かぞく少し遅れます、どこかに入って待っててくださってもいいですよ』
休日前の仕事終わり、繁華街から1本入った路地のそばにひっそりと存在する公園が待ち合わせ場所。珍しく時間通りに仕事が終わり、遠目に見える人影を目指して小走りで向かうのが常だったところ今回は人気のない公園に一人足を踏み入れた。ひっそりとしている割には頻繁に人の手が入っているようで、植栽はその季節を感じられるようなものが植えられていた。
入口から少し入ったベンチに座り、メッセージが表示された画面から顔を上げて園内を見回した。
(紫陽花……)
理由はうまく説明できないが、その花を見ると所謂四季だ、と実感するよりも強く今の時期を実感できるような気がした。雨が多く、ジメジメとしていささか不快感を感じやすい季節。それでいて多くのカップルたちが共に家族になろうと誓い合うある意味では一年で最も暖かな季節とも言える。
(家族、ね)
ふと頭に浮かぶのは今頃あたふたと仕事を片付けてこちらに向かってくるだろう人物の顔。歳を取れば時間の経過が早く感じると言うけれど、それもあってか彼との関係は当初自分が想定していたよりも永く続いていた。あんなに誰からも愛されて、自分なんかとは正反対の世界を生きる人が自分を選ぶなんて今でもまだ信じられない。
『アオキ、小生とこれからもずっと一緒にいてくれますか』
あの言葉からも随分と時間が経った。彼にしては珍しく真剣さの中にも微かな不安が入ったような表情で、直接的な言葉を避けていた。その手の中にあったベルベットの小箱には彼が選んだリングにその言外の意味を悟る。断る理由などなく肯定の言葉を告げれば彼は両手で顔を覆うとへなへなとソファに座り込んでしまい、思わず笑ってしまい不服そうな表情をされたのも、はっきりと覚えている。家族になることを決めてから、仕事の合間を塗って慌ただしく手続きを進めているうちに徐々に実感していったことも。
でも時々不安になった。自分はつまらない人間で気の利いた事ひとつ言えない。女性のように柔らかく笑うこともできなければ、彼の魂を未来に残すこともできない。そんなことはどうでもいいと笑い飛ばしてくれるのだろうけど、果たして本心は如何ばかりかと思うことがままあった。左手に嵌められたリングにふと目をやる。ある意味これが彼なりの自分の不安に対する答えとも言えるのだろうか。ずっと共にいるから安心してくれ、と。
(新婚でもあるまいし、今更こんなことを考えるのはさすがに失礼か……)
目の前に咲く紫陽花の花を見ただけでここまで考えを巡らせてしまうなんて、と自嘲する。自分は彼を愛しているし、彼もまたこちらが悲鳴をあげてしまいそうになるほどの愛を与えてくれている。そして彼からの誓い。それで十分で今更何も心配することはないのだ。
(……愛してます)
心の中で普段言わぬ愛の言葉を囁き、薬指に嵌められたリングにそっと口付けた。
「ア、アオキ……!!!」
「!!」
聞き慣れた声にハッと顔を上げてその方向を見ると、息を切らしながら狼狽えた表情をうかべるハッサクがベンチから少し離れたところに立っていた。
「あ、えっと……お待たせしました?」
恥ずかしい。絶対に見られていた。羞恥心のあまり言葉が出ずぽかんと口を開けたままハッサクを見ていると、彼はゆっくりとこちらに近づき隣の少し空いたスペースに腰を下ろした。
「やけに物憂げな顔をしていましたけど、どうしたんですか?」
「いつから見てたんですか……」
「といっても一分ほどですよ。じっと前を見つめてましたから」
それなら声をかけてくれたらいいだろう、という言葉はあえて飲み込んだ。
「紫陽花」
「アジサイ?」
「紫陽花の咲く季節は結婚式が多いと言うじゃないですか。だから、ハッサクさんと家族になった時のことを考えていました。それだけです」
自分にしては正直に喋ったほうだ。しかしハッサクの表情はあまり明るくない。
「……何か、不安なことが?」
まさか彼からそんな事を聞かれるとは思わず驚きこそしたが、自分の中でそれに対する答えは出ている。
「いいえ。自分は貴方と家族になりたいと思って選んだんで」
「アオキ……」
「不安があるかはこっちが聞きたいところですが」
「ありませんよ!!!小生はもう幸せで幸せで…」
反射的にあげた声は公園全体に響くのではないかと思うほどで、思わず声を下げてと伝えるジェスチャーをした。それを見てはっと口に手をやった彼がなんだかおかしく笑みがこぼれた。
「なら良かったです」
お互いに愛しているならそれで十分だ。自分たちなりの家族の形があればそれでいい。
「ほら、行きましょう。お店の予約してくれてるんでしたっけ」
立ち上がってハッサクの目の前に手を差し出すと、彼も自然にその手を取った。
「紫陽花、綺麗ですね」
「ええ」
「花言葉をご存知ですか?」
「いや、知りませんが」
「『家族の絆』、ってのがあるらしいですよ」
その言葉を聞いてかっと顔に熱が集まるのを感じた。妙な気恥しさに繋いだ手を離そうとしたが、指から力が抜けたことに気づいたハッサクの手に強く握りしめられ、観念して再び緩く彼の手を包む。
「……そうですか」
頭に浮かぶ言葉はどれも彼を調子づかせてしまいそうで、そう答えることが精一杯だった。
(終)