①自分自身を信じてみるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる side.RIO
夢を見た。これは中王区、言の葉党の革命の日か。軍は解体され、特殊掃滅作戦部隊も敗北を喫した。
五百雀少佐を中心に今後を話し合う。
「私が投降しよう。お前たちは生き延び、力を蓄えろ」
必死の説得も叫びも虚しく、五百雀少佐は特別刑務所へ収監された。これが夢だと、過去だと分かっていれば、存外冷静なものだった。
それでも胸につかえる蟠りは、後悔では無く無力な自分への歯がゆさだろう。
中王区に連行される少佐殿へ、思わず伸ばしかけた掌をグッと握りしめ、想いを咀嚼し、嚥下し、決意へと変える。
いつか必ず。平和のために。
***
高らかにラッパの音が鳴る。朝六時、起床の合図だ。隊舎のベッドから起き上がり、準備を整える。食堂で朝食をとり、朝礼の前に間訓練を行う。
いつものルーティーンワークである。身体は当たり前の様に動く。しかし、何となく頭にモヤがかかっている様な気がする。寝不足だろうか、疲れが出たか、そんなはずは無い。ここ最近、大きなトラブルは無かった。いつも通りの課業を行い、訓練を行い、二十三時には就寝。昨日も同じ時間に床へ就いた。寸分の狂いは無い。軍人として、自らを律する事は当然の事だ。
……軍人?常に心に掲げていたはずのその二文字にふと、疑問を呈する。
「おはよう、メイソン」
ぼんやりしていた頭が、声によって引き戻される。同僚の頸木だ。
「おはよう、頸木」
「どうかしたか?ぼーっとして」
「いや……なんでもない。いけないな、少したるんでいた様だ」
「おいおい、しっかりしてくれよ?毒島海曹長」
「海曹……?」
数年前、毒島メイソン理鶯は軍で確かに一等軍曹の階級を有していた。しかし、軍曹だ。海曹ではない。聞き間違いや、頸木の言い間違えにしてはハッキリした物言いであった。
「本当にどうしたんだ?メイソン」
「朝起きてから、何か違和感を感じる」
「珍しいな。自衛隊の生活はまだ慣れないか?」
「自衛隊……」
その三文字でようやく、記憶の空いていたピースが埋まった。そうだ、今自分は海上自衛隊ヨコスカ基地所属、毒島メイソン理鶯海曹長である。
H歴五年、かつての言の葉党党首東方天乙統女は辞任を発表、中王区の壁は解体され、極端な女尊男卑制度は撤廃された。
かつて圧政を受けていた男性からの反発、攻撃も無かった訳では無いが、新総理大臣の人柄か、文字通り「言葉の力」か、想像よりもかなり、小さい被害に抑えられた。
H歴三年時点で既に軍は解体されていたものの、「真正ヒプノシスマイク」の完成や、東方天乙統女の政策には、諸外国への進出を匂わせる「平和」に対する危うさがあった。だからこそ、軍人として毒島メイソン理鶯はサバイバル生活や中王区の情報収集を行い、有事に備えてきたのだが、その危うさも、ほぼ無くなった。
憲法改正により、日本は完全に軍隊、そして真正ヒプノシスマイクの使用が禁じられた。代わりに設置されることとなったのが「自衛隊」である。
過去の文献に存在したその組織は、他国からの攻撃に対する防衛行為、自然災害時の救護活動のため、日々課業や訓練を行っている。
「まあ、かくいう私も未だに不思議な感覚がある。かつて軍に所属していた我々が、戦いではなく自衛のために力を奮っているというのは」
「そうだな。だが、気を抜くことはできない。小官らはあくまで何も起こさない為にいるのだ」
「ああ、それも承知だ。まあ、体調が優れないわけじゃなくてよかった」
「うん、心配をかけてすまないな」
「いやいいんだ。とはいえ、あんまり無理するなよ、メイソン。もう戦争は起こらないんだ」
「うん。分かっている」
それじゃあ、と、頸木は自身の訓練へと戻って行った。
「戦争は起こらない」
頸木の言葉を反芻する。素直に飲み込みたいが、何かが喉元で邪魔をする。無理やり飲み込もうとすると嘔吐反射でも起こしたかの様な不快感が込み上げてくる。
朝から感じているこの違和感は一体なんだろうかと、思考を巡らせる。
中央区の腐敗はほぼ正された。国を自らの手で変える事はできなかったが、それは差程重要なことでは無い。もっとも、左馬刻などからすれば面白くない話だろうが。
自衛隊への所属も国からの指示だった。元々軍へ所属していたものはその技術を戦いのためではなく、守護のために、平和のために役立ててほしいと。新総理大臣の意向であった。もちろん、通達があった時は悩んだが、自らの力を他人のために用いることは嫌いでは無い。むしろ、それを理鶯は有意義であるとさえ感じている。更に「自分は軍人である」という信念は失っていない。
しかし、やはり自らの信条と現在の状況は異なるのだ。なぜなら今の理鶯は「軍人として死ぬ」事はできないのだから。ではなぜ、現在の立場を受け入れたのか、そもそもなぜ軍人であることにこだわったのか、そこまで考えた所で朝礼の時間になり、一日の課業が始まった。
***
課業へ集中している間は、余計なことを考えずにいられた。あっという間に終礼を終えて、食事の時間だ。今日も「何事のない一日」が過ぎた。
金曜日の夜はカレーだ。自分で配膳をして、席を探す。周りを見渡すと頸木が食事をとっていた。
「頸木」
「ん?メイソンか」
「隣、良いだろうか?」
「ああ、座れ」
「失礼する」
理鶯も席につき、カレーを掬う。こうしてかつての仲間と肩を並べて食事をしていると、昔を思い出す。頸木も同じ事を考えていたようで、
「メイソンと食事をするとやはり、昔を思い出すな」
と零した。
「そうだな。しかし、カレーを共に食べたことはなかったかもしれない」
「ああ、言われてみればそうか。お前は海軍所属だったが私は元の部隊は違ったからな。どうだ?軍のカレーとどちらが美味い?」
「うん。どちらも美味だ。ただ、こちらの方が日本人向けの優しい味付けを感じる」
「そうか」
頸木は笑ってまたカレーを口に運ぶ。昔を思い出すとはいえ、これほど和やかに食事をした経験は片手で数える程も無い。ある意味新鮮な経験だった。
「ところでメイソン、朝は何か様子がおかしかったが解決したのか?」
「いや、まだ考えている途中だ」
「そうか」
「その事に関して、一つ頸木に質問しても良いだろうか?」
「ああ、構わない」
「感謝する。頸木、お前はなぜ自衛官となった?」
頸木がカレーを運ぶ手を止める。そして怪訝な顔を理鶯へ向けた。
「それは、どういう意味だ?」
「深い意味はない。ただ、頸木は中王区に対して強い敵対心があったと思っていた。その中王区からの要望に応えた事へ対する純粋な疑問だ」
理鶯は真っ直ぐと頸木の方を見つめていた。曇りのない瞳から、決してからかっている訳では無いことは分かる。そもそも、少し理鶯と過ごせば分かる事だが、毒島メイソン理鶯は誰に対しても実直に向き合う人間だ。しかし、それを加味してもなぜ今更この質問をしたのか、頸木には分からなかった。
「それはメイソン、お前にも言えることだろう。お前は?なぜ自衛官になった?」
ある意味逃げではあるが頸木は質問を質問で返した。しかし、頸木の言っていることは決して間違いではない。理鶯も立場としては、全く同じなのだ。自分の考えを、答えを他人に委ねているのであればそれこそ逃げだろう。
理鶯もそこは理解していたので、今一度思考を巡らせた。
「小官は……」
一度言葉につまるが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「小官が敵対心を持っていたのは、かつての間違った中王区だ。内部腐敗が進み、武力の根絶された平和を謳ってはいるが、真の平和とは程遠い。そして少佐殿を投獄した、そんなかつての中王区だ」
「そうだな」
「今の中王区が掲げる理想は、平和は、小官らが目指すべきものに近いと感じている。だから、受け入れた。国からの要望を。小官が持つ技術や知識が平和に充てられるならば、これ程喜ばしいことは無い」
「そうか」
頸木は微笑みながら、カレーを一気に平らげた。
「私も同じ気持ちだ」
「……そうか」
「しかし、誰よりも軍の復活を願っていたお前が、そんな答えを出すとはな」
頸木の言葉に理鶯は首を傾げる。
「答え……なのだろうか」
「先程の言葉が答えじゃなかったら、一体何なんだ?」
「分からない。だが、やはりなにか引っかかる。すまないが、もう少しだけ問答に付き合ってもらえるだろうか」
「……すまないが、明日の休暇で帰省するための準備を進めたい。また今度付き合おう」
「そうか。こちらこそすまないな。ありがとう」
「お前も明日は休暇だろう。納得するまで考えるといいさ」
「うん。そうしよう」
頸木が席を立ち、理鶯は一人になった。まだ半分以上残っているカレーを口へ運びながら、頸木が言った言葉を思い出す。
「軍の復活を願っていた」
それは事実だ。だがそれは、決して戦争がしたかった訳では無い。民間人が死に怯えずに暮らすことができる、恒久的な平和を求めて、むしろ戦争を終わらせるために理鶯たちは戦い、戦うために軍の復活を望んでいたのだ。
「平和を求めるために戦う」
では求めていた平和が手に入った今、軍人にこだわる必要があるのだろうか。
ふと顔を上げる。和気あいあいとした雰囲気で食事をとる自衛官たちが目に映る。隊に属しながらも和やかな雰囲気で食事ができるのは、平和な証だ。しかし、昼間は全てのものが真剣な眼差しで訓練を受けていた。
「皆、良い軍人の顔をしている」
しみじみとそう思い、目を細める。同時に、ここにいる者たちを真の意味での軍人にはしたくない、とも思った。
それならば、自分にできることは。
***
翌朝、ラッパの音で目が覚めた。朝六時。目は覚めたが今日は休暇の日である。身支度を整えて、外出の用意をする。
隊舎を出てヨコハマの港を歩いていると見知った顔が向こうからタバコをふかしながら歩いてきた。
「よお、理鶯」
「左馬刻」
互いに名前を呼び合うと、そのまま横並びで歩き出す。最近は理鶯の休暇になると必ず港付近で理鶯と左馬刻が落ち合い、夜は銃兎も呼んで酒を飲む、というのがMTCの当たり前になりつつあった。
「どうだ。最近は」
「うん。変わりない。左馬刻は?」
「おう」
変わりない、という生返事だ。まさか左馬刻が「クソッタレな世界」と言わない日が来るとは誰も思いもしなかっただろう。
港を出て、行きつけの中華料理屋へ向かう。店へ行く途中、相変わらず道行く人から声をかけられる左馬刻を見て、理鶯は思わず笑みを浮かべた。
「んだよ」
「いや、相変わらず左馬刻は慕われていると思ってな。微笑ましく思っていた」
「そーかよ」
煩わしいのか気恥しいのか、左馬刻はぶっきらぼうに返事をする。しかし突然理鶯へ目線を合わせると、真面目な顔をして言った。
「んで、理鶯。微笑ましいとか言ってるわりにシケたツラしてんじゃねぇか」
「そうだろうか」
「ああ。俺様の目誤魔化そうと思ったって百万年早いぞ」
「そうか。流石の観察眼だな」
「うっせ。そんで?何があった」
「うん、少し考えていることがある」
「へぇ?」
「だが、これは銃兎も含め二人に聞いてもらいたい。また後で話しても良いだろうか」
「そうかよ。じゃ、夜だな」
「感謝する。なあ、左馬刻」
「おう」
「恒久的な平和とは存在すると思うか」
「んだ急に」
「気に触ったならすまない。だが、先程考えていると言ったことの答えをより強固にしておきたい」
「んなもんねぇだろ」
あまりの即答に理鶯は目をぱちくりさせる。
「なんで意外そうな顔してんだよ。平和。しかも永遠のだ?そんなのねぇって理鶯、てめぇが一番知ってんじゃねぇのか?」
「そう……だな」
そうだ、自分が一番よく知っている。知っていたのに、目を背けていた。これでは軍人失格だなと、笑いが込み上げてくる。今日はよく笑う日だ。そんな理鶯の様子を左馬刻は不思議そうに眺めていた。
***
「すみません、遅くなりました」
酒場ポートハーバーの扉が開いて、銃兎がやってきた。平和が実現してもなお、警察官の仕事は無くならないようだった。
「おせーぞ銃兎」
「うるさい、お前みたいに暇じゃないんですよ。おや、こんばんは。理鶯」
「うん。相変わらず忙しそうだな。銃兎」
「そうでも無いですよ。以前に比べればね。平和な世の中になったものです」
「今さっき暇じゃねぇつったの誰だよ」
「失礼、赤ワインいただけますか?」
「おい無視すんな」
三人揃うと途端に賑やかになった。酒を飲みながら、何気ない会話に花を咲かせる。程よく酔いが回ったところで左馬刻が昼間の話を切り出した。
「んで、理鶯。なんだよ聞いてもらいたいことって」
「うん。そうだな。昨日からずっと考えていたことがあった」
「ん?何の話です?」
銃兎にも簡単に、昼間の会話の流れを説明し、理鶯は話し始めた。
「ずっと考えていた。自衛官となった事が正しかったのか。間違ってはいないと思う。平和を維持するためには必要なことだ。しかし、その役割は必ずしも小官でなくてもいい」
「ですが、国はあなた方軍の人間に、自衛の為の技術を求めたのでしょう?それなら、その役割は貴方にしか務まらない」
「うん。だが技術を伝える所までだ。その先は、これからは多くの人間が小官らの代わりを担えるだろう」
「それは、そうかもしれませんね」
「昨日、彼らの様子を見て思ったのだ。彼らは良い目をしていた。そんな彼らの目を曇らせたくはない。役割としての軍人にしたくはないと」
酒を一口含み、理鶯は続けた。
「この国は平和を手にした。だが海を渡れば簡単にその平和は崩れ去る。小官はそれを無視することは……いや、違うな。それを無視してはいけない」
「理鶯……」
「左馬刻、銃兎」
理鶯は二人の方へ向き直ると真っ直ぐ見つめて決意を口にした。
「国を出ようと思う」
左馬刻も銃兎も驚かなかった。ただ静かに理鶯の次の言葉を待っている。
「国を守るのは彼らに、そして二人に任せたい。小官の手は既に汚れきっている。ならば小官がすべきは自衛では無い。戦争を止める、と大それたことは言わないが、せめて戦争の手がこの国へ及ぶことを防ぐ。
これは少なからず、小官のエゴだ。結局の所、小官は軍人として死にたいのだ」
そこまで喋って、理鶯は顔を崩した。
「笑うか?」
そう問いかけると左馬刻は鼻で笑った。
「はっ、笑うか?だと?その問いに対しては笑ってやるよ馬鹿にすんな」
「ええ、どうやら思っていたよりも理鶯からの我々の信頼は薄かった様ですねぇ」
「そんな事はない。貴殿らは信頼に足る大切な仲間だ」
「だったらオレらがてめぇの覚悟聞いて笑う様なクソ野郎じゃないことくらい知ってるよな?らしくねぇ事ばっかり言いやがって」
左馬刻はタバコに火をつけ、煙を吸って吐く。
「むしろ今まで大人しく国に従ってたのが不思議だったんだ」
「ええ。そんなタマじゃないだろ。お前らは」
「違いねぇな」
左馬刻と銃兎は笑って、酒に口をつける。
「っつーわけだ。理鶯。好きにやれ」
「うん。ありがとう。感謝する」
そうして一瞬静寂が流れる。次に口を開いたのは左馬刻だった。
「っし、仲間の門出だ。てめぇら祝杯あげんぞ」
「ははっ、こういうの久しぶりですね」
「うん。そうだな」
三人でグラスを掲げて一気に飲み干す。わざわざ仲間が危険を犯しに行くというのに、心からの笑顔を浮かべる。それが覚悟あっての事ならば、ヨコハマの三人にとってはそれが当たり前なのだ。
「なあ、左馬刻、銃兎。らしくないついでにもう一つだけ良いか?」
「なんだよ」
「構いませんよ」
「貴殿らは今、幸せか?」
思わぬ質問に二人は顔を見合わせる。
「そうですねぇ」
先に銃兎がタバコに火をつけながら答えた。
「ヤクがほぼ撲滅されて、中王区内部のゴミ掃除も終わった。それでも、犯罪は無くなりませんがね、まあ、以前よりは多少マシになったんじゃないですかね」
そう言って、銃兎は煙を吐き出す。同じタイミングで煙を吸って、左馬刻も答える。
「まあな。アイツがつくった世の中だ。中には生きづらいやつもいんだろうがよ、少し前よりはマシだな」
「そうか」
その一言が聞けて安心したのか、理鶯は空になったグラスを握りしめて再び決意を滲ませた。
「本物の貴殿らにも、いつかそう言わせられる世界にしなくてはな」
「?それは一体どういう……、おい、りおう?」
ぐにゃりと視界が歪む。左馬刻と銃兎が自分を呼ぶ声がどんどん遠くなって、視界が暗くなる、かと思うと瞼の裏に強い光を感じ、再び目を開けると、左馬刻の事務所の天井であった。
目が覚めた。どうやら、長い夢を見ていたらしい。スマホを確認するとH歴は三年。隣には左馬刻と銃兎が横たわっていた。
先程の夢を思い返す。自分が軍人以外での選択肢を取ることなどない。仮に取ったとして、結局いずれ軍人としての道へ戻るだろう。その矜恃は決して無くさない。信念も信条も裏切らない。
改めて、未だ目覚めぬ二人の戦友を見つめながら、理鶯は決意を口にするのであった。
「小官は軍人だ」