ししさめが出逢った日。「お前一人で帰るの? やめとけ危ないだろ、乗せてってやるから」
学生のオイタを嗜め、ジャンクフードで腹を満たした足で招集を掛けた男のマンションへ流れ込み、意外にも“楽しく”遊び呆けて宵が更けた。
真経津の部屋は雑然としており、床面積に反して眠れそうな場所も衛生環境も整っていなかった為、村雨が否応なく「そろそろ御暇する」と告げたときだった。誘った方ではない男からすかさず声が掛かった。尤も、今の村雨には聞こえていない。腕を引かれて見上げた唇の動きでそうと知ったのだ。
(そもそも一人で来たのだから問題ないのだが……まあいいか)
男——獅子神は自家用車でここまで来ている。マンションの地下へ駐車していたので、深夜帯にタクシーを呼ぶ手間と天秤に掛ければ、村雨が頷くのも自然だった。双方、自宅を把握していないという点を除けば。
それだって彼が言い出したことだ、たとえここを中心として対角の立地であったとしても足になってもらおう。村雨は立ち上がり、「では」と真経津に挨拶して玄関へ向かった。にこやかに手を振られつられて振り返す。この魔性は、姪甥と同じ素振りの無邪気さを見せるから厄介だった。獅子神も村雨の背後で真経津と挨拶らしき会話をし、後に続いた。
人気のない駐車場はやたら冷たかった。村雨が視線で急かすと、獅子神は呆れたポーズで車を解錠する。男がドアを開けるや否や助手席に滑り込んだ村雨は、そこでようやく、初めて、“しまった”と思った。
見上げるも遅く、ドアは獅子神の手で丁寧に閉じられ、真面目に車の後ろを回って運転席に入り込んだ男によって確りと施錠されてしまう。
——ああ不可い。
村雨は乗車した途端、この密室に蔓延する香りに熱い眩暈を覚えたのだった。噎せ返るような男の香りを無防備に受け入れてしまい、無表情を保ちながらも、背筋を伝う汗の一筋とともに胎が熱る未知の感覚に震える。
乗車はこれが二度目だったが、一度目は真経津と後部座席に並んだ。人懐こく戯れる彼の匂いに気を取られ、獅子神の影響は抑えられていたのだろう。しかし今はどうだ。ふたりきりで、助手席で、男の香水も薄れ発汗が促される程遊び尽くした後だ。
——この男は極上だ。
村雨は浅く息を吐いた。
そして一息に愚痴まがいの内省を駆け巡らせた。
——なぜ私が興味もない学生のスワッピングにわざわざ言及したと思う? 苛立っていたからに他ならない。真経津に呼ばれて赴いた先で、見ず知らずの男が現れた。耳が聞こえなかったから初めに背後で彼の香りを嗅いだ。脳が揺れるような、どんなアルコールもパフュームも勝ち得ない酩酊を促す色香だった。そうして見上げれば、そこには一等愛おしい人間の面立ちを想起させる美丈夫がいたのだ。思わず頭を抱えたくなる。しかしこの私がそんな失態を晒すわけがない。ゆえに努めて冷静に品定めしたところ、マヌケではあったがなかなか見込みがあるときた。袖を引きたくなるのも仕方ないだろう?
無論、ここまで真経津には筒抜けで、マシとはいえどマヌケの男には露見していないのであった。
「家どこ、」
そんな村雨の内心など知る由もないマヌケは、呑気にカー・ナビゲーションを操作している。問われて我に返った村雨は、促されるまま自宅を入力した。「このルートの方が良い、あなたの車は大きいから」などと細かなやりとりをしつつ、指が触れそうな距離感に気が気ではない。全く現金なものである。最初の乗車を経た真経津の自宅でも彼の気配の方が濃かったし接触も多かったので、初対面の衝撃の後は今の今まですっかり油断していた。
獅子神が了承して車を発進させる。村雨は細く息を吐いた。これは行きがけにも感じていたことだが、極めて丁寧な運転に感心する。そもそもパーティに自家用車で乗り付ける慎重さが良かった。酒を断る理由としても、また即退避や追手を撒くのにも有用だし、逆にこうして人を送迎することもできる。まずい、加点が留まらない。
平静を装う為に深く掛けた助手席で凝と瞼を閉じていると、車を走らせる獅子神は村雨が眠ったものと思ったか、はたまたどうせ聞こえていないのだからと油断したか、視線を進行方向に据えたまま「あー」と口を開いた。
「なんつうか、今日は出逢えて良かったよ。もしお前と賭場で出遭ってたとしたらさ、こんな風にはなれなかっただろう。だから……情けないけど、良かった。」
無論眠ってなどいない村雨は、彼の最初のブレスで刮と目を見開いていた。広い視野で確とオレンジ色の唇を追っていて、言葉とその意味を正確に理解していた。
そのうえで、はっきりと返す。
「私もだ。」
獅子神は多重に驚いて危うくブレーキを踏み掛けた。危ないだろうが、と村雨は眉根を寄せるが、深夜の住宅地に人気はなく、丁度目前の信号も赤に変わる。
「貴方はマヌケではあるが、素直で良い子だ。容姿も好ましいし、何よりとても良い匂いがする。……この自動車は貴方の匂いに満ちていて、安心するのに緊張するな。こんなのは初めてで不思議だ。出逢えて良かったと思う。」
「——は?!?!」
聴かれていただけでも想定外であるのに、そのうえとんでもない言葉を打ち返され、獅子神はパニックに陥った。情を返され慣れていない彼にとっては、村雨の言葉は威力が強過ぎたのだった。
(私も良かった? 俺が良い子? 格好良いって? しかも良い匂いって何だよ!?)
混乱し発熱しはじめる頭を他所に、優秀な彼の身体——手が早いだけだと内なる狐氏は補足する——は、無意識にハンドルを己が家へと切り掛けた。しかしそこにきてストップが掛かる。己でも隣の男でもない、先程の別れ際、玄関で赤毛の魔性に掛けられたまじないによってである。
『先生ウブちゃんなんだから、オオカミさんダメだよ〜!』
——何が『ガウ!』だ、誰がウブだって?
思うところは様々あれど、ともかく真経津の助言により、獅子神はどうにか紳士を保つことができ、汗ばむ手で確とハンドルを握り直した。
そうして外から見れば何事もなく、見栄っ張りの高級外車はカー・ナビゲーション通りのルートで一軒家へと到着したのだった。
やけに広い戸建ての玄関に車を付ける。一言もなく車を降り、静かに夜に立つ村雨は闇に紛れてしまうようで、獅子神はどことなく寂しさを覚えた。男の表情を読み取った村雨は、口元にごく薄く微笑みを載せると、「茶でも飲んで行くか?」とあぶくのような気遣いと餌を蒔いた。
獅子神はよほど誘いに乗りたかったが、辛抱効かない自信があったので、“ウブ”らしい男を慮り「もう遅いから帰るわ」と返答した。そうして「そうか、また会えるのを楽しみにしている」と微笑みを残し、扉の向こうに消える後ろ姿を身悶えながら見送ったのだった。
了
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ふたりが付き合うまであとxxx
この獅子神さんは好きって言われたら好きになっちゃう(でも内心どーせ自分の思うようには好かれてないんだろうなって諦めてる、から結局うまくいかない)タイプなので、先生にも「でももしかしたらちょっとは好きになってもらえるかも」と期待を掛けてすぐ手を出そうとするんだけど(=デートに誘いがち)、見れば見るほど「そんな簡単に扱っちゃダメな人だ」と尊敬が膨らみ、LiAで大爆発して完全に落ちる。
一方先生は一目(一嗅ぎ?)惚れです。