自覚最初は変わったやつだと思った。禁足地調査に任命されるハンターなのだから実力は確かなのだろうが、自分のような捻くれた人間を前にしても動じず、なんなら少しこちらを揶揄うような言動までするときた。だが不思議とそれは不快な感情を生じさせることはなく、むしろ真っ直ぐに自分と向き合ってくれる人間なのだろうと直感した。
脳のリソースは基本的に自分自身にとって大切なことにしか使わない、無意識にそう決めていたはずだったが、狩りに出かける前、はたまた大物と対峙した後と思われるときでさえもハンターは自分のもとにやってきては声をかける。そんな様子だから気づけばハンターの名を覚えるようになっていた。
「ヴェルナー、調子はどうだ?」
今日もまた武器の手入れをしている最中、視界の端に大きな武器を携えた人物を捉えて手を止めた。ゴーグルを外してその声の主に視線を向けると、相当派手にやったのか泥やら砂埃に塗れたハンターが嬉しそうな顔でこちらを見ていた。
「……あんたか。毎度ご苦労なことだ。俺は至っていつも通りだよ。むしろあんたに同じ質問をしたいところだね」
「歴戦個体の調査でね、ちょっと派手にやってしまったよ」
「だろうな。そんな調子だとそのうちあの編纂者に小言でも貰うんじゃないか?」
半ば呆れ気味に返したつもりだったが、目の前のハンターは何故か顔を綻ばせている。隊の皆で集まり今後の方針を決めるような時は皆を導く星のように凛とした表情をしているのに、今この瞬間に見せている表情の差が不思議でならなかった。何がそんなに楽しいのか正直自分でもよくわかっていないが、こんなふうに多様な面を持ち合わせているところが、皆に慕われる理由なのだろうかとふと思う。
「そうだな、彼女は案外怒ると怖いんだ」
「だったら早く無茶したことを謝ってくるんだな」
「はは!そうするよ。忙しいとこ邪魔して悪かったね。話せて嬉しいよ」
そうか、と返事をすればハンターはやや間をおいて「ヴェルナー」と自分を呼んだ。何事かとそらしかけた視線を戻せば、つい先ほどまでのほころんだ表情は引き締まり、やや緊張の色を滲ませていた。
「どうした」
「また、話にし来てもいいか?」
「?別に構わんが。というか、言わなくてもあんたはこれまでずっと来てたじゃないか」
自分だってそれなりにハンターとの会話を楽しんでいる節はある。こんな捻くれた人間に興味を持つ者がいるのかと初めこそ訝しんだが、ハンターの行動に裏表などないと自然と気づくうちに今日もまたやってくるだろうかと少ない脳のリソースを割いて考えるようになっているほどだ。
「ありがとう」
たったそれだけの言葉なのに、その中には安堵の色が多分に含まれていて何故か少しだけ胸がざわつく感覚に襲われる。
「あんたの話を聞くのも中々悪くないからな。ほら、早く行ったらどうだ」
名前も知らぬ感情が湧き上がり思考が支配されそうになるのを振り払うようにハンターを追いやると、その背中が見えなくなったところで大きく息を吐いた。別になんてことない会話のはずなのに、一人残されて自分の中から何かが抜け落ちたような感覚を覚えて眉を顰める。
(何だってんだ、一体)
扱いの分からない感情の存在に困惑しながら、黙々と作業を再開させた。その最中にもふと先程のやり取りの中でハンターが見せていた表情を思い返す。あんなに表情をコロコロと変えるような奴だと知ってからは、その変化を楽しむようになっていた。正確な歳は知らないが、おそらく自分よりは下だ。それ故に時々自分に構ってくれとせがむ愛玩動物のように思えることがあった。可愛い、と言うよりかはなにかと構ってやりたくなるようなそんな感覚。
(そうなふうに思うなんてらしくないな。歳か?いや、それも何か違うな)
如何せん自分でもここまで人に対して意識を向けたのは久しぶりと言っても良かった。普段あまり使わない分野で思考をするとどうしても長続きしない。やれやれと頭を振り一度作業の手を止めゴーグルを外す。当たりを見回しても特にハンターの姿は見当たらない。さしづめあの編纂者に無茶をしたことに小言を言われていたりするのだろうか。自分にとってはどうでもいいことのはずなのだが、さっき自分が言ってやればよかったな、とふと思う。無茶をするなよ、話し相手が居なくなったら困る、と。
(俺なんかに言われたかねぇか)
ハンターを心配するものはいくらでもいる。自分はその中でも最も距離の遠い場所にいるはずなのだから、わざわざそんなことをしなくたって同じような言葉をかけてもらっているのだろう。テントに戻りながら思考をめぐらせていても、先程胸の中に生まれていた自分の与り知らぬ感情は消えてくれることもなく、ちりちりと胸に燻っていた。
(あんたを独占でも出来りゃ、いくらでも言ってやるのにな)
そう思った時、ふとこの身を焼きそうになる感情の名前を知っているような気がした。自分には似つかわしくない、酷く醜いもの。
「くそっ……」
あれから、ハンターの来訪はパタリと絶えた。また話に来てもいいか、とあれほど真剣な顔で尋ねてきたのに。依頼が立て込んでいるのかはたまた別の理由があるのか、自分には分かりようもなくただ訪れが途絶えたという事実だけが残った。
倒れただの、調査隊から外されただのそれぐらいの大ニュースであれば自ずと耳に届くはずだろうから、それほどのことは起こっておらずきっと元気にやっているのだろうと思うことにした。
「……ヴェルナー、なんか最近上の空だよね、なんかあった?」
いつのまにかぐるぐると思考を巡らせており、エリックの声に急に意識が現実に引き戻される。
「ん?いや、話はちゃんと聞いてるぞ」
「上の空なのは否定しないんだ」
と軽く笑う。確かに、彼に声をかけられるまではこの場に相応しくないことを考えてしまっていた。それが何なのかはエリックには
「分かった、鳥の隊のハンターのことでしょ?」
彼には言わないでおこう、と思っていたところで飛んできた予想外の言葉に思わず目を見開いてしまう。彼の指摘がドンピシャだったあまり、否定の言葉が出るよりも彼が目を輝かせて「やっぱり!」と言う方が早かった。
「風の噂で聞いたよ、ヴェルナーとハンターがよく仲良く話してるって」
「……また面倒なことを吹聴する奴がいたもんだ」
「ヴェルナーでも人のことを気にするんだ」
「おい…」
図星を突かれた上に揶揄われるのはいただけないとエリックを諌めるが、彼はそれを気に留めずにペラペラと資料を眺めている。
「気になるんならさ、会いに行ってあげたら?」
資料から視線を上げずにそう言うエリックに頭にハテナが浮かぶ。さも何かを知っているかのような口ぶりだ。
「直接会うに勝ることってないよ」
忙しいんじゃないか、邪魔になるのは、と懸念が頭に浮かぶが、元気かどうかを確認するだけだ、と自分の中で言い訳をつけてこの後にでも会いに行ってやろうと決めた。
「そうだな」
余計なことを言ったところでエリックが楽しむだけになってしまうのは目に見えているため、簡単に一言だけ告げる。
会いに行くとは言ったものの、ハンターがどこで何をしているのか自分にはとんと見当がつかなかった。どの地域にいるのか、何の調査をしているのか、当たり前だが会話の中で聞くそれはほとんど事後報告のようなものだった。今日はたまたまエリックと話すために緋の森のベースキャンプに来ていたが、都合よくここで会えるとも思えず立ち止まってぐるりと辺りを見回す。当然目当ての人物の姿は見えず、諦めてテントに向かって歩き始めたその時、背後から大声で自分を呼ぶ声に思わず足を止めた。
「ヴェルナー!」
まさかと思い振り返ると、セクレトに乗りゆっくりとこちらに向かってくるハンターが居た。驚きのあまり立ちつくしていたが、ハッとして辺りを見れば、みなが何事かとこちらを見ておりあまりの恥ずかしさに近くのテントの陰に隠れた。セクレトを降りハンターは自分を追うように小走りで駆け寄ってくる。
「ま、待ってくれ」
「あんた声がでかいんだよ…」
「すまない……ここで会えると思っていなくて、つい」
その図体に似合わずしおしおと申し訳なさそうにしているハンターの姿は叱られた小動物のようだった。
「まぁ別に構わんが……それで」
そこではたと口を噤んだ。なんと声をかけるのが正解か、一瞬迷いが生じたのだ。わざわざハンターを探しに来た、という目的があったがそれを正直に聞くのは果たして正解なのか?不自然に思われないか、いざ話始めるとなったら迷いが出てしまう。
「珍しいじゃないか、ここにいるなんて」
「あ、あぁ、まぁな……エリックに用事があったんだよ」
「そうなのか…でも良かった、ヴェルナーに会えるなんて最高の日だよ」
こちらの迷いなどお構い無しにハンターは嬉しそうな様子を隠そうともせずに言う。
「あんたは……」
「ん?」
面倒だった。訳の分からない感情に悩まされるのは。こいつから全部を聞けばこのモヤのかかった物になにか形が生まれるのではないかと思った。一体何が現れるのか、そんなこと考える余裕もなかったが。
「最近顔を見せなかったのは、あれか、調査で忙しかったのか」
変なことを言っている自覚はある。なぜ自分がそんなことを気にしなければいけないのか、当然の疑問である。
「あー……そんなところ、だな……」
少し歯切れが悪いようだったが、ハンターはあっさり認めた。しかし、自分に嫌気がさしたという訳でもなさそうで内心ほっとしている自分がいること気づく。
「そうか。だったらしっかり休めよ」
「……ありがとう」
面倒な感情に振り回されるのはごめんだった。余計なことを言いそうになる前に去らなければと、ハンターの横をすり抜けてテントの影から出ようとした。しかし、その望みは叶わず腕を掴まれてぐっと後ろに引かれてしまう。
「痛いぞ、あいにく俺の腕はあんたほど頑丈じゃない……」
「ヴェルナーに会いたかった」
「……は?」
自分の言葉に被せるように告げられた告白に思わず後ろを振り向けば、なんとも情けない顔をして立っているハンターと目が合う。
「確かに調査が立て込んでいたのは本当だ。でも、そんなの屁でもないさ。ただ…」
自分の腕を掴む手に徐々に力が篭もる。そして、逃げないでくれ、と伝わってきそうな程にその手のひらは熱を持っていた。
「おい」
一体何を言うつもりなのか。と牽制するように声をかけるがハンターは気にも留めていないようだった。
「迷惑じゃないかと思ったんだ」
「…は?」
「あんたにはあんたのやるべき事がある。それなのに、自分は……ヴェルナーに会いたくて。はは、変だよな。こんな気持ち、良くないはずなのに」
目の前の人物は一体何を言っているのか、理解の追いつかないままにハンターはしゃべり続ける。
「ヴェルナーが好きなんだ。愚直なところも、ちょっと抜けてるところも、他人を思いやる気持ちがあるところも……」
「お、おい……」
「応えてくれなくていいから、今言ったことも全部忘れてくれていい。でも今だけ……言わせて欲しい」
自分なら耐え切れそうにないほどの装備を携えてもなお凛々しく、強い人間がこんなにもしおらしく見えることがあるのか。嘘だ、と突っ撥ねてやりたいところだが、ハンターの様子を見るにそれが嘘のない真っ直ぐな言葉であることは自分でも理解出来た。
「好きだ、ヴェルナー」
その言葉が再び自分に届いた時に生まれた感情はもちろん嫌悪感などではなかった。むしろ、まるで霧のように霧散していた名も知らぬ感情を徐々に形作っていくようにすら感じられた。そうか。俺もきっと。
「まて……何度も言わなくていい。分かったから」
自分ではどうしたらいいのかが分からなかったから、分からないふりをしていただけなのかもしれない。
「え…?」
「あー、まぁ…そうだな。正直、どうしたらいいのか分からん」
それが正直なところだった。わかるはずもない。こんな経験は久しぶりで、普段よりも少し早めの鼓動を生み出すその感情をどうコントロールすべきなのかはとうの昔に忘れてしまっていた。
「アンタはどうしたいんだ」
こんな時に相手に委ねるなんて、自分はやはりどこか捻くれているのだろうか。
「別に今すぐ答えをくれなくてもいい。自分の気持ちは変わらないから。でも、またヴェルナーのところに行きたい。もっと話がしたい。それを、許してほしい」
随分と健気なお願いだな、と思った。このハンターのことだから、意地でもわからせてやる、なんていうのかと思ったが案外可愛らしいところがあるようだ。
「構わんよ。こっちとしても、アンタが来ないとどこかでのたれ死んだんじゃないかって気が気じゃないからな。顔を見せてくれた方が嬉しい」
気持ちは変わらないと言った。正直信じられないという気持ちだが、やはり嫌な気はせずどこか安心感すら覚えてしまった。すぐに答えをやれなかったことは申し訳ないと思いながらも、そんなすぐに適当な答えを返すことが正解とも思えなかった。
「……そんじゃ、これからもよろしくってことか?」
そっと手を差し出すと、ハンターも徐に手を伸ばすとゆっくりと自分の手を握った。自分のそれなんかよりもずっと逞しい手。それに包まれると肩から憑き物が落ちたような気がした。
きっと自分も同じだったのかもしれない。会いに来ないハンターを思い、こうしてまた自分のところに来てくれることを嬉しいとすら感じている。
だまうまく言葉にできる気はしないが、いつかちゃんと、近いうちに伝えてやろうと固く誓った。