Year-End Sweetness(士官学校時代の先生とルーヴェンクラッセのお話) 朝の修道院は、いつもと変わらぬ静けさを湛えていた。けれど節季という特別な日付のせいなのか、その空気はどこか張り詰めていて、人の気配がありながらも、ひっそりとした冬の冷たさがそこかしこに滲んでいる。年の瀬が近づくことで、学生たちの多くは自国へ帰省しており、この修道院も普段よりだいぶ人が減っているのを感じた。
ディミトリは、その人の少なさを意識しながら厳かに朝の礼拝を終えた。最後の祈りを捧げ、思わず周囲を見回してから小さく息をつく。いつもそこにいるはずの人がいないことに、ほんの少しだけ違和感を覚えた。
――先生はどこだろう。
何しろ多くの生徒がすでに帰国の途についているのだから、教師が不在であろうとも、そうおかしな状況ではない。だが、ディミトリは心の片隅にうっすらとした気がかりを抱く。先生がどこで何をしているのか。それがわからないことに、妙に居心地の悪さを覚えていた。
「殿下、そろそろ準備しないとと、今日中にフェルディアに着けませんよ?」
ディミトリが聖堂のホールに出たところで、シルヴァンのからかうような声が聞こえた。彼の髪は朝日に照らされて鮮やかな緋色を帯びていた。いつもの軽口も、今日はどこか浮き足立ち、せわしなさを感じた。
「ああ……わかっている」
気だるそうに言いながらも、ディミトリは足を止めて再度、周囲を見回した。
まだ探しているものがある――そんな視線に気づいたのだろうか。フェリクスはディミトリの肩越しにちらりと視線を送ったあと、面倒くさそうに小さく息をついた。
「先生か?アイツなら今朝見かけた。外へ出るようないでたちじゃなかったから、この院内に居ると思うぞ」
「……あ、あぁ……そうか。いや、帰る前に先生に挨拶くらいはしておきたかったんだ」
ディミトリの言葉に、シルヴァンが意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「まあ、そういうことにしておきましょ!」
まるで心の奥を見透かしているかのような揶揄に、ディミトリは返す言葉を見つけられなかったが、少しだけ顔をそむけながらも、ベレトがいそうな場所を頭の中でいくつか思い浮かべた。
書庫、訓練場――けれど、いずれも先生がいるとは思えない。もし何らかの任務に出ているのだとしたら、修道院の外へ行く支度をしているはずだ。フェリクスの言う「外出するようないでたちではなかった」という言葉が正しいなら、きっとまだガルグ=マグの中にいるのだろう。
「先生は、どこにいるんだろうな」
ディミトリが自問するように呟くと、シルヴァンがぽんと手を打った。
「食堂じゃないですかね。この時間帯には何もやっていないと思うけど、もしかして朝食が遅くなったととかで食べているのかも」
シルヴァンの思いつきに、ディミトリは「なるほど」と頷いた。確かに、食堂なら節季とはいえ軽食程度なら用意している可能性はあるし、先生が休息をとっているかもしれない。そんな何気ない推測を胸に、三人は回廊を抜けて食堂の方へと歩みを進めた。
食堂の前まで来ると、扉の向こうからふんわりと甘い香りが漏れてきた。ディミトリは思わず立ち止まり、シルヴァンと顔を見合わせた。料理が行われるはずのない時間帯に、そんな匂いが漂っているのは少し不思議だった。
「……なんの匂いだこれは」
フェリクスが訝しげに眉をひそめた。そして、その香りに導かれるように、彼は視線を窓越しに向けた。ガラス越しに見えるのは、カウンターに立つベレトの姿だった。淡々とした仕草で何かを混ぜているようだが、柔らかな光に照らされるその横顔は、剣を操るときとはまるで違う穏やかさを宿していた。
「ああ、やっぱり先生、ここにいましたね」
シルヴァンが安堵とも取れる口調で言いながら、ディミトリとフェリクスを振り返り、そして、そのまま一歩前に進み、ためらいのない動作で扉に触れてそっと押し開けた。
扉の向こうには、思いがけないほど和やかな空気が広がっていた。
メルセデスは泡立て器を手に優しいリズムで生地をかき混ぜ、リンハルトは退屈そうな表情をしつつも、材料を運んでは淡々と手を動かしている。その真ん中で、探していたベレトが、静かにボウルの中身を混ぜ合わせながらも、どこか満ち足りた雰囲気を漂わせていた。
「……先生。こんなところで何してるんですか」
ディミトリが問いかけると、ベレトはわずかに視線を上げ、淡々とした口調で答えた。
「メルセデスに習ってマカロンを作っている。リンハルトにも手伝ってもらってた」
それを聞いたシルヴァンが意外そうに声をあげる。
「マカロン……? そりゃまた大変な作業を節季の午前中にやるなんて、ずいぶん大変じゃないですか?」
するとメルセデスが微笑んで、お菓子生地を混ぜる手を止めずに言った。
「昨日の夜から卵白を寝かせておいたから、ちょうど今朝が作り頃なのよ?」
メルセデスの言葉に続いて、リンハルトが心底面倒そうにため息をついた。
「僕は甘いもの食べられそうだからここに来ただけなんだけどなあ。作業の手伝いなんて聞いてないんですけど」
そういいつつも手伝う手を止めないリンハルトに対して、ベレトは淡く笑んだ。
「リンハルトも手伝ってくれてありがとう。リンハルトの分は多めにするよ」
リンハルトはベレトの言葉に安心したように肩の力を抜いて、「約束ですからね!絶対ですよ?」と繰り返した。
朝の淡い光が差し込む食堂で、ボウルの中の卵白が雪のようにふわふわと泡立てられる。
リズミカルに泡立て器を動かすメルセデスの横で、ベレトは粉糖をそっと加えながら生地を混ぜ合わせていく。二人の動作は迷いがなく、手順の一つ一つが静かに整然と進められていた。
その様子を横目に、この人は何でもできるんだな…とディミトリらしみじみと思った。
マカロンの生地は淡い桜色のような色合いを帯びていて、ベレトによって絞り袋に詰められた生地を、リンハルトがこれまで見たことがないような真剣で険しい顔をしながら、オーブンシートの上にぽとりぽとりと丸いかたちで落す。
やがてオーブンに入れられた生地は、少しずつ息づきはじめるようにふくらみ、綺麗な形をを作りあげていく。普段は慌ただしい修道院の静かな朝に、こうして焼き上げを待つ時間というのは、不思議なくらい満ち足りた余韻を生み、皆でのんびりと語り合うひとときがとても楽しかった。
しばらくそんな時間を満喫した後、焼きあがったマカロンをオーブンから取り出す。まだ熱を含んでいるそれの粗熱をとるために、ベレトは網の上にさっと並べた。
「先生は、冬季休暇の間、ここにいるんですか?」
そんな作業を眺めながら、ふいに、ディミトリが、声をかけた。
「ん?そうだ。ジェラルトがここでしばらくこんびり過ごすと言っているから、オレも同じように過ごす予定」
ベレトは淡々と答えながらも、焼きたてのマカロンに視線をおとし、仕上がりを見守っていた。かつてこの人が傭兵として戦場を駆けていたなど、想像できないほど穏やかな光景が広がる。ディミトリはその横顔を見つめながら、気がつくと小さく微笑んでいた。
「……先生、こんなこともできるんですね。剣の手練であるのは知っていましたが、まさか菓子まで作れるとは……」
ディミトリが正直な感想を述べると、ベレトはほんの少しだけ肩をすくめ、どこか照れたように視線を逸らした。
「難しいものじゃない。レシピ通りにやれば作れる。それにメルセデスがわかりやすい手順を教えてくれたから助かった。それだけだ」
その言葉にメルセデスが「ふふっ」と笑った。そのやりとりを横目に、リンハルトはマカロンから漂う香りにうっとりと鼻を近づけていた。
やがてベレトは出来上がったマカロンを小さな箱に詰め始める。その手付きは丁寧で、今にも壊れてしまいそうな繊細さをもったそれを一つ一つ優しく扱っていた。
「帰りの途中ででも食べてくれ。焼きたてだから、もう少し寝かせたほうが美味しいかもしれないが」
そう言ってベレトはディミトリやシルヴァン、フェリクス、それからリンハルトにも同じように箱を手渡した。ほんのりとした甘い香りが箱の隙間から溢れでた。
「わぁ、ありがとうございます。僕の分も用意してくれたんですね!」
リンハルトが嬉しそうに声をあげると、ベレトは当然のように頷く。
「もちろん。リンハルトは頑張ってくれたから約束通り少し多め。そういえばリンハルトも午後には戻るんじゃないのか?」
「うーん、本当は戻りたくないんですよ。ここで本を読んでいたほうが、よっぽど充実した日々を送れるのに」
リンハルトは渡された箱を胸に抱きしめながら、まるで拗ねるように言った。
「そうは行かないだろう? お前を待っている人がいるのだから」
ベレトの言葉には、強い説得力というよりもむしろ保護者のような温かさが感じられた。リンハルトは「ああ…やだなあ……ここで先生と新年を迎えたいよ」と小さく呟きながらも、少し考えた後、諦めたように小さくため息をつき、渡された箱を見つめてかすかに微笑んだ。
「…これ、大切に食べますね」
「また次節に会おう」
そうして彼らは、思い思いのタイミングで修道院を後にした。
ディミトリやシルヴァン、フェリクスも、他の青獅子の生徒たちと共に、王国へ帰るために馬車を用意していた。その作業は慌ただしいものではあったが、それでも手元の小さな箱から漂う甘い香りは、離れがたいと思うほど心地よい。
馬車に乗り込んだあとも、シルヴァンは箱を開けては中のマカロンをじっと見つめ、フェリクスは何か文句を言いながらも、結局は一つをつまみ食いする。ディミトリは、そんな二人を見てわずかに微笑んだ。
「先生は本当に何でもできるよな。傭兵の出身に見えないくらい、細かいことにも手が回るし。ああいうところ、すごいよ」
シルヴァンがマカロンを眺めながら言うと、フェリクスが吐き捨てるように言う。
「まったく、どういう育ち方をしたんだか。剣の腕もさることながら、今度は菓子作りまで。……俺は菓子作りでは勝てない」
フェリクスの呆れとも敬意ともつかない不思議な言葉が、ひそやかに馬車の中を満たした。ディミトリは微笑みを含みながら、マカロンの箱をそっと撫でた。
「でも、だからこそ安心できるんだ。何があっても先生がうまく対処してくれそうで……頼りにしてばかりではいけないとわかっているんだけどな」
そんな三人の何気ない会話を耳にしていたメルセデスが、ふふっと小さく笑う。その笑顔にはどこか優しく穏やかな微笑みだった。
「先生って、当たり前のことを知らないところもあるでしょう? 時々不安になるような言動をするけど、変なところで几帳面なのよね。……そういえば、先生、マカロンの意味とか話していたのかしら。もし知らないまま作っていたとしても、それはそれですごく素敵なことよね」
メルセデスの言葉に、ディミトリは「マカロンの意味?」と思わず聞き返す。するとメルセデスは静かに目を伏せた。
「マカロンには『あなたは大切な存在』っていう想いがこめられているって、聞いたことがあるの。先生が私たちにそれをくれたということは、私たちのことを大切にしてくださっているんだなあって……早朝からあんなに丁寧にお菓子を作るなんて、なかなかできないことじゃない?」
その言葉にディミトリは、驚きそしてあらためて箱の中のマカロンを見つめた。焼きたての甘い香りが、そしてほんのりした色づきが、優しく胸の奥を温めた。
「……そうか。先生は、俺たちのことを……」
口にしかけた言葉を飲み込みながら、ディミトリはどこか感慨深い表情を浮かべた。こんな年の瀬に、こんな細やかな心遣いをしてくれる人がいるというのは、どれだけ幸せなことなのだろう。もしかしたら、ベレト自身は深く意識していないのかもしれない。しかし、その不器用な優しさは紛れもなく本物だであると感じた。
馬車は修道院の門を抜け、王国への道へと進み出す。空気は冷たいが、冬晴れの青空が広がっていて、まるで次の年への希望を見せてくれているようだ。
「来年も、良い年になるといいな……」
ディミトリは小さく呟くと、箱を大切そうに抱きしめる。その様子を見たシルヴァンが、おどけたような口調で言った。
「ま、ちゃっちゃと用事を済ませて、早めに修道院に戻りましょ。先生に手土産でも持ってってさ」
するとフェリクスがあきれ顔でため息をついた。
「ファーガスの料理なんか持っていっても、先生が喜ぶとは思えん」
「あー……確かに。あれ、それを言われるとちょーっと辛いんだけど」
シルヴァンの残念そうな口ぶりに、ディミトリは思わず吹き出しそうになった。彼らのやりとりに釣られて、周囲の青獅子の生徒たちも笑みを浮かべた。
――その笑い声は、旅立ちの不安を少しだけ和らげるように、静かな冬の大気に溶けていった。
「先生は、修道院で待っていてくれるだろうか」
ディミトリはそっと目を伏せる。年の瀬に別れを告げながらも、近いうちにまた再会できるだろう。そのときは手土産の一つでも用意して、感謝の言葉を伝えたい。自分たちも、先生に何かを贈ることができたらどんなにいいだろうか。
節季の朝、そこで交わされたささやかなやりとりが、年が明けてもずっと記憶に残るだろう。マカロンにこめられた「あなたは大切な存在」という意味。それを知ったときの嬉しさや照れくささが、きっとこれからの未来を少しだけ明るくしてくれる気がした。
やがて、修道院から少し離れた道で馬車ががたがたと揺れ始める。車窓から見える冬の景色は青白く、石畳は霜で白みがかっていた。遠くに見えるファーガスの山並みは銀灰色に染まり、旅路の先の寒さを感じさせた。
ひょっとして、来年の大晦日も、またこうして修道院で過ごすことができるのだろうか。そのとき先生は、どんな菓子を作っているのだろうか。
そんなふとした想像が、ディミトリの心が暖かなものになる。
「先生の作ったマカロン……もう少し寝かせたほうがいいって言ってが、我慢できるだろうか」
ディミトリがぽつりとこぼすと、シルヴァンが笑みを浮かべる。
「食べたい時が食べごろですよ殿下。そうしないとあっという間にフェリクスに全部奪われるだけですから」
「猪のは流石に食わん。お前のは気をつけることだな」
フェリクスがきっと鋭い目を向ける。その三人のやり取りを、メルセデスは楽しげに聞いていた。彼女の乗る馬車はしばらくして別の道へ分かれるはずだが、まだもう少しの間は一緒に道を進む。
年が暮れ、そして明ける。その儀式のような節目を、修道院で迎えられた幸運を噛みしめながら、ディミトリは静かに目を閉じる。これから先に何が待ち受けようとも、先生と仲間たちの存在があれば乗り越えられると信じたい。
その思いが、マカロンの甘さをより一層深く感じさせてくれるのかもしれない。
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2024年ありがとうございました。
とても楽しく幸せなひと時を送ることができました。
士官学校時代のお話です。全員支援BからAくらいの間のイメージです。なんだかんだで、みんな先生が好きな状態です。
先ほどお買い物に行くと、パティシエのかたにマカロンを勧められました。
『特別な人にしか贈らない』
『あなたは私にとって特別な人』
という意味合いがマカロンにはあると言っていて、ビビビのままに殴り書きしました。
(そしてマカロンは買わず←)
作るのにとっても手間がかかるから…愛がないと難しいということでしょうか。
なお、作り方の描写はフィーリングです
ゲーム内では、この後、色々あって先生が行方不明になる流れなので、殿下は正直マカロンどころではありません…が、ささやかなひと時があれば良いなあ…というただの妄想です。
なお、うちのルーヴェンクラッセにはリンハルトくんが常駐してます。彼は先生にわかりやすく熱を上げています。情欲的というよりもう信仰に近い恋心を抱いている設定です。
今後先生と殿下を中心に、先生を取り巻くほんわかした話を自分のペースでかけたらよいなあと思っていますので、来年もよろしくお願いします。