んでいた。
    「早く帰らなきゃな」
    「銃兎、まだ怒ってるかしら」
    「大丈夫さ。あの子は優しい子だから」
     運転席の方から男女の声が聞こえる。忘れるはずもない、懐かしい声。俺の事を「優しい子」なんて言うのは貴方たちくらいだ。
     これは過去だとはっきり理解する。それも一番見返したくもない過去だ。そもそも本来ならば「俺」はここにいない。
     子どものつまらない理由でへそを曲げた。それが最期になるとも知らないで。
     信号機が赤になった。自分の乗っている車が先頭になってブレーキがかかる。何気ない平和な一幕が、一変した。
     対向車線の脇を抜けて、一台の車が未だ赤信号の道路をけたたましいクラクションとともに暴走してこちらへ向かって来る。
     ――避けられない
     直感でそう悟ったときには既に悲鳴とクラッシュ音が入り交じって、何が何だか分からない状態になっていた。身体が宙を舞い、一瞬のできごとがスローモーションのように感じる。
     無力な「俺」は彼らに手を伸ばして、無我夢中で叫ぶしかなかった。
    「父さん!母さん!」
     
     ***
     
    「……い……せんぱい?先輩!起きてください!」
     昼下がり、ヨコハマ署の敷地内。中庭のベンチ。潮風が通り抜ける午後十三時過ぎ。入間銃兎は後輩の声で微睡みから抜け出す。昼食後少し一服して、戻ろうと思っていたのだが、思いの外長い休憩となってしまっていた様だ。
    「失礼、時間ですね。行きましょうか」
    「はい」
     車に乗りこみ、町にパトロールへと繰り出す。パトカーを見て、渡ろうとしていた点滅信号で慌てて止まる会社員や、歩道を走っていた自転車が、突然自転車から降りて、歩き始める。
     別にこちらも、違法行為全てで逮捕する、という訳でもないのだが、自分たちを見て少しでもルールを遵守しようという気持ちが芽生える人々を見るのは嫌いではなかった。
    「平和ですね」
     助手席に座る後輩が呟く。通常であれば部下へ運転させるものなのだろうが、他人へハンドルを握らせるのはなんとなく落ち着かなかった。
    「そうですね」
     周囲に目を光らせているとはいえ、これではただのドライブだ。
    「先輩、あの約束忘れてないですよね?」
    「はい?約束?」
    「一週間何事も無ければ昼飯奢ってくれるっていう賭けですよ」
    「ああ、そういえばそんな約束しましたっけねぇ」
     確かに五日前、そんな賭けを持ちかけられた気がする。
     くだらない事を言っていないで集中しろ、と言ったはずだったが約束としてカウントされていたらしい。
    「もう特に何も無い日は五日連続、今日何も無ければリーチですよ」
    「あのねぇ……」
     むしろ自分が若い時は一つでもホシを上げて出世の足がかりにしたかったものだが、時代は変わったということだろうか。
    「ひとまず、パトロールへ集中しなさい。そんなくだらない事のせいで犯罪を見逃していたら、問答無用で報告しますからね」
    「うっ……承知しました……」
    「分かればいいんですよ」
     やたら素直な反応が新鮮である。そう銃兎は後輩へ注意喚起したものの、本当に何事もないまま一日が終わってしまった。
     署へ戻って書類仕事を片付けて、帰宅する。仕事をしてもしても終わらなかった二年前から比べると本当に平和になってしまったのだと痛感する。
     家へ着く一歩手前、スマホへ電話が入る。左馬刻からだった。
    「はい。どうしました?」
    「おう銃兎。仕事終わったか」
    「ええ、もうまもなく家へ着くところでしたよ」
    「そうかよ。んじゃあ、飲みに来いや。いつもの酒場な」
    「また勝手な……ってああ、今日理鶯が休暇の日でしたか」
    「そういうこった。じゃあ早く来いよ」
     理鶯が休みの日の夜は三人で酒を飲む。最近のMTCの当たり前になりつつあった。以前であれば、銃兎以外は基本的には呼び出せばすぐに集合できていたのだが最近はそうもいかなくなってしまった。だからせめて、集まれる時は集まって何気ない会話をしようと、決めたわけではないが自然とそうなっていた。
     ポートハーバーの扉を開ける。
    「すみません、遅くなりました」
    「おせーぞ銃兎」
    「うるさい、お前みたいに暇じゃないんですよ。おや、こんばんは。理鶯」
    「うん。相変わらず忙しそうだな銃兎」
    「そうでもないですよ。以前に比べればね。平和な世の中になったものです」
    「今さっき暇じゃねえっつったの誰だよ」
    「失礼、赤ワインいただけますか?」
    「おい無視すんな」
     三人揃うと途端に賑やかになる。静かに過ごす事が好きな銃兎もこの賑やかさは心地よかった。グラスを交わして、酒を喉へ流し込む。こんな穏やかに酒が飲める日が来るとは想像していなかっただろう。
    「銃兎、最近はどうだ?」
     理鶯が尋ねる。
    「ええ、ほんとうに「何も無い」ですね。多少の交通違反とか軽犯罪は腐るほどありますけど。暴力団組織も解体されて、うちの部は閑古鳥が鳴いてます。せっかく階級も上がったというのにね」
    「ちっ、余計な事喋んな」
     組を潰された側としては思うところがある様で、左馬刻は明らかに不機嫌な様子を見せた。
    「でもその組を潰された事で、てめぇもシノギ削りづらくなったんじゃねぇのか」
    「警察の仕事をシノギとか言うな」
    「はっ、てめぇのそれは立派なシノギだろうが」
    「だが、銃兎にとってはそうせざるを得ない状況だったのだろう。反対に、薬物が完全に取り締まられた今、リスクを犯すメリットもほとんど無くなってしまっただろうしな」
    「ええ、理鶯の言う通りです」
     
     薬物は撲滅された。それも徹底的に。H歴五年、かつての言の葉党党首東方天乙統女は辞任を発表。中王区の壁は解体され、極端な女尊男卑制度は撤廃された。新生言の葉党党首、並びに内閣総理大臣は理想的な平和の実現のため、中王区の内部腐敗、そして暴力団組織を壊滅させた。それは違法マイクや暴力、そして、世の中へ薬物が蔓延する原因を潰す為だった。裏取引などが起こりづらくなる様、国中の港付近に設置されたコンテナヤードの様な見晴らしの悪い場所なども改正され、代わりに監視カメラの量を増やし、なるべく国全体へ目が行き届く様にという徹底ぶりだった。
     これには薬物を強く憎んでいた銃兎も脱帽せざるを得なかった。自分が成し遂げたかった事をたった一年で、十も歳下の少女が行ってしまったのだから。
     その結果、組織犯罪対策部はほぼ役割を奪われた様なものだが、それでもなお警察署に配置されているのは、再び組織が復活したり、それにより薬物が世に蔓延ったりする危険が無くならないからだろう。人間がどうしようも無い生き物だと、嫌でも実感する。
     現に、自分は身体に良くないことを知りながら、酒を飲み、煙草を吸っているのだ。薬物に手を出すものを理解したくは無いが、まあ、彼らにとってはが自分にとっての酒や煙草の様なものだったのだろうと思案する。本当に、微塵も理解したくはないが。
     余計な事を考えてしまったせいか、途端に酒を飲む気が無くなり、水を貰うことにした。
    「なんだ銃兎。もう終わりかよ」
    「ええ、まあ。明日も仕事なのでね」
    「んだよつまんねぇな」
    「左馬刻、酒は無理に勧めるものではない。人によって体質、体調には差異があるからな」
    「わぁーってるよ。もう終わっちまうのがつまんねぇなっつったんだ」
    「おや、随分可愛らしいことを言いますね」
    「ああ。どうした左馬刻。酔ったか」
    「うっせぇよ」
     軽口を叩き合う。こんな日がずっと続けば良いと、ほとんど酔っていないはずの頭で、この空気に酔いしれる。しかし、明日が仕事というのも事実だ。大丈夫、この国は、平和になったのだ。また数日経てば同じ様に酒を飲み仲間と語り合える。
    「では、少し早いですが私は先に失礼しますよ」
    「おう」
    「気をつけて帰れ」
     
     店を出て繁華街を歩く。本当に、笑顔の人が増えた。これまで汚いやり方を数え切れないほど使ってきた、とはいえ警察官の仕事に誇りは持っている。一警察官としてはやはり嬉しいものだった。
     気分が高揚しているのか、なんとなくそのまま帰る気にはならず、一服して帰るかと思い喫煙所を探していると、
     ドサッ
     と、路地裏から物音がした。「なんだ?」
     路地裏とはいえ、街中なのだから余程大事ではない限り、どこからどんな音がしようが不思議ではない。しかしここは警察官の性なのか、自身の性なのか、銃兎は出しかけたタバコを胸ポケットに押し込み、音の方へ歩を進めた。
     壁を背後に、慎重に路地を進むとガサガサと、音が大きくなる。それと同時にぶつくさと人の声も聞こえてきた。
    「クソッ、クソクソクソクソ……」
     路地の角からそっと様子を覗き見ると一人の男がひたすらゴミ置き場を漁っていた。
    「クソッ、アイツのせいで、アイツらのせいで、あの女のせいで……」
     薄明かりに一瞬照らされた男の顔にはどこか見覚えがあった。おそらく、元火貂組のチンピラだ。
     元火貂組の構成員のうち、火貂退紅はかつての特別刑務所に、左馬刻を除く幹部と、一部の下っ端も刑務所へ収監されている。逃げ延びた構成員は完全に消息を絶っており、どこで何をしているのか分からなかった訳だが、目の前でゴミを漁っているこの男がそのうちの一人なのだろう。
     銃兎は周囲に他の人気がないことを確認して、男に近づいた。
    「こんばんは。そこで何をしておられるのか、お聞かせ願えますか?」
    「…… クソっ、サツか……ってお前は……っ」
    「おや、私の事を覚えておいでですか。それは嬉しいですねぇ」
    「うるせぇ、入間銃兎国の犬が」
     男は背中に何かを隠す仕草をしながら、必死に啖呵をきった。
    「随分嫌われているようで。元火貂組のチンピラさん」
    「チッ……覚えてて声掛けやがったのか。この裏切り者」
    「は?もとよりあなた方を裏切った覚えはありませんが。それよりも答えていただけますかね。ここで何をしていたのか」
     銃兎はやや呆れた表情で男に問いかけたが、男は顔を背けて唾を吐き、
    「一昨日来やがれ」
     と、指で首を切る仕草をした。絵に描いたようなチンピラの煽り方に、銃兎は呆れを通り越して感心さえしていた。
    「まあ大方、明日の食い扶持に困って残飯でも漁っていたのでしょうが」
    「チッ……」
    「本来であれば条例違反で罰金ですからね。まあ今回は見逃してあげます」
     男はまた「クソが」と吐き捨てて、身を翻してどこかへ去ろうとしたが、銃兎はそれを引止めた。
    「ちょっと?話は終わってませんよ。さきほど服へ隠したものを出していただけますか」
     瞬間、男は駆け出した。すかさず、銃兎はそれを追いかけて大通りへと出る。一定の距離を保ったまま三分程チェイスを続けた時、
    「しっつこいなぁっ!!」
     と叫んで、男は大通りを横断しようと、ガードパイプを乗り越えた。一台の自家用車が走ってきていることにも気づかずに。
    「馬鹿野郎!車来てる!」
     銃兎の叫びも虚しく男の体は宙に舞った。その時、銃兎は昼間見た夢の内容がフラッシュバックした。思い出したくも無い光景に頭痛がする。
     しかし、すぐに気を取り直すと横たわる男の元へ駆けつけた。
    「おい!しっかりしろ!」
     出血は無いが、頭を打った可能性を考えて身体は揺すらない。呼吸はあるが、意識は無い。ひたすら声をかけ続けると、男を轢いた自家用車から、若い女性が出てきた。
    「す、すすすすみません!!!大丈夫ですか!?大丈夫じゃないですよね!警察?救急車?えっと、えっと、」
     あまり動揺されると、反対に落ち着いてくるものだ。銃兎は平静を取り戻して、
    「一旦落ち着いてください。深呼吸して。私は警察です」
     と、警察手帳を女性に見せた。
    「け、警察の方!?わ、私、逮捕ですか……」
    「違いますから。一部始終を見ていましたが悪いのは百、この男です。横断禁止ですからねここの大通り。それより優先すべきはこの男の手当です、一一九番通報お願いできますか?救急車です。」
    「は、はいっ」
    「痛ってぇぇぇぇぇ!」
     銃兎と女性が会話をしていると、男は突然目を覚ました。女性はビクッと体をふるわせ、銃兎は安堵のため息をついた。
    「おい、死にたくなければあんまり動くな。頭を打ってる可能性がありますからね」
     意識は戻ったものの、これで男もしばらく動けないだろう。銃兎は救急車を呼び、その後男は病院へ、女性は銃兎と共に警察署へ同行させられたが、今回は示談になった所で、男の過失であると判断されるだろうと、簡単な手続きと話のみで帰されることとなった。
     結果として長い一日になってしまった。明日は男に話を聞く為に病院へ行かなければならない。なぜあの時逃げたのか、実際、何をゴミ置き場で漁っていたのか、疑問は尽きないが一度家に帰って休むことにする。ネクタイを外して首元を解放すると、途端に張り詰めていた緊張が解けた。ベッドに倒れ込み、大きいため息と共に思わず一言零してしまった。
    「死んでなくて良かった……」
     
     ***
     
     翌日、何やら署内が慌ただしかった。何かあったのだろうか。
     そう思いつつも、一度鑑識へ寄って昨日男が持ち去っていたものを確認する。
    「何かのバッテリーと、土?」
    「肥料ですね」
     その並びには覚えがあった。
    「あのやろう……」
     苛立ちを募らせながら、証拠品を再び鑑識へ預け、銃兎は部署へ戻った。
     さて、今朝からのざわつきの原因を尋ねるために後輩へと声をかける。
    「おはようございます。そうそう、あの賭けは私の勝ちのようですよ?嬉しくありませんがね」
    「おはようございます!賭け?そんな事よりも大変ですよ」
     自分から言い出しておいて失礼な奴だと思った。銃兎は怪訝な顔で問い返した。
    「大変、とは?」
    「組織犯罪対策部が再編されるそうです」
    「なっ!?」
     いくらなんでも突然すぎる。通常であれば組織体制の強化などが目的で、他の部署との合併などが行われるのだろうが、最近の状況では違うだろう。
     実質的な解体。新生言の葉党が発足してから組織犯罪対策部が検挙した事件件数は激減。新生言の葉党の政策が正しかったことを裏付けている。結果、組織犯罪対策部は不要になったと判断されたのだ。
    「入間、話がある。来てくれ」
     上司から声がかかる。内容は、今後についてであった。
     部署の再編に伴い、新設された部署への異動する人と、全く別の部署へ異動させられる人、そして辞任する人に別れると説明された。実質的な左遷やリストラである。銃兎のこれまでの実績を考えれば、そこそこの地位は確立させてもらえるそうだが、問題はそこではなかった。
    「もう、薬物は殲滅されたんだ」
     上司から改めてそう伝えられた。この言葉が何を意味するのか、もう少し察しが悪ければ楽に生きられたのかもしれない。
     
    「なぜ、警察官を続ける必要があるのか」

     失礼します、とその場を後にして小さく舌打ちをした。上司のあれは嫌味などではない、心からの善意であった。「もう、無茶をする必要はないんだぞ」と。その様子がかつての「先輩」の姿と重なった。
     そもそも、なぜ警察官になったのか。薬物の取り締まりであれば、麻薬取締官などの道もあっただろうに。そして、目的がほぼ達成させられてしまったこの世界で、自身が警察官であり続ける必要はあるのか。
     鬱屈した気分のまま、銃兎はひとまず、昨日の男の病院へ向かうのだった。
     
     ***
     
     病院の扉を開けると頭と腕と脚に包帯を巻かれて男がベッドに横たわっていた。
     「お加減はいかがです?」
    「最悪に決まってんだろ」
     男はそっぽを向いたまま答えた。
    「それは何より。今日は貴方に伺いたいことが合って来ました。今日はもう逃げられませんからね。答えてもらいますよ」
     男は黙ったままだったが、銃兎は続けた。
    「昨日、貴方がゴミ箱から漁っていたものですが、バッテリーと肥料でしたね」
    「だったらなんだ」
    「畑でもする気だったんですか?」
    「あんたの言う通り、食い扶持に困ってたんでね」
    「そうですかそうですか。ではバッテリーは?あれはもう使えないものですよ?」
    「……」
     男は何も答えなかった。銃兎は、ため息をついて呆れた顔で続けた。
    「せめて貴方のおつむがもう少し良ければマシな言い訳も思いついたでしょうに。硫酸と硝酸カリウム、それに尿素」
    「……知ってやがったか」
    「知ってやがった?誰にもの聞いてるんです?貴方のその残念な頭に入っている知識くらい持ってるんですよ。
     クーデターでも起こすつもりだったんですか」
    「悪ぃかよ。組が潰されて、逃げ延びたところでお先真っ暗だ!」
    「悪いに決まっているでしょう。一発で豚箱行きです。それで、貴方がこの辺りの材料で爆弾を作れることを知っていた事の方が驚きです。誰から教わったんです?」
    「……」
    「まただんまりですか?貴方の包帯だらけの足でも小突けば吐く気になりますかねぇ」
    「クソポリ公……」
    「なんとでも。本当に小突きますよ」
     男は観念したように呟いた。
    「理鶯さん」
    「は?」
    「理鶯さん……が、昔うちの事務所で話してたことたまたま覚えてたんだよ」
    「んだよ……」
     一瞬、理鶯がこいつらの共犯者になったのかと思った。いや、あの男なら必要だと判断すればやりかねないが、流石に今の理鶯がその判断をする方がおかしいか。緊張と安堵を一遍に受けた腹いせに、銃兎は男の足を小突いた。
    「いってぇな!なにすんだ!答えただろうが!!」
    「紛らわしい言い方したお前が悪い」
     思っていたよりも重症だったようで、男はかなり苦悶の表情を浮かべている。
     少し大人げなかったかと思っていると、男は苦しげな声を絞り出した。
    「そもそもてめぇが追いかけてこなければ事にならなかったんだ……。いや、そもそもって言うなら左馬刻の野郎が裏切らなければ……」
     有り得ない言葉に素っ頓狂な声が出る。
    「は?左馬刻が裏切る?」
     左馬刻の一番嫌いな、銃兎で言う薬物のような地雷源のような言葉、行為を左馬刻自身が?
     考えれば考えるほど有り得ない。
    「詳しく聞かせてください」
     銃兎がそう伝えると、今度は男が訝しむような顔をした。
    「何言ってんだ?てめぇらも納得してたんじゃねぇのかよ。親父や兄貴たちがパクられて、アイツだけ「妹のためだ」とかの賜って今ものうのうとシャバで酒を飲んでる。組への恩義を忘れたってのかよ!!」
     頭痛がした。あの義理堅い男がそんなことをするはずがない。そう思う一方で、頭の隅にたしかに、そういう報告を受けた記憶も確かにある。考え込む銃兎に畳み掛けるように男は言葉を紡ぎ続けた。
    「俺が、俺たちが何をしたって言うんだ。ただお天道様の元で真っ当に生きられなかっただけだ。組にいた時は確かにカタギじゃねぇことも沢山した。でも今は、陽の当たらないところでゴキブリみたいにただ息してるだけの一般人だ。ゴキブリは生きてる事すら許されないのか?国とか警察は、そんな弱者は駆除される一方なのかよ!」
    「……少し、黙っててもらえますか」
     そう言って銃兎は、先程よりも強めに、包帯がグルグルに巻かれた男の足を蹴った。そのまま、静かに思案し続ける。
     誰かに縋ってしか生きていこうとしていない男の思想には反吐が出るが、男の言うことにも一理あった。
     今目の前に包帯でグルグル巻きにされてきる男は、確かにもう「暴力団員」ではない。
     銃兎たち警察官が守るべき一市民である。
     しかし現にこの男は、未遂とは言えクーデターを企てていた。やはり危険分子に変わりは無い。だからと言ってこんな大怪我を負わせる必要は無かった。もちろん、故意ではないし過失は百、この男にあるのだが。
     そもそも論など、考えたところで覆らないので普段ならしない所だが、今の銃兎はどうしてもせざるを得なかった。
    「一度、失礼します」
     考えがまとまらないままこれ以上この男との問答は不要とだけ結論出し、病室を後にする。病院の廊下を歩いていると、見覚えのある女性が向かいから歩いて来た。
    「あ、おまわりさん」
    「……貴女は昨日の。どうしたんです?どこか調子でも?」
    「いえ、お見舞いにと思って」
    「まさか、あの男の?」
    「はい」
    「それは……律儀ですねぇ……」
     流石に暗がりの中、数メートル先にいる突然飛び出してきた人間を避ける事は不可能では無いだろうか。それでも女性は、負い目を感じて義理の無い男へ見舞いに来たと言うのだ。真面目な女性だと思ったが、まさかここまでとは、感心せざるを得ない。
    「でも、昨日はおまわりさんが見てたから良かったですけど、私もしかしたら犯罪者になってたかもしれないんですよね……」
    「いえ、状況的にもそれは……」
    「あ、足止めしちゃってごめんなさい!ありがとうございました!」
     女性はパタパタと、男の病室の方へ早足で歩いていった。
    「一歩間違えたら犯罪者……か」
     銃兎は、病院を出て左馬刻へと電話をかけた。
     
     ***
     
     開店前のポートハーバーで待ち合わせる。既に珈琲と煙草を手元に置いて、左馬刻は静かに座っていた。
    「待たせた」
    「おう」
     昨日合った大体の事情は話した。そのせいか、左馬刻もどこか覇気がない。
     銃兎も珈琲を貰い、煙草に火をつける。しばらくの間沈黙が流れた。
     先に口を開いたのは左馬刻だった。
    「そんで、おめぇは俺にどうさせたいんだ。銃兎」
    「どうって……」
    「組を復活させろってか?」
    「はっ、そんな訳ないでしょう」
    「じゃあなんでわざわざ俺に声掛けやがった」
    「それは……」
     確かに、左馬刻に連絡する必要はなかった。繰り返しになるが、既にあの男も左馬刻も火貂組では無いのだ。元舎弟だからお前が面倒を見ろ、というのは左馬刻が自ら行うならばまだしも、他人が言うのはお門違いというものだ。
    「銃兎、他に何かあったか」
     普段は鈍感なくせに、こういう時は誰よりも察しがいい。組織の上に立つものの性とでもいうのだろうか。銃兎は特に言い淀みもなく、自然に会話を続けた。
    「組織犯罪対策部が無くなるってさ」
    「は?」
    「お前の自慢の妹の功績だろ。誇れよ」
    「嫌味かよ」
    「褒めてんだよ。簡単に人のでけぇ目標達成しやがって」
    「そりゃどうも。で、おめぇはどうすんだ?」
     今朝上司から告げられた内容と全く同じニュアンスを含んだ言葉だろう。すぐに答えない銃兎を見かねて、左馬刻は続けて問いかけた。
    「じゃあよぉ、銃兎。俺様がまじで舎弟をかき集めてまた組を再興させるつったら、お前、どうすんだ」
    「それはっ……」
    「お前まさか、俺様だけじゃなくて俺様の舎弟にまで義理とか温情とか感じてんじゃねぇだろうな」
     それは無い、とは言いきれなかった。左馬刻を呼び出したことが何よりの証拠だろう。
    「なんでお前はうちの組と手を組んだ?」
    「……利害の一致だ」
    「なんの」
    「薬物の殲滅のための情報網の為」
    「それ以外は」
    「無いな」
    「じゃあ全力で止める所だよなぁ?」
     段々左馬刻の言葉尻に怒気が含まれ始めたことを感じる。
    「いいか、銃兎。俺様たちは仲間だ。それは覆らねぇ。でもその前提は、根本にあるもんは利害の一致だったはずだ。うちの組の尻拭いしなかったとこでそれは裏切りじゃねぇだろ」
     胸につかえていたものの正体が分かった気がした。これは、罪悪感だったのか。それも、本来であれば感じる必要のない罪悪感だ。
     確かに銃兎が手を差し伸べていれば、元火貂組の構成員はまだマシな処遇を受けていたかもしれない。しかし、それは銃兎が薬物汚染の危険分子を野放しにするようなものだ。銃兎が信用しているのは碧棺左馬刻、そして「薬を死ぬほど嫌っている火貂退紅」の事だ。他の構成員は信用には値しない。現に、あの男は放置していれば、街を危険に晒していたのだ。それは必ずしも、今の暮らしになったからとは言いきれない。そこに目をかける必要は無い。
     何が善で、何が悪か、それを決めなければならないのは自分自身だ。あの女性は言った。「もしかしたら私が犯罪者になっていたかもしれない」
     法律や裁判がそう判断すれば、そうなっていたかもしれない。しかし、それでも銃兎とって彼女は「善」である。それは、守らなければならないものだ。
     自分が何故警察官になったのか。薬物を殲滅するため。それは大前提である。しかし、それだけでは無かったはずだ。両親は交通事故で亡くなった。交通事故は、薬物だけが原因では無い。
     たとえ善人でも、悪人でも、それを起こすことはあるのだ。そういう危険因子から、銃兎にとっての守りたいものを守る。それが、銃兎が警察官になった理由ではないだろうか。
    「何間抜けな顔してんだよ」
     ずっと黙っている銃兎に、左馬刻がまた声をかけた。銃兎は思わず、笑い出してしまった。
    「んだよ。答えは出たか」
    「ええ、まあ」
    「そうかよ」
     銃兎は伝票を左馬刻の分も掴んで立ち上がった。
    「おい」
    「私が守りますよ。この街も、あなた方も」
     ポートハーバーの扉を開いたところで景色がひっくり返る感覚がした。
     
     ***
     
     目が覚めた。ここは、左馬刻の事務所だろうか。隣には辛気臭い顔をした仲間たちがいた。
    「よお、銃兎やっとお目覚めか」
    「うん、おはよう、銃兎」
     窓の外からは西日が傾いている。おはようという時間では無さそうだ。
     先程の夢を思い出す。薬物のない世界で、自分がどう生きるべきか。隣にいる仲間たちと共にそんな悩みを抱えられる日を信じて。いや、成し遂げよう。警察官として
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works